第29話「怖くないの」※遥

 4月14日──午前4時、自然と目が覚めた。


 久しぶりに熟睡した気がする。夜に泣かず眠れたのは1ヶ月ぶりだった。

 まだ美里ちゃんは寝ている。


 私は美里ちゃんの腕の中、あの日の思い出を振り返った──


 *****


 あれは私が幼稚園に入る前のこと。


 私はいつも、女の子と遊んでいた。

 男の子は何度も見かけたことがあるけど、一緒に遊んだことはなかった。


 幼稚園に入ったら、男の子がいっぱいいるよってお母さんに言われてた。


 男の子と女の子って、何が違うんだろう。

 そんな疑問を抱きながら、入園式を迎えた。


 お母さんが言ったとおり、幼稚園にはたくさんの男の子がいた。


 でも、私は少し怖かった。女の子としか遊んだことのない私は、まるで未知の生物を目の当たりにしているようだった。


 だからしばらく様子を見たくて、私は砂場で1人で遊んでいた。


 辺りを見る。まだ初日だから、私みたいに1人で遊んでいる女の子もいた。


 私がキョロキョロしていたからか、1人の男の子と目が合った。その子は私に近づいてくる。


 最初に何を言われるんだろうって身構えてると、男の子は突然、何も言わずに私の腕を掴んでどこかに連れて行こうとする。

 私は急に怖くなった。


 そのあとに男の子は何か言ってくるけど、その声は恐怖で全く耳に入って来なかった。


 するともう1人男の子が来て、空いているもう片方の腕を掴んでくる。


 どんどんどんどん、怖くなってくる。


 どうして、どうして何も聞かずにどこかに連れて行こうとするの?

 私はこの男の子たちを知らないのに……。


 男の子たちは私の腕を離したと思ったら、急に言い争いを始めた。


 怒っている顔がとっても怖かった。

 もう何も見たくない。


 私は膝を抱えてうずくまった。


 目をギュッとつむる。

 真っ暗になったその視界の中で、男の子たちの声だけが聞こえてくる。


 もう1人男の子が来たみたい。

 その男の子が来て、また言い争いの声が激しくなった。


 男の子はみんな、言い争いをするものなんだと思った。

 声が聞こえなくなったから、いま来た男の子はすぐにどこかへ行ったんだとわかった。


 また2人の男の子たちは言い争いを始める。

 バカとか死ねとか、汚い言葉で罵り合っている。

 怖い、怖い、怖いよ。


 しばらくして先生が来たみたい。


 先生は優しく諭すように、男の子たちに話しかけていた。


 男の子たちはごめんなさいって仲直りして、みんなで仲良く遊ぶって言っていた。

 でも、もう私はこの男の子たちと遊びたくないよ。


「だいじょーぶ?」


 そんな私に声が掛かる。

 この声は、最後に来た男の子だ。

 この男の子もきっと、私の腕を取ってどこかに連れて行こうとするんだ。


 勝手にそんなことを思って、自分の殻に閉じ籠った。


「はじめまして。ぼくと、おともだちになってください」


 そんな声が聞こえてくる。さっきの男の子の声。

 その男の子は、私をどこかに連れて行こうとはしなかった。優しくて、丁寧な言葉遣い。

 ちゃんと挨拶をして、お友達になろうとしてくれる。

 他の男の子たちとは全然違うと思った。


 私はその男の子が見たくなった。

 どんな顔をしてるんだろう。

 私は勇気を出して、恐怖を振り切るように勢いよく顔をあげた。


 私の目の前には、にっこりとした可愛い笑顔があった。

 怖くない、怖くないって思った。

 この男の子と、お友達になりたい。


「うん」


 私は自然と笑顔になった。


「ぼくは、よこみねしゅーじです」


「わたしは、かけがわはるかです」


 その日、私に唯一の男の子のお友達ができた。


 *****


 あの出会いを思い出すのは、これで何百回目になるんだろ。

 もう一生忘れることのない、大切な思い出。


 他の男の子は今でも怖い。


 少し話せるとしたら、修ちゃんと仲が良い、修ちゃんを大切にしてくれる男の子だけ。


 お母さんに言われたことがある。

 男性恐怖症かもしれないから、病院に連れて行こうかって。


 でも私にはどうでもよかった。

 修ちゃんがいれば、他の男の子と仲良くできなくてもいいって思ってたから。


 だからいまだに、修ちゃんと家族以外の男の子はどんな人なのか私はよく知らない。


 でも……それは失敗だったんだと思った。

 もしも私が他の男の子がどんな人で、どんなことをしたら好かれて、どんなことをしたら嫌われるのか。


 それがちゃんと理解できていたら、修ちゃんにあんなことしなかった。おかしいことに気づいたんだと思う。


 だから私もこのままじゃダメだ。

 変わらないとダメだ。


 修ちゃんのためにできること、もう一度ちゃんと考えようと思う。


 でも……もしも……もしも修ちゃんが私じゃない他の女の子を好きになって、それが修ちゃんにとって一番いいことだったとしても……私はやっぱり嫌になっちゃうんだと思う。


 これはわがままなのかなぁ。

 修ちゃんが幸せなのが一番って思ってる私の心は、嘘つきなのかなぁ。


 やっぱり、好き。


 修ちゃんが……大好き。

 誰にも渡したくないよ。


 私はなりたい。


 修ちゃんにとっての一番に。

 世界で一番、修ちゃんを幸せにできる女の子になりたい。


 でもその前に、修ちゃんにちゃんと謝ろうと思うの。


 病気のこと、気づいてあげられなくて、ごめんね。

 ちゃんと修ちゃんに確認しないで、変なこと言うようになって、ごめんね。

 いっぱい酷いこと言っちゃって、ごめんね。

 私のせいで酷いことされて、ごめんね。

 美味しくないご飯を食べさせて、ごめんね。


 いっぱいいっぱい、いっぱいいっぱい、ごめんね。


 修ちゃんはこんなダメな私を、許してくれるかなぁ。

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