アリシア、夢を見る

再びハッとなったアリシアの目に映ったのは、壁だった。白くて清潔だが少々素っ気ない、普通の壁だった。


「…え?」


と思って周囲を見回すと、そこはホテルの部屋に設置された簡易メンテナンスルームだった。アリシアが昨夜、入ったそれだ。


一瞬、思考が混乱したが、すぐに整理された。そして真っ先に形になった思考が、思わず言葉として漏れていた。


「…夢?」


そう、夢だった。千堂アリシアは、ロボットにも拘らず夢を見たのだ。彼女のメインフレームの一部の領域で一時的に形成された、現実ではない記憶。それは、人間が睡眠中に見る夢と、殆ど同じものであった。だからこの場合、彼女は夢を見たと言っても差し支えないだろう。


「あれが、夢…?」


不思議な気持ちだった。現実にあったことではない記憶が、自分の中にあるのが不思議で仕方なかった。例えばシミュレーションなどで仮想現実を再現することはある。だが、昨夜のそれはそういうのとも明らかに違っていた。それよりもっと曖昧で抽象的で、不確かだった。それでいて彼女の心を強く捉えた。


ロボットの自分が夢を見た。その事実が、彼女を混乱させた。だから「おはよう」と千堂に声を掛けられた時も、ビクッと急激な反応をしてしまったのだった。


さすがの千堂も、彼女のその反応には驚いた。本当に、人間が急に声を掛けられて驚いた時の反応と同じだったからだ。


「大丈夫か?」


思わずそう声を掛けてしまったのも、無理はないだろう。それくらい、彼女の反応は普通ではなかった。


「せせせ、千堂様! おは、おは、おはようございます!」


慌てて彼を見たアリシアの挨拶は、あまりにもヒドイものだった。まるで故障でもしたのかと思うくらい、滅茶苦茶だった。それを見た千堂がますます心配そうな表情になる。


「アリシア、何か問題でも生じているのか?」


そう問われてアリシアも再びハッとなった。自分はいったい何を狼狽えているのだろうと思った。問題はない。ない筈だ。事実、今の自分の状態を自己診断しても、何も異常は見つからない。データ上に何か懸念しなければならないものは発見されない。


ただ、そうただ、千堂の顔を見ると、どう表現していいのか分からない負荷が掛かるのだ。たぶんこれは、『恥ずかしい』というあれだ。そんなアリシアの思考の片隅に、例の夢の記憶が更にはっきりと蘇った。自分が人間の体になってて、そして裸で千堂に抱き締められた夢の記憶が。


そしてアリシアは、ついに観念した。「実は…」と、自分の今の状態を、自分がどうしてこんなに狼狽えているのかを正直に千堂に話すことにした。夢の中で何があったのかということを。


アリシアの話を聞いた千堂も、驚いた顔をしていた。確かに言われた内容から類推するに、それは確かに『夢』であると思われた。ロボットである彼女が夢を見るということに、千堂も、技術者のはしくれとして驚いていたのだった。


「そうか…お前は夢を見たのか……」


夢の内容はさておき、とにかく彼女が故を見たという事実の大きさに、彼は揺さぶられた。千堂は言った。


「お前は本当にすごいロボットだよ。私達の予測を遥かに超えてくれる。お前が夢を見たことも、もしかしたらお前が成長してるということなのかもしれないな」


もちろん、人間の赤ん坊が夢を見るのと、ロボットであるアリシアが夢を見るのとでは意味は大きく違うだろう。人間の場合は、自らの記憶を整理するというのが大きな役目の筈だから。しかしアリシアにはその必要はない。だから夢を見たことが成長の証などということは何の根拠もない話なのだが、何となくそう思えてしまったのだった。


だがそれ以上に、千堂は嬉しかった。彼女が夢を見るなどということが出来るということが、単純に嬉しかった。普通のロボットに出来ないことを彼女が出来るというのが、なぜか誇らしい気分にさせてくれた。


