第168話 黒の覚醒

 

 突如としてデルフの身体から夥しい量の黒の瘴気が溢れ出てきた。


 それは今まで行使してきたときの倍以上だ。


 その瘴気はデルフを縛り付けていた増幅している重力を打ち破った。

 それで終わることなくサフィーと全身鎧の騎士の間に割り込んだ。


 急に前に現われた黒の瘴気の危険性を察知した騎士は反射的に後ろに下がる。


 ウラノとアリルを相手にしているクライシスはそのデルフの変化に気が付き引き攣った笑みを浮かべる。


「な、なんだ。……まさかあのときの……ちっ、ただでさえこいつら相手にきついってのに」


 だが、クライシスはデルフばかりに気にしている暇はない。


 そうしている間にもウラノとアリルの攻撃は続いている。


 二人の連携はまさに阿吽の呼吸と言えクライシスは苦戦を強いられていた。


(熱い……。自分の身体じゃなくなったみたいだ)


 “黒の誘い”を発動したデルフは身体の感覚がなくなり自身が発する熱に苦しんでいた。

 それだけではなくさらに身体を引き裂くような激痛が襲ってくる。


『すまぬ。少し耐えてくれ』


 リラルスが言うには“黒の誘い”を最大限まで使うためにはまず完全な天人クトゥルアと進化しなければならないらしい。


 今までこの進化はリラルスが止めていたらしく一度してしまえばもう二度と元に戻ることはできないとのことだ。


 そう言われるとデルフも納得がいった。

 デルフの血液の色はまだ薄く完全に黒に染まりきっていなかった。


 それでもいいかとリラルスに忠告されたがデルフは躊躇せずに頷いた。


(今までのことに比べればこれぐらいなんともない)

『頼もしいのう。……もうすぐじゃ』


 デルフの身体に血管が浮き上がり流れる血の色が徐々に変化していく。


 それから数秒もしないうちに痛みが引き身体の熱も嘘みたいになくなってしまった。


 こうしてデルフの身体に流れている血は完全な黒血へと変化した。


(……本当に早かったな)

『私ができるだけ止めていただけで元々、進化の準備はできていたからのう。これから次第に力が増え続ける一方じゃ…』


 リラルスの声は申し訳なさそうなぐらいに細々しい。


(お前は悪くないさ。これも全ては陛下が玉座に戻られるため)


 そして、デルフは目を開く。

 そこは闇の中だった。


(違う。これは……)


 デルフは自身から溢れ出ていた瘴気の中にいたのだ。


 意識を集中し黒の瘴気を操る。


 溢れ出ていた瘴気は収束し次第にデルフの身体に纏わり付いていく。

 瘴気が纏わり付く度にデルフの力が増大する。


(……どうにかなってしまいそうだ)

『デルフ、自分を保て。間違えれば一瞬にて破滅するぞ』


 身体の中に渦巻く力に我を忘れそうになるデルフ。

 なんとか自我を保ち立ち上がる。


 そして、増大する魔力を制御しきったデルフは顔を上げる。


「“くろ覚醒かくせい”」


 魔力が尽きていたデルフだが実際にはこうして“黒の誘い”を行使できている。


 その理由は黒血だ。


 元々、黒血ができた過程は魔力の元となる物質を体内に注入しその物質を取り込んだ血液はやがて黒血へと至る。

 つまり、黒血は魔力その物だと言えるのだ。


 それを消費してデルフは魔法を使っている。

 だが、その負担はかなり大きい。


 魔力その物であるまえに血液なのだ。

 まさに諸刃の剣。


(なるほど、一分って言ったのもわかるな)

