1章 第21話 凛への疑念

 天津屋につくと、純哉と愛梨がまだ注文せずに待っていてくれた。


「「遅ぇ」」


 不満そうな二人の声が見事にハモった。

 素直に謝って、待っていてくれた事に礼を言う。まさかこの二人が食わずに待っていてくれるとは思ってなかったから、内心嬉しかった気持ちが大きい。

 純哉は天津定食大盛りとラーメンを注文し、俺は普段通りチンジャオロース定食の大盛りを頼んだ。愛梨は担々麺を頼んでいた。


「それにしても、お前あんな煩い中でよく寝れたな。横すげー人集まって騒いでたじゃねーか」


 純哉が水を飲みながら言う。


「その事なんだけど……」


 ついでに、二人にはさっき教室であった出来事を話してみた。すなわち、凛のカウンセラーっぷりの話だ。


「ほれ見ろ! わかったか? 俺が凛ちゃんを大人っぽいって言った理由」


 純哉は得意気な顔をして見せた。悔しいが、反論の余地がない。


「つか、お前人の相談盗み聞きとかサイテーだな」


 愛梨が軽蔑した様に言う。


「俺だって好きで聞いてたわけじゃねーよ! いきなり悩み相談が始まって……で、どう思う?」

「何が」

「俺等と居る時との違い」

「ああ……」


 愛梨は鞄の中を見て何かをごそごそ探しながら、どうでもよさそうに答えた。


「多分あのあっけらかんとしてて大人っぽいのがあの子の本来の姿なんだと思うよ。自然だし、慣れてる」

「慣れてる?」

「そう。多分モデルの時とか向こうの学校ではあれが普通というか、自然だったんだろ。あの凛の顔は、あたしも知ってるRINだ」


 鞄の中からライターとタバコを取り出し、一本口に加えた。

 ここだけの話、愛梨は喫煙者だ。俺が元ヤンかと疑った理由の一つなのだが、どうやら元彼に吸わされて以来ハマってしまったらしい。量もあまり吸わず、嗜む程度だという。

 学校や家ではまず吸わず、俺等と居る時だけたまに吸っているみたいだが、日曜日は凛がいた手前か吸っていなかった。こちらが嫌になるくらいのヘビースモーカーではないし、他人の嗜好を否定する気もない。それにしても、愛梨がタバコを吸うと妙な貫禄が生まれる。ちなみに、吸っている銘柄はラッキーストライクの一一mgだ。こいつ、ほんとに高校生かよ。


「ああ、そういやお前もRINのファンだったもんな。同志に気付けなかったぜ」


 なんで言ってくれなかったんだ、と純哉は悔しそうに言った。


「テメーと一緒にすんな。RINはあたしと体格とかが似てたモデルだったから、参考にしてただけだっつーの」


 愛梨は不機嫌そうにタバコに火をつけて、煙を吐く。ここで「顔のパーツは全く似ても似つかないけどな」なんて言おうものならあのタバコの熱い部分を顔面に押しつけられる事になるので、絶対に言ってはならない。


「まあ、その話は置いといて」


 灰皿がテーブルに無かったので、隣のテーブルから灰皿を取って渡してやった。愛梨は「サンキュ」と言いながら、その灰皿に灰を落とす。


「前に言っただろ。『人付き合いが苦手』だとかって話は本心じゃないって。それを証明出来た。それだけだろ」


 そういえば愛梨はそんなことを言っていたし、俺自身もそれは感じていたことだった。

 愛梨のタバコのハコを手元で弄びながら、凛の顔を思い浮かべた。今日の凛は、いや、俺等以外と居る凛は、なんだか名前の通り凛々しくて、別人みたいだった。


「何で凛ちゃんはあんな嘘吐いたんだ? 別に俺等、人付き合いが得意でも気にしないのに」

「知るか、本人に聞けよ。ただ、少なくともそういう嘘を吐く必要があったのは事実ってことだろ」


 愛梨の溜息の形を煙が型どり、テーブルに吹きかかる。

 嘘を吐く必要性など、全く思いつかなかった。タバコを置いて今度はライターに手を伸ばしたが、愛梨に叩かれて阻止された。ライターは触ってはいけないらしい。


「おいおい、凛ちゃんを悪く言うなよ。友達だろ?」

「ああ、そうだよ。だけど、わかんねー部分が多いのも確かなんだ。何でわざわざ女子で一番浮いてるあたしと日頃一緒に行動するのかも謎だし、更に言うなら何であたし等、いや、相沢に拘るのかも謎」

「こいつに?」

「だって、相沢だって会ったの夏休み最後の日だろ? それなのに同じクラスに入る為に知り合いだったって学校に嘘吐くって、正直かなりブッ飛んでる。しかも理由が人見知りで、顔見知りが居ると楽だからって……たった一回しか会ってねーのにおかしいから」


 例え一目惚れしたとしてもやり過ぎだ、と愛梨は付け加えた。

 一目惚れ、という単語に少し嬉しくなったが、慌ててその妄想を打ち切る。芸能人御用達の堀高に居た人間が俺なんかに一目惚れするわけがない。

 本当の事を言うと、転入までに凛と会ったのは二回だが、それ以外は愛梨の言う通りだった。あまり考えない様にしていたが、愛梨の疑問はまさに俺が内心に押さえ込んでいた疑問と同じだった。


