第195話 見て見ぬ振り

 

 謁見の間に入ったデルフは少し進んだその場に着座する。

 ヨソラはデルフの左隣に座りアリルとソナタは後ろに着座している。


 タナフォスは目の先にある上段の間の斜め前に着座した。


 謁見の間に束の間の静寂が訪れる。


 しばらく待っていると外から足音とぼそぼそとした話し声が聞こえてきた。

 つまり、向かってくる足音は一つではない。


 不思議に思いつつもデルフは座ったままゆっくりと頭を下げヨソラたちもそれに合わせて頭を下げる。


 そして、上段の間の横にある襖が開き布が地面と擦れる音と小さな足音がした後、またもぼそぼそと話し声が聞こえる。


「ほら、行ってきなさい」


 そうナーシャの声が聞こえると小さな足音がデルフに迫ってきて右隣で止まった。


「ほらあなたも、もうあんなに楽しみにしていたのに……まぁいいわ」


 その話し声の後、ナーシャは上座に座った。


「殿下、ただいま戻りました」


 デルフは頭を下げながら恭しく言葉を述べる。


「面を上げなさい」


 そこでデルフたちは頭を上げると上段の間の上にはもはやよく知っている姉とかけ離れている王女が座っていた。


 一見では身に纏っている何重もの着物や化粧によるものだと考えてしまうが一番はもはや疑いようがない王の風格が備わっていることだ。


 ナーシャは薄く笑みを浮かべる。


「……フテイル王のご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます」

「役目、大義です」

「ハッ!!」


 デルフは深々と頭を下げる。


「……ぷっ。ふふ、あはははは」


 耐えきれなくなったナーシャから笑い声が飛び出す。

 デルフもそれに釣られて笑みを零す。


 後ろで控えている武士たちは少し困惑しチラチラとナーシャを見ていた。 

 それに気が付いたナーシャはタナフォスに目配せする。


 タナフォスは即座に意味を理解し視線を武士たちに向けた。


「人払いだ」

「ハッ!!」


 武士たちは一礼して下がって行った。

 どうやらあの者たちはデルフとナーシャの関係を知らない者たちだったようだ。


「殿下、申し訳ございません。ただいま、事情を知っている者が出払っていることを失念しておりました」

「この状況だから仕方ないわ。でもタナフォス、箝口令は出してちょうだい」

「御意」


 そして、再びナーシャはデルフに目を向ける。


「それでどう? デルフ」

「どうって?」

「分かるでしょ?」


 何となく察したデルフはすぐさま口を開く。


「ああ、見違えたよ」

「えーそれだけ?」

「……大分板に付いてきたんじゃないか。前まではその着物も着られているって感じだったが今はもう着こなしているようだ」


 ナーシャは腕を上げて自分が着ている着物を眺める。


「私もフレイシアと同じ王になったのよ。それぐらい朝飯前だわ。だけど見て分かる通りこれ重いのよねぇ〜」

「殿下、少々お言葉が汚いのでは?」


 タナフォスが口を挟むとナーシャは頬を膨らませる。


「弟の前よ。関係ないわ」


 ぷいっと首を背けるナーシャにデルフはクスリと笑う。


「本当に実家での暮らしが懐かしいわ。忙しかったけど……あれはあれで楽しかったもの。聞いてよデルフ」

「?」

「自室が汚れているなぁ〜と思って掃除をしようとすると侍女に血相を変えて止められるのよ。全く、息が詰まるわ」

「姉さんは今さっき自分で言ったとおり王なんだよ。……侍女たちの仕事を奪ってやることはないんじゃないか」

「……今なら私の家に逃げ込んできたフレイシアの気持ち、うんと理解ができるわ」


 デルフは笑いながらチラリと右隣に目を向ける。


(そろそろ触れないといけないか……)


 見て見ぬ振りをしていたがもはや無視することはできないだろう。


 デルフの左隣には茶髪の少女がツンツンとデルフの黒コートを突いていた。


 ヨソラよりも一回りほど小さく恐らく歳は二歳ほど。


 なぜデルフが見て見ぬ振りをしていたのか。

 それは一目見ただけで理解ができたからだ。


 この少女の顔立ちはナーシャにそっくりなのだ。


 デルフはどんな言葉が返ってくるか想像ができるがそれでもナーシャに尋ねずにはいられなかった。


「ね、姉さん。この子は?」

「ふふ、私の愛娘よ」


 その一言がデルフに雷が落ちたかのような衝撃が襲う。


「名前はティーシャよ」


 ナーシャは笑顔でそう言うがデルフはそれどころではなかった。


 そうだろうと身構えていたはずなのに実際に突きつけられると案外脆く今のデルフの中は動揺しかない。


 デルフがティーシャに目を向けるとそれと同時にティーシャは顔をあげ目が合ってしまった。


 しばらく見つめ合ったままだったが突如ティーシャはビクッと背筋を震わせて目が潤み始めた。


 幼子がデルフの鋭い瞳と目が合ってしまったらそうなるのも無理はない。


「ふふ、その驚いた顔。やっぱりアリルちゃん、デルフに伝えてなかったのね」


 その言葉からアリルはこのことを知っていたのだろう。


(聞いていないぞ……)


