第199話 仮面の男(2)

 

 見た目、雰囲気、そのどちらもが先程の姿と全くの別人。


『初めに見たときの姿が哀。先程の大男が怒。目の前のこの騎士の姿が楽……いや喜といったところじゃな』


 グローテは律儀に一礼をする。


「お手合わせを」

「律儀だな」

「ええ、久しぶりに生きた肉が切れるのです。マナーは守らなければいけませんからね。フフフ」


 そう仮面をしていても微笑んで嬉しそうにしていることは分かる。

 怒のときとは違い流暢な口調で会話が成り立つ。


 だが、デルフの表情は暗いままだ。


(俺は勘違いしていたらしいな)

『何がじゃ?』

(こいつは根っからの殺人鬼だ。哀のときは殺人鬼なんて微塵も感じなかったが……こいつや”怒”には明らかに殺意を持っている。怒のときはただ暴れていたという印象だったがこいつはその名の通り人殺しを喜びに感じている)

『確かに……一方の感情に支配されているとフレイシアは言っていたが、これでは全くの別人に変わっているようじゃの』

(それは案外間違いじゃないかもしれないな)


 そう二人で相談している間にもグローテは右手に紫の剣を作り出した。


「服装の変化といいリラの“衣服生成ドレスチェンジ“の魔法の類いだろうな」

『デルフ、来るぞ!』


 グローテは剣を一振り二振りした後、構えた。

 同様にデルフも片手に短刀を作り出す。


 そして、両者は同時に地面を蹴った。


 グローテが剣を振り下ろしデルフは短刀でそれを受け止める。

 剣と剣の力押しの合いとなりお互いがお互いの隙を僅かな時間の中で探す。


(やはり先程よりも力はない。なら……)


 先手はデルフが取った。


 デルフは軸となる足を一瞬浮かせて思い切り地面を踏みつけると同時に短刀を握っている腕に力を入れてグローテの紫の剣を打ち上げた。


「ほう、なかなかやりますね」


 無防備となった身体を晒しているのにもかかわらず喜色の声色を崩さないグローテ。


 デルフは遠慮なくその胴体に蹴りを打ち込んだ。


 ドン!!と、とても生身と鎧がぶつかったとは思えない音が周囲に轟く。


「なに!?」


 思わず驚きで声が漏れ出てしまったデルフ。


 その理由はデルフの伸びた足の先にはまだグローテが立っていたからだ。


 デルフとしても殆ど全力に等しい蹴りを放ったためこの結果は想定外だった。


(まるで、岩山を蹴ったかのような感覚だ)


 むしろ、攻撃を行ったデルフの足の方が衝撃で痺れてしまっている。


「次は私の番ですよ」


 グローテは既にデルフが崩した体勢を元に戻しておりその剣を振り下ろした。


 デルフはすぐさま防御の構えをするがそれが間違いだった。


「!? ちっ、フェイントか!」


 グローテは振り下ろした剣を途中で止めて全力で剣を引いた。

 きりきりと八切れそうな音が幻聴で聞こえるほど力を込めた突きをデルフに目掛けて放つ。


 デルフは苦し紛れに右手を突き出し向かってくる剣にぶつけようとする。


 そのとき、グローテの仮面に描かれている笑みがさらに一層深くなった気がした。


 デルフは何か嫌な予感がしたがもう後戻りには遅い。


 そして、それは金属の義手とグローテの剣が衝突する瞬間に変化が起こった。


 グローテの剣の先端が枝分かれのように四つに分裂したのだ。


 そのどれもが棘のように鋭い先端を持ちデルフの肩や胸に目掛けて伸びてくる。


(防ぐのは間に合わないか、それなら突き進む!!)


 デルフは負傷を負う覚悟で伸ばした拳の速度を緩めずむしろ速めた。


「!?」


 デルフの行動にさすがのグローテも余裕の雰囲気が消え失せた。


 そして、デルフの拳がグローテの鳩尾に食い込んでいく。


「がっ!!」


 先程はビクともしなかったグローテだがそのデルフの特攻の一撃に膝を突き沈んでしまう。


 だが、デルフも剣から分かれた四本の紫の棘が身体に突き刺さる。


「ぐあっ!!」


 天人の強靱な身体を貫くほどの威力。


 デルフは後方に吹き飛ばされ地面を転がっていく。


 途中で棘は抜けたが貫いた跡の大きな穴が数個、痛々しく残っており黒い血が流れ出していた。


 しかし、デルフはそんな重傷を負ったのにもかかわらず立ち上がった。


(……重傷だが既に再生は始まっている。それよりも追撃の警戒の方が大事だ)


