2章 第23話 彼女も完璧じゃなかった

 ご飯を食べて少し休憩してから、課題を続けた。

 食後に国語の問題は眠気を誘って若干つらいものがあったが、時間もないのでぱっぱと読み進めて問題を解いていく。

 なに、間違っていても俺が怒られることはない。それが嫌なら自分でやればいい。


「あー、やっと終わった」


 ごろりと寝転がる。

 久々に頭をフルで使った気分だ。

 こんな問題やってるのか、海成高校は。同じ学年なのにやっていることの次元が違う。

 そりゃ東大合格者数全国1位だわな。と言っても、きっと俺もワセ高に通っていたらこんなことをやっていたのだと思う。

 あのままワセ高に通っていたら⋯⋯どんな人生だったんだろうか。まだ必死で勉強していたのだろうか。それとも、落ちこぼれていただろうか。

 そんな事を、つい考えてしまう。


「お疲れ」


 彼女もシャーペンを置いた。無事終わったようだ。

 ポストの回収時刻にもまだ余裕がある。

 ともあれ、無事に終わってよかった。

 帰ろうとすると、


「あ、ねえ。まだ時間あるでしょ?」


 呼び止められる。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

「そんな嫌そうな顔しないでよ。ちょっと見比べてほしいだけだから」


 言って、玲華は開いて冊子を渡してきた。


「台本?」

「うん。ここ、この"優菜"のセリフを今から2パターンやるから、ちょっと見てて」

「いや、俺演技のことなんてわかんないんだけど」


 プロの何を見比べろというんだ。


「いいから。素人の直感的かつ忌憚のない意見が聞きたいの」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 よくわからないまま、俺は冊子に目を通す。玲華の手書きでたくさんのメモ書きがある。特徴や表情などは細かく記載されていた。

 そこから、玲華は同じシーンを2回繰り返した。それぞれで、身振りや言葉の強弱、表情がやや異なった。

 1つめは、玲華らしいふるまいだった。自然な玲華に近いけども、演じる優菜の性格に寄せているのだろうか。玲華であって玲華ではない。爽快な演技で、演技と感じさせないものがあった。

 対して、2つ目は、玲華らしくない。微妙に上品さが加わっており、勢いがなくなってしまった。女性らしいと言えば女性らしいのかもしれないが、どこか演じられたものになってしまっているので、魅力としては半減している。


「⋯⋯⋯⋯どうだった?」


 "優菜"から"玲華"に戻った。真剣なまなざしで聞いてくる。

 そんな素人に期待されても困るんだけどな。


「うーん、最初のほうが玲華らしくてよかったけどな。このキャラの感情をよく表現できてたと思う」

「2番目のは?」

「悪くないんだけど⋯⋯うーん、なんか嘘っぽいっていうか、合ってない。玲華じゃないみたい」

「⋯⋯だよね」


 玲華は溜め息を吐いた。


「でも、みんなは2番目のほうがいいんだってさ」


 みんな、とは監督だったり他のスタッフだったりするのだろうか。

 どういっていいか考えていると、彼女がペタンと床に座り込んだ。そのまま膝を抱えて、自分の額を膝に埋め込む。


「⋯⋯え?」


 どうしたんだ?

 ちょっと予想外の展開だった。

 そのまま黙っていると、玲華がいきなり独り言のように話し出した。


「⋯⋯ほんっとにバカみたい。初めての映画でさ、初めての主演で、わけわからない期待ばっか背負わされて⋯⋯何なのよ、もう」

 

 少し面食らってしまった。

 俺はこんな玲華を見たことがなかった。

 玲華が弱音を吐いている⋯⋯?


「⋯⋯知るかよ! お前らの要望ばっか好き勝手言ってきやがって! こっちが寝る時間も惜しんで必死に作り込んだ"優菜"をみんなでボロカスに言ってくれちゃってさ! 私の苦労はなんなんだよ! この撮影のために1か月公休取るのにどれだけ苦労したと思ってんだよ!」


 玲華が怒鳴り始めた。がんがんと額を膝に打ち付ける。

 肩と声が震えていて、鼻水をすする音が聞こえてきた。

 泣いている、のか⋯⋯?


「ご丁寧に監督と助監督で全く別のことを言いやがって。私にどうしろっていうんだよ! 別々のこと同時にできるわけねーだろ! 意見揃えてから言ってこいよ!」


 彼女が怒るところは何度か見たことがある。あの吉祥寺での再会がそれで、あの時が1番怒っていた⋯⋯ように思う。

 でも、今回のは、あれとは全然違う。

 こんな風に⋯⋯こんな風に自分の力が及ばなくて怒っている姿を、泣いている姿を俺は見たことがなかった。

 これではまるで⋯⋯俺や、凛と変わらないじゃないか⋯⋯。


「挙句に『これだったらRINがよかった』だ? ふざけんなよ! じゃあ最初からリンのこと試したりせず素直に採用してりゃーいいじゃねーかよ、死ねよ糞エロオヤジ! 最初からそうしてたらリンだって辞めなかった。私だって普通に高校で退屈してた! 何も苦労なんてなかったのに⋯⋯!」

「え⋯⋯?」


 凛だって?

 玲華は、犬飼監督から、凛と比べられているのか⋯⋯?


「私はリンじゃねーんだよ! なんなんだよ! いきなり髪の毛なんて伸びるわけねーだろ! 悪かったな、ショート! じゃあヅラでも買ってこいよ! 1か月前に言われていきなり伸びるわけねーだろ!」


 彼女の取り乱した姿を前にしても、俺は何も言えず。ただただ言葉を失って、彼女を見つめるしかなかった。

 これが現実だと思えなかったのだ。


「私はお前らのお人形じゃない! 人間なんだよ! なんでいい歳したオッサンがそんなのもわかんないんだよ! そんなに人形がいいならリカちゃん人形でも買って家でお人形さんごっこでもしてりゃあいいだろ!」


 彼女は息も絶え絶えで、呼吸も整えられない。

 震えて、泣いている。悔しくて、泣いている。

 あの玲華が。

 どこにでもいる女の子のように、ただただ泣いていた。

 凛みたいに、力が及ばなくて。

 俺みたいに、力が及ばなくて。


(玲華⋯⋯お前⋯⋯)


 完璧じゃなかったんだ。

 玲華だって、何でもかんでも余裕でこなせてるわけじゃなかった。

 こいつにも壁があって。

 それでも逃げずに挑んでいる。戦っている。誰一人として味方がいないこの場所で。

 俺はこの時、もしかすると⋯⋯初めて、本当の玲華を見たのかもしれない。

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