2日目 千堂京一、舌鼓を打つ

千堂は、アリシアが自分に対して熱い視線を向けていることには気付いていた。気付いた上でどのような行動に出るのかを観察していたのだ。しかし彼女は、何らかの行動に出るかと思った彼の予想に反して最後まで大人しく待機していた。だから彼は安堵した。ある程度の自制心は既に備えているのだと改めて確認出来たからだ。


しかも、このトレーニングルームに入ってきた時の様子がまた、それまでと若干違っていたことにも気付いていた。何処か晴れやかな、何かがすっきりしたという印象があったのだ。そういう微妙な違いを醸し出せるあたり、さすがに我が社のアリシアシリーズだと思いつつ、何があったのだろうかと少し気にはなった。しかし良くないことではなさそうだし、いずれはっきりするだろうと思い敢えて触れなかった。ただ、


「アリシア、お前は立派にやってくれてるよ」


とだけ声を掛けた。それが彼女にはたまらなく嬉しかった。アリシア2305-HHSに対しての自分の振る舞いに気付いてくれたのだと思った。実際にはそこまで彼は見抜いていた訳ではないが、彼女にとって決して小さくない何かがあったということだけは分かって、それに対して言っただけである。だが彼女にとってそれはとても大きな一言だった。


こういう時、つくづく自分に涙を流す機能が無いのが残念だとアリシアは思った。これだけで十分に泣けるのにと感じた。泣けない分は表情で表そうと思い、泣いてる顔をしてみせた。それなのに笑顔になってしまうのが不思議だった。


「ありがとうございます…」


せめてもと思いそう言って深々と頭を下げた。すると彼はアリシアの頭を優しく撫でてくれた。そのまま風呂に向かう彼の後姿を、彼女はやはり泣いてるような笑顔で見送った。


風呂にもついていって彼の背中を流したいという欲求は辛うじて抑えて、そろそろ夕食の準備を始める時間ということでキッチンへと向かった。


今夜は彼の為に、彼が地球で食べていたであろう日本の食事を再現しようと彼女は考えた。火星に出回っている<日本料理のようなもの>ではなく、正確に日本料理と言えるものを提供したかった。ネットワークに接続し、情報を探る。条件を絞り、地球の日本政府から公認を受けている日本料理のレシピを探した。それでも何か怪しげなものが引っかかって来るが、地球の日本に本店を持つという日本料理店が公開しているレシピに行き当たった。それを取り込み、さっそく作業に取り掛かった。


『え、と、メニューは、葉物野菜のお浸し、造り、生麩田楽、天ぷら、湯豆腐、味噌汁か。材料は、と』


千堂に常に最高の料理を提供出来るようにと備え付けられた冷蔵庫と、保存用のパック食材が保管された食品ストッカー内を検索する。さすがに、日本食を好む彼の為ということで一通りは揃っていた。お浸しは小松菜で、造りは冷凍のブリとマグロがあるからそれを使う。生麩はさすがに見当たらなかったので、茄子田楽に変更した。天ぷらには海老と蓮根と生姜を使うことにした。豆腐と味噌はあるから問題ない。味噌汁の具はワカメでいいだろう。


ブリとマグロを解凍する間に他の食材の調理を始める。この辺りの判断はさすがだが、一流シェフの技術もコピーされている筈のアリシアシリーズにしては何故か手元が若干おぼつかなかった。と言ってもそれは他の機体に比べればという程度であって、素人の人間と比べれば十分にすごいと言える。しかもその、時折戸惑ったり躊躇ったり慌てたりする微妙にたどたどしい動きが、どこか愛嬌があるようにも見える。それでいて楽しげでもあるのだ。その姿はまさに、想い人の為に手料理を振る舞おうと奮闘する少女そのものだった。


風呂を終えてダイニングを兼ねたリビングに戻り、再び仕事のチェックをしながら待つ千堂からも、簡単な仕切りをされただけのキッチンで楽しげに料理をする彼女の姿はよく見えた。だからこそ、やはり鼻歌の一つも出そうなその様子でそれが無いことに若干の違和感も覚えてしまうのだった。まあ、さほど重要なことでもないとは思いつつもだったが。


