2章 第22話 目の前にいる久瀬玲華とテレビの中にいるREIKA

 3時間かけて、なんとか英語を終わらせた。これから国語だが、国語はそんなに難しくなさそうだ。日本語なだけで随分と気持ちが楽になる。

 ただ、少し疲れたので、思わず俺は大きく息を吐いて、シャーペンを置いた。


「休憩しよっか」


 ちょうどそのタイミングで玲華もシャーペンを置いた。彼女は数学を終えて物理に取り組んでいた。


「あ、そうだ。お昼食べた?」

「いや」


 昼前にあなたから受けたお電話のせいで、それからここに軟禁されているので。とは言わなかった。

 何かを思い出したように、ぱたぱたと冷蔵庫まで行く。


「ショーが来ると思って、色々作り置きしたんだ~。食べる?」


 俺が来ること前提でそこまでしてたのかよ。てかそんな時間あるなら課題やれよ。と思うものの、胃は空腹感を訴えかけている。今日は何も食べていないのだ。


「なにがあるの」

「えっと、赤出汁と出汁巻き卵。それに、鳥のから揚げと、ちょっとしょっぱめのポテトサラダ」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

「好きでしょ?」


 こくり、と頷く。頷かざるを得ない。


(こいつは、ほんとに⋯⋯)


 やっぱり危険だと思った。

 玲華は、危険すぎる。

 俺よりも俺が好きなものをわかってる。どうしてこうも"パッとは出てこないけども俺の好きなもの"をぽんぽんと並べられるのか。

 俺だって、この前凛に訊かれて、記憶を引っ掻き回してようやく出てきたのに⋯⋯それをすらっと言われた時の恐怖感ったりゃありゃしない。そして、どこか暖かい気持ちになってしまう自分に対しても、呆れてモノも言えない。バカか、俺は。


「じゃあ、ちょっと暖めるからテーブルの上片付けておいて」


 玲華は嬉しそうにキッチンで準備を始めた。

 はあ、と大きな溜め息が出てしまう。

 今朝、ほんの数時間前、こいつとは2度と会わないと誓ったはずなのに。

 会わないどころかどうして相手の部屋にいてご飯まで御馳走になろうとしているのだろう。

 あまりの自分の意思の弱さに絶望してしまう。


(でも⋯⋯)


 るんるんと準備をしている玲華を横目に思ってしまう。

 あんな嬉しそうな顔されたら、断れるわけがない、と。

 今の彼女には、一昨日学祭で見せた不機嫌な表情も、東京で再会した時の悲しそうな表情も欠片ほどもなくて。

 まるであの幸せだった頃に時間が戻ったみたいで。

 どこかこの時間を大切に思っている自分もいて。

 それでも、凛の顔が脳裏をよぎるたびに罪悪感を覚えて。


(俺は一体どうしたいのだろうな⋯⋯)


 テーブルにご飯を並び終えると、2人でいただきますをして、ご飯を食べる。

 悔しいが、美味しい。ちゃんと好みの味を押えられていることに絶望する。


「美味しい?」

「⋯⋯ああ」

「それは何より」


 満足気に微笑んで、「テレビつける?」と訊いてきた。

 チャンネルを受け取っていくつかチャンネルを回していると、芸人のドラッグマヨネーズの2人が司会を務めるバラエティ番組がやっていた。


「あ、俺これ見たい。ドラッグマヨネーズ好きなんだよな。漫才面白いし」


 ドラッグマヨネーズはもともと漫才コンビで、1人はデブでハゲ、相方は顔面クレーターをネタにする人気の不細工芸人だ。

 最近は漫才よりもひな壇や司会業を優先している。

 それを見て、げっ、という表情を玲華が一瞬したかと思えば、


『本日のゲストは⋯⋯最近話題のモデルで女優のREIKAちゃん!』


 テレビの音声に、思わずご飯を噴出しそうになった。

 目の前でご飯を食べている人間が、テレビのゲスト席で『ハーイ♪』といつもの挨拶をして出ていたのだ。


「やだ。長野県ってこれ日曜日に放送なの?」


 そういえば、長野の地方局のチャンネルだ。東京テレビではもっと前に放送されていたのだろう。


「ねえ、チャンネル変えてよ。さすがに自分見ながらご飯食べたくないってば」

「え、嫌だ」


 チャンネルをひょいと取り上げる。

 ちょっとくらい仕返ししても罰は当たらないだろう。こっちは散々な目に遭っているのだから。

 不服そうな顔をして「ショーのアホ」と恨めしそうに呟いた後は、おとなしくご飯を食べている。もしかしたら、ちょっと自分でも見たいのかもしれない。


『REIKAちゃんは最近話題の女子高生モデルで、CMに続いて映画出演も決まってるとか。もう完全にタレントですやん、いや、ていうかめっちゃかわいい!』


 芸人がテンション高く紹介する。


『いえいえ、そんな。テレビは初めてなので、とても緊張しています』


 それに対して、かしこまって応えている玲華。

 すげえな。プロ相手に全然物怖じしてない。完全にタレントじゃないか。

 そのあと、テロップ説明などでREIKAの紹介が始まった。

 過去の経歴や最近の復活劇などが語られている。

 そのあと、『REIKAちゃんへの質問コーナー』たるものが始まった。司会のドラッグマヨネーズが思い思いに質問するコーナーだ。最初はお決まりの質問から、恋愛の質問に移っていく。