「……なあ、やめようぜ。本人が居ないとこでこんなこと言うの、なんか悪口みたいじゃねーか。凛ちゃんが嫌いなのか?」


 純哉は少し悲しそうにして言った。


「嫌いじゃねーよ、バカ。ただ……わかんねー部分多いと不安になんだろ。せっかくあたしと仲良くしてくれる女友達が出来たのに、もしかしたらただ利用されてるだけだったらって……」


 愛梨は苛ついた様にタバコの先を灰皿に押しつけて火を消した。


「凛はそんな奴じゃない」


 思わず、愛梨の言葉に反論した。愛梨はムスッとしたまま、もう一本タバコを取り出した。

 そこに、料理を持ってきた中国人店長が厨房から現れた。


「アイヤー、愛梨チャン。タバコ吸う良いけど制服で吸っちゃダメネー。先生に見つかったらワタシ怒られちゃうネ」


 純哉の話ではもう十年くらいここ天津屋はこの人が店長らしいが、日本語はずっとこんな調子らしい。


「おう」


 愛梨はそう返事して、またタバコに火をつけた。

 愛梨、それ会話成立してねーから。しかも今から料理食うのにタバコつけた意味ないだろ。嫌がらせにしか思えない。中国人店長は呆れた顔をしていたが、それ以上は何も言わずに料理を並べて厨房に戻っていった。


「おおっ、美味そう♪ もう腹ぺこで死にそうだぜ」


 純哉はいただきますも言わずに箸を割ってラーメンをすすった。


「かぁーっ! やっぱラーメンと言えばコレだぜ!」


 ほんとこいつは幸せそうだな。見ていて飽きない。

 愛梨はタバコを加えたまま、担々麺の中に髪が入らない様に髪をポニーテールに括った。


「担々麺の中に入っても髪と同じ色してんだから括る必要なくね」

「うるせー殺すぞ」


 ちょっと冗談を言っただけなのに、物騒な返事が返ってくる。

 全く、困ったもんだ。

 そういえば、明日の予定どうしよう。凛に鳴那町案内を命じられているわけだけども、当初はここで昼飯を食う算段だったのだ。さすがに二日連続でチンジャオはなー……まあ、いいや。とりあえず食べよ。

 もぐもぐ……。

 あ、やっぱ美味い。明日もチンジャオでいっか。


◇◇◇


「あー、今から数学のテスト勉強かよ。だりぃ」


 食後、愛梨はまたタバコを吹かして怠そうに言った。


「中間テストは再来週からだろ?」


 テスト勉強には早すぎる。愛梨がそんな真面目な様には思えないが。


「いや、明後日月曜の授業内テスト」

「なにそれ? 初耳なんだけど」

「おまえ、聞いてなかったのか? 今回範囲広くて大変だろうから二回に分けるって先週堤下が言ってただろうが」


 堤下ってのは数学教師だ。いつも女子から人気を稼ごうと必死な哀れな奴。俺が寝ている時に重要事項言うなんて、何たる卑劣な奴だ。


「く、詳しく……」

「お前なー……」


 純哉は呆れ顔だった。


「数学は授業内テストと中間テストはどちらも六十点満点で、合計百二十点満点で成績出すってさ」

「百二十点満点? 百点超すじゃねーか」

「だから、百を越した時点で百点扱いなんだって。二十点分猶予をくれるんだろ」


 へー、優しいじゃないか堤下。今度はそれで女生徒からの人気アップ狙いか。懲りないな。


「で、今からその勉強を『アイビス』でやるわけだけど、アンタも来る?」


 アイビスは喫茶店の名前で、よく俺等が溜まっている喫茶店だ。例の、凛と仲良くなったらつれて来い、と宣ったあの店だ。


「いや、行きたいのは山々だけど俺今教科書持ってねーし……」


 まずい。小テストなら家に帰って寝てもいいが授業内テストが中間テストの成績に入るならそういうわけにも行かない。

 明日は一日潰れるだろうし、今日勉強しとかないと。


「はあ……教科書取りに戻るか」

「それがいいだろ。アンタ明日は用事あるんだろ?」

「ああ……って、知ってたのか」


 どうやら、愛梨は明日凛を俺が案内するのを知っていたらしい。


「そりゃあね。楽しみにしてたみたいだから」


 悪戯気に笑いながら、愛梨がこちらを見る。なるほど、凛が愛梨には話したみたいだ。


「あん? 明日何かあんのかよ?」


 事情を知らない純哉が一人首を傾げる。


「アンタはいいの」

「俺だけ仲間はずれかよ」

「そういう事」


 愛梨が身も蓋もない言い方をする。

 ちょっと可哀相だけど、純哉にバレたらバレたで面倒だから愛梨の気遣いには助かった。そういえば明日は純哉と鉢合わせない様にしないといけない。いろいろ面倒だ。


「ほら、さっさと行きな。あたしはこれ吸ってから出るから」


 店の奥から「愛梨チャン吸いすぎアルヨー」という店長の声が聞こえたが、愛梨は無視して副流煙を天井に吐き出していた。


「ああ。じゃあ金置いてくな」


 チンジャオ定食の六百円だけテーブルに置く。


「お前も教科書取りに戻ってからアイビスに来いよー」


 純哉が手を振る。彼には、「気分が乗ればな」とだけ返事して、天津屋を後にした。

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