第2話 病院の逸話

 薄暗い外灯に照らされた田舎道を四人で歩いていた。

 山田村は村と言われているが、ほとんど田んぼで占められていて、民家がぽつりぽつりある程度だ。

 真夏の夜の虫が情緒的で、きっとこれが肝試しではなくただの散歩だったら、さぞかし気持ちよかっただろう。しかし、変な緊張が付きまとっているせいで、夏の夜をいまいち楽しめない。

 俺達四人は一度家に帰ってから、夜七時に集合して、山田村の廃病院へと向かっている。

 凛は今、白いワンピースを着ていた。俺と初めて会った時に着ていたワンピースだ。それだけで何だか出会った時のドキドキを想い出して、嬉しくなってしまう。でも、出会った時の凛より、少しばかり大人っぽくなっている──のは多分気のせいで、今は子供みたいに肝試しを楽しみにしている。しっかりと俺の手を握りながら。

 俺達がこうしていても、愛梨や純哉はもう何も言わない。鳴那高校公認のバカップルとして俺と凛が扱われているので、誰も何も言ってこないのだ。それを良い事に、凛は所かまわず俺に不意打ちを仕掛けてはドキドキさせてくるので、堪ったものではない。

 そんな凛は俺に向けて、にこにこした笑顔を向けている。


「ねえ。その病院、何かいわくつきな話とか噂とかないの?」


 道中、凛が純哉に訊いた。

 地元民かつ姉が既に肝試し経験済となると、一番情報を持っていそうなのは純哉だ。


「ああ、あるにはあるぜ。ちょっと怖いけど、聞きた──」

「聞きたい聞きたい!」


 純哉の声を遮って、凛が言った。瞳の中に小宇宙が拡がっているかというくらい相変わらず目をキラキラさせていた。

 怖いものが案外大丈夫だった凛に対して、愛梨が少し嫌そうな顔をしている。


「お、なんだ? 愛梨はもしかして怖い話苦手なのか?」


 してやったりと、俺は攻撃を仕掛ける。あの歩く禍悪こと宮里愛梨に苦手なものがあるのなら、是非知っておきたいものだ。

 愛梨がちらっと俺を見て、はぁっと溜め息を吐いてから髪をくしゃくしゃと掻いた。


「いや、まあ確かに物理攻撃が効かない敵は嫌いなんだけどよ」


 物理攻撃する事が前提なんですか、あなたは。


「その話、割と胸糞だったんだよ。家帰ってから想い出したんだけど」


 愛梨によると、山田病院は鳴那町に鳴那総合病院ができる前まではこのあたりでは最も大きな病院だったそうだ。しかし、鳴那総合病院ができて患者が減り始めて経営が傾いていた。それに加えて、山田病院では事故と事件が続けて起きて、閉院へと追い込まれたのだという。


「事故と事件って?」


 凛が興味深そうに訊いた。


「医療事故だよ」


 愛梨が答えた。

 まず起こったのは、医療事故だ。医療ミスによって、胎児と母体どちらもが死んでしまったのである。それだけでも大きな事件だったのに、もう一つ大きな事件が起きた。そして、その事件が閉院の直接的な原因となったとされている。

 医療事故で亡くなった妻子の夫が、白昼堂々院内で医師や看護師を無差別で襲ったのである。その凶行により医師が一人死に、看護師も大けがを負った。そして更なる悲劇が、たまたまそこに居合わせた十代の女の子が看護師を庇おうとして、刺殺されてしまったのだという。そして、その犯人の夫は血だらけな院内で捨て台詞を残して、自害した。

