2日目 アリシア、愛錬を想う

アリシアに比べれば、愛錬あいれん達はやはりあくまでロボットだった。どれほど人間に尽くそうともどれほど人間を愛していると振る舞おうとも、それはそう組み上げられたアルゴリズムを超えるものではなかった。


その一方で、ロボットのままでもそこまでのことが出来るのだという可能性も示してくれていたとも言えるだろう。


だから彼女はもう、ラブドールという言葉をネガティブな意味には捉えていなかった。例え『ラブドール』と呼ばれても、既にそれは彼女を揺さぶる単語ではなくなっていた。むしろ誇りにさえ思うかも知れない。千堂に半ば無理やり連れてこられたこの場所だったが、アリシアは既にそれに感謝したいとさえ感じていた。そして気付いた。彼は、これからも彼女に対してこの言葉を投げかけるであろう者達の悪意から彼女を守る為に連れてきてくれたのだということに。


『千堂様、ありがとうございます…』


錬全製作所の責任者と思しき人物と固く握手を交わす千堂を見ながら、アリシアは言葉には出さず、愛錬達に出会う機会を与えてくれた彼に感謝した。


しかしそれは、千堂自身にとっても同じだった。彼自身、ラブドールというものを詳しくは知らず、そういうロボットがいるということは知りながらも心のどこかではそれを卑しいものだと見なしていたのは偽らざる事実だったのである。しかしそれは今日、己の認識の誤りであるということを千堂は知ったのだ。


千堂が会った人物は、錬全製作所の創設者であり、自らもラブドールのオーナーでありクリエーターであった。この会社に彼以外の人間のスタッフはおらず、彼の仕事を手伝っているのは全て彼の手によるロボットなのだ。自身の生い立ちが原因で極度の人間不信に陥ったが故に自らの救いをロボットに求め、それが愛錬ら人間に愛される素晴らしいロボット達を生み出す原動力でもあった。


互いに方向性こそ違うが共に人間の助けとなるロボットの開発を生業とする者同士、それぞれより良いものを目指すということを誓い、握手を交わしたのだった。実際、愛錬達はアリシアシリーズにも使われているパーツを多用している為、ある意味では姉妹のようなものと言えなくもないという一面もある。


錬全製作所を後にしたアリシアは、千堂が運転する自動車の助手席で風を浴びながら、愛錬のことを思い返していた。自分よりずっと人間に近い姿を持ち、より深く人間の要望に応える機能を有した彼女を羨ましいとさえ思った。出来れば彼女と同じになりたいとさえ思った。だがそれは叶えられることはないだろう。


何しろ、今のアリシアと愛錬とでは、いくら共通するパーツが多用されているとはいえ基本構造からして違う。ましてやアリシアは、要人警護用の機能も与えられ、他のアリシアシリーズとは基本のフレームからして互換性のない非常に特殊な構造を持った機体なのだ。メイトギアにそういう改造を加える為に市場に流通しているパーツも、彼女には適合しないと思われる。そもそも要人警護用の機能を持ったアリシアシリーズを一般人が手に入れることは非常に困難であり、その構造を知る者は殆どいないのだから、それに適合するパーツを作りようがないのだ。


ましてや彼女はそういう改造の為のセッティングを行う際に行われる調整やメンテナンスも受けられない可能性が高い。それを行ってしまうと、最悪、彼女の<心のようなもの>が失われてしまう危険性もあり、アリシア自身もそれは十分に理解していた。だから彼女は愛錬と同じにはなれない。なれないが、無いものねだりをしても何も解決しないことも彼女は分かっていた。だからこそ、彼女は彼女として、自らの気持ちに素直になって千堂を愛したいと、気持ちを新たにするのだった。


その時、不意に千堂が声を掛けてきた。


「少し、寄り道をしていこう」


そう言ってハンドルを切り、屋敷への道を外れた。それは、郊外の別荘地に向かう道だった。アリシア自身もルート検索をしてみると、その道はこの辺りでは一番大きな湖へと向かう道でもあった。


「千堂様…?」


彼の意図を図りかね、彼女は呟くように問い掛けていた。


「せっかくの天気だからな。デートだよ。嫌か?」


その言葉に大きく首を振る。


「嫌だなんて、そんな訳ありません。嬉しいです、千堂様!」


思いがけない申し出に彼女の気持ちは一気に高まった。愛錬達のおかげで自身を苦しめるかも知れないものと決別でき、しかもそのまま千堂とデートだなんて、彼女にとってはまさに夢のようだった。とは言え、アリシアはさすがに夢は見ない筈だが。


すれ違う自動車すらまばらで、千堂とアリシアを乗せた自動車は心地良い風を受けながら滑るように走る。流れる景色を感じながら、アリシアは自分の心が、心のようなものが昂るのも感じていた。人間が言う『ときめく』とは、こういうことを言うのだろうか。


運転中、音楽すらかけない千堂だったが、アリシアにとっては、彼の隣で緑の中のワインディングロードを踊るように駆け抜けていく自動車に揺られているだけで自分が満たされていくかのようだった。この一時には、音楽はむしろ蛇足であったかも知れない。


まばらに見える人家は、どれも別荘なのだろう。人の姿も殆ど見えない。まるでこの世界に自分と千堂だけしかいないような錯覚さえ覚えた。


無論、ロボットである彼女なら、目に見えぬ電波を拾い、別荘の中にいる人間達の声を拾い、人間の気配を感じ取ることはいくらでも出来る。だが今は、そんなことをしたいとも思わなかった。この世界に自分と千堂しかいないのなら、むしろ本望とさえ思った。


「千堂様、湖です。湖が見えます!」


やがて二人を乗せた自動車は、湖を見渡す高台へとやってきていた。このまま行けば湖のほとりにも出られるが、アリシアは敢えてこの場所で留めてもらうことを申し出た。湖のほぼ全容が見られるこここそが、彼女にとっては一番の場所に思えた。


今はまだ、火星には地球ほどの海はない。いずれ海を作ろうという計画も始動しているが、実現まではまだ百年単位の時間が必要だと思われた。だからこの規模の湖ほどのまとまった水がある場所は貴重であり、水なしには生きられない人間にとっては憩いの場所だった。しかしロボットであるアリシアにとって人間ほど水は必須ではない。それに、いくら高度な防水機能を持ち、必要とあれば風呂に入って丸洗いだって出来るとはいえ、やはり機械にとって水は注意を要するものなのだから、アリシアにとっては『水がある光景を眺める』方が心地良いのだった。


「きれいですね…」


湖面を渡る風が波を起こし、波が光を反射して、キラキラと光る。それをアリシアはきれいだと感じることが出来た。彼女の<心のようなもの>が、それを感じさせてくれるのだ。


湖に波を立てて煌めかせたその風はアリシアと千堂のいるところにも届き、二人の髪を揺らす。人間のように体温が無く汗もかかない彼女は、風そのものを肌で感じることは出来ない。それでいて風が流れることそれ自体を心地良いものなのだとは感じていた。


アリシアは自分の隣に佇む千堂をちらりと見て、体を寄せた。それが拒まれないと分かると、彼の腕に自分の腕をそっと絡ませた。彼女が持つ機能として、彼のバイタルサインが瞬時にデータとして自分の中に流れ込んでくる。それはただのデータにすぎないが、彼女にとっては彼の存在を感じさせる大切な情報でもある。彼女はそれを愛おしいと思った。今はそれで満足だった。


ふと、愛錬達の姿が頭をよぎった。自分も彼女達のように真っすぐに千堂を愛したいと、改めて胸に刻むのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る