第309話 悪鬼

「クククッ、いつ以来の人間界だろうか」


 どこかソワソワと浮かれた様子で、悪鬼ジュウベエ・ヤツセは独り言つ。


「これぞ魔界珍味の最高峰、その名もイソナデの塩漬け! 待っていろよナターシャ、その舌をグッと唸らせてやるからな!」


 小さな折詰を片手に、小気味よく雪駄を鳴らしながらウロウロ。どうやら折詰の中身は、魔界から持参したナターシャへのお土産らしい。よほどナターシャのことを気に入っているのだろう、まるで娘の気を引こうとする父親のようだ。


「だが先にウルリカ様と遊びたい……いや待てよ、イソナデの塩漬けは鮮度が命。ならばまずナターシャに土産を届け、その後でウルリカ様と一緒に遊ぶべきか?」


 頭の中はウルリカ様とナターシャのことばかり、それにしても先ほどから浮かれすぎである。


「いやいや、その前に敵を殲滅せねばな。華麗な剣技で敵を切り伏せ、ウルリカ様に褒めていただこう……と思っていたのだが、どういうつもりだ?」


 ソワソワ浮かれていたかと思いきや、一転して鋭利な視線を前方へ、短鞭を構える麗人へと向ける。


「あら、自己紹介をしていなかったわね。私はザナロワ、水の魔人ザナロワよ」


「貴様の名はどうでもいい、この氷はどういうつもりかと聞いている」


 足元に広がる、四方を囲む、頭上を覆う幾層もの氷。壮麗に凍てつく光景は、氷の宮殿と呼ぶにふさわしい。

 つまりジュウベエは氷に鎖されたまま、呑気に浮かれていたのである。


「こうして氷で覆っておけば、誰にも邪魔をされないでしょう?」


「邪魔な氷のせいで、ウルリカ様に俺の剣技をご覧いただけないではないか!」


 どこか噛みあわない会話を交わしながら、ザナロワはパシッと短鞭を一振り。数十頭もの氷の狼を召喚し、ジュウベエを襲えと嗾ける。


「あの小さな女の子、確かウルリカという名前だったかしら? それから貴方達も、まったく規格外の怪物よ」


「いやしかし、ウルリカ様はガレウスとやらを拉致して遠くへ飛んでいかれた。ならば氷は関係なしに、俺の剣技をご覧いただけない?」


「貴方達は明らかに私より格上……だからといってガレウス様に仇なす者を、見逃すわけにはいかないわ」


「それはそうとイソナデの塩漬けは傷みやすい、この氷は鮮度の維持に最適だな」


 土産物の鮮度を保てると、ジュウベエは嬉しそうにニヤリ。氷の狼にガブガブと噛まれているのだが、微塵も効いていないよう。

 一方のザナロワは攻撃の手を緩めない、幾本もの巨大な氷柱を、猛る激流をジュウベエへと浴びせる。


「とは言ったものの、実はガレウス様のためっていうのは建前なのよ。本当はただ、誰かに八つ当たりをしたいだけ……」


「おいおい水は止せ、ナターシャへの土産が濡れてしまうだろう!」


「可愛いリィアンが人間の味方をしちゃって……私はリィアンのことを大切に思っていたのよ、だからこそ苛立ちを覚えてしまうの。だから悪いわね、少し八つ当たりをさせてもらうわ」


「くっ……」


 大切な土産物を守らねばと、ジュウベエは慌てて刃を抜く。襲いくる氷塊と激流を、さらにはザナロワまでも真っ二つに。

 それはそうとジュウベエもザナロワも、お互い一方的に喋ってばかり。もはや独り言の応酬で、ほとんど会話が成立していない。


「……やっぱり攻撃方法は斬撃だったわね、見かけ通りで安心したわ」


「ほう、唐竹割りにしたはずだが?」


「私に物理攻撃は通用しない、もちろん斬撃も通じないわ」


「なるほど、水に化けて斬撃を受け流したか。いや、そんなことよりナターシャへの土産は無事か?」


「ふふっ、理解しているかしら? つまり貴方との一騎打なら、私は絶対に負けない!」


 ザナロワは再び短鞭を振るう、と同時に溶けながら氷の宮殿と一体化。壁や床、天井を無数の氷柱で埋め尽くし、包み込むようにジュウベエへと迫る。氷の宮殿そのものを操り、ジュウベエを押し潰そうとしているのだ。


「ふう、どうにか濡れてはいないようだ」


「一騎打ちなら絶対に負けはない、だからこそ誰にも邪魔されないよう氷で閉じ込めたのよ!」


「さて……ウルリカ様は遥か遠く、ナターシャ達の気配も感じない。外にいるのはヴァーミリアだけか、ならば巻き込んでも構わんな」


 今にも押し潰されかねない状況、にもかかわらずジュウベエは僅かも動じない。ただゆっくりと刀の柄に手をかけ──。


「鬼の太刀……奥義、修羅!」


 ──居合一閃、刹那の後に氷の宮殿はシャリシャリと音を立てて崩れ去る。驚くべきことにジュウベエは、刃の一振りで悉くを細断したのだ。

 氷の宮殿と一体化していたザナロワも、諸共に刻まれてすっかりバラバラ。水溜まりのような状態で、ひたすらチャプチャプと藻掻くばかり。


「おお、まるでかき氷だな。たっぷりと甘い蜜をかけて、ウルリカ様と食べたいものだ」


「ぐうぅ……体が……!?」


「そうだ、一つ教えておいてやろう。鬼の太刀は魔力を断つ、水に化けたところで受け流せはしない」


 どうやら魔力を断たれたことで、ザナロワは再生能力を失った模様。辛うじて生きてはいるが、もはや何も出来はしないだろう。


「俺を格上であると悟った時点で、大人しく逃げておくべきだったな」


「まさか……こんな……っ」


「しかしまだ生きているとは、思ったよりしぶといな。このまま細かく刻んで、どこまで生きていられるか試してみようか」


「ひいっ!?」


「いや、貴様は氷を作れるのだったな……よし」


 何を思ったかジュウベエは、動けないザナロワをザバッと掬い──。

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魔王様は学校にいきたい! ゆにこーん @bell_phe

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