『デルフ、雑談は後じゃ。もう一分もない!』


 リラルスの言葉に触発されてデルフは動く。


「ウラノ! アリル! サフィーの安全を優先しろ!」

「ハッ!」

「はい!」


 デルフはウラノたちと入れ替わるようにクライシスに向けて突撃を開始する。


 まだ距離は離れているがその途中で拳を大きく振りかぶり放った。


 すると、デルフの腕に纏わり付いている瘴気がクライシスに向けて一直線に伸び始めた。


「“騎士王きしおう威光いこう”」


 クライシスは剣を構えて魔法を発動させる。


 恐らく重力操作によって瘴気を押し返そうと考えたのだろう。


 だが、“黒の誘い”に魔法は通じない。

 触れた瞬間に無効化してしまうからだ。


 構わず飛んでくる瘴気にクライシスは顔をしかめる。


「くっ……なんて厄介な技だ!」


 魔法で対処するのは諦めクライシスは宙に飛んで躱す。

 だが、クライシスは忘れているようだ。


 デルフが放ったのは瘴気だ。

 形は自由自在。


 クライシスのすぐ近くまで迫った瘴気は突然爆発したように拡散した。


「マジかよ!!」


 巧みに回避するクライシスだが予測不可能な瘴気の動きに僅かに遅れてしまい左手が掠ってしまった。


 クライシスは慌てて左手に嵌めていた籠手を取り外し放り投げる。


 その籠手は地面に落ちる前に黒く染まり灰となってしまった。


 デルフは飛び上がりクライシスに追撃を行う。


「クライシス、少し調子に乗りすぎだ」


 そして、デルフは蹴りを繰り出しクライシスは左手でそれを防ぐ。

 いや、防いでしまったのだ。


 クライシスの左手に瘴気が浸食し始める。


「ぐっ…ああああああああ!!」


 忘れてはいけないのは“黒の誘い”は黒に染めて灰に変えるだけではない。

 黒に染まりきるまでの間、想像を絶する激痛が襲ってくるのだ。


「苦しいか? それがお前たちが実験体にしてきた者たちが受けた苦痛だ」


 既に左手が黒く染まりきったクライシス。


 そして、浸食する黒はさらに身体にまで蝕もうとしていた。


 デルフはクライシスの崩壊を待たずに追撃を行おうと左手を後ろに突き出し魔力を集中させる。

 だが、そのときクライシスの前に黒鎧の騎士が降り立った。


 構わずデルフは拳を振り下ろすと同時に魔力を解放する。

 黒い力の波動が拳から放たれた。


 しかし、黒鎧は剣を輝かせるとそれを振り下ろし受け止めてしまったのだ。


「“黒の誘い”が効かない!?」


 いや、少しずつだが黒鎧の剣は黒く染まり始めている。

 黒鎧も負けておらず波動を押し返し着々とデルフとの距離を縮めていた。


(だが、遅い。その前に剣ごとお前の身体を蝕む)


 しかし、そのとき敵の剣の輝きがさらに増した。

 さらには敵が剣に込めている力も強まったように感じる。


 これがこの騎士の本気なのだろう。


(押し返されている!? リラ、もっと出力を上げてくれ!)

『デルフ! これ以上はダメじゃ!』


 リラルスはそう言うがこのままでは押し返されてしまいその剣を一身に浴びることになってしまう。

 デルフはそれほどのその剣に嫌な予感を感じたのだ。


(いいから早くしてくれ!)


 リラルスもデルフの必至さに気が付いたのかようやく納得してくれた。


 そして、身体に纏っている瘴気はさらに膨れ上がり全身を覆い尽くしてしまう。


 目の部分にある黄色い光の揺らめきが思わず目を模している。

 

 傍からは見ればその姿はまさに闇その物だ。


『デルフ、分かっているじゃろうがこの姿は制御できていない証じゃ。危ないと私が判断すれば関係なく力を抑える』

(……)

『デルフ!?』

(だ、大丈夫だ……)


 さらに高まった力の奔流に意識がブレ始め視界も徐々に掠れていく。


 だが、その代償を経てデルフの放った出力が急激に強まった。

 

