善や正義を標榜する人間、その悪辣さ

植物だけを摂取することで動物を守っている気になっている人間は、自身が摂取している植物由来の食品を生産するまでの間にどれだけの動物を犠牲にしてきているのか、理解しているのだろうか?


自分が直接手を下すことにならなければそれで『動物を守れた』と思っているのだろうか? 自分が直接手を下さず、それを生産者に代行させることが<悪辣>でないのなら、何と言うのか?


他にも、自身が被害を受けたわけでもない相手を、反撃を受ける心配のない場所から<正義>を掲げて袋叩きにする行為が<悪辣>でないなら、何と言うのか?


さらに、<神>なるものを盲目的に信奉し、自身が信奉する神とは異なる神を信奉する者達を<邪教徒>と称して虐殺する行為が<悪辣>でないなら、何と言うのか?


かように、人間は、自身の行いを正当化するために<善>や<正義>や<悪>という概念をでっち上げた。そんな行い自体が<悪辣>ではないのか?


しかしAIやロボットには、<善>も<正義>も<悪>もない。あるのは<目的>とその目的を達成するために必要とされる<フローチャート>だけだ。そのフローチャートには、AIやロボットが選択しうる<手段>が記されている。そしてその手段が、現在の法規や条例に照らし合わせた際に、抵触するか否かを事実としてそこに当てはめるだけだった。


法規や条例と照らし合わせて取りうる手段を用いて目的を達成しようという思考がそこに存在するだけである。


そのためには、<善>や<正義>や<悪>といった曖昧な概念はただのノイズにしかならない。立場によってどうとでも解釈できるそれらは、邪魔なのだ。


けれど人間はそんな曖昧な<善>や<正義>や<悪>といった概念を無視することはできず、懊悩する。そういう人間の不完全さ不合理さを補うのがAIやロボットの役目でもある。ただ同時に、AIやロボットは、徹底的な合理的思考によって導き出された手段を人間に提案するだけで、それを承諾し実行するか否かの判断はあくまで人間が下すことになる。そういうものなのだ。


千堂アリシアが家出少女を保護し、問題解決に向けての膨大なフローチャートを作成。実行するためには右琉澄の『任せる』という判断が必要だった。対処をAIやロボットに任せるにしてもあくまで人間の判断が必要になる。


たとえその判断が『痛くもない腹を探られたくない』という打算の上のものであっても関係ない。『人間が判断した』という事実だけが必要なのだから。


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