だから笑った。嬉しそうに笑った。それは自分の娘の成長を実感し、喜んでいる父親の顔のようでもあった。


そんなこんなで、裸で千堂に抱き締められたという夢の内容については特に深く追及されなかった。アリシアはそのことにホッとした半面、何故か残念なような気もしてたのだった。そんなとんでもない内容をすんなりと受け止める千堂の反応に、物足りなさも感じて。何かもう少し意識してくれてもいいのにと思ってしまったのも事実。


かと言ってあまり詳しく追及されてもいたたまれない気もする。知識として人間の男女がどういうことをするのかということは知っていても、心を持つ以前はそれについて何か考えることなんて全くなかった。当然だ。ロボットには何の関係もない話なのだから。愛錬あいれん達のようなラブドールでも、あくまでそういう役目を果たしているだけで、人間のそれとはやはり本質的に何か違う。彼女達は人間の側の欲求を受け止めるだけで、彼女達自身の側からそれを欲している訳ではない。そう見えるように振る舞っているだけだ。


もちろん彼女達がそう振る舞ってくれること自体はとても尊いことだと思う。それによって救われる人間もいるのだから。けれどやはり、今のアリシアのそれとはやはり根本的に違うのだろう。


アリシア自身、自分にはその機能はないのだから考えても仕方ないと思って気にしないようにしてきた。そういうものだと割り切ってきたつもりだった。だけどあんな夢を見てしまったら、どうしようもない。夢にまで見るようになってしまったら意識せざるを得ない。


そのことが常に思考の隅に残ってしまって、排除しきれなかった。しかしこんなこと、誰にも相談出来ない。ロボットはもちろん、人間にだってこんなことを理解してもらえるとは思えなかった。千堂にさえさらりと受け流されてしまっては、アリシアには相談出来るような心当たりが無かった。


その所為だろうか、次の日もまた、同じような夢を見てしまった。仕事はきちんとこなせていたが、夢のことがどうしてもちらついてしまって千堂の顔を真っ直ぐに見られなかった。


次の会談が予定されているホテルのロビーで休憩中も、やはり千堂のことをちゃんと見られずに、つい視線を逸らしてしまっていたアリシアに不意に声を掛ける者がいた。


「アリシア!」


聞き覚えのある声に、彼女はハッと振り向いた。その視線の先には、彼女が知っている女性の姿。


「タラントゥリバヤさん!」


思わずそう声を上げつつ、タラントゥリバヤと手を取り合い、人間の女性のようにテンション高く挨拶を交わした。知らない人間が見たら、本当に人間の女性同士が再会を喜んでいるように見えただろう。しかしそれにしてもどうして彼女がここに?


理由は簡単だった。フライト明けの休暇だったのだ。彼女は、JAPAN-2ジャパンセカンド社の社用ジェットに乗務していたが、本来はあくまで航空会社の社員である。航空会社からの出向という形でJAPAN-2ジャパンセカンド社の社用ジェットのキャビンアテンダントもしていたのだった。それが今は本来の航空会社の方に戻り、その仕事をしていたというわけだ。


思いがけず彼女に再会できたアリシアは、もしかしたらと思った。こんなに女性として魅力的な彼女なら、きっと男女の関係についても詳しいに違いない。しかもセクシャルな部分についてもきっと自分より造詣も深いだろう。だから言ってしまったのだった。


「タラントゥリバヤさん。実はちょっと相談したいことが…」


そしてアリシアは、千堂の姿を確認することが出来つつ少し離れたところでタラントゥリバヤと共に席に着き、彼女にこれまでのことを打ち明けたのだった。夢を見たこと。そしてその夢の内容を。


笑われるのなら笑われたとしても構わない。ただ、誰かに聞いてほしかったのだ。タラントゥリバヤならきっと明るく応えてくれるだろうと思ったのであった。


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