第60話

 魔人は打ち倒せたものの、「平和になったことだし、これにて解散」とはいかなかった。

 戦闘を終えると、フィーは魔道具を使って紋章院に連絡を取った。「何でそんなところに連絡するのか?」と尋ねると「う~ん」と唸り、言葉を濁しながらも教えてくれた。紋章院の役目とは基本、貴族や王族の紋章が規定通りになっているかを精査するだけの、言ってしまえば閑職中の閑職なのだが、それはあくまでも表向きの顔なのだという。裏の顔は、俺の前世で言うところの諜報機関のような組織で、対魔人専門の特殊部隊が存在するそうだ。さっきフィー達が使った技は本来、紋章院の許可を得てから使用するのが規則となっているらしく、やむを得ず事後になってしまった場合は即時報告の義務があるのだそうだ。報告を怠れば国家反逆罪もあるとかなんとか。さて、紋章院に連絡を取ることわずか数分、速やかに代官の屋敷周辺は閉鎖された。

 そして今、俺は紋章院の方々に”誓約”という魔術をかけられている。この魔術は俺の知識に無いもので、効果としてはその名の通り、使用した相手に約束事を守らせる、というものだ。今回の場合は、『フィー達が使ったスキルではない技』、それと『魔人について』を一切他言しない、という内容だ。


 その場にいた全ての人間に、同じ内容を誓約させる魔術が施されていった。

 人間が対魔人の武力を備えていることを魔人側に察知されぬよう、それだけ厳重に警戒しているということだろう。誓約の魔術をかけられた面々は、そのまま代官の屋敷に軟禁された。俺達や冒険者ギルドのギルド長、手伝ってくれた騎士達や新人冒険者は、移動の自由は制限されるもののそれなりの扱いを受けているが、代官の手下どもやボルテク商会の人間は完全に罪人扱いで、新人が監禁されていた場所に押し込まれているらしい。

 その上で、1人1人事情聴取である。何が起きたかの詳細を訊かれていく。この事情聴取中は”誓約”の制限は受けないようで、魔人についても、フィー達の技についても全部話すことができた。しかし、皆の待っている部屋に戻ってそれらを話そうとすると、口から言葉が出てこない。話せないように魔術が身体へ強制的に働きかけているみたいで、少し不気味ではあるものの、この状態が続くのならば、うっかりミスや誘導尋問で漏らしてしまう恐れは無さそうだ。

 全員の証言を取り、その整合性が取れるまで拘束されて、結局1週間ほどの軟禁生活となった。他の人間が事情聴取を受けている間はとにかく暇だったので、一緒に軟禁されている人達と交友を深めた。その中でも、ギルド長の話は特に印象的であった。


「商業ギルドの規則の一つに『真の貴族には支援を惜しむべからず』とあるのですが、私は長年この規則について不思議に思っておりましてね。王都で商会に勤めている時に見た貴族は、権威を笠に着て、いばり散らすばかりでしたからな。命を懸けて『あれ』と戦おうなんて気概を感じさせてくれるものは、極めて少数でした。フィーリア様たちの成した事を聞き、ようやく合点がいきました。規則にわざわざ『真の貴族』と書いてあったのには、意味があったのだと……国のため、そして人類のために命掛けで戦う者達に、協力を惜しむな、ということだったのですな。」


 紋章院の方々からも、少し話を聞くことができた。それによると、フィー達が使った技を人間同士の争いで使う国が現れた場合、その国は『既に魔人によって洗脳された国』とみなされ、世界中が敵になるのだそうだ。今後、旅先でそのような情報を得たり兆候を感じたら、速やかに教えて欲しいとのこと。情報統制を行っている都合上、踏み込んだ事情を知る人間は少ない。このように、何かしらの都合で偶然知ってしまった”善意の第三者”を有効活用する方策なんだそうだ。


