第435話 頻脈が治った

令和3年8月24日 火曜日

先週から脈拍が正常だ。約60。リフレックスで頻脈が治ったようだ。ただし、不整脈は治らない。

昨日は「激動の10年を振り返る」を書いた。「狂った季節」の第19話だ。

今日は無一文。ただし、チロルチョコとうまい棒を買うお金はあった。


10年前。2011年2月20日付けで俺はアサヒビール株式会社を早期定年退職した。そして、311が起きた。この時の俺は、単身赴任の延長で、神戸の実家に住んでいた。妻子は東京。俺は関西が長く、4月に研究所を立ち上げた。白井京月の名前で「ロバート劇場」という詩集を出版。10年を振り返るか。病状のことになるな。5月、淡路島に旅行。あまりに体調が悪く、人生最後と、6月は毎日、麻雀をした。7月には大学病院の教授=主治医から、精神科としては寛解の診断がくだる。そこから不眠になり躁転。M病院に2ケ月入院。誤算だった。


2012年。駅前にマンションを借りる。大学病院に戻って減薬するも、感情の平板化が治らない。障害年金欲しさに、M病院に戻ってしまった。「実録・躁うつ病」というブログを開設。仕事は諦めろと言われた。


2013年1月、S医院に転院。一転、再起を目指せと言われる。7月は東京のホテルに缶詰めになり、コンサルの仕事をする。秋、糖尿病で緊急入院。


2014年。大手印刷会社の子会社との委託契約がまとまりかけていた。しかし、7月に白紙に。経済的に追い詰められていた。「次世代文明の誕生」を出版。その後、妄想が出て警察に保護され、T病院に4ケ月入院。入院中に離婚。


2015年。退院後すぐに転居。生活保護と自己破産が視野に入っていた。3月、自己破産の手続き開始。7月債務免除に。S医院の院長にに働けと言われ、就労継続支援B型に通い出す。俺は、あまりにも精神病世界に無知だった。地域活動支援センターに通所。10月MK医院に転院。治療方針が180度変わった。


2016年。3月に躁転。この頃から頻脈発作に悩まされる。転倒骨折。2週間の車椅子生活。B型をやめる。地活は出入禁止になる。


2017年。ブログのオフ会や、高校将棋部のOB会、川柳の会などに行く。8月から、別の地活へ通所。同病の仲間ができる。11月、生活保護に。心臓病検査入院。


2018年4月、激しく躁転。お金が無くなる。H診療所に転院。社協の金銭管理代行サービスと契約。無一文を経験する。


2019年、再びB型に通い出す。秋、躁転。Hメンタルクリニックに転院。


2020年、アルコール依存症で4日間入院。体幹機能障害で歩けなくなる。B型をやめる。父、逝去。


この間、ヘルパー事業所5ケ所、訪問看護3ケ所。


思うに、家族がしっかりしていなかったんだな。一人相撲と、ヤブ医者の連続。どん底まで転落したよ。年収1000万円から、時給100円に。無茶だ。


今は、生きてるだけで良しか。楽な身分になったもんだ。最近は頻脈が治った。リフレックスの効果だと思っている。あとは、周期的に来る体幹機能障害がどうなるかかな。それにしても、激動の10年だったな。もう、勘弁してよ。

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