2章 第5話 それぞれの決意

 凛と愛梨の部屋の階に行ってから気付いたのだが、ここの階はうちの高校の女子専用階なので、女子しか居なかった。

 そんな女子階の廊下を男一人で歩いてるもんだから、すれ違う女子からの視線が痛い。なるべく下を向いてだれとも視線を合わせずに、凛の部屋の前まで行く。


(部屋についたはいいけど、何て言えばいいんだろう)


 とりあえずノックをしてみる。

 返事は無い。鍵は閉まっていたので、早速鍵を開けて中に入る。


(……愛梨に許可もらってんだし、いいよな?)


 今更ながら不安になるが、部屋の中は真っ暗だった。

 扉を閉じて、部屋の奥に進む。


(寝てるのか?)


 そう思ったが、枕元のスタンドの明かりがうっすらついていて、凛はベッドの上で膝を抱え、顔を膝に埋める様にして座っていた。

 なるほど。これはかなり重症みたいだ。愛梨が俺達の部屋に逃げ出してきた理由もわかった気がした。


「……凛」


 そう声をかけると、凛はばっと顔をあげた。


「えっ、翔くん……? どうして?」

「愛梨が鍵渡してくれたんだ。電気、つけていい?」

「ま、待って」


 凛は慌ててティッシュを二枚程取り出し、目元を拭いていた。


「いいよ」


 言われてから、壁にあった電気のスイッチをつけた。

 明るくなった部屋に居たのは……おそらくさっきまで泣いていたであろう凛だった。目が赤いし鼻もずるずるいっていた。

 弱々しく怯える様に俺を見ている。その姿を見て、ああ、と思う。


(凛は……もうすべてを失ってしまっているんだ)


 ──あなた、いつからそんな弱そうな目をする様になったの?

 夕方の、玲華から凛への痛烈な言葉。しかし、それは媚びているわけではない。許しを請うているわけでもない。

 きっと今は……それが彼女なんだ。

 すべてを失って、何も縋るものがなくて……何も身を守る術を持たない少女。それが今の雨宮凛なのだ。


「どうしたの……?」


 凛の横に腰掛ける。

 怯えた様に凛はこちらを見上げていた。彼女は何に怯えているのだろう。わからない……わからないけども、俺がやる事は変わらなくて。

 彼女の細い肩を、遠慮がちにそっと抱き寄せた。

 彼女は一瞬びくっとからだを震わせたが、その後は身を委ねる様にこちらに凭れかかってきた。


「……あははっ。私、凄くダメだね」

「何が」

「私さ、玲華に会ってから怖くて堪らないんだよね」


 少し茶化したような、あっけらかんとした口調を作って凛は話した。


「怖い?」

「玲華は本当に翔くんの事を好きなんだって改めて解って……翔くんに前を向いて欲しいから別れて、きっと別れてからも大好きで」


 作っていた口調が一瞬で崩れて、ぐずっと鼻を鳴らす。


「私だったら、そんな決断できない……好きなのに別れるなんて、絶対にできないよ」


 俺もできなかった。

 玲華の存在が重荷で、辛かった。だけども、それでも別れを切り出せなかったのは……きっと好きだったからだ。


「ねえ……どうして私、こんなにも弱くなっちゃったのかな。翔くんが居なくなるかもって考えただけで怖いのに……自分からだなんて、絶対にできない。結局私、玲華になんて全然及ばない。今もこうして会いにきてくれたのがとっても嬉しくて……とっても怖い」


 凛の頭を寄せて、子供をあやす様に髪を撫でた。

 凛は……本当に弱い。多分それは、玲華が知らなかったことで、だからこそ落胆していたわけで。もしかしたら、凛の関係者の大半が凛は名前の通り凛々しく強いと思っているのかも知れない。そして、俺以外と接している時の凛は、そう感じさせた。

 凛が芸能界をいきなり辞めた時も、誰も凛の弱さを知らなかったから、皆が困惑したのだ。


(でも、それが何だ?)


