第92話 悩み想いし夜☆



 ※



 手を伸ばしても、夜空の星に届きはしない。


 たとえ、とんなにそれを切実に欲しようとも、絶対に不可能な事は、小手先の手段でどうにかなるものではない。


 それでも人は、手を伸ばし続ける。あるいは、手に入らないと分かっているからこそ、手を伸ばすのをやめられないのか……。


 ゼンは、ベッドに仰向けに寝た状態から伸ばしていた手を降ろす。


 天井にすら届かない手。今の身体能力でなら、ただ立ち上がって跳躍すれば届くだろうが、ゼンの欲しい物は天井ではないのだから、その行動に意味はない。


「……はぁ」


 大きくため息をつき、昼間の迂闊な模擬試合の件を考える。


 失敗だった。もっとよく考えて、引き分けにもつれ込む様な、互角の戦いを演じるべきだった。


 ロナッファは、充分強かった。油断や対応の間違いで、勝敗は感嘆にひっくり返ったであろう。ほとんど手を抜く必要なく、それが出来たというのに……。


 リーランという前例がいて、その時にすぐ考えが及ばなかった未熟さ。前は想いを封じていた状態だから分からなかったが、ラルクの言う通り、彼女は剣や武の教えがどうの、等どうでもよく、いや、さすがにどうでもはいい過ぎか。


 ゼン自身と親しくなる事が目的だった、強者に従う獣人族の特性を、その時のゼンがちゃんと理解出来ていなかった故の不手際。


 引き分けになっていれば、お互いの健闘をたたえ合い、相手の矜持(プライド)を傷つける事無く、ツヨカッタナ、オマエモナー、とそれだけで終わったかもしれなかったのに。


 直前の、サリサから視線を逸らした罪悪感と落ち込みが、雑な試合展開となり、結果、あっさりと勝敗を決めてしまった。


 それは当然、サリサのせいなどではなく、一方的にゼンのせいだ。ゼンが悪い。


 自己嫌悪で悲しくなって来る。


 だが、そんな事で時間を無駄にしている訳にもいかない。


 そろそろ、従魔の初心者用教本、のような物を書かなければいけない。パラケスにでも丸投げしたいが、現場にいるゼンが書くべき、と言われてしまっている。


(面倒だな……)


 それはそれとして、最近の従魔達の事、西風旅団に同行した時の様子を聞きたい。本当は1回毎に聞ければ良かったのだが、この所疲れ気味で時間を取れなかった。


<ゾート、ボンガ、ガエイ。3人それぞれ一回以上は野外討伐任務の手伝いに行った訳だが、感想とか聞かせてくれないか?>


 ゾートは、今日行けていれば2回目だった。


<俺の感想は、悪くないね。リュウのあんちゃんとは気が合った。お互いの攻撃範囲が重ならない様に、結構上手く出来たと思う。


 休憩時間に手合わせもしたが、中々どうして。結構な強さだ。俺の角の大剣と互角に渡り合える魔剣も凄いが、それを手足のように扱えてるあれは、かなりの使い手になるだろうな。


 現状、細かな問題はあるようだが、主はそれを見越して考えている様だし、大丈夫だろう>


<ありがとう、ゾート>


<いや、周囲が優秀で、職が揃ってると手段が豊富で打てる手が多く、いいパーティーだよ、旅団は>


 ゾートの意見は期待以上のものがある。


 リュウは、『悪魔の壁 デモンズ・ウォール』の後半では、本当に魔剣の扱いに慣れ、“気”の上達具合も申し分ない。ゾートの話でもそれは保証されている。大剣の扱いは、ゼンよりもゾートの方が上だから、間違いの少ない目安になる。


