第69話 広がる火種
ジャンハイブは本国への帰路の最中にあった。
谷の下を進んでいるため周りは見渡せない。
そんな中、ジャンハイブはダスク荒野での最後の出来事について思い出していた。
「ジャンハイブさん……。本当に良かったのですか?」
隣で馬に乗っているブエルがジャンハイブに質問する。
「あれは……危険だ。やろうと思えば俺たち全てを片付けることさえも余裕だっただろう……。あいつは何者なんだ?」
ジャンハイブはその人物の言葉を思い出す。
「撤退すれば命は助けよう。立ち向かうのであれば全員命を捨てて掛かってくるのじゃ……か。一人であの自信。しかし、あれは本気の目だった。それだけの力があいつにあるということだ。それに不確定な要素で計画が頓挫するのは堪らん。そうだろう?」
「はい。その通りです」
ブエルは目を閉じて自分の浅慮さに恥じながら頷く。
「しかし。王子は上手く動いてくれただろうか」
谷を抜け平野に差し掛かるとジャンハイブの軍勢の横から活気のない軍勢がゆっくりと行軍していた。
旗印はハルメーンのものだ。
「噂をすればだ。しかし、旗印があるな……」
「ええ。そうですね」
「仕方ないな。できればしたくはなかったが致し方ない。ブエル!」
「はい。分かっています」
ブエルの返事を聞いたジャンハイブは両手で頬を強く押し当てて気持ちを切り替えた後、一人でハルメーンの下に向かっていく。
近づくと兵たちは道をあけるがジャンハイブに向ける視線はかなり辛辣なものであった。
(……王子が負けたのは俺のせいだと
ジャンハイブはその視線を無視して馬から降りて堂々と歩き始める。
するとあの威勢の良かった雰囲気が微塵もなくなり下を向いて独り言を呟き意気消沈しているハルメーンの姿があった。
ジャンハイブは跪き頭を伏せる。
「王子、ジャンハイブでございます」
ジャンハイブの声を聞きぴくっと反応したのも束の間、真っ赤に染めた顔を素早く上げた。
目が血走り身体が震えている。
「ジャンハイブ!! お前のせいだ!! お前の!!」
ハルメーンが内から湧き出てくる怒りから息を荒くして言葉を詰まらせる。
「なぜ我が軍勢が負けるのだ!!」
ハルメーンは勢いよく立ち上がり跪いているジャンハイブに足蹴りをする。
ジャンハイブは防ぐことなくそれを我が身で受け倒れるが何事もなかったように姿勢を元に戻す。
「なんと父上にお詫びすれば良いものか!! す、全てお前の責任だ!」
ハルメーンはもう冷静とは対照的にかけ離れている。
すると、我を忘れ勢いのまま剣を抜いた。
周囲にいた兵たちは一瞬だけ目を見開いたがそれだけで何も言わずに見守る姿勢を貫いている。
(止めないか。……直轄の軍勢も腐っているな)
ジャンハイブはそれを見て大きく溜め息を吐いて立ち上がる。
「な、なに勝手に立ちあがっておるのだ!! 誰が許可をした! 無礼者が!!」
理性のなくなったハルメーンは勢いよく剣を振り下ろした。
だが、ジャンハイブは向かってきたその剣を片手で握りしめ受け止める。
紋章の力は発動していないため握りしめた手から血が流れ刀身を伝っていく。
ジャンハイブは痛みで顔が歪むことなくさらに剣を握りしめハルメーンを穏やかな視線で責めるように真っ直ぐ見詰める。
「な、なんだ! その目は! な……」
「私は王に見出されここまで成り上がることができました。深く感謝しております」
暖かな表情で答えているジャンハイブだがそのときその顔色が真っ暗に染まった。
「……王はお優しい御方だった。されど、見る影もなくお変わりになってしまった。どれだけ諫めても意味をなさず。あなたがここまで廃れていったことも私の力不足が原因です。このままではいずれボワールは滅びてしまう」
その言葉の意味が分からずにハルメーンは呆けているがジャンハイブは言葉を続ける。
「それを運命と受け入れることもできるでしょう。……しかし、民まで巻き込む必要はない」
ジャンハイブはハルメーンの持っている剣を力尽くで取り上げると片手を空に見せる。
その瞬間、掌中から小さな火の玉が打ち上がった。
「民を思う心のないあなたたちに国を治める王家たる資格なし。私はもうあなたたちには期待はしない。……ご安心を後のことは全て私にお任せあれ」
そして、ジャンハイブは目にも止まらぬ速度でハルメーンの腹に剣を突き刺した。
「がっ! ……な、にを」
「ハルメーン王子はデストリーネの奇襲を受け将兵共々討ち死。なにかおかしいことが?」
蹌踉めいて後ろに下がるハルメーンに淡々とジャンハイブはそう告げる。
その光景を見て周囲の兵は剣を抜きジャンハイブを取り囲む。
だが後方から馬が走る騒音が絶え間なく押し寄せてくる。
「ブエル! やれ!」
その一言でジャンハイブの軍勢がハルメーンの軍勢に襲いかかった。