 何はともあれ、俺達のパーティはこうして1週間ほどで開放されたのだが、フィー達はまだのようでしばらく姿が見えなかった。

 そして更に1週間近く経過したある日。冒険者ギルドに立ち寄った俺達は、テーブル席に突っ伏しているフィーを発見した。


「おぉ、久しぶり。えらく長かったな。」「お久しぶりです、フィーさん。」


 そう俺達が声をかけると、フィーはガバっと起き上がり、恨みがましい目で見てきた。起き上がったフィーにマリユスは会釈をしている。


「半分シンクが悪い。」


「人聞きの悪いこと言うなよ。何があったんだ?」


「紋章院の事情聴取は、何度も何度も何度もなーんども同じような質問を、ちょっとずつ言葉を変えて行われたのよ。こんなに『あの技』の使用に対して厳しいとは思わなかった……。先祖代々の恨みつらみがあったから、機会があったら絶対に使ってやろうって思っていたけど、今後はちょっと躊躇しそう。……ほんのちょっとだけど。」


 フィーはあの技を使った時、確か『守りたいものを守れなかった先人達の苦しみ』と言っていた。魔人との戦いで、過去にどれほどの悲劇があったのか想像に難くない。信じて鍛えてきたスキルが一切通じず、愛するもの……そう、自分の子供だったり、恋人だったりを殺されたらと考えると、背筋が冷たくなるな。


「それと、『どうしてもあの技を使わなければ倒せなかったのか?』という質問に私は毎回引っかかってしまって、それで余計に長引いたの。」


「他に方法があったのか?」


 フィーは更にじとっとした目で見てきた。


「……『あれ』と戦ったのがシンクだったら、別に私達が『あの技』を使わなくても倒せたかも、って思ってしまったんだもの。実際、やりようによっては倒せるでしょ?」


 確かに倒せないこともなかったかもな。ラグさんにもけしかけられたが、それこそ”龍殺斬”が決まれば確実に倒せたと思う。決まれば、だけどな。


「う、うーん、何かごめんなさい? それで、俺のことは話したのか?」


「えぇ。普通にあの場にいた全員で戦っていれば倒せたかもしれない、って話をしたわよ。細かく説明はしなかったけどね。ルイス君がいたじゃない? 実は精霊術って『あいつら』に結構効くって話なのよね。だから紋章院もそれで納得してくれたわ。『あいつら』相手に確実性のない戦いを避けたのは、判断として間違っていなかった、ということになったわね。」


「へぇ、精霊術は有効なんですね。」


 ルイスが意外そうに声を上げる。俺だって、つい最近まで伝承の中の存在だと思い込んでいたから、魔人との戦闘で何が有効かなんて考えたことがなかった。色々研究されているんだな。


「そーいえば、他の2人はどうしたんだ?」


「今は、買出し中。……言っているそばから帰ってきたようね。」


 ノーネットとカッツェが合流し、事件から知り得た情報を6人で共有した。ことの顛末は紋章院経由で王族にも伝わり、公爵家による人事は再度見直されることになったそうだ。特にモンスター出現の報を握り潰していた騎士達には、魔人の関係者では、と嫌疑がかかっているようで、かなり厳しい調査が行われているらしい。周囲の者には魔人関連云々は伝わっていないため、『モンスターに対する対応が遅れた者は、王より非常に重い罰を受ける』という間違った認識が王国中の騎士団内に広まったのだが、結果として、アイルーン家で発生していた騎士派遣の遅延は一気に解決したのだという。

 事情を知る者からは「魔人の関係者では」と疑われ、知らない者からは「王の不興を買う」と咎められる。モンスター対応に関して、王国内が引き締まったようだ。


 そのような話をしていると、入り口から黄金の聖なる騎士団の連中が入ってきた。あの女の子も一緒だ。全員大荷物を持ち、姿がぼろぼろだな。向こうも俺達に気がついたようで、こちらのテーブルに向かってやってきた。


「確か、シンクだったな。調子はどうだ?」


 そうロドリクが聞いてきた。……ん?