<ボンガはどうだった?>


<俺、とっても、楽しかった。大槌使いはいなかったから、皆で新しい戦術考えたりしてくれて、皆いい人。俺、旅団の事、好きになったよ>


<良かった。そう言ってくれて、俺も嬉しいよ>


 気の優しいボンガは、旅団のメンバーと気が合うと思っていたが、そこは予想通りだった。


<大槌の戦術は、俺も考えておくよ>


<はい。あと、ゼン様……>


<なんだい?>


<サリサさんから、話がしたいから、時間を作れないか、伝えて欲しいて言われたん、ですが、前もって教えられた通り、今は時間が取れないから、後日に、と……>


<うん、それでいい。ありがとう>


<ああ、俺も言われてたんだ、悪ぃな>


 ソートの捕捉。


<そちらも、教えた通りに答えてくれたんだろ?>


<ああ、まあな……>


<なら、それでいいよ。この件では、すまないが意見はいらない>


<……嬢ちゃん、ちと無理して明るく振る舞っていて、痛々しかったぞ、主>


<……俺に!―――いや、いい。すまない……>


<差し出口だったかな。らしくない事言った、悪いな>


 従魔にまで気を遣わせて、俺は―――


<ガエイは……>


<我の方でも特に問題は。詳細は明日以降にでも。


 主殿、お疲れのところ申し訳ないのですが、ルフがぐずっておりますので、少し外で遊ばせてやってはいただけないでしょうか?>


<おー?>


<……分かった。ルフ、出ておいで>


 部屋の中に、ルフの幼くあどけない姿が現れる。


 ベッドに腰を下ろしていたゼンは、満面の笑みを浮かべて飛びついて来るルフを抱きとめる。


「ここ、主さまのおへや?」


「そうだよ。中からいつも見てるだろ?」


「中とお外からは、ちが~うよー?」


「そうかい?そうだな」


 ゼンは笑って、両脇の下に手を入れて、ルウを目線よりも高く持ち上げる。


「おー?るー、飛んでるみたいお?」


「そうだな。ルフならずぐに、自分の翼で飛び立てるようになるぞ」


 そのまま立ち上がって、部屋の中を飛んでいるみたいに移動してやる。


「すごいすごい!たかいお!」


 キャッキャと無邪気に喜ぶルウを見ていると癒される。ガエイは分かっていて、適当な理由をつけてルウを外に出すように言ったのだろう。その気遣いもありがたい。


 一通り部屋の中を遊覧飛行させたのち、ベッドへとルウを軟着陸させる。


「きゃー、落ちたおー!」


「落ちたんじゃなくて降りたんだよ」


 ベッドの上でバタバタ楽しそうにもがくルウ。ゼンもそばに腰かけて一休み。


 それを見てルフも、ちょこんとゼンの隣りに座る。


 にこにこ笑顔で何をしていても楽しいようだ。


「何か飲むか」


 ルフには、ポーチ内で氷の塊と一緒に入れてある牛乳を。自分には果実水を出す。


 そのままコップに牛乳を半分くらいの量を入れて手渡す。


「あ、暖めた方が良かったかな?」


「んーん。るー、つめたいのも好きだよー」


「ならいいかな」


 牛乳は料理用に先日買ったものだし、時間遅延のかかったポーチに収納してるので、そう簡単に悪くなったりはしないが、子供はお腹をこわしやすい。


 ……魔物だと、その常識も余りあてにはならないのだが。


「あのね、主さま」


 牛乳を力いっぱい飲んで(?)、口の周りを白くしたルウは、いかにも大事な秘密を話すぞ、と声をひそめて言う。ゼンの他には誰も部屋にいないのに。


「なにかな」


 ゼンはルフの口周りを手ぬぐいを出して拭いてやりながら聞く。


「るーね、おおきくなったら、一番に主さまのせて、おそら飛ぶから!」


「それは嬉しいな」


「やくそく、だおー?」


「うん、約束約束」


 実は、ルフとこの話は何度もしている。ルフは子供だからなのか、まさか鳥頭だから、とかではないと思うのだが、まだ物覚えが悪く、自分の言った事でもよく繰り返すのだ。


「ほかの、おそら飛ぶ、まものとかにも、のっちゃ、メーなんだからね?」


 あれ?そんな条件あったっけ、とゼンは凍り付く。すでにもう、フェルズに帰還する時に、竜騎士の飛竜に乗ってしまっているのだが……。


「そ、そうだね、わかったよ」


 あの時の事、ルフは覚えていないのだろうか。もしかしたら、見ていない?中で寝ていたのかもしれない。なにしろ、飛竜に乗っていたのは短時間で、ゼンも少し仮眠していた。