 剣を飲み込みさらにその全身鎧も飲み込まんとした。


 だが、黒鎧は咄嗟に剣を手放してクライシスの隣まで戻る。


 それでも兜は波動を直撃していたらしく黒く染まり始めていた。


 そのとき黒鎧の隣にいたクライシスは歯を食いしばり剣を振り下ろす。

 そこから噴出する赤い鮮血が周囲に撒き散る。


 「!!」


 デルフは目を見開いて驚いた。


 クライシスは“黒の誘い”で蝕んだ己の左手を切断したのだ。


 激痛に耐える歪んだ表情でクライシスは無理に笑みを浮かべる。


「いまさら、こんなことで躊躇するとでも?」

「……だが、どちらにせよ。お前はここで終わりだ」


 しかし、デルフも時間制限が迫っている。


「どうやら、あんたも限界のようだな」


 平然を装って言葉を出したがクライシスを騙すことはできなかったようだ。


 しばらく睨み合う二人。

 だが、それはほんの一秒にも満たない。


 そのとき、沈黙を破るようにクライシスがふっと笑った。


「ここで命を賭けて立ち向かっても良いが、まだ決戦のときではない。ここは引かせて貰う」


 すると、クライシスは魔法を発動する。


 黒鎧とクライシスの身体は浮き上がり宙を途轍もない速度で上がっていく。

 その速度は一定ではなく加速し続けておりやがて点になってしまう。


「……行ったか」


 そのとき、デルフの目に全身鎧の騎士の兜が黒く染まりきり灰と変わった瞬間を捉えた。


「……!?」


 デルフの視力を持ってしても一瞬しか見えなかったがその騎士の顔にデルフは酷く動揺してしまう。


「クローク……?」


 そして、クライシスたちの加速する方向が変わりどこかに飛び去ってしまった。


 掠れ行く意識の中、考えが定まらず一旦は魔法を解こうとする。

 だが、止まらなかった。


 むしろ、瘴気がさらに溢れ出してきた。


(……リラ、どうなってる)

『今、止めようとしているが……ダメじゃ! 一気に覚醒した反動が……暴走を始めてコントロールが効かん!』


 リラルスはどうにか制御しようと試みているがそうしている間もデルフの意識は掠れていくばかりだ。


(やばい、もう……)

『耐えるのじゃ!!』


 しかし、身体はもはやデルフの意志とは関係なく勝手に飛び上がってしまう。

 そして辺り構わず黒の瘴気を放ち始めた。


 不幸中の幸いなことに観客席に人はいないためその被害は皆無だったと言うことだろう。

 だが、それも時間の問題だ。


 もし闘技場からデルフが飛び出た場合、その被害は計り知れない。

 昔、サムグロ王国を脅かした破滅の悪魔の再来となってしまうだろう。


 そのときと違って今この場でデルフを止められる者などいない。

 間違いなくボワールは滅びることになるだろう。


 そして、デルフも黒血を使い果たし滅びを迎えることになってしまう。


『くっ、一瞬でも力を弱まってくれれば……』


 デルフ以外のこの場にいた者たちはどうすればいいか考えるだけで動くことが出来なかった。

 ただ一人を除いて。


 そのとき上空から何かが落ちてきてデルフにしがみついた。


 しかし、今のデルフに触れた時点でその者に“黒の誘い”が蝕む。

 だが、そうはならなかった。


 黒のデルフとは対照的な白の存在であるフレイシアはその浸食を抑えていたのだ。


「デルフ! 敵は去りました! もう終わりです!」


 だが、デルフは既に意識を失っており身体は無意識に動いているだけなのだ。


 フレイシアの言葉は今のデルフには通じない。


「やはり我を忘れて……」


 フレイシアは苦し紛れに魔法を発動させる。


「“能力解除ケヒト”」


 すると、デルフの纏っている黒の瘴気が少し弱まった。


「!!」


 それに気が付いたフレイシアは何度も魔法を発動する。


 徐々に弱りつつある黒の瘴気。


 そして、タイミングを見計らい最後にフレイシアは自身の最大の魔力を込めて“能力解除”を放った。


『これは、いける!!』

「目を覚ましてください! デルフ!!」


 そして、ぱんっという音と共に瘴気が晴れデルフの姿が明るみに出た。


 デルフに意識はなく身体も脱力しそのまま落下する。

 フレイシアも力を使い果たしデルフと共に落ちていく。


「身体が動きません。私は大丈夫ですが……」


 しかし、もうすぐ地面に衝突しようとしたときデルフの身体が動きフレイシアを抱き上げた。


「デルフ……?」

「礼を言う。助かった。私だけでは止められなかったからのう」


 そして、着地しフレイシアを降ろすとリラルスは身体をよろつかせる。


「リラ様?」

「すまないが身体も限界のようじゃ。後は任せ……」


 そして、リラルスは倒れてしまった。


 こうして乱入者が現われるという波乱が起きた武闘大会は中止を余儀なくされた。

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