第182話 信念の喪失
案内され集落の最奥にある大きなテントにへと向かっている途中、先頭に歩いているノクサリオが突然立ち止まった。
「どうした?」
言葉を詰まらせていたノクサリオだがしばらくして口を開いた。
「俺は今までアクルガの代わりとしてやってきた。クロークが言っていた通りこのままでは駄目なのは分かっている。でも……俺じゃ駄目なんだ」
「……隊員たちの様子からしてお前への信頼は厚い。自分を貶しすぎだと思うが」
だが、ノクサリオはゆっくりと首を振る。
「代理はあくまで代理だ。ここに残った奴らは全員アクルガが立ち直ることを望んでいる。俺もその一人だ」
そのノクサリオの今にも泣き出しそうな瞳からはやるせない気持ちが溢れていた。
決して隊員たちはノクサリオが役不足などと思っていないのだろう。
誰以上にそう思っているのはノクサリオ自身だ。
(……立ち直る?)
そのとき奥のテントからガッシャーンと勢いよく物が壊れたような音が響いてきた。
チラリとノクサリオの顔を覗くと目を見開いたまま固まっていた。
「副頭領!!」
音のあった方から一人の隊員が慌てて走ってきた。
「おい、まだ続いているのか!?」
「は、はい!」
「あいつ……無理をしやがって。自分の身体のことを考えろよ!」
一見アクルガに向かって言っているように見えるノクサリオの言葉はデルフには自分自身に怒りをぶつけているように聞こえた。
「身体、怪我は治ったんじゃないのか?」
「……ああ、治っている。しかし、それは傷が塞がったという意味だ。残念ながら後遺症が残っている。見ての通り、こんな場所だからな。まともな治療を受けるのは難しかった」
「そうか……」
「だけどよ、デルフ。あいつにとってそんな後遺症は気にもなっていない。それよりも酷いのは心の方だ」
そして、テントのすぐ前まで到着した。
まだ、テントの中からは大きな物音が響いている。
「デルフ……頼む。アクルガを助けてやってくれ。あいつの時間はあのときから止まったままだ。……俺じゃ駄目だった」
「少し荒療治になるかもしれないぞ」
デルフは心の中の不安を隠して笑ってみせる。
「それぐらいじゃないとあいつには響かないと思うぜ」
ノクサリオも余裕を取り戻し笑って見せた。
「アリル、一人で行く。ヨソラを見ていてくれ」
「はい、デルフ様。お気を付けて」
そして、デルフはテントの中に足を踏み入れた。
集落の中に点在していたテントと違いこの大きなテントはもはや簡易住居と言っても差し支えがないほど広い。
入り口から入ったのはいいがそこからも十歩程度の細い直線が続いている。
(この先か)
本当の部屋の入り口の前には暖簾が垂れておりその前からは人の気配がした。
「クソガーー!!」
その叫びと共に轟音が鳴り響く。
そこで先程からの物音が暴れている音だと言うことに気が付いた。
(アクルガ……)
デルフが覚悟を決めて暖簾を潜ると豪速で飛んできた破片が頬を掠めた。
掠めた頬は綺麗に裂けてしまいそこから黒血が流れ落ち垂れる。
傷はすぐに治るから問題はない。
それよりもデルフは目の前に静止している人物に目を細めて驚きを隠せないでいた。
「誰ダ? ノクサリオカ? 出て行ってくレ。一人に、させてくレ」
とても肉声とは思えない籠もった声だ。
それがアクルガの声だと理解するのに時間が掛かった。
「アクルガ」
ノクサリオの声ではない事に気が付いたアクルガはゆっくりと振り向く。
アクルガの視線がデルフに向きしばらく沈黙が続く。
そして、アクルガはようやく目の前の人物の正体に気が付いたようで大きく目を見開いた。
「まさカ……デルフなのカ?」
同じくデルフもその変わり果てたアクルガの姿を見て驚きで声が出ていなかった。
毛皮の衣服はノクサリオたちと同じ。
決定的に違う点は鼻から口元を隠している鉄のマスクだ。
よく見ると首元にもまた別の機械染みた物が巻き付いていた。
デルフにはこのような物に見覚えがある。
(魔道具……)
