第49話廃病院ノ薔薇ノ囚人
無謬の言葉が欲しかった。その書物に裏打ちされた罪の告白だけを望んでいた。わたしはおまえのくちびるにバニラフレーバーのリップを塗る。荒れ果てて皮が剥け、血が滲んだそこをリップがうるおしてゆく。おまえの瞳は包帯が巻かれていて、その奥にある青い瞳までは見えない。その瞳が光を失って久しい。かつてそこに宿した故郷の海は遠ざかり、今は荒れ果てた街の片隅にある廃病院のベッドの上で身を沈ませている。訪ねてくるものとてない病室の窓辺には造花が群れをなし、その毒々しい色をした青薔薇がおまえの瞳を物語ってもいたのだが、そのうちの一枚が朽ちてはらりと落ちるのを、そっと掌に乗せる。おまえのくちびるに当てがうと、いつわりの花弁を軽く食み、花びらはバニラの香りを纏ってふたたびこぼれる。訪ねてくるのがあなただと、私にはわかっていました。この雨季はもうしばらくつづくでしょう。乾季になるまでにこの命は枯れてしまうのを、あなたはよくご存知のはずだ。私は水の中でしか生きられませんから。そう言っておまえは骨と血管の浮きでた青白い手で書棚を指し示す。そこにあなたの望む本があります。この言葉の壊れた国で、罪の名もまた穢されてしまいました。私の罪状はすべてそこに書かれています。夕刻の雨の音に打たれながら、わたしは書棚を漁りはじめる。今はもう絶えてしまった上製本の一冊を取り出し、そこに薔薇喰み、とあるのを見出す。私は妹を殺めました。薔薇の花によって。彼女の使っていたローズペタルの形をした頬紅を食べさせてしまったのです。そして私はその香りに囚われたまま、ここで日夜もわからぬ日々を送っているのです。わたしはゆっくりとおまえの手を取り、かつてその指が捕えた薔薇の花を見出そうとする。そしてその指先が妹のくちびるに触れ、頬紅をあてがったのをまぼろしのように思い描く。雨季が終わるまであと三ヶ月、おまえの身は病に蝕まれ、足は萎え、ここから出ることはもはや叶うまい。わたしは静かにその手に造花の薔薇を握らせ、やがておまえが一枚、また一枚と、花びらをむしるのを見ていることしかできない。
作業用BGM:Khatia Buniatishvili/Chopin Piano Concerto Original Playlist
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます