第8章 一時休戦

第101話 逃亡先

 

「あそこじゃ」


 リラルスの声により速度を緩めるウラノとナーシャ。


 途中から雨が降り注ぎ、当然傘などあるはずがなく四人はびしょ濡れになっていた。


 休まずに走り続けたはずなのだが二人はそれほど疲れた様子をしていない。


 ただでさえ雨で泥濘ぬかるんだ地面で少しずつ体力を奪い続けていたのに。

 いや、身体に震えがあることから確かに疲れは頂点に達しているはず。


 つまり、身体は音を上げているがそれに脳が気が付いていない状態なのだろう。


(やはり、あの二人の犠牲が大きいか)


 リラルスは走っている最中にウラノが突然涙を零したことを思い出す。


(どうやらあの二人の最後を見ておったらしいの。デルフの姉もそれに気付いて落ち込んでいる。しかし、あの二人がいなければ逃げ切れなかったのも事実)


 リラルスは二人にかける言葉を思いつかなかった。


(ここは時間が解決してくれることを願うしかないのう)


 次にリラルスは寝かしつけるように身体と左手で腰を抱きかかえているフレイシアに目を向ける。

 安らかに眠っておりまだ起きる気配はなかった。


(強いのう。確かに腹を突き刺されたはずなのじゃが)


 その穏やかな表情を見るとあの大怪我が嘘みたいに思えてならなかった。


 ただリラルスも何もせずに走り続けたわけではない。

 自分の微細な魔力で慎重に止血を行っていた。


 しかし、それで安堵すること無く急ぎ治療を行わなければならない。


 目的の場所である元々リラルスが封印されていた祠の前につくと足を止める。


 そして、リラルスは石の扉に左手を突き出しグッと力を入れた。


 ギシギシと軋む音を鳴らして扉が開きリラルスは祠の中に入っていく。


(おっと、その前にじゃ)


 リラルスはフレイシアを抱きながら目を凝らして扉のある部分に手を近づけるとそこから文字の羅列が浮かび上がってきた。


(なけなしの魔力じゃが……)


 掌に魔力を集中させるとその文字は黒く染まり音も無く崩れ去った。


 それを確認したリラルスは改めて祠の中を眺める。


「もうここには二度と来ぬ! と思っていたのじゃが……戻ってきてしまったのう。人生とは何があるか分かったものではないの」


 約四百年もの間、この場所に閉じ込められていたリラルスにとってはトラウマでしかない場所だったがどうも懐かしく思ってしまう。


 デルフが過ごしてきた家の居間よりも少し広いぐらいかと思う祠の中は机と椅子が一つずつしかない。

 机の上には何も置かれていない。


 その机と椅子には苔が生えここを抜け出してから随分と時が経ったのだとリラルスは感慨深くなる。


「ここにいた間は随分と長い時を過ごしておったがデルフの中にいた間の時間はあっという間じゃった。……ん?」


 そのときリラルスはあることに気が付いた。


「この机、私がここから立ち去ったときは苔も何も生えておらんかった。四百年も経っているのにじゃ。しかし、数十年経っただけで苔が生えるとは……。なるほど、どうやら私を閉じ込めていた封印魔法は時を止めていたのじゃな……。時を止める……巫山戯た魔法じゃ」


 謎が解けたがそれと同時に新たな疑問も浮かび上がる。 


(……朧げにしか覚えておらんがあのときまだこんな頭のおかしい魔法を使う余力を残しておったとはのう)


 リラルスの懐から飛び出たルーは嬉しそうに走り回っている。


「あの、リラルスさん?」


 自分を疑問形で呼ぶ声が聞こえてリラルスは振り向くとナーシャとウラノがいた。


 どうして、ナーシャが戸惑いながら言葉をかけてくるのか。


 リラルスはすぐに気が付いた。


(そうか……説明がまだじゃったな)


 それもそのはず、今のリラルスの姿はデルフだからだ。

 中身も変わっているが一番は見た目の変化だろう。


 髪は伸びて黒く染まり、目は鷹のような鋭い目付きをして服装も黒いコートと随分と変わってしまっている。

 戸惑うのも無理はない。


「二人とももうよいのか?」


 リラルスはそう尋ねると二人とも迷いもなくこくりと頷いた。


「いろいろ聞きたいことがあるみたいじゃがもう少し待ってくれ。フレイシアの治療が先じゃ」

「そ、そうね」


 リラルスは抱えていたフレイシアを地面にゆっくりと寝かせて白のドレスの血が滲んで大きく裂けている箇所を破く。


(私の魔力じゃと傷つけかねんがそうも言ってられん)


 そして、治療を行おうとしたリラルスは目を剥き固まってしまった。


「ど、どうしたの? そんなに酷いの!?」


 リラルスが突然手を止めたことにナーシャは焦るがリラルスが首を振る。


「逆じゃ。完全に治っておる。むしろ本当に刺されたのか怪しいぐらいじゃ」


 その言葉にナーシャとウラノも驚く。


(あのファーストと呼ばれていたデルフの幼馴染みの攻撃で腹部を通り越して胸まで届きそうな大きさだったはず)