 さすがにフレイシア程の治癒の速度ではないがそれでも普通と比べれば断然に早い。


 デルフを立たせないようにするには治癒が間に合わないほど攻撃を続けるか一撃で沈めるかの二択しかない。


 昔、苦手だった耐久戦が今のデルフにとっては得意分野となっているのだ。


 相当なダメージだったのかグローテは未だに地面に膝をつけて激しい呼吸を続けていた。


 いや、違う。

 呼吸ではなく笑いで震えていた。


「ククク、私の“紫毒のデッドリーランス”を受けましたね……。この武器は私の血から作り出した物。私の血は猛毒でできています。お分かりでしょう、残るあなたの命は数秒。斬ることは叶わず残念でしたが、まぁいいでしょう。儚く散ってください!! フフフフ、ハッハッハッハ!!」


 仮面の下から血を吹き出しながら大笑いをし続けるグローテ。


 だが、デルフの身体には何も異変はない。


 それに気が付いたグローテの笑い声が徐々に消失していく。


「……? もう効果が出ても良いはず……なぜ、なぜ死なない!!」

「生憎だが……俺の血はもっと猛毒だって事だ!!」


 デルフは地面を蹴ってグローテに急接近する。


 そして、そのまま膝をグローテの顎にぶつけた。


 グローテは力ないまま仰向けに地面を引きずっていく。

 ようやく止まったときにはピクリとも動かなくなっていた。


 しかし、デルフはこれが終わりだとは思えなかった。


(まだ最後の楽が残っているはず……)


 案の定、グローテに再び異変が起こる。

 激しい動悸が起こり始め身体が鼓動とともに大きく弾み始めた。


「なんだ……」


 そして、身体が縮み平均並みの身長となりゆっくりと立ち上がった。


 怒のときは大男で見上げなければ顔が見えなく、喜のときは長身の騎士の姿だった。

 哀のときは臆病で子どもの姿。


 そして、最後の楽の姿は至って普通の青年の姿だった。


 仮面の描かれている表情は喜のときの微笑みからさらに笑顔になっていた。

 口は逆三角形で表しており目は上機嫌に瞑っている。


 被っているものの異質な空気がなければ微笑ましい仮面だっただろう。


 グローテは脱力して突っ立ったまま動かない。


「……ハハハハハハハハハハハハハ!!」


 突然、グローテは大笑いをしてデルフに目掛けて走り始めた。


「!? 速い!!」


 デルフの目でも微かにしか捉えられないほどの速度でグローテの姿を必死に追う。

 だが、途中で見失ってしまった。


「ハハハ!!」


 急に背後から声が聞こえ同時に衝撃も襲ってくる。


「ちっ!!」


 デルフは苦し紛れに後ろに短刀を振ると手応えがあった。


「楽しい……楽しいな!!」


 だが、手応えに関係なくさらにグローテは攻撃を仕掛けてくる。

 腕から紫の血を流しながらも全力で振ってくるためデルフも受け止めるので精一杯だ。


「狂っているな」


 怒と喜のときも十分に狂っていたがこれはそれ以上だ。

 自分が傷付いても笑いながら攻撃を続ける姿にはデルフでも恐れを抱く。


 ぶんぶんと高速で手を振り攻撃を続けるグローテ。

 そんな大きく手を動かせば傷口はさらに開き出血量も無視できないほどになるだろう。


 だが、本人は一切気にしていない様子だ。


 デルフは隙を見計らい顔に拳を入れる。


「がっ!! ハハハハハ!!」


 拳が顔に直撃して怯むがすぐに笑い声を出し始める。


「ちっ!!」


 直後、腕をがしっと掴まれた。


 笑い続けるグローテの視線がこちらに向く。

 仮面に描かれた表情は変わっていないのに先程よりも狂気的な笑顔に見えてきた。


 そのままグローテはデルフの腕をへし折らんと握り続けるが金属である義手の腕を折ることは容易ではない。


(それに先程よりも力が弱い。速度以外全てが弱まっているな)


 だが、それ以上に油断ならないことがある。


 デルフは自分の腕ごとグローテを引き寄せて左手で持った短刀を腹部に突き刺す。


 完全に腹部に食い込んでいるはずなのにグローテから笑い声が止まらなかった。


 それどころか、デルフに近づけたのが好機と考えたのか身体に力を入れてデルフを押し倒した。


 まるで纏わり付く虫のようで振り払おうにもピッタリとくっついて離れない。


「楽しい。ねぇ!! 楽しいよね!!」


 グローテはデルフの下半身をのし掛かることで固定して動けないようにする。


 そして、両手を腕に挙げて全身から流れ出る血をそこ集めて凝固させていく。


 出来上がったのは小さな短剣。


 それを躊躇せずにデルフの腹部に振り下ろした。


「ぐあっ!!」


 腹部から伝わる痛みと異物の侵入の不快感。


 グローテはすぐに短剣を抜く。

 だが、またしてもすぐ振り下ろした。


 それを何度も何度も繰り返す。


「ねぇねぇ楽しいって言ってよ!! そうでしょ!! 血を見るのが楽しいんだよね!! ずっとずっと同じ事を皆にしていた!! 僕も分かった!! 楽しい楽しい!!」

「何を……」


 その間もグローテはずっと短剣の抜き差しを繰り返していく。


 黒い血飛沫が跳ね周囲を黒く染める。


「調子に、乗るな!!」


 デルフは左手でグローテの頭を掴む。


 それに全く気にせず一心不乱にデルフの腹部を穴だらけにしていくグローテ。

 もはや痛みは感じなかった。


 痛みに慣れれば後に来るのは絶対的な集中だ。


 デルフはグローテの頭を全力で握りしめる。

 そして、右の拳を顎に目掛けて勢いよく振った。


 弾き飛ばされたグローテは地面に倒れたままだ。


「…………ハハハハハハハハハハ!!」


 しかし、倒れたままでも笑い声は響き続けている。


「顎に完全に入ったのにまだ意識があるのか。だが、もう動けないだろう」


 グローテは手足を必死に動かそうとしているが思うように動かず立ち上がることができていない。


 ようやくデルフは息を吐いた。


 そこで忘れていた腹部の痛みを思い出し足が蹌踉めいてしまう。

 左手で腹部の傷を抑えるとべったりとした感触があった。


(治り始めているな。日に日に再生の速度が上がっている。もはやこの増長は止められそうにないな。……しかし、“黒の誘い”は使っていないとはいえ、ここまでやるとは。こいつは使えるな)


 ただ、一つ問題がある。

 この様子だと敵味方を見境なく襲ってくることほぼ確定だと言うことだ。


 それについてはリラルスがこう言った。


『ものは考えようじゃ。敵のど真ん中に放り込めば区別なんて付かなくてもいいじゃろう?』

(だが……)


 そのときデルフの足を何かが掴んだ。

 デルフは視線を下に向けるとグローテがいた。


「ハ……ハハ!!」


 倒れていた位置から這いずってきたのだろう。

 グローテは片手に短剣を作りだしそのままデルフの足に突き刺そうとする。


「くっ!!」


 足を思い切り振るとデルフの足を握っていたグローテの手は離れ上空に舞い上がった。


 このまま、グローテは地面に落下するだろうとデルフは考えたが予想は外れる。


 グローテは軽やかに着地したのだ。


 しかし着地した後、ふらついておりいつまた倒れてもおかしくない。


「まだ、戦うのか」


 グローテが血まみれの手をデルフに目掛けて大きく振ってくる。


 だが、先程までの速度はなくなっており子どもの攻撃のように大振りで当たる方が難しいくらいだ。


 デルフは軽く躱すがその同時に向かってくる紫の血にまで警戒が及んでいなかった。


 その血は柔らかそうな液体から鋭利な刃物のように形を変えてデルフに襲いかかる。

 防御に遅れまるで引っかかれたような跡が服を越えて身体に刻み込まれた。


 本来ならばグローテの血は一撃で人を殺せるような猛毒だが幸いデルフには通じない。


 しかし、それでもデルフの体力も限界が近づいており些細な傷でももはや無視ができない。


 だが、それはグローテにこそ当て嵌まる。

 ただでさえ出血量は夥しく攻撃方法は血液を使う。


 少しずつグローテの身体の色が白に近づき始めていた。

 ずっと続いている笑い声も段々と声量が落ち掠れ始めてきていた。


 このままではグローテが力尽きるのは目に見えている。


 だが、それでもグローテの口からは血とまだ笑い声が漏れており動きを止める気配はない。


「お前、このまま死ぬ気か」


 そこでデルフはフレイシアの言葉を思い出した。


「制御……できないのか」


 デルフは悔しさから唇を噛む。


(俺が使える魔法は“黒の誘い”のみ。しかし、これでは確実に殺してしまう。一か八か……気を失うまで全力で殴り続けるしかない)

『手加減はできるのか?』

(手加減をして時間がかかればその前にこいつが力尽きる。)


 しかし、デルフの目には笑いながら死んでいくグローテの姿が見えていた。


 それでもこの方法しかない。


 デルフには人の命を奪う手段しかなく救う手段がないのだ。


 決断したデルフは一旦後ろに飛び退きすぐに地面を蹴った。

 だが、目の前に白いドレスを着た女性が立ち塞がりデルフの動きを止める。


 その女性こそデルフが持ち得ない人を救う手段を持っている人物だ。

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