 うふふふふー、とご機嫌なルフに罪悪感を覚えるゼン。今回初めて出された条件でないのなら、むしろゼンの方が鳥頭で、大事な約束を覚えていなかった事になってしまう。


「……え-と、ルフ、何か甘いものでも食べようか?居間の方に作り置きあるし、行ってみようか」


「おー!甘いもの、るー、だいすきだお!」


「はいはい」


 ゼンは片手でルフを抱き上げ、自分の部屋を出る。


 屋敷の中には、前と違って使用人やメイドなどがいて、ゼンを見ると笑顔で頭を下げて来る。


 ゼン坊ちゃま、とか呼ばれるのはくすぐったいのだが、それも多少は慣れて来た。


 ルフの事を見知っている者もいるので、手を振っている者もいる。


 ルフは不思議そうにして手を振り返しているので、やっぱりちゃんと覚えていないようだ。


「よう、ゼン。ルフちゃんも一緒か」


「やだ、ゼン君。ルフちゃん出してくれるならすぐ言ってよ!」


 一緒に座ってお酒を飲んでいたらしいゴウセルとレフライアは、ゼンの姿を見て声をかけて来る。


 レフライアは特に、紹介してからはルフが大のお気に入りで、ちょっと甘やかし過ぎるので、余り出せなくなってしまっていた。


「ルフちゃん、こっちいらっしゃ~い」


 と声かけても、ルフは不思議そうな顔で警戒している。本当によく忘れる。


「ルフ、前にも教えただろう。俺の……お義母さん、だよ」


 まだそれなりに心理的な抵抗感のある言葉だ。


「おー、おかあさん、しってる!あったか、ぽかぽかなんだよ!」


「……そうだな」


 その身を挺して雛たちを護ろうとした強い母鳥の事が思い浮かぶ。ルフはまだ覚えているのだろうか?それは、いい事なのか、悪い事なのか……。


 レフライアの膝の上に座り、お菓子などを食べさせてもらってからようやく思い出したのか、おかあさんおかあさん、とご機嫌になる。


 レフライアもとろけてしまうのでは、と心配になるぐらいだらしない顔をしている。


 ゼンは二人の向かいに座る。


「あら、主様、ルフを外に出しているのですね。もう少しでお片付けが終わりますので、お部屋を伺おうと思っていましたのに」


 いかにも通りがかった、という顔をするリャンカは、二人で来てすぐ気が付いていたのに、職務優先で大急ぎで片づけを終えたのだ。


「蛇、邪魔ですの!ご主人様、これ、ミンシャの新作クッキーですの!自信作ですの!


 ルフも、お義父様、お義母様もどうぞですの!」


 横からミンシャがリャンカを押しのけて、昼間に作ったものらしいクッキーを皿に盛ってやって来た。


 ミンシャとリャンカのにらみ合いは、もう余りにも日常茶飯事なので誰も気にせずに、皿のクッキーに手を伸ばす。


「んー、美味しい。このほんのり甘くて、オレンジっぽい色は、カボチャを生地に練り込んだのかしら?」


 レフライアは自分でも食べながら、ルフにもクッキーを手ずから食べさせている。


「はいですの!」


「ミンシャも腕を上げてるなぁ。その内俺の方が教えて貰う事になりそうだな」


「そんな、ご主人様にはまだまだ全然及ばないですの……」


 ミンシャは身体をくねくね、尻尾はパタパタ、犬耳をピコピコせわしなく動かしながら、謙遜する。


「まったくもってその通り。お料理では主様が一番ですわ」


「事実でも、お前が言うな、ですの」


 またにらみ合う二人。


「どうせなら、夕食前にルフちゃん出してくれれば、一緒に食べれたのに、ねぇ?」


 クッキーをバリボリむさぼるルフに、同意を求めるレフライア。


 ルフは意味が分かってるんだかないんだか、ねー、と頷いている。


「……そうやって、際限なく食べさせるから、出せなくなったんじゃないですか」


 ゴウセルも、ただただ苦笑い。


 ルフは、育ち盛りだからなのか何なのか、やたらと際限なくよく食べる。人種(ひとしゅ)であるその身体のどこにその量が収まるのか、と不思議になるぐらいに。


 旅の間は普通にしか食べていなかったと思うのだが、レフライアが今のように、ルフに食べさせているのを見ていたら、まるで止まらず、なのにレフライアが食べさせるのをやめないので、その日の夜は、ゴッソリと作られた料理がなくなり、こんな事を続けさせていたら、食費で破産するのでは、と思えたぐらいだった。