 デルフはその念を込めて後ろにいるアリルを睨み付ける。


 するとアリルは「忘れていました!!」と言わんばかりの申し訳なさそうな顔をしていた。


 一言言いたかったが忘れていたなら仕方ないと諦めデルフは顔を前に戻す。

 そして、何とか落ち着きを取り戻した。


「ま、まぁ姉さんもいつ結婚してもおかしくない歳だもんな」

「でしょ。昔の私の友達もとっくに結婚していたのよ。私は遅い方よ」


 そのときデルフの目にまたも信じられない物が映った。


 ナーシャの背後からまたも茶髪の子どもが顔を出していたのだ。


「ね、姉さん。その後ろの子は?」

「あっ。そうだった! ほら、シャロンも前に出なさい」


 ナーシャは両手をその子どもの脇に回して持ち上げる。

 暴れて抵抗していたがナーシャに敵うはずもなくナーシャの太股の上に座らせた。


「この子はシャロンよ。見て分かるとおりティーシャの弟よ」

「……弟?」


 もはやデルフの許容を越えてしまいそうだ。


「歳はそう変わらないように見えるな。それにそっくりだな」

「双子だもの。当たり前よ」

「そうか、双子か……」


 もうデルフは驚くことを止めて全てを受け止める構えだ。


「それで、気になっていたが相手は誰なんだ?」


 そう尋ねると同時に耐えきれなくなったティーシャは泣き出して走り出してしまった。


 少し申し訳ない気持ちに襲われるがティーシャが向かった先に目が丸くなってしまう。


「えっ?」


 全てを受け止める覚悟でいたのだが思わず声を漏らしてしまった。


 それも無理はない。


 ティーシャが向かった先は母親のナーシャではなくタナフォスだったのだ。

 そして、タナフォスの胸に顔を埋めてしまった。


「タナフォスは……守り役か何かか? まぁ重臣だからな。なるほど」

「何言ってんの。私の夫よ。この子たちからしたら父ね」


 呆気なくデルフの解釈は潰されてしまった。


 もはや、デルフは苦笑いしか浮かべることができない。


「そうか……そうか」

「黙っていてすまぬな。そなたが驚く顔が見たかった故」


 薄ら笑いを浮かべているタナフォスに少し苛ついたデルフは言い返す。


「いやいや……気にするなよ。兄さん」

「むっ!?」

「どうしたんだ? 兄さん」

「デルフ、その兄と呼ぶのは止めてくれないか。少々むず痒い」


 タナフォスは苦笑いしデルフもようやく心から笑うことができた。


「……相手がタナフォスだったら安心して姉さんを任せられる。そもそも姉さんが決めた相手だ。俺は何も言うことはできないさ」

「かたじけない」

「しかし、どう言う経緯でそうなったんだ。想像すらしていなかった」


 子細を訪ねると原因は前国王フテイルによるものだという。


 絶対なる信頼を置く家臣であるタナフォスならば孫を任せるに値するとして勝手に縁組みをしてしまったのだ。


 もちろん、ナーシャが嫌だったらフテイルのことだからすぐに撤回したと思うがナーシャもナーシャでかなり乗り気であり猛烈に迫ってきてついに折れたらしい。


「そ、それは苦労したな」


 タナフォスが城に来る前に言っていた政務以外が活発という言葉の意味が今更ながら理解できた。


「だが、そのおかげで某には勿体ないほどこうした宝に恵まれている。文句は何一つ思い浮かばんよ」


 そのときデルフの裾をちょんちょんとまたも突かれ目を向けるといつの間にか弟のシャロンが目の前に立っていた。


 デルフを見詰めて首を傾げる。


(無理にフテイルに連れてきたと思っていたがこうして姉さんは幸せを手に入れた)


 デルフは感慨深くなり思わず目が潤んでしまう。


「師匠が見たらかなり喜んでくれるだろうな」


 そして、デルフは微笑んでシャロンの頭を優しく撫でる。


(この幸せを残すことこそが師匠への恩返しだ。……必ず勝利を掴んでみせる)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る