1章 第27話 レイカ
マネージャーの田中と別れた後、凛に何度か電話をかけてみたが、反応は無かった。
このまま帰るのも気が引けたし、気がかりな事……いや、確認したい事があったので、再びスマホで電話をかけた。コールが数回鳴った後、相手の声が聞こえた。
『おお、相沢か。どうした』
電話の相手は純哉だ。
「なあ、今から家行っていいか」
『はあ? お前明日テストだぞ』
「わかってる。ちょっと確認したい事があって……見せてもらいたいものがあるんだ。時間は取らせない」
『あー? まあ、いいけどよ。どうせ勉強なんかする気なかったし』
そんな事だろうと思った。だから電話をかけてみたのだ。
「じゃあ、すぐ行く」
『おう』
電話を切って、そのまま急ぎ足で純哉の家に直行した。
薄暗くなった田圃道をひたすら歩く。
もう夏の虫の鳴き声はしないし、少し肌寒くなってきた。季節はもう変わっている。
暫く歩くと、小規模な住宅街が見えてきた。鳴那町は商店街から少し離れると田園が広がり、小規模な住宅街がちらほらとある。俺と純哉は別々の住宅街だが、似たような住宅街の中に住んでいる事には変わりなかった。バブル崩壊して土地の値段が大暴落した時に、マイホームを持ちたい若い世代の夫婦が家を建てたという。純哉の家はそうした過程で建てられたらしい。一方、うちの家はそうした過程で建てられた家を、借家として借りている。相続されたが使い道がないため、格安で貸してくれているのだと親が言っていた。リフォームもされているので、借家にしては比較的綺麗な家だ。
純哉の家に着いてインターホンを押して名前を言うと、中に通してもらった。
「で、何の用なんだ」
「あー……あのさ、凛が載ってる雑誌持ってない? 中学時代の」
「はあ? 何なんだよ、一体。何があった?」
「いいから。見せてくれ」
俺の命令にも似た口調に純哉はたじろぎ、押入を開けて段ボールを取り出す。
「どれだったかな……」
がさごそと段ボールを漁り、女性ファッション誌の束を床に並べていった。
「つかさ、何で女物の雑誌ばっかなんだ」
「少し前まで凛ちゃんがそっち系にしか載らなかったからだ。グラドルとかアイドルじゃないから男性誌には載らなかったんだよ」
むすっとして純哉が答える。
水着とかを晒してるんじゃないなら良かったけども。
「いや、じゃなくてさ……これ全部買ったの?」
というか、なぜ女物のファッション誌に触れる機会があったのか。男子高校生が買うものではない。
「あー、最初に買い集めてたのは姉貴。俺はたまたまそれを見てて、凛ちゃんに一目惚れしてからは自分で買う様になった」
ああ、そうか。こいつには二つ上の姉貴が居たのか。確か去年まで同じ鳴那高校に通っていたらしいが、卒業後はどこか都会で働いているらしい。よく純哉の家には来るが、俺は会った事がない。
「お前さ、レイカっていうモデル知ってる? 凛とよく一緒に載ってたっていう」
「レイカ……? ああ、REIKAか。知ってるぜ。一時期よく一緒に写ってたな。知らない間に消えてたけど」
「そいつが写ってるの見せてくれ」
「は? 凛ちゃんが見たいんじゃねーのかよ」
「いいから。見せてくれ」
「ったく、意味わかんねーな……ちょっと待ってろ。」
純哉は溜息を吐きながら雑誌を開いて中身を確認していく。
「ああ、あった。この子だよ」
雑誌を開いたまま、こちらに渡してきた。
それを奪い取って見てみると……諦観と絶望が同時に襲ってきて、溜息が漏れた。
(……やっぱ、こうなるんだよな)
そこには、俺が知っているレイカ……元恋人の久瀬玲華の姿があった。
ちょっと長めの大人ショートカットで……切れ長のきつい目つきをしているけど、足が長くてスタイルもよくて、一見クールな姿。でも、ほんとは悪戯好きで面白い事が大好きで、たまに気分屋を発揮して俺を困らせる……俺が好きになった玲華でしかなかった。激しい頭痛に堪えるので精一杯だった。
RIN&REIKAのダブルインタビューとして題されたそのページ。二人が仲良さ気にポーズを取ってカメラに笑顔を向けていた。凛は今より少し幼いが、中学三年とは思えないくらい大人っぽかった。玲華は……知りすぎていて、今更思い返す気にもならない。
雑誌の発行月は、ちょうど俺と付き合う少し前の時期だ。あいつ、俺に黙ってこんな仕事してたのかよ。
さっと目を通すと、一つの質疑応答が目に止まった。
──好きな男性のタイプは?
