4章 第17話 

 玲華は、そのまままっすぐに俺の元へきた。

 陽介さんは、空気を察してすっといなくなり、ほかのスタッフさん達も俺の周りからいなくなった。どうやら、スタッフ陣には今のやり取りの内容で察せられてしまったようだ。


「⋯⋯ごめん」


 玲華はただ、そう一言だけ謝った。


「あれ、ほんとなのか」

「うん。全部本当の事。嘘偽りのない、本当の私。最低な元カノ持っちゃったね、君」


 悪戯そうな笑顔を作ろうとするが、失敗してただ力なく笑っていただけだった。


「できればもう撮影にはこないで欲しい、かな。こんな汚い私のことなんてもう見て欲しくないし⋯⋯もう、どんな顔して君に会えばいいのかわからない」

「汚くなんて⋯⋯」

「汚いよ。全部仕組んでたから。君がここ数日傷ついてた事は、全部私に仕組まれてたってこと。怒っていいよ」


 本当にそうなんだろうか。

 俺には玲華がそんな事をする人間のように思えなかった。それに、傷付いていたのは俺自身の未熟さのせいだ。全部が全部、玲華が仕組んでいたというのは傲慢だとも思う。いくら俺の事を見透かせるからといっても、俺がどこでどう傷つくかまで彼女が見えていたとは思えない。

 ただ、俺が傷ついていたから、そこに便乗していたという事はあったとしても⋯⋯仕組んだというのは言い過ぎなようにも思えた。


「本当にそうなのか?」

「うん。じゃなきゃ、あそこで『撮影を最後まで見てほしい』だなんて言わない」


 それは、俺が耐えられなくなって抜け出して、二人で電車で帰った日だ。あの時、撮影を最後まで見て欲しいと彼女は言った。崩れかけていた俺の心を何とか踏みとどまらせた一言でもあった。


「あそこは⋯⋯もう参加するのやめなよって、本当は言ってあげなきゃいけなかったんだよ。君の心が壊れそうなのわかっててさ、それでも君が逃げ出さないように言ったの。もっと壊れてくれなくちゃ⋯⋯いけなかったから」


 ──結局壊れてくれなかったけどね。

 玲華は小さくそう付け足した。

 彼女の表情は変わらない。どこか自嘲的で⋯⋯それでいて、悲しげだった。

 あの『最後まで見てほしい』という言葉も、俺をここに踏みとどまらせた要因だった。もし凛があの後電話をくれていなかったら、電話で『翔くんがいる事で救われてる』と言ってくれていなかったら、俺は玲華の意図通り、壊れていたのかもしれない。

 そう考えると、悲しい。なんだか、裏切られた気分だ。


「お前は⋯⋯そんな事する奴じゃないだろ」


 信じたくなかった。だけれど、それを否定するように、玲華は首を横に振った。相変わらず自嘲的な笑みを浮かべていた。


「ショーが変わったように、私も変わったって事だね。それだけだよ。ずっと負け知らずで傲慢不遜な女の子でなんていられないって事。あの日から⋯⋯君と別れた日から、私にはもう自信なんてなかったんだよ」

「⋯⋯⋯」

「もう私と関わらない方がいいよ。リンの為にも、君の為にも」


 君達にとって私は疫病神みたいなものだから、と彼女は付け足した。


「今日この日を以て、ショーと私の物語は、完全にお終い。これが私へのペナルティ」


 確かに、撮影が終われば、もう関わる事はない。

 彼女は東京でこれからも生活するだろうし、俺もここにいる。

 接点は、もう何もない。


「私のことは⋯⋯


 最後に少しだけ笑って。


「じゃあね、ショー。バーイ」


 寂しそうにそう言って、彼女は踵を返した。

 本当に、俺の意思とか気持ちとか、そんなものは無視して、 全部勝手に片付けてしまった。

 どうして彼女がこんな行動に出たのか、さっぱりわからなかった。ここまでやる必要があったのだろうか。もっと誰もが傷つかなくて良い方法はあったんじゃないだろうか。

 その時、ふと玲華の言葉を思い出す。彼女はさっきの撮影前に、"優菜"は卑怯だと評価していた。


『"優菜"は"達也"のことをよく知ってるから、こうすれば"達也"に断られない、気を惹けるっていう方法も知ってるの。"達也"の優しさに付け込んだ戦い方。"達也"は優しいから、結局そこで"優菜"を見捨てられない⋯⋯それで、最後に"達也"を勝ち取る』


 玲華は"優菜"についてこんな分析をしていた。そして、彼女はさっきの撮影でこう話していた。


『私ね、知ってたんだ。どうやったら断られないかも、どうすれば優しくしてくれるかも、どうすれば彼が傷ついて、どうすればこっちを見てくれるかも』


 今となってはもう訊けないけども、玲華は自分の気持ちと”優菜”の狡賢さを重ねてしまって、耐えられなくなったのだろうか。だから、そんな自分も、”優菜”ともども罰したくなったという事なのだろうか。


(ただ、それなら何で⋯⋯凛はあんな顔をしていたんだ?)


 玲華、いや、”優菜”を抱き締めていた時に見せた、凛のあの表情。あんなに悔しそうにしている凛を俺は見た事がなかった。

 その時足音がして、後ろを見ると⋯⋯さっきの撮影での勝者としての"沙織"とは打って変わって、まるで敗北者のように虚ろな表情をした凜がいた。

 目が合うと、力なく微笑んでいる。

 やっぱり、さっきの表情は気のせいじゃなかった。


「⋯⋯どうした?」


 真っ赤に目を腫らしたままの凛は、やっぱり力なく笑ったまま、首を横に振った。

 ただ、玲華が自分を罰しているだけなら、なぜ凛がこうなっているのかがわからない。俺には見えない、何か別の意図があったというのだろうか。


「なんでもない」

「⋯⋯なんでもなくないだろ、その顔は」


 俺は大きくため息を吐く。散々強がって、なんでもないで済ませてきた俺が言うのもおかしな話だが、明らかにおかしい。


「その⋯⋯合わせる顔がなくて、さ」


 おそらく、さっき玲華になんで気付けないんだと言われた事を気にしているのだろう。


「⋯⋯今日、終わるの何時?」


 とりあえず、今話しても何も話が進まなそうだ。今は二人きりで話したかった。


「今日はもう撮影ないから、帰り支度したらすぐに帰れるけど⋯⋯」

「じゃあ、待ってるから」

「⋯⋯うん」


 凛は相変わらず力なく笑って、頷いた。

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