タラントゥリバヤ、その心理

すべての人間が同じ考え方をできるようになることは、決して有り得ない。もしそうなればそれはもう、<人間>ではないのだろう。人間である限りは考え方も価値観も感性も違って当然なのだ。


ただ同時に、だからといって自分と考えが合わない相手を害していいという理屈はない。自分が害されたくないと思うのなら、それは他者も当然のこととして同じはずなのだから。


『自分は嫌だと言った! でもみんな嫌なことをするのをやめてくれなかった! どうして自分だけが我慢しなきゃいけないの!?』


当時のタラントゥリバヤの心境は、そういう感じだったのかもしれない。だから彼女は、


『我慢しなかった』


のだろう。けれどそれは所詮、


『他人の所為にしている』


『社会の所為にしている』


ということでしかない。自分を守ってくれなかった助けてくれなかったということなら、その体制や仕組みこそが変わるべきであって、自身の憎悪を誰かにぶつけていいということじゃない。


それを彼女ははき違えてしまった。


これについて納得できない者もいるだろう。


『そんな綺麗事を!!』


と憤る者もいるだろう。だが、それこそが<テロリストの考え方>なのだ。


『虐げられている自分には、虐げてくる者達へ報復する権利がある。そのためなら何をしてもいい』


テロリズムの本質は、結局、そういうことなのだろう。


タラントゥリバヤの境遇は確かに不幸なものだった。しかしそれをもたらしたのは、殺された友人ではなかったはずだ。けれど彼女にとっては、人間ではなくロボットばかりを見ているその友人が<裏切者>に見えていたようだ。


加えて、メイトギアに特異な改造を施して<ラブドール>として使っていた父親の姿を重ねてしまったというのもあるのかもしれない。そうして彼女は友人を殺害し、『もう引き返せない』と強く思ってしまったのだろう。


殺人は許されないが、その事例の場合だと終身刑が言い渡される可能性が高かったが、その時点で終わっていれば、少なくとも、テロに加担した挙句、手榴弾を使って自爆するなどという最期を迎えずに済んだはずなのだ。


けれど、精神的に追い詰められている人間には、そういう俯瞰的な客観的なものの見方ができないのだろう。だからこそ誰かが手を差し伸べて引き留める必要があったのだろう。考え方や価値観は人それぞれではあるものの、だからといって他者を害するならそれは<敵>として排除される理由になってしまう。


自ら<社会の敵>となって、


<社会の敵を攻撃することで憂さを晴らしたい者達>


に自分を攻撃させていい格好の大義を与えてしまうのだ。


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