第8話 サクヤさん、髪を切る。

 午後、歯医者の予約をしてサクヤさんの髪を切る準備をする。

 準備といってもリジュの部屋で敷いたままのビニールシートの上で椅子に座らせ、髪が床に落ちないように、布地の外周が凹の字になるよう作られた散髪用ケープを着せるだけだ。


 あとは腰から背中くらいの位置で本人が気に入る長さに整える。正味三十分もかからないだろう。というわけで、準備も整ったのでバサってしてく。


 そういえばなんちゃってカリスマ美容師ハヤシさん曰く、営業トークさえ上手ければ髪切る奴はカリスマ美容師を名乗っても良いらしい。

 また適当言ってるよ、と思いつつもお客さんが喜ぶよう誘導する会話――コミュニケーション能力というものは確かに侮れない。


 商談や討論等、私生活、公のどのような場所においても、その空間内の空気というものをそれは自在に支配する。そしてその支配者は正に無敵の存在。相対する者が直接的暴力を振りかざすような脳みそ筋肉マンである場合を除き、負けはない。(※つまりリッツ院では無敵じゃない)

 まぁハヤシさんがカリスマ美容師を名乗るのは、しゃくじゃんね。てか切ってるとこ見たことない。いつもちょい切ったとか言ってるけど自己申告だし。



 まあいい。カリスマ(笑)のことは忘れて集中しよう。僕はキラキラして長すぎる女子の髪の束を持ち、戦いを挑む。


「お客さん、綺麗な髪してるねー。どんな風にお手入れしてるの?」


 先手のジャブだ。とりあえず適当に褒めて質問することで、会話のキャッチボールへ誘導する。

 所詮は同世代女子。ちょろっと上手い会話しながらちょろっと切るだけで僕はこの子にとってのカリスマ美容師と昇格するのである。


 なんか、お兄ちゃん、歯が……という感じの小さな声が聞こえ、ショックで集中が途切れかけるも、自分はカリスマ美容師だという暗示をかけ続ける。


「……ん? お手入れ? えーと、……リジュ?」

「はい! あったかいシャワーで頭皮を優しくマッサージしながら五分くらいゆっくり洗って、シャンプーは少なめ、均一に泡立てて全体を優しくなでつけた後でぬるま湯でよく洗い流し、薄くトリートメントしたらなるべく短時間で洗い落としているのです!」

「あぁ、そんな感じ。リジュがやってる」

「リジュがかよっ! しかもさせてて当然みたいにっ!」


 三歳幼女に自分の髪手入れさせるって女王様とかでもしないよ! ってかリジュがめちゃくちゃ詳しいリジュSUGEEEE!


「お風呂から上がったら優しくタオルドライ! その後髪を梳きながら大きなうちわで扇いでいるのです! 二時間くらい!」

「自分でドライヤーくらいかけろや」

「ドライヤーは髪にあんまよくないってリジュが……」

「これからもお姉さまの綺麗な髪はリジュが守るのです!」

「うむうむリジュや。その厚き忠誠心、褒めて遣わす」


 なんということでしょう。知らないうちにリジュがなんか変な風に成長している。サクヤさんの髪を見るリジュの目もなんかグルグルしてるし……ヤバい兆候だよぅ。なんとかまともに意識改革させなければ……。


「リジュ。サクヤさんに綺麗でいて欲しい気持ちは僕だってわかる。でも「リジュ、私綺麗だって。うひひ」君黙ってろ。わかるんだけど、リジュが全部やってあげてたらサクヤさんが一人の時、何もできなくなっちゃうよ。だからなるべく、自分で何でもやらせよう? ね?」

「でもでも、リジュがしたいのです……でもお兄ちゃんの言ってることはわかるし「わかんなくていーよ」「君黙ってろ」……。わかったのです、お姉さまの髪のケアはなるべく減らすのです「気にしなくていー「黙れっての」」……。うぅ」

「そっか、えらいねリジュは。僕の気持ちもわかってくれてありがとうね」

「はい……グスン」


 およそ三歳児に言い聞かせるような内容でないにも拘らず、自分の意思を押し殺して理解を示してくれるリジュは、子供なのに大人だ。本当に良い子でお兄ちゃんは嬉しい。


「えー。じゃあ手間掛けたくないからはよ切ってー。肩くらいまでー」

「それに対してこいつはリジュを見習って欲しい」

「……心の声駄々洩れやんね」

「うるさい。とにかく切るよ、肩は短すぎるから背中くらいまで」

「ういー」


 というわけで切る。バサッバサッバサっと。フロントはちょいちょいちょい。んでちょちょっとすきながら整えて、はいおしまい。


「終わった」

「え。前振り長すぎる割に早すぎん?」

「いやこんなもんだよ」


 短くするだけで必要なのは切る覚悟だけだったんだし。その覚悟もなんか適当な雰囲気に濁されたもんよ、こんなもんよ。

 くしで髪を梳きながら落とし、ケープをはぐ。ケープにはキラキラした大量の髪が残っていた。


「おー、なんか頭が軽い気ぃする」

「お姉さま、だいぶイメージ変わったけどやっぱり綺麗なのです! さすがお兄ちゃんです!」

「ありがと、リジュ。サクヤさんも似合ってるよ。頭軽いのは中身が軽いのもあるがな……ぷすーくすくす」

「二人ともそんなに褒めんでよー照れるやん」


 皮肉だけ聞こえないとかメンタル無敵か。むしろ言った僕がカウンターで自己嫌悪。


「それじゃ、あとの細かいとこは現地のスタイリストさんにお願いしよう。撮影は一週間後だから前日入りで泊まる予定で考えといて」

「「りょ」なのです!」

 


 ふー。ようやくサクヤさんの髪、短くできてスッキリだ。それにしてもこの切ったのでヅラとか作れそう。

 ……うん。作ったヅラ、日頃の感謝を込めて悩み多き年ごろのリッツせんせーあたりにプレゼントするとかどうだろうか。きっと泣いて喜ぶはず……。


 ……ってあかん、綺麗なロン毛のせんせー前にして爆笑しない自信無い。吹いた。これぶん殴られてもやる価値あるわ。



 そんな明るい未来を考えながらケープに入った髪を大きいビニール袋にばさーっと入れ保管し、歯医者さんへ向かった。

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