 実際の話、今のゴウセル、レフライア、ゼンを合わせた収入で、破産などあり得る話ではないのだが、だからと言って、際限なく食べさせていい訳でもない。


 それからしばらく談笑した後、部屋に戻るゼンに、当然ルフはくっついて行く。レフライアが世にも悲しそうな顔をするのにも、ルフはバイバイと非情に手を振るのだった。


 おかあさんおかあさん、と言っても、主が至上なのは変えようのない事実なのだ。


 どうせなら結婚して、そのまま子供を産んでもいいのでは、とゼンは思うのだが、現役復帰の夢も捨て難いらしい。


「で、では主様」


「ご主人様」


 先を争って、就寝の挨拶をしようとする二人に、ゼンはふと気の迷いが出る。


「今日は久しぶりに、4人一緒に寝ようか?」


 しばらくの無言の間、ではなかった。ルフがゼンの腕の中で、わーい、いっしょいっしょと喜んでいたので。


「え?え~~~っ!そ、それは、主様、私は勿論常に準備万端用意周到、どんな時でも大丈夫なのですが、いきなり4人一緒なのは、とてもハードルが高く……」


「……ハッ!なに言い腐りやがるんですの!この淫乱蛇!だ、大丈夫ですの!あたしとルフとご主人様、三人仲良く寝るですの!でも、夜中に可愛いミンシャをご馳走になっても、それはそれでいいですの……モジモジ、ポッ」


「擬音口にしてる時点であざといんですよ!」


 またにらみ合う二人。不思議そうにそれを見るルフ。


「……旅の間だって、いくらでも一緒に寝ていた事あっただろうに、なんでそう騒ぐかな。


 いや、なんとなく、前を思い出して、そういう気になっただけだから、嫌ならいいよ。二人にはもうちゃんと部屋もあるん―――」


「いえ、是非に絶対にご一緒します!」


「寝間着取ってくるですの!蛇のは引き裂いて!」


 高い身体能力を無駄に駆使して走り出すミンシャと、それを追いかけるリャンカ。


「……にぎやかだねぇ」


 ねー、とルフと声を合わせる。


 その日は、さすがにベッドで四人は無理があったので、床に布団を敷き、四人川の字になって雑魚寝した。


 二人にはくれぐれも夜中、変な悪戯をしないように厳重注意して。


 二人の従魔の少女の想いは、従魔の忠誠の延長線上にあるのでは、とゼンは思うのだが、それでも何らかの形で、二人の想いにも応えられたら、と思うゼンは、自分を取り巻く周囲の現状認識が、まだまだ恐ろしく甘いのであった。












*******

オマケ


フェルズ獣人族の集いinギルドの食堂


ロ「さて、我等は、フォルゲン様のお守り、として将軍より遣わされたのだが、現状では彼は従魔研の研究棟に泊まり込み、という。どうしたらいいのだろうか?」

リ「困りましたね。兄さまを口実に来たと言うのに」

フ「おい、口実言うなや。それと、姐さん、様付けは勘弁してくれませんかね」

ロ「仕方あるまい。お主は、将軍のご子息。弟弟子であっても身分的には上だ」

フ「……いや、姐さんだって家は貴族で、家格的に様付けするのも変だと…」

ロ「些末な事を気にするな。だからゼンに負けるのだ」

ス「……あのー。何で私、ここに呼ばれているんでしょうか?それと、フォルゲンさんは、研究棟を出てもいいのですか?」

ロ「すまんな。そなたはゼンの関係者と聞き、彼の事を多少なりとも知るものとして、話を聞きたかったのだ。同じ獣人族のよしみとして」

フ「あ、俺は外出許可もらってるから。ここはギルド内だし、おかしな事ばらさなきゃいいんだとさ」

ス「はあ、なるほど」

(有名人に知り合いが出来ると、こういう弊害もあるのね…)

リ「で、スーリアさんは、師匠のパーティーの人が恋人と聞きまして、その成就の秘訣なんかも聞けたらいいなぁ、なんて」

ス「そ、そうですか…」

(うわあ、すごい獣王国的な、肉食グイグイ系が二人もとか、超速君、可哀想……)

獣王国出でもなんでもないスーリアは、困りながらもギルド職員として来賓に笑顔で対応したという……

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