アリシア2305-HHSが用意をしてくれていた頃よりは多少待たされつつも彼女の様子を見ているだけで十分に余興になっていたが故に退屈を感じることもなく、彼の前には、一流料亭の懐石料理と見まがうような日本料理が並べられたのであった。見た目にも食欲がそそられる出来だ。


アリシアシリーズなら出来て当然のこととは分かっていながら、彼はそれらに感心せずにはいられなかった。


「すごいな。ありがとう」


つい漏れてしまったその言葉に、アリシアは<天にも昇る気持ち>になった。嬉しいという感情が自分の中を駆け巡り、足が地についていないような奇妙な感覚を彼女はそう認識した。


浮かれる彼女の前で、千堂が料理に手を付ける。食べる前から分かっていたことだが、やはりその味は絶品だった。


『さすがは我が社のアリシアシリーズ』


と、彼は心の中で自画自賛した。彼がまだ開発部にいた頃、直接ではないがアリシアシリーズの開発にも関わったことがあるだけに、実感がこもっているとも言えた。とは言いつつも、彼はずっとアリシア2305-HHSの作る料理を食べてきたのだから改めて感心することでもないと言えなくもない。彼がこんなに感慨深く味わえるのは、無論、それが彼女の作ったものだったからだろう。


彼はそれほど贅沢を好む性分ではない為、決して安価とは言い難いがさりとて常識外れに高価な高級食材をストックしている訳ではない中、きちんとそれを調理することで料理として成立させる彼女に感謝したいと素直に思えた。


「美味しいよ、アリシア。こんな美味しいものを作ってくれる君には感謝しかない」


その言葉にアリシアも、また浮き上がるような気分を感じた。


「そう言っていただけて、私の方こそ感謝の言葉もございません」


深々と頭を下げて言った。それからはまた、自分の料理を実に美味そうに次々と口に運んでくれる彼の姿に見とれて、彼女は身悶えるような気持ちさえ味わっていた。彼女のメインフレームを不可解かつ心地良い何かが無秩序に駆け回り、体の動きが制御出来なくなりそうな気さえした。そう、まさに『身悶える』感じだったのだ。


そんな彼女の状態を知ってか知らずか、彼はアリシアの料理に舌鼓を打っていた。アリシア2305-HHSが作ってくれる料理と劇的に差がある訳でもないのに、何故か美味さが違う気がする。それは、人間がよく言う『隠し味は愛情』とでもいうことなのだろうか。それがどうかは分からないが、満足度が違うのはまぎれもない事実だった。


しかし、彼がそう感じるのは当然かも知れない。改めて、『誰が作ってくれたか』というのはやはり料理を味わう上で大きな意味を持つものなのだろうと彼も思った。料理の出来が同じなら、それを作ってくれた相手に対する感情が味覚にも影響するのが人間なのだろうから。その点で言えば、彼女を屋敷に迎えたことは、彼のメンタル面に対しても良い影響をもたらす可能性があった。


何しろ、有り余る財力の使い道に困り思い付きで作った屋敷ではあったが全く愛着を感じることが出来ず、まるで別荘のように年に二度ほど長期休暇の時に帰って来るだけで後はアリシア2305-HHSに任せきりの上に、たまに帰ってきてもすぐに飽きてしまいJAPAN-2ジャパンセカンド本社敷地内の単身者用のワンルームに戻ってしまうような味気ないここでの暮らしが、こんなに充実感を得られるようになったのだから。


『これなら、毎日家に帰るのが楽しくなるだろうな』


アリシアの料理を堪能しつつ、彼はそんなことも考えていた。ようやく、この屋敷を建てた意味を感じ、かつ本社敷地内の単身者用の施設に空きを作れると思ったのだった。実は、ちゃんとした自宅があるのだから早く空けてほしいと総務部から出ていくようにせっつかれていたのだ。これまでは単身者だからと言い訳を並べて逃げ回っていたのだが、アリシアを家族として迎えてしまった以上、その言い訳ももはや通じないだろう。


彼は、これこそ年貢の納め時だなと感じていたのだった。


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