RIN『え、好きなタイプ!? ……えっと、私は優しくて頼れる人が好き、かな。REIKAは?』
REIKA『私より頭が良くて常に努力してる人ですね』
──REIKAさん、即答ですね(笑)
RIN『REIKAってすっごく頭良いんですよ。学校でも塾でもダントツ一番で』
──おお、じゃあ男性陣はものすごくがんばらないとREIKAさんに相手をしてもらえない、と。
REIKA『そういうわけではないけど。それに、RINだって頭良いよ』
RIN『REIKAの足下にも及びません(笑)』
──さて、才色兼備なお二人ですが、もしお二人が同じ男性を好きになった場合はどうしますか?
RIN『えぇっ……どうしよう。きっと何も言わずに黙ってるんじゃないかな。私の性格的に(笑)』
REIKA『RINとなら真っ向勝負! 負けないよン♪』
──おおっと、まさかの宣戦布告ですか! こわいこわい……ところで、そんなお二人にお伺いしたいのですが……
というところで読むのをやめた。そこから後はファッションに関する事だったからだ。
そこから順に月を追って雑誌を見ていくと、REIKAが最後に載っていたのは去年の春頃。それ以降REIKAは雑誌から姿を消している。高校入学する前には辞めていたらしい。
「で……一体なんなんだ。いきなり押し掛けてきて、凛ちゃんじゃなくてREIKAを見せろって、意味わからんぞ」
「ああ……悪い」
雑誌を返して、困惑している純哉を見る。
「この子……REIKAな、俺と付き合ってた事があるんだ」
「え? えぇ!?」
雑誌のREIKAと俺を見比べながら、更に困惑を深める。
「嘘だろ!? マジでこのREIKAと!?」
「マジで。で、付き合い始めた頃から雑誌に載ってないけど」
俺は全くこんな事聞いてなかったけど、と付け加えた。純哉から渡された玲華の写っている雑誌は、どれも俺と付き合う前のものだった。受験で忙しくなるから辞めたのかもしれない。
「ふはー……マジかよ。で、今は凛ちゃんから気にかけらてるってか。お前凄すぎ。って、あれ?」
そこで、純哉が動きを止めた。
「じゃあ、凛ちゃんお前の事知ってたんじゃね? この二人、中学じゃ凄い仲良しだったってどこかで見たぞ」
「……そうなるよな」
そう……そうなってしまうのだ。
そしたら俺と凛は偶然知り合った事じゃなくなる。少なくとも、夏休みの最後に会った時、向こうは俺を知っていた事になる。なら、凛はどうして俺と関わろうとした? どうして自分の友達の元彼に近寄ってきた? 色んな嘘を吐いてまで。芸能界を辞めてまで。
いや、芸能界を辞めた理由はさっき訊いた。多分あれは嘘じゃない。あの涙は信じたい。ただ、辞めた後の行動は、愛梨も言う様に明らかに異常だったと思う。
どうしてこの町……いや、俺と接点を持たせる必要があったのか。
「で? それで一体どうしたんだよ」
俺は、純哉に今日あった事を話すべきかどうか迷った。
愛梨を除けば、純哉は唯一の友達といっても過言ではない。凛と付き合っていることを知ったらこいつは俺を恨むんじゃないだろうか。
「……言いたくないんだったらいいけどさ。何となくわかるし。まあ、いつかちゃんと教えてくれよ」
どこか遠い目をして言う純哉。
何となく、純哉は気付いているんじゃないだろうか。今置かれている俺の状況に。
いつか話すよ、とだけ俺は応えて、純哉の家を後にした。
純哉の家を出てから、俺はもう一度凛に電話をかけた。
今度はちゃんとコールされた。しかし、延々とコールは続く。
