第129話 強化兵

 

 時間は少し遡りデルフがタナフォスとともに櫓の上で泥沼の河馬にサロクが向かっていくのを見ていたとき。


「なるほどな。あれがフテイルの秘技というわけか」

「並の剣では受け止めることもできぬ。ましてや泥ごときでは話にぬらぬよ」


 その言葉通りにサロクは河馬の首を跳ねた。


 サロクにはまだまだ余力を残しているように見える。

 そして、次に炎を纏う獅子を相手にしようとしたときだった。


「デルフ様!!」


 櫓の下からデルフを呼ぶ声が聞こえそちらに顔を向けるとアリルが今にも泣き出しそうな表情で見上げていた。


「何かあったのか?」


 デルフは櫓から飛び降りてアリルの側に立つ。

 するとアリルは勢いよく土下座した。


「デルフ様……申し訳ありません!」

「ど、どうしたんだ?」


 そう尋ねるとアリルは泣きじゃくっている顔を見せる。


「フ、フレイシア様がどこにもいないのです」


 流石のデルフもその言葉には動揺を隠せなかった。


 もちろんだが、今回の旗印であるナーシャとフレイシアも参陣している。

 二人の側にはアリルとフテイルが付いておりそう易々と見失うとは思えない。


「いつ居なくなった?」

「先程ナーシャ様と話しているのを見た後、少し目を離した隙に……。そういえばナーシャ様も消えておりました……」

「フテイル様は?」

「……見ていません」


 デルフが何か嫌な予感を感じていると上から自分を呼ぶ声が聞こえてきた。


「ジョーカー」


 タナフォスだ。


 自分からそう呼べと言っていたが慣れていないため少し反応が遅れてしまった。


「なんだ?」


 そう返すとタナフォスは前方の戦場の上空に指を指した。


「あれを見てみろ」


 どこか含み笑いをしているタナフォスを訝しげに思いながらも指している方向を向く。


 普通の人が見れば豆粒のように小さいがデルフの視力からすればはっきりと鮮明にその姿を捉えることができた。


「あれは姉さん? 後ろはまさか……陛下!?」


 血の気を引いたデルフは急いで走り出し陣の外に出る。


 ナーシャたちは遙か上空から炎を纏う獅子に向かって急落下していた。


「ハッハッハ。飛んでおるのう」


 デルフは横を見ると鎧姿のフテイルがナーシャたちを見上げていた。

 どこか楽しげだ。


「やはり殿下でしたか?」


 いつの間にか櫓から降りていたタナフォスがフテイルに溜め息交じりに尋ねる。


「うむ。皆に実力で認めさせるとあんな顔で懇願されたのでは手伝わぬわけにもいかぬのでな」

「……殿下らしい」


 至って平静な二人にデルフは少し苛つきを感じながら尋ねる。


「心配はしていないのですか?」

「ん? 無論、もの凄く心配じゃ」

「なら……」


 デルフが言いかけた直後にフテイルの言葉がそれを遮る。


「心配よりもあやつの心を信じておるのじゃ。ナーシャが自信を持って勝てると言ったのじゃ。信じてやるのが儂の務めじゃよ。なーに自分で動くのが一番の経験になるのじゃ」

「確かにそうかもしれませんが……」

「デルフ、そなたは心配性なのだ。あの御方たちも死ぬつもりで向かわれたわけではない。どちらにせよ今からでは間に合わぬであろう」


 デルフは前を向くと今まさにナーシャたちが獅子にぶつかる瞬間だった。


 二人は炎の渦の中に消えていき獅子は直立して動いていない。


 デルフが我慢できずに飛び出しそうになったとき獅子の周辺に無数の剣線が飛び交い獅子を細切れにしてしまった。


「おお、まさしくエレメアの“神速しんそく”! エレメアよ……お前の娘は立派に育っておるぞ」


 フテイルは歓喜に身を震わせている。


「姉さん……いつの間に……」

「あの方たちもお強い。そなたも臣下の一人であれば信じるのだ」

「そう……だな」

『ふふ、お前は口が弱いのう』


 リラルスが笑いを堪えながら口を挟んでくる。


(うるさい、心配して何が悪いんだ)