「俺、自己紹介したっけ?」


「何を言っている。同期なら、名前くらい知っていて当たり前だろう。」


 な、何だと!? 確かに前世でも、同級生の名前を覚えるのは当たり前、という認識を持っている奴らはいた。意識高い系か! とか思っていたのだが、世間ではそれが普通っぽかった。こっちの世界でもそうなのか……。因みにだが、俺は普段話す奴以外は名前を一切覚えていなかったほうで、偶に向こうから話しかけられるとよく戸惑っていたな。

 モテたかったら忘れたらいけない、という話を聞いたことがある。確かに、名前を覚える労力すら惜しむような奴が、人に好かれることなんて無いよな。


「そ、それはそうと、お前達やけにぼろぼろだな。」


「うむ、ここ1ヶ月、近くの森に入って訓練をしていた。神聖術を使えるサーシャが加入したことにより、継続戦闘での安全性が格段に増したからな。」


「シンクさん、改めて、あの時はありがとうございました。」


 神聖術が得意な女の子……サーシャがそう言って、ぺこりと頭を下げた。


「いや、気にしないでくれ。それはそうと、1ヶ月街の外にいたのなら、事件の顛末は知らないよな?」


「顛末、ですか?」


「えっとだな……。」


 俺は事件のあらましを説明した。サーシャは当事者の1人だし、知る権利があるだろう。といっても魔人のことは話せないので、「代官とボルテク商会が組んで人身売買を企てていた」という、オープンになっている部分までを伝えた。


「で、では、あの時助けてもらわなかったら私も、モンスターに殺されたことになって監禁された挙句に、奴隷として売り飛ばされるところだったんですね。」


「まぁ、そうなるかな? でもあれだ。ここにいるフィー……リア様が全部解決してくれたから、もう大丈夫だ。捕まっていた人達も、全員無事に救出できたしね。」


「そうなんですね! フィーリア様、ありがとうございます!」


 尊敬の目でフィーを見るサーシャ。フィーはちょっと複雑そうな表情だ。嬉しいような、困っているような顔をしている。すると、ロドリクが突然手を叩いた。


「ふむ。それなら宴会だな。」


「うん? 宴会?」


「そうだ! 悪が滅び、正義が勝ったのだ。祝わないでどうする?」


「そうだよ! 宴会をしなくちゃ! 店はあたい達に任せておきな!」


「うむ、最高の舞台を用意してやろう。そう……」


「「「我ら黄金の聖なる騎士団に任せておけ!!!」」」 「任せてください……。」


 ロドリク、アデール、ラウノの3人がビシッとポーズをとり、続いて若干恥ずかしそうにポーズをとりながら、サーシャが小さい声で言った。恥ずかしそうではあるものの、動き自体の切れはいい。


「サーシャは……すっかり黄金の聖なる騎士団の一員だな。」


 俺は思わずそう呟いてしまった。


「毎日、朝昼晩に1回ずつやっているので……でも、まだ人前だと恥ずかしいです……。」


 どこか遠い目をしたサーシャが答えた。全員の荷物をロドリクが預かり、他の面々は店を押さえるために外に向かっていった。聞いてみると、荷物は全てモンスターからのドロップ品らしい。「まだマジックバッグを持っていないからな」と、若干恥ずかしそうにロドリクは言った。マジックバッグではないとはいえ、これは相当な量だ。4人分の荷物は重かろうと、俺達も運ぶのを手伝った。ギルドの受付のお姉さんもその量に驚いていた。袋から出されたドロップ品は、品種毎にしっかり管理と仕分けがなされていて、受付のお姉さんも感心していたくらいだ。レアものはそれほど無かったが、かなりの金額となった。1ヶ月という期間はあったものの、レベルが4~6のメンツにしては、ずいぶん効率良くモンスターと戦ったものだと思う。