 こんな大きな事件があっては、病院の運営は困難となり、閉院をやむなくされたのだという。


「……で、その捨て台詞って?」

「お前ら全員を道連れにしてやる、だったかな」


 俺が訊くと、愛梨がそう言い、純哉に確認した。純哉が「そう、そんな内容だった」と応える。


「……なんだか、結構悲しい話だね」


 そんな場所に遊び半分で行っていいのかな、と凛がさっきのワクワクした表情から一変させて、悲し気な表情を見せた。

 きゅっと凛が俺の手を強く握った。


「って思うじゃん? でも愛梨のその情報は、後からできた作り話なんだ。真相はそうじゃない」


 純哉がチッチッチッと舌を鳴らして、人差し指を横に振る。


「いやな、姉貴もそんな場所なら遊びで肝試しに行くのはどうかと思って調べたみたいなんだけどさ、実はそこで母子が亡くなった医療事故なんてなかったんだ」

「え? どうしてそう言い切れるの? 病院がその事故をもみ消したとかも有り得ない?」


 凛が恐い事を言う。が、芸能界にいた彼女からすると、もしかすると『もみ消す』だのといった非日常は、割と身近なものだったのかもしれない。


「いや、無いな。何でそう言い切れるかっていうと……そこの山田病院には産婦人科がなかったからだ」

「……なるほど」


 産婦人科が無いなら、確かに分娩による医療ミスが起こり得えない。


「更に言うと、その後の話もなかったんだ」

「そうなの!?」


 その後の話──というと、男が暴れ回って、医師と女の子が殺して自殺した、という話か。凄惨な事件がなかったというなら、それはそれでよかったのだと思う。


「姉貴もその話を新聞とかで見たわけじゃなくて、ネット情報なんだってさ」


 彼のお姉さんによると、その事件についても新聞には載ってなかったのだという。それは確かに変だ。殺人事件が起こっているなら、新聞には当然載るだろう。もしかすると、経営困難による閉院に対する言い訳に尾ひれがついて大きくなったのかもしれない。


「これもネットで書いてあった噂なんだけどさ、このあたりは昔、戦国時代に何度も戦が行われた地らしいんだ。そこで、今は使われなくなった病院に、傷を負った兵士達の霊が集まってきてるんじゃないかって言われてる」

「そうなんだぁ!」


 凛の声色がどんどんワクワクしたものへとなっていっている。母子の事故死やその後の事件でちょっと心が折れかけていたようだが、それがなければ純粋に楽しめる、という事だろうか。


「ま、姉貴は何もなかったって言ってたし、肝試しスポットとして恒例の場所なわけだから、今更気にする必要ないだろ。楽しもうぜ!」


 案外純哉も肝試しに乗り気で、凛と意気投合してそれからも持論を色々楽しそうに話していた。おそらく、調べているうちに楽しくなってしまったのだろう。あほな純哉なら有り得る。

 一方の愛梨は、チッと小さく舌打ちをした。どうにも怒りっぷりがガチっぽい。凛が純哉の話に夢中だったので、俺はこっそりと愛梨に近寄って「どうした?」と声を潜めて訊いた。


「純哉のボケナス……最初の情報のままだと凛が諦めてくれたかもしれねーのに」


 まずいな、と愛梨が小さな声でぼやいた。何かワケアリな様子だった。


「どうしたんだ?」

「いや……ここの病院、マジでやべえんだって」

「え?」

「マジで出るんだよ。あたしん家の客が何人か昔肝試しに行った話があってさ。みんな口揃えて二度とあそこには行きたくないって言ってて」


 愛梨の家は、居酒屋を経営している。色んな客がいるのでこの地域の情報が集まりやすいのだという。

 その話を聞くと、ちょっと行くのが嫌になってくるな。純哉のお姉さんが何もないって言うから行く気になったのに。

 愛梨は医療事故や殺人事件がなかったのを知っていて、凛が諦めるように仕向ける為、敢えて言っていたのだ。


「実はだな、凛ちゃん。もう一個面白い話があってだな?」

「なに?」

「実はこの病院、何回か取り壊そうとしたんだけど、不可解な事故が毎回起こって、結局延期に延期を重ねた結果、放置される事になってるんだってよ。その工事以降、霊が怒って夜な夜な病院を徘徊してる……って話だ」


 その話を聞いて、凛が両手で自分の身体を抱きかかえ、ぶるっとその細い身体を震わせていた。

 お? と俺と愛梨は顔を見合わせた。


「じゃあさ……」


 凛が声を震わせて、言葉を紡いでいく。

 これは、もしかして怖くなっていくのをやめるか? 俺と愛梨は期待に胸を膨らませて、凛の次の言葉を待つ。


「──絶対出るよね! 落ち武者とか絶対に出るよね!?」


 めちゃくちゃ顔を輝かせていた。頬を上気させているレベルでノリノリだ。

 怯えたように見えたのは、興奮を抑えていただけだったようだ。というか、火に油を注いでいたのではないか?

 死者に対して敬虔の念と好奇心は別物という事だろうか。


「私、落ち武者が見たい!」

「おお、きっと武士も武者もいるぜ!」


 そして、余計に二人が意気投合してしまっている。

 怖いもの見たさというか、何というか……危なっかしくて見てられない。


「あーあ。母子の話出してりゃいくのやめてくれるかと思ったのに……畜生。どうなってもしらねーぞ、あたしは」

「俺も嫌だっつーの」


 愛梨と俺は同時に大きな溜め息を吐いた。 

 それから少し歩くと、民家がなくなって、田んぼだけになった。そして、遂には……外灯もなくなっていた。


「さて、もうすぐのはずだぜ。ここからは懐中電灯だな」


 俺と純哉がそれぞれ持参した懐中電灯をつけると、『この先立ち入り禁止』の文字と、半分くらい消えてしまっている『山田病院』の看板が見えた。

 俺達はその看板を横目に、草木が生い茂った病院への道を進んでいった。

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