第81話 30代・本物の弁護士

家の荷物の片付けが終わり、事務所のほうに手をつけたあたりでいちど、弁護士のところに行った。


今度はもちろん本物の弁護士だ。

父の大学時代の同窓生だったか。


都内の、どこに事務所があったのか、もう覚えていない。

地下鉄で行ったことだけは覚えている。




まだ細かいところまで父から話を聞けていなかったが、大まかないきさつを説明し、この詐欺師を刑事告訴したいと告げた。


その弁護士は大きなため息をつき、言った。


「なんでこんなのに引っかかったんだか」


その言い方に、私は思わず、身を硬くした。


そして、


「刑事告訴してどうするんですか。

いくらかでも取り返したほうがいい。

民事でやったほうがいいでしょう」



後は、何を言われたか覚えていない。


帰りの地下鉄の駅で、暗がりに呼ばれるように飛び降りたくなった。

けれど、私が今ここでそうしたら、すべて妹の肩にのしかかる。

何がどうなっているのかさっぱりわからない位めちゃくちゃな状況や、今はもう、ただ電話を待つだけの父。


足元に力を入れてぐっと我慢していると、電車が来て扉が開いた。




父は、私が高校生の時にいちど、脳出血で倒れ、半年入院していた。

半身が不自由になったが、退院してからしばらくして車の運転も再びできるようになったし、仕事にもすぐに復帰した。


その後も、私が母の看病で家に入ってから、いちど軽い脳梗塞で 2 〜3日入院したことがある。

その時に、小さな梗塞がいくつも見つかり、視野が狭くなってしまったので、車の運転はその時に諦めた。


母が亡くなってからは、さらに、歩くこともだんだんつらくなっていった様子はあった。




けれど、毎日の通常の業務は変わらずこなしていたし、日常会話もおかしなところはなかったのだ。






誰も気づかないうちに、父は自分で事務所を閉めることもできないほど、衰えていた。

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