千堂京一、困惑する

千堂京一は、迷っていた。昨日のアリシアの状態をどう評価すべきか悩んでいたのである。


後のデータ解析で、あれが、不正ファイルが原因によるラグでないことは判明した。しかもアリシアがああなったことでアリシア2305-HHSから見ても今すぐ何か危険なことをするのではないことが分かり、アリシアを制圧する為に実力行使に出る必要がないという判断をさせたことで事故を回避したらしいということも分かった。まあ当然だろう。動くこともままならないロボットを制圧しなければならない理由もないのだから。だからこれは、一種のセーフティ、安全装置のようなものと考えることも出来るかも知れない。


だが、だからと言ってあのように危険な状況でいちいち機能停止しているようでは、果たして社会生活など出来るのだろうか?


人間なら、そういう持病を持っているということで理解もしてもらえる。配慮もしてもらえる。それを治す方法だってあるかも知れない。だがロボットである彼女の場合は、悪くなることはあっても良くなることはないのだ。完全に初期化するなりしない限りは。


それに、彼女が自らの機能を制限することで危険を回避したのでは意味がないというのもある。とは言え、それまで彼女は多少の遅れはあったものの基本的には仕事をこなしてはいた。ただそれが、まるで疲れがたまった人間が体調を崩すように機能障害を起こしたのである。それがテスト初日から蓄積された<疲れ>だと仮定するなら、一週間それに耐えて頑張ったことを評価してやりたいとも思ってしまうのだ。初日から手を抜いてまともに仕事しなかった訳ではないのだから。


アリシア自身はその後、何事もなかったかのように仕事に戻った。むしろ調子が戻ったようですらある。その様子も人間が体調を崩したことで休養を取って回復したのと同じように見えた。この程度であれば、人間のように週休二日のペースを守れば問題ないかも知れない。ただ、彼女の場合、何をどうすれば回復出来るのかが判然としないというのも問題だった。


昨日、回復出来た理由も分からないのだ。一番考えられるのは千堂に抱き締められたことで蓄積されたストレスがリセットされたというものである。しかしこれも確認が取れた訳ではない。残りの二週間の内で同じような症状と言うか現象が起こり、その際にどのような対処を行ったかというデータを集められればある程度はっきりしたことも分かるのだろうが。


しかし同時に、このような現象が起こること自体に不安もある。それが彼女にどういう影響を与えるのかが未知数だということだ。データ解析を見る限り、不正ファイルの増加が目に見えて増えたというのは確認されていない。戦闘モードを使い人間を傷付けるようなことをした時のストレスとは比べ物にならないくらいに軽微なストレスであることも分かっている。逆を言うなら、彼女にとって人間を傷付けるという行為はそれほどまでに負担のかかるものだったと言うことも出来るだろう。


いずれにせよ残り二週間弱。これからはより一層、彼女の様子を慎重に見守らなければいけないと思われた。が、その後の彼女は快調そのものといった感じで、見た目にも機嫌よく仕事をしていたし、作業効率についてもテスト開始以前の状態まで戻っていたのだった。それはいわば、猫を被っていたことで逆にうまくいかなくなっていたものが、開き直ってそれを止めたことで調子良く行くようになった感じだろうか。


それ自体は非常に喜ばしいことなのだが、何故猫を被らずにいられるようになったのかということも分からない。アリシアに問い掛けても、


「よく分かりません。何となく調子がいいとは感じるんですが」


と答えるだけで、アリシア自身にも分かっていないようだった。


ただ、それを人間に当てはめて考えてみると、『自分でもよく分からない好不調』というのは確かにある。人間の場合でもそういう部分に大きく影響を与えるのはやはり心と言えるだろうから、アリシアにそういうものがあってもむしろ当然なのかも知れなかった。


しかし、テストである以上、客観的に評価を考えなければいけない訳で、ましてやロボットに対する評価を『何となく』で済ませてしまう訳にもいかないのである。


そして前回の現象から一週間が経とうとしている中、千堂は特に注意してアリシアの様子を見守った。だがやはり、前回のような作業効率の低下も見られず、順調と言えばあまりにも順調に時間は過ぎて行く。これではかえって、前回の現象の評価が難しくなってしまう。あれが何だったのかはっきりとさせられないと、合格に出来ないかも知れない。千堂の心にそういう焦りが芽生え始めていたのだった。


それを知ってか知らずか、アリシア自身は快調そのものに見えた。アリシア2305-HHSが傍にいても変に気負うこともなく、自分の仕事を当たり前にこなしていった。だから余計に、前回のあれが大きな意味を持ってしまうのだ。


時間が過ぎるごとに、千堂の焦りも徐々に増していく。なまじアリシアの調子が良さそうだから、折角これほどいい調子で何も問題なく過ごせているのにあの現象に対する自分の評価一つで合否が決まってしまうかも知れないことが、彼自身が思っている以上に重くのしかかる。


そしてテスト期間が残り三日となった頃、それは明らかな変化となって千堂の様子に現れたのであった。




その日、日課であったトレーニングを「気が乗らない」と行わなかった彼にアリシアが言った。


「千堂様。お体の具合でも悪いのですか?」


バイタルサインを見る限りは、それほど悪いところがあるようには感じ取れない。若干、血流に滞りが見られ、普段よりも微妙に血圧が高い傾向がうかがえるのは血管が収縮しているからだと思われた。とは言え、それ自体は誤差の範囲内と言えなくもない程度のもの。しかしアリシアにとっては、そういう数値以上に、いつもの日課を疎かにする千堂の様子が気になってしまう。


だから、その夜、アリシアは眠れなかった。いつもの通りに寝る前のキスをしてもらったのに、なぜかスリープモードに入れないのだ。自分のメインフレームの中に、僅かではあるが常に動作を続けている領域があり、それが邪魔をしてスリープモードが機能しないのだと思った。恐らく、人間はそれを<胸騒ぎ>と言うのだろう。


その胸騒ぎに、アリシアは寝ようとすることを止め、千堂の寝室へと向かった。そして扉の前に立ち、そっとノック。もう既に寝ているかもしれないから、その程度のノックで反応がなければ部屋に戻ろうと思ったのである。


そして、反応はなかった。だから寝ているものと思って自分の部屋に戻ろうと背を向けた。だがどうしても何かが引っかかっている気がして、念の為にセンサーの感度を上げ、扉の向こうから千堂のバイタルサインを捉えようと。その瞬間、アリシアがハッとした表情を見せた。


「千堂様!?」


そう声を上げながら、彼女は千堂の返事を待たずドアを開けて中へと入った。見れば、彼はベッドの中で静かに寝ている。ように見えた。だがアリシアには分かっていた。これは寝ているのではない。意識を失っているのだと。


彼女は即座に緊急通報を行い、救急車の出動を要請した。同時に自らを救急救命モードに切り替え、より正確なバイタルサインを収集。それにより、千堂の脳の一部に著しい血流の滞りがあることが分かった。範囲は決して大きくない。軽微な脳血栓だと思われる。現時点ではまだ重篤な状態ではなかった。とは言え対処が遅れれば進行する危険性がある。にも拘らず、現時点での彼女の装備では、脳血栓を取り除くことは出来ない。救急車が到着するまで、詳細なデータを取るしか出来なかった。


だから彼女は祈ったのだった。


『神様! もしいらっしゃるのなら、ロボットの私の願いでも聞き届けていただけるのでしたら、千堂様をお救いください! 代わりに私はどうなっても構いません。私はその為にここにいるのですから…』


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