第21話 メデューサの恋12
012
「すいません、間に合わなくて」
男が去っていったあと、僕はメデューサに近づいて抱きかかえた。彼女が負っている傷はあまりに深く、もう完全に手遅れであることは一目瞭然だった。
「管理者さん……少しだけ、話し相手になってくれませんか? 最後に……誰かと話していたいんです」
「……わかりました」
メデューサは語り始めた。ゆっくりと――
「私は、寂しかった。ずっと一人で、誰とも心を通わせることのできない日々に、きっと絶望していた……。だから、そんなときに現れたあの人を私は好きになってしまった」
僕は何も言えなかった。ただただうわごとのように言葉を発するメデューサを眺めていることしかできなかった。
「正直に言えば、きっと誰でもよかったんです。そのくらい私は疲れていたから。多分、私があの時出会ったのが夏目さんでなくても、あのとき優しい言葉をかけてくれた人のことを私は好きになっていたでしょう。だから、きっと夏目さんとの出会いは運命や必然なんかじゃなく、ただの偶然で、言うなれば運命のいたずらなんです」
「そんなこと……」
『ないです』と続けるべきだった。死にゆくメデューサのことを思うのならば、きっとそうやって励ますべきだった。しかし、僕にはその先を続けることができなかった。だって、それは僕や橘が今もなお心のどこかで抱えている悩みだったから。
「ずっと考えていたんです、生きている意味を。私の……生きている意味って何なんだろうって……。そんなことを、ずっと……ずっと、考えていました」
「…………」
「私に向き合ってくれる誰かを、石に変えてしまうことしかできない私が……こんな風に誰とも心を通わせることのできない私が――生きている意味はあるのかって。ずっと考えていたんです」
穏やかな表情だった。不謹慎だけれど、自分もこんな風に穏やかに最期を迎えたいと思うくらい、メデューサは清々しく、自分の中で明確な答えを見つけているようだった。
「でも、気が付いたんです。きっとそんなものはいらないんだって。生きる意味なんて、そんなもの必要なかったんです。だって――最後の瞬間がこんなにも満たされているんですから」
メデューサは首だけを少し動かして、空を見上げた。つられて僕も上を向くと、満天の星空が広がっていた。
「私、幸せだった。誰かを愛することができたから。本気で誰かを好きになることができたから。運命のいたずらであってもかまわない。私は、あのとき出会ってくれたのが夏目さんであってくれて本当に良かった。他の誰でもない、夏目一樹という一人の人間を本気で愛することができて――私は、幸せだった」
メデューサは微笑んだ。
そこに自分の人生を悲観するような色は全くなかった。自分の人生に満足し、美しく微笑んだまま、彼女は星空へ召されるように静かに息をひきとった。
僕はそっとメデューサの瞳を閉じた。
もう彼女は二度と目を開けることはない。誰かを石にすることも、あの美しい瞳を見ることもできない――僕はそれが少しだけ心残りだった。
◇◇◇◇◇
「お帰りなさい」
少しだけホッとしたような表情で橘は僕の帰りを迎えてくれた。
「ごはんにする? お風呂にする? それともわた……」
「なぁ橘」
僕は不意に彼女の名前を呼ぶ。
「――? どうしたんですか?」
「……ありがとうな」
そう言って僕は彼女に微笑んだ。
上手く笑えているかどうかはわからない。ひょっとしたら少し涙ぐんでいたかもしれない。それでも――
「ええ、どういたしまして」
と、そうやって笑う彼女と僕はもう少しだけ一緒にいることができる。それが――たまらなく嬉しかった。
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