 俺が初めて見た時から凛は弱かった。

 むしろ俺は弱い凛しか知らない。

 彼女は初めて見た時から悩んでいて、滅多にしない悩み相談を俺に打ち明けていた。

 そしてすべてを無くす覚悟で俺のところに来た。

 それから俺達は付き合う様になったけど、後ろ向きな関係だった。

 お互いが同じ傷を持ち、お互いの傷を舐め合う関係だった。

 でも、それじゃダメなんだと思う。それだと簡単に関係は壊れてしまう。

 また今日みたいな事があって……何か問題が起こって、お互いが不安になってしまったら、二人共々倒れてしまうんじゃないだろうか。

 お互いが支え合うんじゃなくて……ただお互いに縋るんじゃなくて。


「別にそれでいいんじゃないか」

「え?」

「弱くたっていいじゃないか……それも凛なんだろ? その弱さもお前を構成する一つだ」


 凛はきょとんと俺を見上げていた。


「今まで散々強がってきたんだろ。周りに悟られない様、自分にすら悟られない様に。それも強さなのかも知れない」


 でも、と付け加える。


「自分の弱さと向き合うのも、強さの一つなんだと思う」


 これは、自信を持って言える。

 俺だってお世辞にも強いとは言えないから。

 逃げてきたから。玲華の言う様に、嫌な事から逃げて、辛い事から目を背けてきたから。

 でも、俺がそれに気付けたのは、凛の御陰なのだ。

 凛が居たから気付けた。凛が弱さを打ち明けてくれたから自分の弱さに気付けた。

 夜の丘で凛と話し合った時、俺は泣いた。あれは、玲華への感情に気付いたからだ。自分が愛されていたという事、そして自分も愛していたという事。

 それは俺が逃げ続けていた事の一つだった。自分の弱さに気付けた時だった。きっと、凛に会わなければ、気付くのはもっと遅くなっていた。


「凛はさ、初めて向き合ったんだよ。自分の弱さに。今はまだ受け入れたくなくて自分を責めてるんだろうけど……何も、玲華みたいな強さだけが強さじゃない。今までの凛みたいに強がって自分を叱咤激励していくのだけが強さじゃない……自分の弱さを受け入れてから進むのも、強さの一つ」


 だから。


「お互い支え合って縋り合ってたけどさ……俺は、もういい」


 俺は支えてもらわなくていい。


「俺が一方的に凛を支えたい」


 俺には凛が必要で、凛には俺が必要……もうそんな考え方はやめよう。

 縋り合いは何も産まない。

 そうではなく……もっと建設的な関係でいたい。俺が凛を支えることが、俺にとっての強さの証なのかもしれない。そんな考えだった。

 凛は瞳を伏せて下を向いたかと思うと、俺の胸に軽く自らの額をぶつけてきた。


「……何よ、それ」


 鼻を鳴らして、少し可笑しそうに笑った。


「そんなのただのお荷物じゃない……そんなの嫌」

「凛……」

「私だってちゃんと自分の足で立ちたい。私だって翔くんを支えたい」


 髪を撫でる。

 凛の髪は柔らかくて、サラサラで、良い匂いがするから好きだ。


「私も頑張るからさ……こんなかっこ悪いとこ見せたまま終わらないから」


 ぎゅっと、凛は俺の服を掴んで、俺を見上げてくる。

 その瞳には迷いはなく、先ほどの弱さや怯えはなかった。


「翔くんは知らないかもしれないけどさ……私、本当はもっとかっこいい女なんだぞ」


 冗談っぽく、笑って彼女は言った。

 素敵な笑顔だった。

 今までの様に弱々しい笑顔でもなく、いつか純哉に借りた雑誌で見たことがある様な笑顔ではなく……きっと、心の底から浮かんだ笑顔。彼女の本音。


「別に俺はどっちでもいいよ」


 凛は凛だから。

 強がろうが弱かろうが、かっこよかろうがかっこわるかろうが、変わらない。


「ありがとう……」


 凛は首に腕を回して抱きついてきた。

 ふわりと全身に凛の香りが覆う。


「ねえ、一つだけ教えて」

「なに?」

「玲華の事……好き?」


 予想外の質問だった。


「好きだったよ」


 昔は、凄く好きだった。きっと、世界で誰よりも彼女の事が好きだった。


「でも、今は違うかな。昔の感情とか思い出とか混じってくるから解らなくなる時もあるんだけど……今好きかどうかって訊かれると、多分、好きじゃない」


 今は凛が好きだから。心の中でそう付け足す。


「そっか……じゃあ、信じる」


 見つめ合って、お互いにくすりと笑って、どちらともなく唇を合わせて、またお互い照れ笑い。


「もし、中学の時塾で私と出会ってたらどうだった?」

「あー……」


 多分、その時だったら見向きもしなかったんじゃないかな、と思う。

 当時の俺は残念なくらいに玲華しか見てなかった。


「あっ、今『その時だと好きにならなかった』って思ったでしょ!?」

「…………」


 だからその鋭さは発揮しないでくれ。


「いいよ、知ってたから」


 言って、お互いに笑う。

 どうやら見抜かれてしまったようだ。こういう鋭さが戻ってきたあたり、凛も大分復活してきたのかもしれない。


「愛梨と純哉君はなにしてるかな?」

「あの二人? 多分俺の部屋で暇してるよ」

「じゃあ、今から行かない?」

「そうだな。二人共心配してるだろうし」

「あ、ちょっと待って」


 凛は立ち上がって鞄の前でしゃがみこんで、中から手鏡を取り出し、自分の顔をチェックし始めた。「あちゃー、目が赤くなってる」とかぶつぶつ文句を言っていたが、元気そうなので微笑ましくなる。さっき部屋で沈み込んでいた凛と同一人物とは思えない。


(……まあ)


 本音を言うと、もう少しこうして凛と二人きりでイチャつきたかったのだけど。


「よし、行こっ」


 凛が準備万端という感じで立ち上がったので、俺も頷き、立ち上がって部屋を出た。


「あっ。もしかして、もっと二人でいたかった?」


 鍵を掛けている最中、不意に凛は言った。

 図星過ぎて「うっ」と変な声が出たのを聞くと、彼女は悪戯気に笑っていた。


「だーめ。せっかくの修学旅行だしさ、皆とも思い出作りしたいじゃん?」


 まあ、俺もそう思ったから異議申し立てをしなかったのだけれど。


「だから……また今度ね♪」


 パチリとウィンクして、凛は軽い足取りで廊下を歩いていく。

 なんか立場逆転してないか。いや、構わないんだけど。

 なにより凛が元気になってくれて良かった。

 苦笑しつつ、俺は凛を追った。

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