第25話 リオンの冒険

 平原をしばらく歩いた先に、例の崖は存在していた。

 地面を真っ二つに裂いたような断崖絶壁。

 俺は幼少時に、一度この崖に訪れたことがある。


 その時は運良くコカトリスや他の魔物に襲われず無事に帰れたが、両親にめちゃくちゃ怒られたのを覚えている。


 父さんも母さんも死んでしまった今、俺がこの崖を探索しても叱ってくれる人はいない。

 それが少し、寂しかった。


「……寂寥感に浸ってる場合じゃないな」


 さて、花を探すとしよう。

 俺は崖を覗き込み、その深さに身震いした。

 底は見えているが、それでも落ちたら普通に死ぬレベルの深さだ。

 

 絵本の中の少女は、崖からせり出している足場を通って下へ下へと進んでいた。

 俺もそれにならい、崖のてっぺんに鈎付きのロープを引っ掛け、それを伝って足場へと降り立つ。

 足場の範囲は、ギリギリ大人一人が通れるぐらいにはある。

 だが強風が吹いたり飛行する魔物に襲われたりしたら、真っ逆さまに崖の下へと落ちてしまうだろう。


 用心しながら足場を進む。


「少女は本当にこんな場所を通ったのか……?」


 あの絵本がノンフィクションだとしたら、相当に肝が据わった少女である。

 俺は足を踏み外さないように、ゆっくりゆっくりと進んだ。

 足場は崖の下まで続いており、降りるにつれて低い風の音が聴こえてくる。

 奈落にいざなう亡者の声に聴こえなくもない。


 その風の音に混じって、ギャーギャーとしゃがれた魔物の鳴き声が耳に入った。


「クソ、サンダーバードだ」


 俺は舌打ちし、上空を見上げる。

 体長は成体の羊程度もある大きな鷹のような姿の魔物が、俺にめがけて滑空してきていた。

 即座に腰に差した鞘から長剣を引き抜き、サンダーバードの鋭利な鉤爪を受け止めて弾いた。

 だが奴の攻撃手段は鉤爪の一撃だけではない。


 サンダーバードは、その名の通り雷を放ってくる。

 頭上から降り注ぐ複数の雷撃に、俺はたまらず魔法障壁を張って防ぐ。

 

「戦いづらいにもほどがある……ッ!」


 ここが水平な草原ならまだしも、一歩踏み外せば転落する足場の上だ。

 本来ならばサンダーバード如きに遅れを取らないが、今だけは別だった。

 雷撃を防ぎ続けるが、魔法障壁は衝撃を全て消すことはできない。

 攻撃を受け続けるたびに反動が身体を襲い、足元がぐらついた。


 やがてサンダーバードは雷撃を放つと同時に、こちらへと真正面に突撃してくる。

 頭上からの雷撃を防ぐのに手一杯だったが、なんとか長剣でサンダーバードの巨体を防いだ。


「ぐ、おぉッ、まずいッ!」


 衝撃で足を踏み外した俺は、足場から転落する。

 背中から地面に真っ逆さまに落ちていく俺は、両手に魔法障壁を張った。

 そして身体を力任せに捻り、崖の壁面に手のひらを張り付ける。

 魔法障壁は突き出している岩に衝突し続け、俺の落下スピードをいくらか緩和してくれるが、それだけでは足りない。


「ちくしょうッ」


 俺は意を決して、身体の背面を覆うように魔法障壁を展開。

 そしてついに、身体が地面へと激突する。

 瞬間、砕け散る魔法障壁。


「がはッ……!」


 落下の衝撃で肺の空気を吐き出した俺は、ごろごろと転がり、身体を幾度も地面に打ち付けた。


「痛いな……クソ……」


 骨はなんとか折れずに済んだが、多数の打撲と擦り傷で全身が痛んだ。

 よろよろと立ち上がった俺は、右手に癒やしの魔力を纏わせて、怪我した箇所を撫でるように治癒する。

 痛みがすっと引いていくのを感じながら、上を見上げれば、円を描いて飛び回っているサンダーバードが見えた。


 どうやらもう俺に興味を失ったらしく、追撃はしてこない。


「まったく、人騒がせなクソ鳥め」


 これからどうしよう。

 周囲を見渡してみれば、一応道は続いている。

 だが崖の底の先を通ったからと言って、地上に出られるとは考えづらかった。

 

「……ん、なんだこれは」


 ふと崖の壁面に、赤い矢印が描かれていることに気付いた。

 その矢印はまるで俺を導くかのように、点々と続いている。

 これは誰が残したものなのか。

 べったりと濃く塗られた赤色からして、これは恐らく血液で描かれたものだ。

 よく見れば、地面にも乾いた血が付着している。


「この血の乾きからして、相当昔に描かれたものだな」


 とりあえず、この血の矢印が示す方向に歩いていく。

 辺りは薄暗く、時おり魔物の咆哮が聴こえた。

 そういえば、ここら周辺にはコカトリスが巣食っているのだ。


「いよいよもってピンチだな」


 独り言を呟き、俺は先に進む。

 しばらく歩けば、前方が明るくなってきた。何やら青白い光が差し込んでいるのだ。

 血で描かれた矢印はここで途切れてしまっている。


「この先には何があるのか……見せてもらおう」


 俺は光に向かって突き進んだ。


 そして、俺が目の当たりにしたのは。


 ――とてつもなく広大な、地下空洞だった。

 そこはあまりにも広く、その上、見たこともない巨大なキノコや山菜のような植物が建物のようにそびえ立っている。それらは青白く発光しており、周りにも淡い光がぽつぽつと浮かび上がっていた。


 地面のほとんどは苔で覆われており、一歩進むたびに柔らかな弾力が足裏を通して伝わってくる。


「なんだここは……?」


 まさか崖の先にこんな空間があったなんて。

 俺は目の前の光景に、ただひたすら圧倒されていた。


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