第27話「隠れた気持ち」※遥

 私は愛香ちゃんとファミレスでお話しした帰り、その足で美里ちゃんちに向かう。


 美里ちゃんが玄関で出迎えてくれた。

 すがるように私は美里ちゃんに抱きつく。美里ちゃんは私の頭を優しく撫でてくれた。


 美里ちゃんの部屋に入り、ベッドに座るのはいつもの定位置。壁にもたれて膝を抱え、美里ちゃんも私のすぐ横に座った。


「お姉様から話聞いてきたんでしょ?」


「うん……」


 愛香ちゃんには、美里ちゃんになら修ちゃんの病気のことを話していいって言ってたから、それを伝えることにした。


「修ちゃん……病気にかかってるって。解離性健忘っていう、精神障害なんだって」


「……そっかー、そういうことだったのね。なんか、ここ1ヶ月の横峯くんの様子を見てたから、に落ちたよ」


 美里ちゃんはすんなり受け入れていた。

 その後はもっと詳しく、修ちゃんのお父さんのこと、病気のこと、愛香ちゃんに言われたことを全部話した。


「じゃー、横峯くんは遥のことを全部忘れたわけじゃないんでしょ? ならなんとかなるって」


「そうかな……」


「それよりも問題なのは、遥の横峯くんに対する態度だからね? 昔の遥は横峯くんに対してデレしかなかったのに、慣れないことするから変な失言すんのよー」


「あぅ……」


 修ちゃんがツンデレ大好きっていうから少しずつ頑張ったけど、やっぱりいっぱい失敗しちゃった。失敗しちゃったときはすぐに謝ってたけど、あの日はそんな余裕もなかった。


 その時、美里ちゃんのスマホから聞き慣れたアプリの通知音が鳴った。


「あれ、お姉様からだ」


 美里ちゃんは愛香ちゃんからのメッセージを確認すると、私に質問してくる。


「ねー遥、中学生のときに横峯くんが『ツンデレが好き』っていう噂を聞いたのって、たしか渋谷くんからだったよね?」


「えーっと……覚えてない……そんな人いたかな?」


「はぁ……まぁそうよねー……だからお姉様は遥に訊かないで私に連絡してきたんだろうし。あんだけしつこく言い寄られてたのに、微塵も覚えられてない渋谷くんに少しだけ同情するよ」


「だってそんな人はいっぱいいて覚えてないよ……それに……私はまだ"あれ"を直せてないし……」


「そもそもそっちの"あれ"は遥が直す気なさそうだけどねー」


「だって修ちゃんがいるんだもん……」


 美里ちゃんは素速いフリック操作でメッセージを打ち始めた。


「遥から事情を聞きました。遥は覚えてないみたいですが、私の記憶では修司くんとそのとき同じクラスの渋谷くんだった気がします。それがどうかしましたか? っと」


 美里ちゃんは送る文面を口にしながらメッセージを送ったあと、何か悟った目をしていた。


「ねー遥……私いま嫌な予感しかしないんだけど……」


「え? なに? 怖いよ美里ちゃん……」


 そんな美里ちゃんの予感はすぐに当たることになる。

 また美里ちゃんのスマホが鳴った。タイミングからして、愛香ちゃんからの返信だろう。

 それを見た美里ちゃんは大きなため息をついた。


「ねー遥……横峯くんってツンデレ好きでもなんでもなかったみたいだよ」


「え!? で、でも私はちゃんと修ちゃんから聞いたんだよ!?」


「そのときにツンデレってどういう意味なのか、ちゃんと横峯くんに確認したの?」


「し……してない……かも……」


「でしょー? 遥……多分このタイミングで噂の出どころをお姉様が探ってるってことは、渋谷くんに騙されてたのよ。これから調べるけど、私の知る限りではこの噂を聞いたのは遥からだけだもん」


「で……でも、どうして修ちゃんはツンデレの意味を誤解してるの? 騙すにしても無理があると思うよ」


「んー、詳しいことはわからないけど、横峯くんってちょっと特殊な症状の記憶喪失でしょ? もしも“ツンデレっていう言葉の意味を喪失“してたりしたら、簡単に言葉の意味をすげ替えることはできそうじゃない? まーなんでツンデレなのかはわからないけどさー」


 じゃあ……じゃあ……私が今までやってたのは、一体何だったの?

 ただ修ちゃんを傷つけて、悲しい思いをさせて……私は……。


 涙が溢れ出てくる。

 愛香ちゃんに頑張ってって言われて、もう泣かないって思ってた。なのに修ちゃんの心の痛みを考えると耐えられなかった。

 そんな私を美里ちゃんは優しく肩に抱き寄せて、背中をさすってくれる。


「はいはい、よしよし。まー遥だけの責任でもないよ。私も人の性癖に触れるのはよくないと思って、横峯くんには訊かなかったからさー。お姉様に内緒って言うくらいのことだから訊き辛いのもあったけど、無理してでも訊くべきだったよ」


「……ううん、美里ちゃんは何にも悪くない……全部私のせい……もっとちゃんと確認してればこんなことにならなかった……」


 あのとき、もっと冷静になって状況を判断できていれば……。

 なぜか騙されたことへの怒りはなかった。それは自分の不甲斐なさが勝ったからなのかもしれない。

 ただ、一つ心配なことが頭に浮かんだ。


「そ、そしたらその渋谷くん? は修ちゃんの病気のこと知ってるってこと? どうしよう、みんなに知られたら修ちゃんかわいそうだよ」


「んー、大丈夫でしょ。お姉様が知った以上なんとかするって」


「そ……そうだよね」


 そう言われると、それに関しては本当に何も心配いらないように思えた。


「渋谷くんのことはお姉様に任せて、今は横峯くんのことに集中しなきゃ。遥、もう気付いてるんでしょ? ひまりのこと」


「うん……」


 修ちゃんの隣の席の花菱ひまりちゃん。

 お昼と部活は私たちのところにくるけど、それ以外の学校生活はずっと修ちゃんと一緒にいる。

 もうなんとなく気づいた。

 ひまりちゃんは……修ちゃんが好きなんだって。


「このまま横峯くんの病気が治らなかったら、ひまりに取られちゃうよ?」


 まだ1週間も経ってないけど、ひまりちゃんはとってもいい子だってわかった。

 こんな私よりも、修ちゃんを幸せにしてくれるんじゃないか。そんなすぐに答えの出ない思考の渦にまれていると、美里ちゃんが私を呼び戻した。


「ねー、遥」


 美里ちゃんは少し声のトーンを落とす。

 こういうときの美里ちゃんは真面目なことしか言わないのを、私は知っている。

 私は美里ちゃんの力強い目を見た。


「遥がいらないなら、修司・・くんは私がもらうから」


 すぐに言葉が出て来なかった。

 これはいつもの弄りでもからかいでもない。ここで何も言い返さなかったら、それが現実になってしまう気さえ感じさせる。

 私は絞り出した小さな言葉を、美里ちゃんへぶつけた。


「だめ……」


「ん?」


「だめー!」


 こんな言い方は一度だってしたことがなかった。まるで口撃のよう。

 だけど、美里ちゃんは微笑んで私の頭を撫でてくる。

 ぶつけた言葉を包み込むように。

 さっきまでの真剣な顔は、まるで幻だったみたい。


「じゃー、私に取られないように、頑張んないとねー」


「うん……」


 美里ちゃんが修ちゃんをどう思ってるのかなんて、考えたこともなかった。


 きっとさっきのは、私を勇気付けるための演技だったんだ。私はそう思うことにした。


だって、それ以上考えたらいまの関係が壊れてしまうような気がしたから……。

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