「ほれ、この通り金の用意はできた。さぁ、店に行くぞ!」


 そうロドリクが声をかけてきた。何と、奢ってくれるつもりらしい。自分達がモンスターと戦って得た金を、他人の勝利の祝いにポンと出せるなんて凄いな。それこそレベル的に楽な戦いではなかった筈なのに、男気ある奴だな。すると、フィーが慌てて首を振る。


「ちょっと待ちなさい。それはあなた達が必死に1ヵ月稼いだお金でしょ? とっておきなさい。私達の勝利を祝ってくれるって話なら、私が出すわ。」


「英雄に金を出させるわけにはいかねぇよ。俺たちに任せておきな。」


「駄目よ。これは貴族としても譲れないわ。それに、今回の件は英雄を気取ったわけでもなんでもないの。自分達のミスを取り返しただけ。それで奢ってもらっては恥の上塗りよ。女の子に恥かかせないでよね。」


「……フッ、分かったぜ。店はこっちだ。ついて来な。」


 話はまとまり、店へ移動する。道中、俺はギルド長の話を思い出していた。守るために魔人と命掛けで戦う……か。フィー達は本当に良く戦った。あの技を身につけるのは、簡単なことではなかった筈だ。……支払いは俺が後でこっそりやっておこう。こういうのは出したもの勝ちなのだ。


 店の前に着くと、フィーは黄金の聖なる騎士団連中に風呂屋へ行くよう促した。まだ日も高いし、ぼろぼろの格好のままだ。特に女子は身綺麗にしたいことだろう。

 黄金の聖なる騎士団が戻ってくるのを待って、宴会が始まった。各々自由に飲み食いしている。俺はサーシャから近況を聞くことにした。


「黄金の聖なる騎士団に入ってみて、どうだった?」


 度数の低い果実酒にこわごわ口をつけていたサーシャが、突然目を輝かせる。


「皆さん凄いんですよ! 1ヶ月森にいましたけど、命の危険を感じたことはありませんでした。モンスターと戦う時は確実に先手打てるように準備して、倒し終わったあとは細かな反省会を行うんです。私も、どんなことでもいいので何かしら意見するよう求められて、最初は『怖かった』とかそんなことを言っていたんですけど……そこで『どうして怖いと思ったのか?』と質問されて。よくよく考えてみたら、私は安全な後方にいたし、本当に怖いと思うことは無かったな、って気づけたんです。そうしたら、次の戦闘ではもう少し全体を見ることができて、それを繰り返していくうちに、戦闘時にどう動いたらいいのか分かってきたんです。」


「反省会をやるのか、凄いね。」


「皆さんはたくさん意見を言い合っていて、『あの動きは初めて見る動きだった。何かの予備動作かもしれない』とか、『狙った打点より僅かにずれた。足場が思った以上にぬかるんでいたのが原因だ。安全を考えると、足場の確保のために一度下がったほうが良いかもしれない』とか。私は『怖かった』って一言しか出せなくて恥ずかしかったんですけど、『心の動きを把握するのも大事なことだ』って言ってくれて……。話し合いの時は、決して他人の意見を否定しないんですよ。『どんな行動でも考えでも、何かしら意味がある。否定すればそこで思考が止まり、発展が無い。』っていう話をされて、そこから私も、できるだけ発言しようって頑張れたんです。後で発言するぞ、って意識しながら戦闘していると、行動の一つ一つを自分でも凄く考えるようになって、それも戦闘時の動きを最適化してくれました。」


「沢山、話し合いの場を持つんだな。」


「何でも話し会う、っていうのも『個人の問題をチーム全体の問題として捉え、全員で解決策を探す』って方針かららしいです。個人の問題だから、って切り捨てると解決に繋がらないし、次第に他のメンバーの行動に気が回らなくなっていくんだそうです。そうなると失敗を責めるようになるらしくって、責めるのが普通になってしまうと、今度は小さな失敗を個人が隠すようになるんだとか。それがそのうちに取り返しのつかない事態を招いてしまうんだそうです。」


