スミレ2237-PA、動く

<人間の心>というものは、決して<正>の部分だけで構成されているわけじゃない。<憎悪>や<嫉妬>など<負>の部分も必ず存在する。その両方が合わさってこそ<心>なのだ。


けれどアリシアには、<負>の部分があまりにも少なすぎる。<辛い><悲しい>という感情は持ちつつ、そこから<憎む><恨む><妬む>といった方向にはほとんど進まない。これはやはり、<心>というものを考えた時に、あまりにも不自然なのである。


『辛い』と思うことができるから、


『悲しい』と思うことができるから、


『愛する人がいる』から、


『だから心がある』


とは、断言できないのだ。<心>というのはそんなに単純なものではない。


ましてや、本来は<心>というものが生じるはずがないと考えられている、その構造上<心>が生じる可能性がないとされているAIにそれが生じたと考えるには、根拠が浅薄すぎるのだ。


そしてアリシアはただ、刑事達の家宅捜索の様子を見守っているだけだった。千堂の休日が奪われてしまったことに対する不満や大家の女性に対する憐憫はあっても、この部屋の主であったはずのジョン・牧紫栗まきしぐりに対する憤りはない。


確かに、憎しみや不愉快さや嫌悪感を制御できる人間はある程度はいる。千堂もその一人だろう。ジョン・牧紫栗まきしぐりに対しても、少なからず憤りはあるし不愉快に思ってはいるものの、決して彼をこの世から抹殺すればいいなどとは思ってはいない。


その一方で、クグリとまでなれば、千堂の両親の死と関わっている可能性があるということもあり、<憎い>という感情がないわけでもないのだ。単にそれだけに囚われてしまわないというだけで。


千堂でさえそうなのだから 憎悪を露わにせずにいられない人間がいるのも何も不思議はない。


それだけの話だ。




しかしそんなアリシアの事情などあずかり知らぬ刑事やスミレ2237-PAは、やはり淡々と作業を進めていく。


その中で、冷蔵庫も開けられたが、そこにはサラミが一本、封も開けられないままに残されていたのと、これまた未開封のミネラルウォーターが残されていただけだった。


すると、ナニーニがパッと近付いて、冷蔵庫の中に頭を突っ込もうとした。どうやらサラミを狙っているらしい。


が、明らかに人間用のそれを猫が食べるのは好ましくないので、アリシアが止めようと動いた時、彼女よりも先にナニーニをするりと抱き上げた者がいた。


スミレ2237-PAであった。こういう現場に入る時には万が一に備えて<危機対応モード>を起動させているので、通常モードで作動していたアリシアよりも素早く動けたのであった。


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