第191話 最悪の晩餐

 

「それ……本当に全部食べるんですか?」

「? もちろんよ。……ああ。大丈夫、ちゃんと分けてあげるわ。皆で食べるために狩ってきたもの」


 墓穴を掘ってしまった。


 敵やデルフに生意気な態度を取る者であればアリルにとって対応はまだ簡単だったのだがソナタはデルフに対して尊敬の念を抱いている。


 そのような者の好意を無碍にはできない。


「そんなつもりで聞いたわけでは……」


 そう喋っている間にもソナタは慣れた手際で次々と魔物を解体してぶつ切りした手足や胴体を火に投げ入れていく。


「うん。これでよしと」


 満足げな表情をしているが魔物の紫色の返り血が顔に付着している。


(えっ? 味付けなしですか? 焼くだけ……)


 昔の自分は棚に置いて顔を引き攣らせるアリル。


 そのとき、ちょんちょんと肩が叩かれた。


 アリルは振り向くと不機嫌な雰囲気が漂っているヨソラがこちらを見詰めていた。


「ど、どうしましたか? お嬢様?」


 ソナタに聞こえないようにアリルは尋ねるとむすっとした顔で一言。


「あれ……やだ」


 それを聞いてアリルは苦笑する。


(そうですよね。僕も嫌です。……ですがお嬢様のためならば!!)


 アリルは覚悟を決める。


「ソナタさん。そちらの食べ物はお嬢様にはまだ早いかと……」

「お嬢様? 先程から気になっていましたが……」

「そう言えば、僕たちの自己紹介がまだでしたね。では、改めて僕はアリル。そしてこちらがヨソラ・カルストお嬢様です」

「……カルスト?」

「お察しの通りデルフ様のご息女です」

「な、なんと!?」


 ソナタは手を止めてその場に跪いた。


「まさか……副団長のご息女とは露知らず、ご無礼申し訳ございません」


 ヨソラはアリルの後ろに隠れ顔だけ覗かせてソナタを伺っている。


「ゴホン……せっかくのご厚意ですがそちらはお嬢様にはまだ早いかと」

「確かに子どもの口に合うかと言われれば……残念ですがヨソラ様には数年後、ご賞味して頂くとしましょう」


 なんとかこの場は乗り切れたことに安堵するアリル。


 だが、このヨソラを逃がすための口実は逆にアリルの首を絞めることになる。

 大人であるアリルは食すると言っていると同義だからだ。


 無論、それは重々承知して言葉にしている。

 そのための覚悟なのだ。


 アリルはヨソラに自分が調理した魚を食べさせている内にいよいよ火の中にいる魔物が焼き上がってしまった。


 ソナタは木の棒で火の中から取りだして少し冷ましてから手に持つ。

 そして、殻を割るとそこからが殻と同じ色の黒身が顔を出した。


 とてもじゃないが食欲がそそられる物ではない。


 ソナタはそれをアリルに手渡す。


「ど、どうも」


 アリルは手に持った魔物の手か足か分からない部位をまじまじと見詰める。


(見た目は思っていたよりもマシですが……マシなだけで……)


 魔物という嫌悪感はなくなることはない。

 いや、魔物という点を置いても虫と言うだけでまず手を出したいとは思わない。


(本当に食べられるのですか……あっ、美味しそうに食べてますね〜)


 ソナタに目を向けると次々と魔物を口に入れていた。


 もぐもぐと口を動かしている際に見せる笑顔は思わず持っている魔物の肉が美味しそうに見えてしまう。


(はっ!? 思わず食べたいと思ってしまいました。いや、このまま自分を欺いた方が気持ち的に楽になるかも)


 アリルはまじまじと魔物の肉を見詰める。


(生よりマシ、生よりマシ)


 そう自分に言い聞かせて口に放り込んだ。

 数回咀嚼を繰り返して飲み込む。


(!? 思っていたよりも……味は普通。いや、魔物と知らなければ美味しい? ……うっ!!)