 現にフレイシアのドレスはそのように大きく裂けていた。


 そして、フレイシアの身体は血まみれになっているがそれは見た目だけで血を払ってみると傷跡すらない。


 リラルスは頭の中で思案をするが何も思いつくことがなく匙を投げる。


「分からん! まぁ、無事じゃからよしとしよう。うん」


 リラルスは壁にもたれかかり腰を下ろす。

 そして、ようやく張り詰めていた緊張も解け大きく息を吐いた。


「さて、フレイシアの無事も確認できたことじゃ。何から聞きたい? と言っても私から教えられることは少ないが」


 ナーシャはフレイシアを優しく介抱し自分が着ていた上着を枕代わりにフレイシアの頭の下に置く。


「まずはデルフは無事なの?」

「殿は無事なのでしょうか!?」


 ナーシャとウラノが殆ど同時にそう言った。


「クス、ハハハハハハ。愉快愉快じゃ。これほど嬉しいことはない。このように面白いのはデルフぶりじゃ」


 突然、リラルスが笑い始めたので二人は目を丸くする。


「いや、なにデルフのことをそこまで思うとるなんての」

「当たり前よ! 私はデルフの姉なんですから! そこのフレイシアだって起きていれば真っ先にデルフのことを聞くはずよ」

「殿の命は小生も同然です!」


 リラルスは二人の言葉を聞いて微笑む。

 実際にはデルフが微笑んでいるように見えるがもはや二人にはデルフではなくリラルスに見えているような接し方だ。


「知っておったがこうして実際に言葉を交わせばもっとよく知ることができるのう。どうやらデルフは良い家族を持ったようじゃ」


 満足そうに頷いた後、神妙な顔付きになって口を開く。


「取り敢えず、デルフは無事じゃ」


 その言葉で二人の顔色はほっと息を吐いた。


「じゃが、いつ治るかは私でも分からん」

「ど、どういうこと?」


 リラルスはゆっくりと説明を始める。


「デルフが受けた魔法は精神、魂を破壊する魔法じゃ」

「それって……どういうこと?」


 ナーシャが首を傾げる。


「記憶がなくなることでしょうか?」


 ウラノが恐る恐るそう口にする。


「半分当たっているが半分は間違いじゃ。精神がなくなった物はいわゆる廃人になってしまう。成長しない赤子と言ったほうが分かりやすいかの」


 ナーシャとウラノは絶句する。


「その魔法は既に壊しておるが……それでも半分程度は犯されておった」

「そ、それで本当に無事なの?」

「ある程度は復元を試みるが完全にとはいかん。私の魔力の性質上、治療は苦手なのじゃ。もしかすると目覚めたデルフは少し前と変わっているかもしれん。……覚悟はしておいた方が良い」


 ナーシャは重く頷く。


「そして、もう一つ。復元は試みるが最後はデルフ本人次第になる」


 リラルスは言葉を続ける。


「今回の戦い。デルフには辛い戦いじゃった。デルフが受けた心の傷はあまりにも深い。そこから立ち直り前に進めるかどうかはデルフ自身にかかっている。どれだけ時間がかかるか、明日、一月、一年、もしかするとそれ以上……」


 それを聞いたナーシャはリラルスの予想を反して口元を釣り上げた。


「大丈夫よ。デルフだもの。あの子の気の強さには誰も絶対に敵わないわ」


 ウラノもその言葉に同調するように何回も頷いている。


「確かにのう〜」


 二人の揺るがない自信にリラルスもついつい笑みがこぼれる。


「それでリラルスさんはいつからデルフの身体に?」

「察しておると思うがデルフの村の悲劇からじゃ。知っての通り元々デルフは紋章を持っておってのう。その力によって私はデルフの中に取り込まれたのじゃ」

「けど、デルフって魔力がないはずじゃ……」

「あのときデルフを逃がすために私の魔力を渡したのじゃ。それほどの驚異が迫っておったからのう。デルフのやつは立ち向かっていったが……」


 リラルスは不満げにそうぶつぶつと呟く。


「私は逃げろと言ったが……与えられた力に溺れて向かっていき彼我の戦力差も見極められない愚か者じゃ。じゃが、あのときの背中は小さいながらも大きく見えたのう」


 そこで、リラルスは我に返りコホンと咳払いする。


「そ、それでじゃ。そこからはデルフの中で快適に楽しく過ごしていたが……今回の騒ぎによってそうもしておる場合じゃなくなっての。苦渋の思いで止めていた同化を進めてデルフの助けに入ったわけじゃ」


 そこでナーシャに疑問が過ぎる。


「なんで同化を止めていたの? 進めれば今みたいに出てこられたはずじゃ……」


 それを聞いたリラルスは少し複雑そうな表情をする。


「……私の力は危険なものじゃ。本来ならば人の身では耐えることのできない恐ろしい力。デルフにそれを背負わせたくなかった。じゃが、私の制御が甘かったせいで徐々に同化が進み今では常人とは程遠い身体能力になってしまったがの」

「どおりで……」


 ナーシャはようやくデルフの強さの秘密について知り息を漏らす。


「デルフには本当に悪いことをしてしまった。じゃが、もう後戻りはできない。ナーシャよ、そしてウラノ。デルフを最後まで見守ってやってくれ」


 リラルスは静かに頭を下げる。


 少し含みのある言い方をしたがナーシャとウラノは何も気にせず笑顔になる。


「もちろんよ。それにリラルスさんも見守るのよ」


 ウラノは言うに及ばない。


「そうじゃの。今思えば私が一番デルフに近いんじゃったの」


 ひとしきり笑い合った後、リラルスは二人の顔を交互に見て静かに礼を言った。


「ありがとう」と。




「さて、これぐらいが私が話せることじゃろうか」

「取り敢えず、フレイシアとデルフが起きるまではここが拠点になりそうね」


 ナーシャがいそいそと祠の中を掃除し始める。


(しかし、サムグロ王。やつは一体何者なのじゃ。その取り巻きもかなりの傑物たち。考えても謎が増えるばかりじゃ)

『私が全て説明しましょう』


 そのときリラルスの脳内に直接澄み渡った声が響いてきた。

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