デストリーネと戦争が始まる前はハルメーンの軍勢のほうがジャンハイブの軍勢より上回っていたが今では逆転している。
それに加えジャンハイブ直属の兵とのこともありその熟練度は並の兵士を上回っていた。
勝敗はもう揺るがない。
そもそもジャンハイブの準備は入念に仕込まれたものであるのでハルメーンにばれていない時点で揺るぎようもない。
ハルメーンは剣が腹に刺さったまま尻餅をつき怯えて手で地面を漕ぐようにゆっくりと後退っていくがそれを阻むように背中に大きな岩がぶつかった。
後ろに下がろうとしても岩がそれを邪魔する。
「もうあなたは必要ありません。今までありがとうございました」
ジャンハイブは右手を振り上げその手から鋭利な鱗を浮き上がらせる。
「ジャ、ジャン……ハイブ!! 貴様!! や、やめろ! 父上! た、たす……」
言葉が言い終わらないままジャンハイブの手刀がハルメーンの首下を一閃する。
目を見開いたままのハルメーンの首がゆっくりと胴体から外れて地面に転げ落ちる。
まだ意識があったのか分からなかったが口元が僅かに動きながら次第に目の色が暗くなった。
それと同時に辺りに散らばっていたハルメーンの兵士の悲鳴や断末魔が鳴り止み今回の戦いの全てが終わったことを告げた。
「ジャンハイブさん。終わりましたね」
「ああ。この戦いで王を支持する貴族は悉く死んだ。そして、本国に残っている貴族の殆どは既に俺たちの息が掛かっている。だが、油断はするな」
「?」
「誰が裏切るか分からんからな」
ジャンハイブは軽く笑う。
ブエルは気を引き締め重々しく頷く。
「これで晴れて裏切り者か。俺は楽には死ねないな」
「それなら僕たちも一緒ですよ」
ブエルの一言で周りのジャンハイブを昔から慕い続けている兵たちも同調する。
「王たちは許さないだろうが無駄死ににはさせん。精進しなければ。よし、戻るぞ本国へ。総仕上げだ」
薄い茶の長髪の少年がダスク荒野を素早く駆けていた。
少年は周囲に目を凝らし蟻一匹すら見逃さない目付きで探っていた。
周囲はデストリーネとボワールの兵士の死体が無数に散らばっておりこの戦争の凄惨さが鮮明に伝わってくる。
死体だけではなく息がある者もいる。
今、治療すれば助かるかもしれない。
だが、少年は構わずに走り続ける。
今回の目的はとある人物の身柄を生死かかわらず確実に確保することが任務だからだ。
別のことには目もくれる必要はない。
(おじじ様が仰っていた場所まではまだもう少し掛かりますか……)
そのとき走っている目の先に石が転げ落ちた。
何かと思い少年は立ち止まるともう一回、次は足に小石がぶつかる。
その方向に目を向けるとそこに小さなリスがいた。
リスは少年が自分に気が付いたと分かると走り始める。
少し進んだ後、再び少年に振り返る。
(付いてこいと言っているのですか? しかし、小生にそんなことしている暇はないのです)
少年はリスを無視して走り去ろうとするといきなり凄まじい殺気が襲ってきて思わず後ろに下がってしまう。
冷や汗を拭いさっきのリスが放ったものだとすぐに理解した。
「ただのリスではない? ……そう言えば、おじじ様の話でリスのことが出てきた気が……物は試しです」
少年は付いていくことにして走り出したリスの後を追う。
しばらく進み戦場から出た少し先で一人倒れている騎士を捉えた。
リスはその少年の前に着くと静かに佇み始めた。
少年は急いで移動するとそこには片腕のない騎士がうつ伏せに倒れている。
(見つけました。しかし、この怪我でここまで逃げることができたなんて)
身体を引きずってここまで来たのだろう。
地面を擦った跡がありその跡は赤黒い血で染まっている。
少年はその騎士を仰向けにして容態を確かめるがそれは見るまでもなかった。
「酷い傷。もう息はないですね」
騎士の傷は身体を斜めに一裂きされており赤黒く染まっていた。
少年は悔しそうに拳を握る。
「!? ……まだ生きている!?」
少年は騎士の左手がぴくりと少し動いたのを見逃さなかった。
「この傷で!? いや……」
少年は確かめるため傷に触れると血が止まっていた。
「傷が塞がっている? でも、急がないと!!」
少年はリスを手元に呼んでから懐にしまうと騎士を急いで負ぶさりさほど変わらない速度で来た道を引き返し始めた。
こうしてデストリーネとボワールとの戦いは一先ず終わりを迎えた。
しかし、双方共に被害は大きい。
そして、この戦いが引き金となり大戦で疲弊した大国を狙おうとそれまで鳴りを潜めていた各国に再び不穏な動きが多々見られるようになる。
デストリーネに訪れていた平和は完全に崩れ去ってしまった。
そう感じていた。
しかし、これから嵐の種になるのはデストリーネになると誰も思いもしていなかった。
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