紫音、惚気る

紫音しおんの左手薬指に光る指輪を見て、千堂アリシアは、


「紫音さん、婚約なされたんですか!?」


思わず声を上げた。すると、ハッとなった紫音が左手を引っ込めながら、


「ああこれ? うん。昨日、彼からもらったんですよ」


耳まで真っ赤にしながら紫音は応えた。


「それって、友利ともりさんのことですか?」


「う、うん…そう……」


紫音の店の常連の一人で、紫音の中学時代からの付き合いてある<友利良純りょうじゅん>という男性が、彼女の婚約者だった。十年越しの恋を実らせたということだ。


「わあ! 素敵です♡」


「そ、そんなことないですよ。普通です。だって彼、アリシアさんみたいに大きな会社に勤めてるわけじゃないし、イケメンってわけでもないし、優しくて真面目なだけの人ですよ」


などとやり取りをしてる姿がもう、ただ惚気てるだけにしか見えなかった。そしてそんな紫音の姿を見ていてアリシアは思う。


『あれ? これって<幸せな花嫁>の姿なのでは……?』


気付いて、笑顔で彼女を見詰めながらもその仕草を詳細に観察する。


耳まで真っ赤にしてるのはともかく、顔にも手にもうっすらと汗をかいているのもともかく、不規則にくねくねと体を揺らし、せわしなく両手を頬にあてたり指を絡ませたりと、とにかく動きが柔らかかった。


確かにその種の人間の振る舞いもデータとしては蓄積されていたものの、メイトギアでそれを再現することはまずない。<ラブドール>では主人に愛されている悦びを表す仕草として採用されたりはするものの、メイトギアは愛玩用ではないからだ。


けれどこうして改めて目の当たりにすると、紫音がとても幸せそうに見えるのは分かった。もちろん、メイトギア課の職員にも既婚者や婚約者がいる者は多いとはいえ、職場でこういう振る舞いをするタイプはいなかった。基本的にそういうタイプはロボティクス部を志望しない。


『なるほど。だから人間はたくさんのものを見て経験を積むことで自身の仕事のヒントとして役立てることがあるんですね』


アリシアは改めてそう納得した。オフィスで頭をひねってるだけでは見えないものがあるということなのだろう。


そしてパンを購入。オフィスに戻って皆でパンを食べながらミーティングを行った。


「あんな風に素直に惚気られるのが羨ましいです……」


婚約者がいる女性職員が苦笑いを浮かべながら言う。


「確かに。僕らは物事を理性的に考えすぎなのかも」


「でも、やっぱり恥ずかしいし……」


既婚者の職員も互いに顔を見合わせながら苦笑い。中でも特に苦笑いを浮かべてたのは、エリナ・バーンズであった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る