 その一言で一蹴する。


「……あれはなんだ?」


 タナフォスの初めて見せたと言っていい動揺にデルフもすぐ意識を切り替える。


 ナーシャたちにゆっくりと迫ってくる全身鎧の騎士が目に入った。


「あれは……只者ではないな。あの魔物以上に不気味さを感じる」

「そうだな。俺もあれは初めてみる」

「お主らよく見えるの。儂は米粒にしか見えぬが」


 デルフはリスの姿のルーを短刀に変化してもらい自身の調子を確かめる。


 何も異常がないことを確認するとタナフォスに向き直った。


「タナフォス、こればかりは止めても俺は出るぞ」

「そなたはフレイシア様の臣下。主たるフレイシア様が前線に出ている以上、某が止める道理など存在せぬよ」


 タナフォスからの許可をもらったデルフは後ろにいたアリルに目を向ける。


「アリル、ウラノ!」

「はい!」

「ハッ!」


 アリルが返事すると同時にウラノも跪いた状態でアリルの横に現われた。


「行くぞ」


 デルフたちは動きを開始する。




 到着した後、サロク、ナーシャとフレイシア、ウラノとアリルに全身鎧の騎士一人ずつを相手にしてもらうことになった。


 サロクからは自分が二人を相手にしていいと言われたがデルフの方から断った。


 相手は未知数の敵であり自分ならば何かされる前に対処することができると判断したからだ。


 サロクが騎士の一人を蹴飛ばし場所を変えナーシャたちとウラノたちが移動すると同時に一人ずつ騎士たちが追いかけていく。


 この場に残ったのはデルフと騎士二人のみになった。


「上手く分かれることはできたか」


 これで各々の戦闘の余波が迫ることはない。


 デルフは目前の踊り狂ったように走ってくる二人の全身鎧を見る。


 既に二人とも剣を引き抜いているが持ち方が不格好でただ振り回しているだけにも見える。


「リラ、いけるか?」

『いつでもじゃ』

「いつも通り魔力の制御は任せるぞ」


 右手に魔力を込め左手には黒の刀身の短刀となったルーを握りしめる。


 そして、デルフは動き始めた。


 真っ直ぐ進んでいくデルフは右手に込めた魔力を地面に解き放つ。


 地面に触れた魔力は黒い靄を爆発するようにデルフの姿を隠して霧散していく。

 その靄に隠れるようにデルフは移動し二人の背後を取ることに成功する。


 そして、片方の騎士の背中に向けて短刀を突き出す。


 だが、全身鎧の騎士の両名は首を百八十度回転させて振り向いてきた。


(人間じゃ……ないのか!?)


 動揺で自分の動きに支障が生じて突きの速度が鈍ってしまった。

 その一瞬の隙に騎士に短刀を掴まれてしまう。


 すぐさまデルフは“死の予感”を発動させるようにルーに命じる。


 だが、騎士たちは何の痛痒も感じておらず握りっぱなしのままだ。


(恐怖を感じない?)


 そのとき騎士たちの声がデルフの耳に入ってくる。


「ああ……が、うう……うあ……」


 言葉というよりも呻き声にしか聞こえない。

 デルフは自分で一つの推測を導きだしたにもかかわらず背筋が寒くなった。


「まさか……」


 デルフは目を凝らして騎士たちの姿を見澄ます。


 全体的に途轍もない魔力を纏っていた。


 騎士たちの平均を軽く超えるほどの魔力量だ。

 だが、デルフが注目したのはそれではない。


 騎士たちの心臓部に大きさは小石程度の強い輝きが見えた。


 しかし、輝きとはいえその色はどす黒く気分が悪くなるほどだ。

 その光は不気味な形をしている。


 デルフは自分の推測がほぼ間違っていないことを確信した。


「ウェルムなら確かに躊躇はしないだろう……。だが、ここまでするか!」


 なぜデルフが気付くことができたのか。


 それはデルフが騎士団に所属していたとき動物が魔物になった由縁について報告を受けていた。


 実際それは隊長にも知らされておらず副団長となって初めて知り団長だったハルザードに見せてもらえた。


 それは“悪魔の心臓デモンズハート”と呼ばれる蜘蛛の形をした魔力の精製器だ。


 動物の心臓に寄生するように纏わり付き本来ならば魔力を持つことのない動物に魔力を与えてしまう。

 その効果は魔物の強さを見れば明らかだ。


 この騎士たちの心臓部からそれと同じような形の光が灯っている。

 デルフの目でなければ分からないがこれは“悪魔の心臓”と断定できる。


「考えてもいなかった……。あれを人に取り付ければどうなるんだ……」


 返ってくるはずのない返答は意外にもその二人の騎士たちの後ろからあった。


「自我がなくなる代わりに努力では得られない力を手に入れた者たち。“強化兵”。僕たちはそう呼んでいますよ」


 デルフが強化兵から距離を取り改めてその声の主に目を向ける。


 鎧を装着しており騎士であることは分かるが見たことがない。


(いや、どこか見覚えが……)


