第22話 メデューサの恋13
013
後日談。
僕は大学をサボって病院のとある一室に来ていた。
ドアの横のネームプレートには『夏目一樹』と書かれている。
――トントン。
「はい、どなたですか?」
ドアをノックすると、中から声が返ってきた。
「失礼します」
ドアを開けると夏目さんは病室のベッドの上に座っており、窓から入ってくる風が彼の髪をなびかせていた。
「えっと、はじめまして。僕は世餘野木匠といいます。あの……僕、石井さんの知り合いで、彼女に頼まれてお見舞いに来たんです」
「石井さんの!?」
石井という名前を聞くと、夏目さんは少し驚いたような顔をして僕を部屋の中に招き入れた。
夏目さんはベッドの横にあるイスに座るよう促し、さわやかな笑顔で笑う。特に根拠はないけれど、確かにあのメデューサが好きになりそうな明るい雰囲気の人だと、何となくそんなことを思った。
「この度は手術成功おめでとうございます。いつ頃見えるようになる予定なんですか?」
夏目さんの目にはまだ包帯が巻かれていて、それが手術の大きさを物語っていた。
「ありがとうございます。来週にはこの包帯も取れて徐々に光に慣らしていくと聞いています。医師の先生が言うには、一ヶ月もすれば完全に見えるようになるみたいです」
「そうですか。それはおめでとうございます」
夏目さんは落ち着いた口調で、
「それで――石井さんは今日来られてないんですか?」
ふと、思い出したように、しかしそれが彼の本当に聞きたいことであるかのように、夏目さんは切り出した。
「えっと……石井さんは……」
と、僕が答えられずにいると
「……やっぱりあの人はもう来ないんですね」
と夏目さんは悲しげな顔をした。
「――え?」
僕は言葉に詰まった。まったく予想していなかった返答だったからだ。
「世餘野木さん……あの人は、石井さんは誰だったんですか?」
静かに窓の外の方を向きながら、夏目さんは僕に尋ねる。
「まさか……知っていたんですか?」
彼女がメデューサだということを。
「何というか、初めて会ったときから不思議な雰囲気の人だと思っていました。何回か話すうちに気が付いたんです。『ああ、きっとこの人は人間じゃないんだな』って」
……そんな馬鹿な。
「それを知っていて、なのにずっと彼女と会っていたんですか?」
僕は驚きを隠せず、夏目さんに問う。
「ええ、僕にとって彼女が人間かどうかなんてどうでもよかったんです。どうせ姿なんて見ることができないんですからね」
そう言っておどける彼はどこか寂しそうだった。
「だから、心のどこかでは覚悟していたんです。僕の目が見えるようになってしまうと、石井さんはもう来てくれないんじゃないかって」
「……石井さんは」
「――?」
「石井さんは、夏目さんに出会えたことを心から感謝していました。夏目さんのおかげで救われたと、そう言っていました」
「そう、ですか……それは、むしろ僕の方なのにな」
夏目さんはまた窓の外の方を向きながら、ぽつりと誰に言うわけでもなく静かにつぶやいた。
夏の太陽が燦燦と降り注ぐ中、まだ光を知らない男と、夜の闇しか知らない僕は窓から入ってくる夏風に吹かれながら、もう会うことのできない美しいメデューサのことを思い返していた。
どんくさくて、腰が低くて、それでも――夏の太陽のように情熱的に誰かを愛したメデューサがいたことをきっと僕はこれからも思い出すことになるのだろう。
――あの、メデューサの恋を。
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