第13章 森の洋館

第172話 記憶喪失

 

 せせらぎと小鳥のさえずりが微かに耳に入ってくる。


 それと同時にひんやりとした感覚があった。


 しかし、身体は動かない。

 それどころか意識もまだはっきりしておらずいつまた気を失ってもおかしくない。


 掠れる視界を動かして目に入ったのは自分の足を絶え間なく叩いてくる水流だ。


 それでようやく気付く。

 今の自分は川辺に倒れているのだと。


(しかし、なぜ僕は……ここは……)


 デルフは思い出そうと頭を巡らせるがその瞬間、激しい頭痛が襲ってきた。


(ぐっ……)


 さらには耳鳴りも酷く自分が受けた負傷は相当なものだと実感する。

 しかし、根本的な部分が欠けていた。


(なんでこんな痛みが? 崖から落ちたか? 昨日は確か……僕は今まで何をして……)


 記憶を辿ろうとした瞬間、さらなる激痛が頭に降りかかってくる。

 その痛みからまたも意識が薄れ始めてきた。


(ど、どういうことだ。何も……もしかして、僕は……)


 力が抜けデルフは倒れてしまう。


 そのとき、砂利を踏む足音が聞こえてきた。

 その音は徐々に倒れるデルフに近づきつつある。


 歩幅と足音が小さいが音が鳴る回数で少なくとも動物ではないことが分かる。

 しかし、いくら警戒しようと動けなければ意味がない。


 その足音の主はデルフのすぐ前に近づくとしばらく立ったまま眺めていた。

 やがてデルフが着ている黒コートを両手で掴み引きずり始める。


 視線を動かしようやく見えたのは小さな影だけで鮮明には見えなかった。


 そこでデルフの意識は完全に途切れてしまった。


 


 デルフは静かに目を開けた。


「ここは……」


 周囲に目を向けるとその先にはどこかの村の門が見えた。

 しかし、デルフには見覚えがあった。


「ここは確か……カルスト村? ……いつの間にか帰ってきていた、のか」


 訝しげに感じながらもデルフは門を潜り中に入るといつもの見慣れた光景が目に入る。


 少人数ながらも市場は活気があり主婦たちが買い物に勤しんでいた。

 その中には自分の母親であるサスティーも買い物に興じている。


(しかし、なんでだ? なんでこんなに懐かしく感じるんだ?)


 デルフは自分の両目が熱くなっていることに気が付いた。

 左手を使って拭うとそれは涙だった。


「……涙。なんで……」


 さらにデルフにとって驚くべきことがあった。


 自分の右手を見てみると黒の金属で作られた義手になっており本来の右腕が無くなっていたからだ。


 一つ、不自然な点に気が付くとダムが決壊したように次々と前とおかしな点が目に流れ込んでくる。


 長くなった髪、その色も前の茶髪とは違い禍々しい黒であり身長も格段に伸びている。


 非力だと思っていた力も嘘みたいに漲っていた。


 まるで自分とは違う何かになってしまったように感じそのデルフの動揺は凄まじい。

 動悸が激しくなり視界も霞んでくる。


 まるで何かを気付くことを拒んでいるみたいだ。


 デルフは助けを縋るようにおぼつかない足取りでサスティーに近づくが途中で倒れてしまった。


 倒れたことにより周囲にざわめきが起こり、すぐ近くにいたサスティーが近づいてくる気配が分かったがそこでまたも意識が途切れる。


 次に起きたときは見慣れた部屋の中だった。

 デルフは敷かれている布団から起き上がり周囲を見渡す。


「ここは確か……物置きか?」


 自分の家である物置にも妙な懐かしさを感じてしまうことに疑問が生じる。


 しかし、デルフが知る場所と違い整理整頓がされておりもちろん床の掃除もされ輝いて見えるほどだ。


 程なくして扉が開きサスティーが顔を覗かせた。


「あら? 起きたようね〜」

「母さん……」


 デルフがそう呼ぶとサスティーはきょとんとした顔をしたのちにすぐに顔を綻ばせる。


「やだもう。寝ぼけているようね」


 赤面し照れるサスティーだがデルフにとっては目を疑うほどの出来事だ。


(母さん……僕が分からないのか。……いやこの姿では分からなくても仕方ないか)

「それよりもあなた、もう三日も寝込んでいたのよ。ちゃんと食べて体力つけないと〜」


 サスティーは持っていた御盆をデルフの目の前に置く。


 そこには一見すると質素に見えるが病人に気遣っていると分かる食事が置いてあった。


(取り敢えず、今は合わせておいたほうがいいか)


 デルフは顔をあげてサスティーに一礼する。


「見知らぬ自分に対してこのようなご馳走ありがとうございます」

「いいのよ〜。あなたみたいな格好いいお兄さんなら大歓迎よ〜。それよりもこんなところに寝かせてごめんなさいね〜。空いている部屋がなくてね〜」

「い、いえ」


 デルフはその食事に口を付けると一口だけであるのにかかわらずまたも懐かしさ、そしてあまりもの美味しさに出てこようとする涙を必死に堪える。


 そのときサスティーの何気ない一言が耳に入った。


「それよりもデルフ、遅いわね〜。あれほど準備をしなさいと言ったのに」

「デルフ?」


 考えるよりも先に言葉が出てしまった。


「デルフは私の息子よ。あの子は自分が何もできないと思っているようだけどそんなことはないわ。根から優しい子に育ってくれて私たちにとって自慢の息子よ」


 サスティーははっと気が付きふふふと笑う。


「ごめんなさい。ついつい息子自慢をしてしまったわ」

「い、いえ」


 デルフの内心ではそれどころではなかった。


(どいうことだ……僕がもう一人いるってことか?)