 意外と美味しい、ということはなかった。


 始めの味は確かに美味しかった。

 しかし、それは幻かのようにすぐに独特の臭みと雑味が同時に襲ってきて吐き気を催してくる。


(しかし、これは下処理と味付け次第でなんとか……)


 調理をすれば普通に美味しい料理に変貌するのではないかと苦しみに悶えながらアリルは考える。


 だが、見た目が見た目だけに美味しくなっても手を出すかどうかは話が別だ。


(よく、そんなに美味しそうに食べることができますね……。各地を転々としていたと言ってましたがもしかするとまともに食べられるものがなかったとかですかね)


 この臭みと雑味などに慣れることさえできれば動物の肉と変わりない食感と味なのだ。


(それが一番の問題なのですが……)


 なんとか貰った分を食べ終えたアリル。

 口に広がった後味は水を流し込むことで追っ払いようやく一息つく。


 狩ってきた魔物の大きさは相当で今も尚、ソナタは食べ続けている。


「今までずっとこれを食べ続けているのですか?」

「んー。魔物と言っても種類は多いからこれだけではないわよ」

「他に、食べるものはなかったのですか?」

「探せばあったかと思うけど少し探せば見つかる魔物を狩った方が早いから。それに美味しいでしょ」


 こいつの味覚はおかしいのかとアリルは呆れた視線で見詰める。


「……それに少しでも魔物が減ればその被害も少なくなるから」


 何気なく言った一言だがそれが一番の理由だとアリルは理解できた。


 今は身寄りのない旅人同然となってしまったソナタだが今でも騎士の信念を忘れていないのだろう。


 そこでアリルは鍛錬に向かう前にデルフがソナタとの話の中で気になっていることについて尋ねてみる。


「ソナタさん。四番隊の皆さんが正気を失ったと言っていましたがなぜあなたは無事だったのですか?」

「……それは私も不思議に思っていたの。だけど現に私はこの通りなんともない。普通よ」

「普通? 十分に変わり……いえ」


 どうやらソナタ自身も理由は分かっていないらしい。


「そうですか……!?」


 そのとき、アリルはソナタが口に入れようとしている物を見て目を剥いた。


「ソ、ソナタさん!?」


 しかし、ソナタの手は止まらずにそれを口に入れて数回噛んで飲み込んでしまった。


「な、なに? そんなに驚いて」


 戸惑っているソナタだがアリルの戸惑いはもっと大きい。


 ソナタが食べたものは蜘蛛の形をした黒い臓器。

 動物が魔物にへと変貌した由縁とされるものだ。


 “悪魔の心臓デモンズハート”。


 それがその臓器の名だ。


 アリルも見たことはなくデルフからその形と色を聞いただけだったが一目見てソナタが口に入れた物がそれだと分かった。


「ソナタさん。なんともないのですか?」

「え、ええ」


 アリルが懸念したのは前に戦った強化兵の存在だ。

 あれは人間に“悪魔の心臓”を取り付けて変貌した姿だとデルフは言っていた。


(取り付けるのと食べるのではまた違うということですか……)

「この部位が一番味が濃くて美味しいのよ」

(一生共感できる気がしません。……?)


 そのとき、アリルはソナタの魔力量が上昇したのを感じ取った。


 デルフみたいに魔力が知覚しているわけではないのであくまでも感覚だがそれでも確信を持っている。


 さらにアリルはそのソナタの魔力にどことなく不気味さを感じていた。


(この感じ……デルフ様と全く違うようで近い)


 アリルは何となくソナタがジュラミールの洗脳の影響を受けていない理由を理解できた。


 次第に夜が更けていきこのまま何事もなく今夜が終わるだろうと思っていたが徐々に不穏な方向に向かっていく。


「副団長、遅いわね」

「そうですね……」


 既に料理は冷めてしまいヨソラは眠ってしまった。


 アリルはデルフの身に何かあったのかと考えたがすぐに頭の奥に追いやる。


「恐らく鍛錬に集中なされているのでしょう。心配には及びません」

「そうね。見たところ副団長は騎士団にいたときより遙かに強くなっている。私もかなり実力を上げたと自負していたけどまさかまともに攻撃を当てることができないとは思いもしなかったわ」

