第183話 拳の語り合い
頭が揺れデルフは未だに自分の身に何が起きているか理解ができていなかった。
衝撃が落ち着き目に映ったのは雲一つない晴天とキラキラと輝く太陽。
そこでデルフはようやく外に吹っ飛ばされたのだと理解する。
(一体何が……うッ!!)
大きく息を吸い込むと空っぽになった肺に大量の空気が流れ込み咽せてしまう。
咳が落ち着くと次は頬に激痛が走った。
反射的に左手で押さえるとぬめっとした感触がある。
(切れている……いや、骨が砕けているか)
痛みに慣れているデルフだからこそ顔色一つ変えず冷静に己の現状を確認できていた。
そうしている間にもデルフが吹っ飛ばされた際に生じた轟音により周りに居た者たちが何事かと近づいてくる。
そして、崩れた簡易住居の奥からアクルガが歩いてきた。
「デルフ様」
殺意を丸出しにしたアリルがデルフの前に立つ。
「大丈夫だ」
口元に流れ出ていた血を拭き取り立ち上がるデルフポンッとアリルの肩に手を乗せる。
「ここは俺に任せてくれ」
「……はい。分かりました」
始めは目が泳いで迷っていたアリルだがデルフの真剣な瞳を見て折れてくれた。
今までのアリルならばデルフの言葉には即座に首肯していたが最近はこうやって迷うことが多くなったのだ。
デルフはこれを良い兆候だと感じていた。
デルフの言葉を鵜呑みにせずしっかりと自分の頭で考えている。
アリルにとって神同然であるデルフに対して心配をするほどに。
かつてのアリルならば心配することすら不敬だと考えるはず。
なぜ、そのような心境の変化があったのかはデルフに想像すらできないがアリルもアリルなりに考えて成長していることだけは理解できた。
昔とはもはや雲泥の差だ。
(……俺は何もしていない。そうか、陛下のお世話をしている中で……か)
デルフの頭の中に自身の主の姿が浮かび上がる。
思わず笑みが浮かび上がっていた。
その間にも自己回復が進みデルフは力を取り戻す。
アリルはデルフの言葉に従い後ろに下がった。
「おとうさ、ん。たすける」
「お嬢様! おやめください!!」
後ろからヨソラとアリルの引っ張り合いが繰り広げられているがもうそれに構う余裕はない。
既に目の前にはアクルガが大きな壁かと見紛ぐらい堂々と立っていた。
デルフは和んでいた気持ちを奥にやって引き締める。
心が闇に染まってしまった友を救うために。
「口で言っても聞かなければ力尽くで帰って貰うだけダ」
「アクルガ!!」
「引っ込んでロ!! ノクサリオ!!」
アクルガの一喝によりノクサリオの足は止めてしまった。
いや、止まってしまった。
アクルガの咆吼は魔力が含んでおり強固な意志を持たなければ身体が竦んで動かなくなってしまう。
いくら強くなったとはいえアクルガの実力を知るノクサリオの身体は戦う以前に屈服してしまったのだ。
それはノクサリオだけに及ばず周囲で見守っている隊員たちにも及んでいる。
だが、その様子はノクサリオ以上に酷かった。
自分の意志とは関係なく身体が震えている者、中には失神して倒れてしまった者までいた。
しかし、アクルガならば制御するくらい分けないはずだ。
この諍いに関係ない隊員たちにまで被害が及ぶような技は前のアクルガなら、まずしない。
そうする理由は一つのみ。
『怒りで狂ってしまったようじゃの。……どうするのじゃデルフ』
(むしろこれは好都合。元より口で言って聞くようなやつじゃない。ここで、話を付ける)
デルフは拳を上げて強く握りしめる。
そして、アクルガとデルフのおよそ戦いとは呼べぬ殴り合いが始まった。
お互い魔力などの小細工は使わずただ拳のみの語り合い。
防御なんて一切考えていない。
時間が経つにつれて青痣が増えていく。
こう言うとただの子どもの喧嘩のように思えるが規模が違った。
一発一発の拳から周囲に周辺の木々を揺らす程の風圧を放っている。
周囲で見守っている者たちは唖然とその光景を眺めているだけ。
瞬きしている間に何発打ち合ったのかすら数えられないほどだ。
短時間で幾重とも等しい打ち合いをしようやく両者の拳が止まった。
「ハァハァ……。お前が、お前があのときいれば。あのとき居てくれれば全てが違った!!」
アクルガは手をマスクの上に置いた。
そして、思い切り取り外し投げ捨てた。
同時に首に巻かれていた金属の魔道具も地面に落ちる。
すると、現われたのは左頬に刻まれた痛々しい大きな傷跡だった。
喉元には血飛沫を浴びたような痣が広がっている。
「コノ……キズガ……アノトキノコトヲ……オモイダサセル。アタシノ……セイギハ、モウナイ。クダケチッテシマッタ!!」
アクルガの声質が変化した。
先程のような籠もった声ではなく酷く掠れた声だ。
一言言葉を紡ぐのでさえも声量が遙かに小さく聞き取りづらい。
しかし、その言葉に込めた感情はひしひしとデルフに伝わってくる。
そう言葉を紡いでいるアクルガの表情は今にも死んでしまいそうなほど苦しそうで呼吸が酷く荒い。
「アクルガ!! マスクを付けろ!! アクルガ!!」
ノクサリオが必死に叫ぶがもうアクルガには届いていない。
「ス……ベテ……スベテ、オマエノ……セイダ……オマエガオマエガイレバ……オマエガイレバ……ミンナ、イキテイタ!!」
そのときアクルガの身体に輝きが灯る。
やがてそれは虎の形を模していく。
両手には輝いている爪が伸び口元には牙が伸びた。