『ところで、REIKAちゃんは彼氏とかいます?』

『アホか、そんなんちゃんと答えるわけないやん』


 顔面クレーターのした質問に、ハゲが突っ込む。


『いません』


 玲華はにっこりと即答で応える。


『ほらみぃ』

『いや、でも彼氏おらんのやったら俺らもチャンスあるんちゃうん』

『あ、ほんまや!』


 などとボケとツッコミを繰り広げる。


『でも、これまで彼氏できたことくらいあるやろ?』

『いません』


 にっこりと即答。変わらず作り切った笑顔。


『今好きな人は?』

『いません』


 笑顔で全て即答。これはこれで恐いな。


『好きな男性のタイプは?』

『髪がふさふさで、顔に穴が空いてない人がいいですね』


 同じ笑顔のまま応える。


『とりあえず俺らどっちもあかんやーん!』


 そこでスタジオに爆笑が起きる。

 そこでREIKAはスタジオの横を向いて、


『ねえマネージャー、これでいいの?』


 素っ頓狂な声で言うものだから、それが面白くて笑ってしまった。


『おもっきり事務所の指示やんけ!』

『それやったらまだ可能性あるんちゃう? ほんまはどんな人がええの?』

『いません』

『⋯⋯⋯⋯⋯⋯』

『いません』

『⋯⋯⋯⋯⋯⋯』

『髪がふさふさで顔に穴が空いてない人がいいですね』


 まるで壊れた機械のように、笑顔だけは変わらず同じ言葉を繰り返す。


『⋯⋯好き!』


 顔面クレーターのほうがいきなりそう言って抱き着こうとするので、相方のハゲが『やめんかい!』と頭を殴る。

 スタジオの中のREIKAは終始ニコニコしていた。

 と、思ってると、玲華がテレビのチャンネルを奪い取ってチャンネルを変えられてしまった。


「あ、なにすんだよ」

「そんなつまんないテレビ見る必要ないってば」

「面白いよ」

「ほー? 趣味悪いね、ショーは」


 ちなみに、と彼女はいたずらな笑みを作って、続けた。


「収録後に口説いてきたのは、抱き着こうとしてきた方じゃなくて、ツッコんでるハゲのほうだったよ?」


 食べていたご飯が気管に入りそうになって、思わず咳き込む。


「毎日連絡きてめんどくさいんだぁ」


 ほら、とスマホのトーク画面を見せてくる。

 画面には、頻繁にご飯に誘われている文章があって、玲華はスタンプだけで『無理!』とひたすら返していた。脈がなさすぎて心が折れる断られ方だ。


「⋯⋯不安になった?」


 にやり、とこちらを見る玲華。


「別に」

「ほんとに? もしかしたら、君の綺麗で可愛い元カノちゃんは、小汚いハゲでデブな芸人に食べられちゃうかもよ? 君はそれに耐えれるのかなー?」


 ハゲのほうが玲華とそういう風になるところを一瞬だけ想像したが、すごく嫌だった。

 でも、そうなんだよな。

 こうしてテレビに出たり映画に出たりすれば、もっと有名な人や俳優なんかとも知り合って、どんどん別の世界の人間になってしまう。

 きっと、一般人なら誰もが憧れるような人と仲良くなって、一緒にご飯にいくようになっていくのだろう。

 そういえば、撮影現場にいた、玲華と話している役目の男性の人も有名な男性俳優だ。名前は憶えていないけど。


「ほれほれ、どーなのよ? 言ってみなさいよ?」


 玲華は挑発的だ。

 多分、俺が内心嫌がっているところを感じ取られたのだ。

 弱みを少しでも見せたら、とことん突いてくる。これが彼女の性格だった。昔から、何も変わってない。


「お前は⋯⋯そんな軽い女じゃないだろ」

「⋯⋯⋯⋯」

「でも、もし⋯⋯ほんとにそのハゲとか、他に良いと思える人がいるなら、それは良い事なんじゃないかな⋯⋯」


 そうとだけ返す。そうだと信じたいし、もし、仮にそういう人ができたのなら、俺にどうこう言える権利はない。


「⋯⋯ばーか」


 玲華は、それだけぽそっというと、少し寂しそうな表情をして、テレビのチャンネルを先ほどの番組に戻した。

 REIKAの出番は終わっていて、別のコーナーに移っていた。

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