「あれでもデルフ様は手加減なされていたと思いますよ。デルフ様が本気であなたを殺す気であればもうこの世にはいません」

「そうでしょうね。まだまだ余裕が伺えたもの。およそ戦闘に不向きな身体をしていたのにあんなに強くなれるなんて流石副団長だわ。だから、私の憧れなのよ」


 これでも昔は四番隊の中で一番弱かったのだとソナタは言う。


「とてもそうは見えませんでしたけど」

「落ちこぼれだった私も副団長の存在で何とか食らいついていたのよ」

「そうなるとあなたも相当努力したのですね」

「ええ、もちろんよ。だけど思えば魔物を食べ始めてからだったかしら……実力が少しずつ上がっていったのは」


 そうでしょうねとアリルは苦笑いを返す。

 僅かな魔力の上昇だったが塵も積もれば山となる。


 かなりの魔物を平らげたのだろう。


「仲間たちからは止められたけどね」

「それもそうでしょ……今、仲間たちと言いました?」

「ええ」

「まさか四番隊にいたときから魔物を食べていたのですか」

「そうよ。駆除もあるけど……美味しいでしょ?」


 食糧難で魔物に手を出したわけではなく本当に食料として昔から魔物を食べていたと知ってアリルは唖然とする。


「やっぱり身体は食事で変わるわね。魔物は栄養が豊富とみたわ」


 それだけではないでしょと言いたくなる気持ちをアリルはぐっと堪える。


 ソナタは手に持っていた瓢箪ひょうたんを口に持って行きぐいっと呷る。


「……そう言えば最近というか四番隊を抜けてからだけど変なことが起きているのよ」

「というと?」

「眠った後に起きると周りが何かが暴れたかのように荒れ果てしまっているの」

「……それはまた不思議ですね。お怪我はなかったのですか? というか気付かなかったのですか?」

「ええ、気付かないどころかぐっすりと眠っていたわ。だけど私は無傷よ」

「ソナタさんは狙われてはいないと……。それに言い方的には一度だけではないようですね」

「ええ。そう言えば前にある村の宿に泊まったときも起きたときには村は壊滅していて私も外で眠っていたのよ。あれは本当に悔しかったわ。なんで起きることができなかったかと何度も自分を責めたもの」


 アリルは苦笑いでソナタの話を聞く。


(なぜかものすご〜く嫌な予感しかしないのですが)


 ソナタは話ながら残っている魔物をまだ食べている。

 二人で食べるにはこの魔物は大きすぎたためまだ食べ切れていないのだ。


 もちろん、今食べているのはソナタだけだ。

 アリルは満腹と言って辞退した。


 ソナタは再び瓢箪を呷る。


「ところで……先程から気になっていたのですがそれは?」

「お酒よ。副団長に再会したこんなめでたい日に飲まないなんて勿体ないわ。アリルもいる?」

「い、いえ遠慮しておきます」


 自分の酒癖の悪さは既に承知している。

 ヨソラの世話を任された以上、どのような事が起きても対処できるよう万全な状態を整えておかなければならないのだ。


「そう」


 さらにソナタは酒を呷る。


 が、急にソナタの顔が真っ赤に染まり始めた。


「もしかして……相当弱いんじゃ……」

「ふふ、そんなこと、ないわ、よ」


 バタン!!


 そのまま仰向けに倒れるソナタにアリルはまたも固まる。


「……しょうがないですね」


 アリルは溜め息交じりに立ち上がる。

 そしてソナタを介抱しようと手を伸ばした瞬間、頬に何かが通り過ぎた。


 冷たい何かが頬を伝う。

 頬を拭うと手は血で濡れていた。


「やっぱりこうなるのですか……本当に、今日は厄日です」

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