「人間はミスするものだからね。全員でフォローしないと、常勝不敗なんてできやしないだろう? あたし達『黄金の聖なる騎士団』は、人々を守るために立ち上がったんだ。負けるわけにはいかないのさ。」


 勢い良く2つ目のジョッキを空にしたアデールが、そう締めくくった。

 話に加わってきたアデールに、レベルの割に戦い慣れている理由を聞いた。アデールが言うには、村一番の知恵者と呼ばれたラウノの祖父から、いろいろ教えてもらっていたらしい。レベル上げよりも、チームワークや戦い方、モンスターの知識を覚えることなどを優先したのだそうだ。この度、安全に戦えるだけの知識と技術が身についたとお墨付きをもらい、晴れて冒険者になるべく登録しに来た、ということだったらしい。

 一方、フィー達は周囲にせがまれるままに、代官を懲らしめた話をしている。出だしは照れがあったようだが、今はお酒も進み、絶好調だ。聴衆も、最初こそ俺たちと黄金の聖なる騎士団だけだったのだが、いつの間にか酒場中の客がフィー達の語りに注目している。


「そこで私はギルド長の部屋へ赴き、こう言った。『我が領内で暴行行為を見過ごすことは看過できない。早急に制度の見直しをせよ!』と。」


「そんな制度があったのか……。」「流石はフィーリア様!」


「ギルド長はそれを重く受け止め、私に『法令の遵守』を約束してくれた。しかし、そこでギルド長から聞かされたのは驚きの事件。『最近、若い冒険者が素行の悪い冒険者と組んだ際に死亡する事件が増えている。素行の悪い冒険者は軒並み、ボルテク商会と繋がりがある』と。そして、そこにいるサーシャに手を上げた冒険者もまた、ボルテク商会と繋がっていた者達だったのだ!」


「「「おお!」」」


 フィーが事件のあらましを伝え、聴衆がどんどん盛り上がっていく。フィーの語りも抑揚がついていて上手い。酒場にはどんどん人が増え、入りきらないほどになっている。話は進み、代官の屋敷での大立ち回りになると、聴衆は大盛り上がりし、印籠を出した辺りで最高潮に達した。酒場はフィー達を称える声で溢れかえった。歓声に悠然と手を振って応えるフィー。これは完全に酔っ払っているな。こうして、宴会は大盛り上がりのうちに終わった。


 そして、この話は場にいた吟遊詩人によって、あっという間にモイミールの街中に広まった。勧善懲悪な話はスカッとするからな、受けるのも頷ける。何でも、今度『姫騎士の世直し』というタイトルで舞台化されるらしい。

 俺は今、街のそこかしこで行われている、フィー達の活躍を主題にした吟遊詩人の語りを聞いている。

 この世界には、異世界転生モノのお約束であるポンプだの、フライやプリン等の料理、メイプルシロップや蒸留酒の類は既に存在している。なので、俺が知識チートすることは無いだろうと思っていた。まさか、水戸黄門をこの世界に輸入することになろうとは……。

 知識チートした場合、広めた主人公は名声なり、金なりを手に入れる筈だが、俺の手元には何も入ってこない。フィー達の名声はうなぎのぼりで、吟遊詩人達は儲かっているというのに。


「解せぬ。」


 思わずそう呟いていた。


(本当に、解せないわね。)


 俺の言葉を受けてラグさんが答える。


「ラグさんもそう思う?」


(えぇ。私の活躍が一切出てこないのは、何故なのかしら? 解せないわぁ……。)


 え、ラグさんの活躍? ……ひょっとして、代官屋敷に忍び込んだ際、気づかれそうになった時に出した鳴き声のことかな? だとしたら、そのことは誰にも言ってなかったから物語になりようがない。しかし、正直にラグさんに伝えるとめっちゃヘソを曲げそうだ。ここは俺の心の中にしまっておこう……。


