12日目~13日目 千堂、アリシアの話に興味を抱く
「私、そろそろ屋敷に戻らなくちゃ」
自らに備え付けられた時計で時間を確認したアリシアが、突然そう言った。少年の方もこれだけ探しても見付からないのだから今日のところは日が暮れ始める前に諦めた方がいいかもと考え始めた頃だった。
「分かった。今日はもうこれで終わろう」
そう言って来た道を引き返し始めたが、どうしても人間である彼の足では時間がかかってしまい、それに合わせていては間に合いそうになかった。そこでアリシアは言った。
「ごめんなさい。ちょっと間に合いそうにないから、抱いて行っていいですか?」
突然の申し出に彼は戸惑いつつも、『間に合いそうにない』という彼女の言葉につい反応して、
「分かった」
と言ってしまった。
それを聞いたアリシアはすぐさま彼を抱きかかえ、まるで野生のシカのように林の中を駆け抜けた。基本的なフレーム構造からして一般仕様のアリシアシリーズより遥かに高いレベルで設計されている彼女なら、戦闘モードを用いなくてもこの程度のことは出来るのである。そして一時間以上歩いた道のりを僅か五分ほどで元の道のところまで戻ってきたのだった。しかも途中、葉や枝が彼の体に触れることさえなく。
それは彼にとって、夢でも見てるかのような現実感の乏しい時間だった。林の中を、自分が羽の生えた昆虫になって飛んできたかのような気分でさえあった。
彼女と出会った場所で降ろされても呆然としてしまっていた彼に、アリシアが頭を下げながら言う。
「それでは私はこれで失礼します。気を付けてお帰りください」
その言葉を聞いて少年はやっと正気に戻り、背を向け立ち去ろうとする彼女に慌てて声を掛けた。
「明日も…明日も一緒に探してもらってもいいか!?」
彼の言葉にアリシアは一瞬、躊躇った。明日は千堂の仕事が休みでずっと一緒にいられる筈だった。だから午後一時から四時までの自由時間は、それこそ千堂に目いっぱい甘える為に使いたいと思っていた。しかし、振り返って少年の目を見た途端、断る為の文言が出てこなくなってしまった。その、縋るような真っすぐな目を見てしまったら……
「はい、いいですよ。明日も同じ時間にここで待ち合せましょう」
つい、そう言ってしまった。言ってしまってから、
『あああ~、折角の千堂様との時間が~…』
と少し後悔したが、当然、既に手遅れだ。だがそれは顔に出さず、彼に微笑みかけながら手をふり言った。
「それじゃ、私は急ぎますのでこれで」
そして屋敷への道に向き直り、走り出した。その美しい姿を、少年は見えなくなるまで見送ったのだった。
屋敷に戻った時には、午後四時まではもう十分を切っていた。蝶を探して林の中を歩いていた時点で、彼の足でも間に合うように帰ることが出来る時間を過ぎていたのは彼女にも分かっていたのだが、いざとなれば自分が抱きかかえて走れば間に合うだろうと、ぎりぎりまで彼に付き合ったのである。
彼には、木の葉一枚、枝一本触れさせなかった代わりにアリシアには細かい汚れがついていた。それを待機室の洗浄機で洗い落とし、夕食の支度に入った。今日は本格的な筑前煮を振る舞おうと、彼女は気合を入れた。
「よーし、頑張るぞ!」
その声を、キッチンの近くを通りがかったアリシア2305-HHSが捉える。するとまた、アリシア2305-HHSの目がピクッと反応した。彼女の相変わらずの様子にストレスを感じたのだろう。しかし自らの業務を行っている以上は口出しするまでもないと考え、そのまま通り過ぎていく。
夕食と風呂の支度を終えた頃、千堂が帰宅した。そしてアリシアの渾身の筑前煮に舌鼓を打つ彼に、彼女は今日起こったことを報告した。もちろん少年との出会いについても包み隠さず告げる。本来なら私有地に無断に立ち入った侵入者として退去を求めなければいけないところを一緒に虫取りに興じたなどロボットとしては有り得ない行動だったが、千堂はそれを責めなかった。
「その少年が怪我をするようなことはなかったんだね?」
とだけ確認して、「はい」と彼女が応えたら、「ならいい」とだけ言ったのだった。
食事の後で風呂に入り、寛ぐ千堂に寄り添って、アリシアも寛いだ。ロボットが寛ぐというのも変だが、実際、彼女のメインフレームは非常に安定してリラックスした状態を保ち、まさしく人間がリラックスしている状態と同じ様子を見せたのであった。
翌日、アリシアは朝から張り切っていた。自分の仕事をどんどん片付け、午前中には終わらせる。元々、時間の余裕を大きくとっていたために、今の彼女でも集中してやれば十分に片付けられる内容だったのだ。仕事を早く終わらせた分だけ、千堂に甘える為である。何しろ午後一時から四時まで、少年と虫取りの約束をしてしまったのだから。
もちろん千堂にもそのことは話してある。実は千堂自身は、その少年について心当たりがあった。隣(と言っても二キロ以上離れてるが)に住んでいる退役軍人の孫の一人の特徴と一致しているからだ。夏季休校の時期に数週間祖父宅に泊まり込み、昆虫の研究をしていると紹介されたことがある。確か、名前は
と言うのも、その退役軍人宅は
そう言えば、秀青少年の身の回りの世話をしているのが彼女と同じアリシア2234-LMNの筈だった。
千堂は思い出していた。自分に付き従うアリシア2234-LMNに対して彼が向けていた視線を。それは、ロボットの存在を心底疎ましく思っている人間の目だった。彼の両親の意向でアリシア2234-LMNを付けているそうなのだが、当人はそれを快く思っていないというのが傍目にも分かった。しかしユーザーの意向に口出しする訳にもいかず、秀青少年の不満に気付きながら敢えて何も言わなかったのだ。
その彼が、アリシア2234-LMNを従えずに一人で虫取りをしていた。これは<ワケアリ>だと千堂は感じた。だが同時に、秀青少年が非常に敏い子供であり、年齢に似合わずロボットの扱いにも長けていることに気付いていた彼は、秀青少年とアリシアの出会いを非常に興味深いものとも捉えていた。
秀青少年がアリシア2234-LMNを従えていなかったのは、恐らく何らかの方法を用いて祖父宅に置き去りにしてきたからだろう。一番考えられるのは、ペアレンタルコントロールをかいくぐって主たる命令者を書き換えるという方法だ。本来の所有者は秀青少年の両親であり、両親の命令によって秀青少年に付き従うように設定されたものを、自分の命令を聞くように書き換えてしまったのかも知れない。これなら、ペアレンタルコントロール設定用の暗証番号さえ何らかの方法で手に入れれば、子供でも出来てしまうことである。その上で待機命令でも出せば易々と家に置き去りに出来るのだ。
実はそれは、千堂自身がかつて子供の頃にやったことでもあった。子供の頃に両親の目を盗んで森に入り込み一夜を明かしたという事件を起こした千堂を案じた母親が、迷子防止用のペット風ロボットを持たせた時期がある。子供に懐きどこへでもついて行く愛らしいペットロボットに見せかけて実は子供の行動を監視するのが真の目的という少々下世話なロボットだったそれを振り切る為に、母親が設定した暗証番号を解読した千堂がペアレンタルコントロールをかいくぐって命令を書き換えてしまったという。それと同じことを秀青少年も行ったのかも知れないと考えたのである。
そう、千堂は、秀青少年にかつての自分の姿を見ていたのだ。そんな秀青少年がアリシアにどんな影響を与えるのか、彼は興味を抱いていたのであった。
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