 しかし、思い出せなかった。


「覚えていないならそれで構いませんよ。改めて自己紹介を。天騎十聖の一人であるラングートと申します。以後お見知りおきを」


 その言葉でデルフもようやく思い出した。


「ラングート……アリルにやられた貴族の騎士だったな……」


 デルフの呟きにラングートは明らかに雰囲気を変えた。


「ああ、そうだ! あの平民の分際で僕に盾突き、ましてや嘲笑うかのように僕の命まで奪ったんだ!! あいつは! 許せるものか! 絶対にこの手で殺してやる!!」


 そう言って戦いの最中であるアリルに目を向けた。

 今、見せていた怒りを収めてクスクスと笑みを浮かべている。


「まさか、この場に居てくれるとはね。ウェルム様からはフレイシアの奪還を先程申しつけられましたが後からでもいいでしょう」


 やはり早速手を打ってきたかとデルフは考えるが一つ気になることがあった。


「ウェルム様だと?」


 数える程しか話したことはないがラングートの性格上、ここまでの尊敬心を抱くのは疑問だった。


「ええ、当然ですよ。死んだ僕を蘇りさせてもらい僕の能力を完璧に見極め新たな力まで授けてくれましたのです。あの方こそ僕の主に相応しい御方だ。では、この辺で」


 それだけ言ってラングートは立ち去ろうとする。


「待て、一人でのこのこ出てきて逃がすとでも思っているのか?」

「一人? ふふ、あなたは警戒するように強く言われているのでそんな失態をさらすわけがないじゃないですか。あなたにはきちんと相手を用意しておりますよ」

「相手?」


 デルフはラングートの前にいる強化兵の二人をみる。


 この二人ではデルフにとって足止めにもならないがと考えるがラングートにはその考えに至ることはお見通しだったようだ。


「もう少し視野を広げたらどうですか?」


 すると、上空から三つ大きな塊が落ちてきた。

 いや、それは白く巨大な狼たちだった。


「ウェルム様から聞いていましたがあなたは狼に古傷があるようですね」


 デルフは昔の古傷を突かれ苛つき怒りがふつふつと湧き上がる。


「なんだと?」

「精々相手してやってください」

「嘗めるなよ。お前を殺してからゆっくりと相手してやるよ」

「別に構いませんがそのときはフテイルが終わると思った方がいいですよ」


 デルフは気付く。


 本陣には碌な戦力は残っておらずこの巨狼たちに攻められると一溜まりもないだろう。


 現に巨狼たちは本陣に目を向けている。

 もはやデルフに選択肢はなかった。


 巨狼たちの相手を自分に引きつけて速攻で叩くしかない。


(一瞬で片付けてやる!)

『デルフ! まだ来るぞ!』


 巨狼だけではなかった。


 巨狼の後ろから有象無象の魔物の大軍がデルフ一人のみに対して迫ってきていた。


 主に魔物化して岩を纏っている槍ボアや黒猿などが大部分占めている。

 中には見たこともない魔物もいるが先に見た河馬や獅子よりは警戒に値しない。


 それでもこの数はデルフも時間がかかってしまう。


「あなたは数に弱いと聞いています。これでも足止めにしかならないでしょうが今はそれでいいでしょう。僕の任務に支障がなければいいのですから」

「待て!!」


 だが、ラングートと向かうと同時に魔物に襲われデルフは身動きができない。

 そうしている間にもラングートは去ってしまった。


『デルフ、今は前に集中するのじゃ!』

「分かってる!」


 フテイルの武将たちが戦っていた魔物とはまた別の部隊でフテイル軍も魔物の対処に追われている。


「援軍か。対応が早いな!」


 デルフに襲いかかった魔物は一人で対処するしかない。


『さっさとやるのじゃ。決して後ろに行かせてはならんぞ』

「ああ、どうせ俺が狙いだ!」


 そうしてデルフは約数百に及ぶ魔物の群れに飛び込んでいく。

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