 しかし、激しく動揺してしまい考えがまとまらなかった。


「それじゃ私はそろそろ行かないと」

「もしかしてカリーナの化粧……」


 思わず頭にもなかったことが口に出てしまった。


 自分でも思いがけないことで自分で口にしたのにもかかわらず内心では激しく動揺している。


 サスティーも去って行こうとする足を止めて振り向いた。


「あら、よく分かったわね。カリーナちゃんの知り合いかしら」

「……は、はい」

「ふふ、ならもし体調が整っているなら今日の精霊祭に参加しましょう。カリーナちゃんの知り合いなら大歓迎よ。滅多にお目にかかれないご馳走があるわよ〜」

「は、はい」


 そして、サスティーは物置きから去って行った。


 それよりもデルフの内心は穏やかでない。


 精霊祭、いやカリーナの化粧と自分で言った時からだ。


(何か嫌な予感がする)


 その嫌な予感の正体を自分は何か知っている。

 

 しかし、矛盾しているがそれが何か思い出せなかった。


 思い出そうとすればするほど頭痛が激しくなる。

 先程から耳鳴りも酷かった。


 こうしている間にも嫌な予感の正体は刻一刻と近づいてくるとなぜか確信できた。


「今のうちに何かできることを……」


 しかし、そこでまたしても瞼が重くなり倒れてしまった。


 次に目が覚めたのは自然にではない。

 周囲から悲鳴と絶叫が混じった騒音によって目が覚めたのだ。


 飛び上がって起きると焦げ臭い匂いが充満しており眠気などすぐに吹っ飛んでしまった。


「なんだ、これは……」


 なんとか物置から出ると自宅の中は激しく燃え上がっていた。


 煙を吸わないように息を止めて扉を開けると同時にサスティーが家の中に飛び込んできた。


「!!」


 デルフは一瞬反応が遅れてしまった。


「母さん!!」


 振り返り手を差し伸べるがあと一歩のところでサスティーの腕を掴めなかった。

 そして、家が崩れ母親はその瓦礫の中に消えてしまった。


「あ……あ……母さん!!」


 そして、またも激しい頭痛が襲ってくる。


 何かを思い出そうともしくはその邪魔をするかのような痛みはもはやデルフに煩わしさしか感じさせない。


「ぐっ、またか!! 邪魔をするな!!」


 激痛から何も考えることができずその痛みを紛らわせようと必死に足を動かして走り始める。


 しばらくして地面に膝を突き激しく息を切らす。


 すると狼の遠吠えが間近から聞こえてきた。


 ばっとデルフは顔を上げるとそこでは自分自身が白い巨狼と戦っている姿があった。

 その姿こそデルフが知っている自分の姿だ。


 改めて見ると今の自分とは似ても似つかぬ姿だった。


「あれは……僕か?」


 しかし、そんなに驚きはなかった。


(今思えば……母さんが……のときも悲しみこそあれ驚きはなかった。どういうことだ……)


 そして、デルフの脳裏にある考えが浮かび上がる。


(初めて見る光景ではない!?)


 そこに辿り着くと再び頭に痛みが走る。

 鼓動も激しくなり濁流のように嫌な汗が流れ落ちる。


「また、か……」


 もう何度目になるか分からない激痛にデルフはうんざりする。

 だが、抗うことは叶わない。


 そして、目の前で戦っている少年の右腕が巨狼の牙の餌食となった。


 そこでようやく気が付いた。

 デルフは自分の義手である右腕を見る。


(そうか、これは僕の過去……)


 デルフは朧気な視線を目の横に動かすと両足を失った黒の女性が少年の姿を眺めていた。


「あれは……」


 今の自分と瓜二つの姿に驚き初めて会ったはずなのに今まで一緒にいたかのような親近感が湧く。


「リ、ラ……ル……」


 辿々しい言葉でそう呟くがその途中で激痛に阻まれてしまった。


 そして、その女性は徐々に光子となってその形を崩していく。

 その光は少しずつ倒れている少年へと吸い込まれていった。


「待っ……」


 デルフは手を伸ばすがそこで意識が途切れてしまった。


 


 目を覚ますとデルフはベッドの中にいた。


 木材の床に白い壁、家具もそれなりの年季のものが揃っている部屋だ。


「ここは?」


 徐にデルフは目元を触れる。

 すると、光の筋は頬まで続いていた。


「夢か……」


 そこでようやく身体を起こそうとするとまるで自分の身体では無いかのように激痛が走る。


 それと同時にこれが夢の中で感じていた痛みの原因だと理解した。


「これは相当な重傷だな。それよりも……ここはどこだ? 確か昨日は村にいたはず……!?」


 そこでデルフは自分の違和感に気が付いた。


「村?」


 自分の身体を見る限りあれから時は大分過ぎていることは明らかだ。


(残っていた記憶の先がすっぽりと抜け落ちているような……いや、違う。”ような”ではない。まさにその通りだ)


 そこでデルフはようやく自分が記憶をなくしていることに気が付いた。


 ようやくデルフは起き上がることができたがそのとき何かが頭の上から落ちる。


「タオルか。湿っているな」


 そして、扉が開くぎーっという軋む音が響きデルフが顔を向けるとそこから黒髪の少女が顔を覗かせていた。

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