(……出てくれ)
心の中でそう祈りつつ、俺は電話を鳴らし続けた。
何コール目だろうか。数えるのも嫌になった時、ピッという電子音がし、画面に通話中と出た。
「凛?」
凛は何も言わなかった。
風の音が携帯電話から流れてくる。
「よう、生きてるか」
『……うん』
小さく頷く声が聞こえた。
「今、どこ」
また沈黙。
「会って話したいんだけど」
『……ごめん』
そう言って、彼女は電話を切る。
何の手がかりも無しかよ。
ただ、俺には彼女の行きそうな場所に心当たりがあった。それに、あの風の音……多分、高台だ。該当する場所は一か所しか無かった。
「待ってろ」
そう呟いて、純哉から借りた自転車をあの場所へと向かわせた。俺と凛が初めて会話した、あの神社に。
石段の前で自転車を乗り捨て、ゆっくり階段を上っていく。
もう外は真っ暗で、街灯が少ない神社付近では、やや危ない。
石段を登り切り、神社の横をすり抜けて横の森に歩をすすめ、石畳を歩く。
来てみたものの、何を話せばいいのだろうか。
いろいろと不安が過ぎる。
森を抜け石畳の切れ目が見えると、月明かりにだけ照らされた丘が見えた。
凛の寂しそうな後ろ姿が見える。
細い体がいつにも増して細く見えた。凛はあんなに小さかっただろうか。彼女はこちらに気付きつつも振り向かなかったので、そのまま横に座った。
お互い、黙り込んだ。
お互い、相手を見ようとしなかった。盗み見たその横顔は、涙の跡があった。
「あははっ……ごめんね。ひどいとこ見せちゃった」
凛が茶化した様に切り出した話は、突拍子のない事だった。
「でも、大丈夫っ。ファーストキスもバージンも守ったから! あんなキモオヤジが私に触れるなんて、神が許してもこの私が許さないのであります!」
あっけらかんとして冗談っぽく言っているが、明らかに強がっている。
実際に何があったかは知らない。追求もしない。ただ、そんな彼女を見ていると、なんだか切なくなって、凛の肩をぎゅっとこちらに引き寄せた。
驚いて顔を上げた彼女に、自分の唇を彼女のそれに押しつける。
「んっ……」
驚きによって大きく見開かれた目は、次第にゆっくり閉じられ……涙が頬を伝った。
唇を離して、指でその涙を拭う。
「カッコ悪いよね、私……」
「そんなことないさ」
いやいやするように、凛は子供の様に頭を振る。
「だって……逃げちゃったし。こんな恥ずかしいとこ、見られたく──」
「うっさい。黙れ、バカ」
彼女の頭を抱き抱えて、乱暴な言葉を投げかける。
「俺は凛が好きなんだ。今のお前が好きだ。それで文句ないだろ」
「あっ……」
凛の顔はゆっくりとくしゃくしゃになり……瞳から涙が溢れた。
これが凛の素顔。
越えられない壁に何度も破れ、自信を無くし、それでも足掻き続けた後にたった一つのものを求めたひとりの女の子の素顔。
「うぅ……」
唸る様に彼女は俺の肩に腕を回して、顔を胸に押しつけてきた。
凛の良い匂いが俺を包み込む。独占したいと思ってしまう。
「もう強がらなくていいから」
彼女の頭をそっと抱き寄せて言ってやる。
すると、彼女は大声で泣き始めた。
いろんなものを絞り出す様に。これまで一人で抱え込んできたものを吐き出す様に。悔しさと絶望と挫折と……色んなものが入り混じった涙だった。
俺はただ、彼女の気が済むまで泣かせてやるしかなかった。
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