「そうだね。解せないねぇ。」


 俺は冷や汗をかきつつ、無難な受け答えに終始したのであった。



 ■3人称


 某国、某所。広い室内の中央で、2人の男がテーブルを挟み、向かい合って座っている。テーブルにはワインの入ったデキャンタと、杯が2つ。室内には、他に人影はない。

 室内の壁は白を基調としているが、入り口の扉と向き合う壁面の窓には大きなステンドグラスが嵌められていた。天から降り注ぐ光を浴びる1人の男性が、鮮やかに描写されている。色彩の溶け合った暖かな光が、テーブルの2人に降り注いでいた。

 男の片方は、白いローブを纏っている。上等な生地で誂えられた物であろう。袖口や裾には、金糸の繊細な刺繍が施されていた。年齢は、60前後だろうか。総白髪で、顔には皺が目立つ。口元には髭も生やしているが、短く切り揃えられている。

 手元には、報告書と見られる紙束があった。文字を目だけで追いながら、男が言葉を発する。


「今のところ、”オラクル”のスキルを発現した者はいないようだ。」


 言葉を受けて、向かいの男が眉をひそめた。こちらは深い青のローブを纏い、黒いストレートの髪が、肩口まで伸びている。白いローブの男よりも、歳はだいぶ若く見えた。40歳くらいだろうか。

 青いローブの男は、答えた。


「あのスキルを発現した者は、即刻処分せねばならん。女神の言葉を世に伝えるわけにはいかんからな。」


 白いローブの男は頷き、ゆっくりと顔を上げると、重々しく口を開いた。


「それはそうと、モイミールにて、代官に扮していた者がやられた。」


「何? それは本当か?」


「やられた……というのは語弊があるかもしれぬ。しかし、姿を消したまま連絡が途絶えているのは事実だ。」


 青いローブの男が、忌々しげに吐き捨てる。


「ふん、奴は魔人にして最弱、魔人の面汚しよ。」


「確かに、奴は若く、経験も少なかった。しかし、我ら魔人を害することができる人間は、モイミールには存在していなかった筈だ。」


「極級の使い手か……。」


 青いローブの男の顔が、腹立たしげに歪んだ。白いローブの男が、遠くを見るように目を細める。


「あの国ではジョアキム、デシデリアの2名だったな。どちらも、ここ最近は自身の領城から動いていない。」


「では、一体誰が?」


「奴らは動いていないが、その身内がモイミールにいたという。ジョアキムの娘フィーリアと、デシデリアの孫娘ノーネット。……あの国の四伯爵家は、どの家も危険だ。頻繁に極級の使い手を排出している。」


「北のアイルーンに南のミロワール、東のヴァルチークと西のブラバンデルか。……幾度刈れども根を残す雑草のようだな。忌々しいことだ。」


「奴らの娘どもも、既に極級へ至っているか、或いは近い位置にいるのやもしれぬ。」


「ならば、目障りな芽はすぐにでも摘み取ってしまえば……。」


 白いローブの男が、ゆるく首を振る。


「娘どもが何を考えているのかは知らんが、現在は自由騎士となっているようだ。ならば、何処かのダンジョンへ深く潜ることもあるだろう。」


 青いローブの男はその言葉にしばし沈黙し、やがて、口端を上げ笑みを浮かべた。


「成る程……ダンジョン内でならば、証拠は残らんか。我らが神の復活も近い。今、こちらの動向に勘付かれるわけには行かんな。慎重に、事を運ぶとしよう。」


 男達の低い笑い声が、室内に響き渡る。青いローブの男は、杯を酒で満たした。白いローブの男は音も無く立ち上がると、手にしていた報告書を空中で手放す。瞬間、紙束の下方から炎が現れ、床に煤を落とすこともなく完全に燃え尽きた。


「世界に、我らが神の祝福を。」


 そう言って、白いローブの男が杯を掲げた。


「我らが神の祝福を。」


 青いローブの男がそれに答え、杯を掲げ、祈りを捧げる。

 杯に揺らめく真紅の向こうで、ステンドグラスに描かれた男性は、変わらぬ姿で光を浴び続けていた。

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