全身に血管が浮き上がり血走った瞳がさらに鋭くなる。
それと共に身体に灯った輝きの激しさが増した。
そして、アクルガはまるで獣のように両手を地に置き腰を上げる。
「あれは……“
ノクサリオが言い終わる前にアクルガは地面を蹴った。
初速だけでもかなりの速度だがさらに加速していきデルフの目の前に到達してもまだ一秒も経っていない。
しかし、デルフはその全てが見えていた。
乱雑な動きをされたのならば捉えることは難しかったが単調な動きならばどれだけ早くても見逃すことはない。
だが、デルフは動かなかった。
そして、アクルガは両手の拳を合わせてデルフの胸に放つ。
「
アクルガの二つの掌から遠吠えのような轟音と共に放たれた魔力の衝撃波がデルフの身体を貫く。
その衝撃波はさらに後ろまで飛んでいきそれは虎の全体像を模していた。
つまり、まるで二頭の虎が集落の中を駆け回っているように見えていた。
その虎が通った跡は何も残っていない。
まさに飢えた獣が通ったかのような光景だ。
始めはなんともなさそうにその場に立っていたデルフ。
だが、いくら天人に進化した身体だとしてもこれだけの攻撃をまともに食らって無事なはずがない。
突如としてデルフの膝が崩れ地面を突いた。
「……ガハッ!!」
黒血が口から濁流のように溢れ出す。
アクルガは血を吐き続けているデルフを呆然と見下ろしていた。
「ナゼダ……ナゼ。オマエ……ナラ……」
アクルガは目を見開いて後退りする。
「そんな目をしているやつに攻撃なんてできるわけがないだろ」
「!? ウッ!! ゴホゴホ、ハァハァ……ハァハァ……」
一見するとアクルガはデルフに怒りをぶつけていたように見える。
いや、そうしか見えない。
だが、デルフはその言葉からは自分が責められているように感じなかった。
それもそのはず、アクルガは別にデルフに対して怒っていない。
「……嘘がつけないのは相変わらずだな。お前はただ死にたがっているだけだ。そんなやつにくれてやる攻撃はない。ぐっ、ハァハァ……」
デルフはさらに吐血する。
(これは本格的に不味いな。……血が止まらない)
「……クッ。アタシニマダイキロトイウノカ。……ガハッ。ゴホゴホ」
大した攻撃を受けていないにもかかわらずアクルガの様子はデルフよりもさらに酷かった。
咳が一切止まらずむしろ激しくなり血が混じっている。
そのとき、アクルガの様子は急変した。
「クッ、ア……ゴホゴホ、ア……」
何か言葉を出そうとしているが呻き声にしか聞こえない。
それも束の間、アクルガの息切れは尋常ではなくなり始めた。
「アクルガ!!」
ノクサリオが倒れたアクルガの下に急いで駆け寄る。
そして、アクルガの口に途中で拾ってきた金属のマスクを当てた。
すると、アクルガの様子が段々と安らかになっていく。
デルフもようやく吐血が治まり立ち上がった。
「それが後遺症か……」
ノクサリオは頷く。
「喉が潰れ、肺も片方しか機能しなくなっている。まともな治療を受けられなかったせいだ。このマスクが発声と呼吸を補っている」
顔の傷が目立つがアクルガを蝕む負傷は見えない部分にあった。
つまり、今のアクルガはこのマスクがなければ数分も耐えることができない身体となってしまったということだ。
いわば、このマスクがアクルガの生命線。
「デルフ」
倒れたままのアクルガがポツリと呟いた。
「なんだ?」
「あたしニ、こんな無様になったあたしニ……一体何ができると思ウ。あたしの正義はもうボロボロダ。正義の味方ではなくなってしまっタ。あたしに戦う理由は……なイ」
だが、デルフはそのアクルガの言葉を全面的に否定する。
「いいや、ある。この世界のため。そして……ヴィールを救うためだ」
“ヴィール”
その名前を聞いた途端、アクルガは目の色を変えた。
「……どういう意味ダ?」
デルフはこれまでの自分の出来事を振り返る。
それはアリルを脱獄させデストリーネを脱出したときにまで遡る。
最後の最後で邪魔をしてきたあの兎仮面。
諜報によってその名は割れている。
「恐らくヴィールは生きている。今は敵に操られセカンドと名乗っているはずだ」
アクルガは呆然として固まったまま辿々しく言葉を紡ぎ始めた。
「そ、それは本当なのカ? 戯れ言でハ……」
「セカンドとは一回剣を交えた。あいつの太刀筋を忘れるわけがない」
「……」
アクルガを支えているノクサリオも驚きで声が出ていない。
「……それでその敵というのハ?」
「現デストリーネ王国。お前たちを襲った猫仮面、ファーストの元凶だ」
「……そうカ」
アクルガの瞳が見る見ると輝きを取り戻し始めた。
「あたしの正義はまだなくなっていない、か……」
「それは違う。お前の正義はお前が生き続けている限りなくなることはない。ただ、今までお前の中で燻っていただけだ」
そして、デルフはアクルガに向けて手を差し伸べる。
「立ち上がれ。正義の味方!!」
「あたしはこのために生き残ったのカ。……ガンテツ。ああ、必ず助けてみせル」
そして、アクルガはデルフの手を強く握りしめ立ち上がる。
そのときのアクルガの表情は久しぶりに晴れていた。
マスクをしているが笑みを浮かべていると断言できる。
「あたしは正義の味方だからナ!!」
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