かつて副団長時代にウェルムから見せて貰った品に似ていた。
目を凝らして見てみると両方ともかなりの魔力が込められているのが分かった。
「みっともないだロ。あたしは無様に生きながらえてしまっタ」
窶れた顔に大きな隈ができた目元。
大きかった覇気は一切の影を見せていない。
あの自身に満ち溢れていたアクルガが嘘のように感じるほどの変わり様だ。
「……事情はさっきノクサリオから聞いた」
「そうカ。お前もあたしと同じくらいに変わったナ」
アクルガは無表情で淡々と呟く。
「……デルフ。それで何の用ダ?」
「久しぶりに再会したんだ。挨拶ぐらい普通だろ」
「……それだけではないだロ」
的確なアクルガの指摘にデルフは苦笑いする。
確かにデルフはアクルガを励ますためだけでここに来たわけでない。
アクルガほどの強者を対デストリーネ陣営に引き入れるためでもあった。
フテイル、ソフラノ、ボワールを代表とする各国を味方に付けているがデストリーネの恐ろしい軍勢を相手するにはまだまだ心許ない。
それにデルフたちが準備しているように相手も着々と力を付けている。
アクルガが味方となれば万の軍勢に等しい力が加わることになる。
(生き別れた味方をすぐに使えるかどうか考えてしまう)
そんな自分に嫌気が差すがこれも全てはフレイシアの勝利のためだと飲み込む。
「アクルガ、俺はフレイシア陛下をデストリーネの国王として持ち上げるために動いている。力を貸してくれないか」
アクルガはそのデルフの言葉を聞いた瞬間に顔をしかめ目を逸らして後ろを向いた。
「帰レ。帰ってくレ」
冷ややかで責めるような声がデルフに突き刺さる。
だが、デルフは動かない。
「お願いダ。帰ってくレ。あたしを放っといてくレ」
「アクルガ……」
「帰レッテ言っているだロ!!」
アクルガはこの部屋で唯一形残っていた机に拳を振り下ろし真っ二つに割った。
「ハァハァ……」
そして、アクルガはその場にへたり込んだ。
「あたしが行って何になル。こんな敗残兵、数の足しにもならン」
「国王であったハイル陛下は現国王のジュラミールによって命を落としてしまった。あの国は反逆者たちの根城となってしまっている」
「だかラ?」
「……だから?」
アクルガから思いがけない言葉が飛び出し思わずオウム返しをしてしまう。
「あたしはもうお前が知っているアクルガじゃなイ。あたしの正義はあのとき全て砕け散っタ」
「いや、まだお前は折れていない」
「うるさイ……」
「だからこうして今も後悔しているんだろ」
「うるさイ!! 黙レ!!」
血走った目でアクルガはデルフに睨み付ける。
「お前はどうして生きているんダ……。どうして普通に喋れているんダ……。お前も何も守れていないだロ!! あたしたちが命を賭してお前を国に向かわせたタ。なのにどうダ……国は奪われ反逆者に仕立てられどうして自分に自信が持てル!? ハァハァ……」
息を切らしながら捲し立てるアクルガ。
「ガンテツを失い……ヴィールまでもガ。あたしは何もできなかっタ。ノクサリオの奴は動ける状態じゃなかったなどと言うが関係なイ! 重要なのは結果ダ! こんな怪我なんて何の理由にもならなイ!!」
アクルガは今にも握りつぶしてしまいそうな力でマスクに触れる。
「全てあたしの力不足ダ。正義の味方……笑わせてくれル。友を守れず何が正義の味方ダ!! この悔しさが分かるカ……デルフ!! お前も何も守れていなイ。むざむざ王国を奪われタ。あのときノ……あたしたちの死闘は無駄だったのカ!? 黙ってないで何か言ってみロ!!」
そのとき我慢の限界を越えたアクルガは地面を蹴った。
その速度はデルフの反応速度を軽く上回っている。
気が付いた時には顔に衝撃が走り吹き飛ばされてしまっていた。
「がッ……」
力だけならばあのジャンハイブを軽く凌駕している。
デルフは簡易住居の壁をぶち壊し外に弾き出され地面を何回も転がっていく。
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