1章 第20話 本当の凛?

 凛が編入してきて二週間近く経つ土曜日、既に当初程の混乱は校内では起こらなくなっていた。

 まだ凛を見かけると驚いたり感心したりする生徒は多いものの、サインを求められまくったり、それこそこの前の日曜日みたいに人集りが出来る事は、学校内ではなくなっていた。少しずつ凛のいる生活に皆が慣れてきたのだろう。

 その事もあり、最初程俺達が凛を保護する必要もなくなっていた。教科書も届いたので、机をひっつけてわざわざ見せてやる必要もなくなっていたし、放課後や昼休みも付きっきりで守る必要もなくなっていた。

 また、彼女は相変わらず女子からは凄い人気で、昼休み含め休み時間は女の子に囲まれている事が多く、俺達と過ごす事も少なくなっていた。凛は自分に向けられている好意を無碍にしてまで、自分の意思を優先しようとはしない子なのだ。雑誌のインタビューでのイメージのまんまだ、と純哉は感動していた。

 体育の授業なんかは愛梨と一緒に二人グループになっているとは聞くけど、愛梨は今の状況をどう思っているのだろうか。凛が編入してくる前の、平穏な生活に戻りつつあると言えばあるのだが……俺は少し物足りなさを感じていた。

 なんだか、最初の頃みたいに、もっと色々頼ってほしかった。凛と話していたかった。明日の日曜日は凛に鳴那町を案内すると先週約束をしたが、果たして今の彼女にそれは必要なのか。そんな風に思う様になっていた。

 土曜日は昼までで学校が終わりなので、もう放課後が始まったのは気付いていたが、俺はいまいち動く気がおきず、授業終わりからずっと机に突っ伏していた。今日は朝寝坊したからパン屋に寄る事も出来ず、しかもこの食欲の無さでは購買の戦線に立ち向かう気力も無かった。帰るのもまだ怠い。

 寝ようにも、横の席(すなわち凛の席)を人が囲んでお喋りが行われている為、なかなか煩いので眠れない。目は瞑っているものの、となりの席の会話が流れてくる。


「ねーねー、凛。すぐ帰る?」


 誰かが凛に話しかけた。


「ううん、もう少し学校にいるよ」

「ちょっと相談していい?」

「どうしたの?」


 立ちかけた凛が、もう一度座り直す音がした。


「たとえば、何だけど……好きな人に彼女や好きな人が居た場合、凛ならどうする?」

「え? んー……美奈はどうしたいの?」


 凛は少し考えてから、訊き返した。

 相談相手は美奈というから、多分同じクラスの坂之上美奈だろう。同じクラスだが、接点が無さすぎて名前以外何も知らない。四月から同じクラスだったのに何も知らない俺と、恋愛相談を受ける凛。凄い差だ。


「それがわかんないから聞いてるんじゃない」

「ううん、そうじゃなくてさ。追いかけたいとか、諦めたいとか。そういうの」

「そりゃ諦めたくないけどぉ……」


 坂之上は言い淀んで、黙り込んだ。


「なるほど。つまり、諦めたくもないけど、追いかける勇気もないというわけですな?」


 そんな坂之上に対して、凛はあっけらかんした言い方で彼女の考えを要約してみせた。


「うん、まあ……そんな感じ。あたし、恥ずかしいけど、こういう経験なくて。どうしたらいいかわかんない」

「恥ずかしいだなんて。誰だって初めてはあるから、心配しないの」


 凛は諭す様に言う。その話ぶりが、なんだかカウンセラーみたいだった。坂之上がほっとしたのが、ただ聞き耳立ててるだけの俺にもわかってしまう。彼女が皆から好かれる理由がわかった気がする。


「でも、なんかいつまでも片思いとかさ、虚しいじゃん?」

「どうしてそう思うの?」

「え?」

「あのさ、自分の気持ちに嘘吐いてまで終わらせる事なんてないんじゃないかな」


 凛の指摘に、坂之上は黙り込んだ。周囲の女子は、「さっさと忘れないと次の恋にいけないじゃない」とか「男なんかいくらでもいるって。あたしなら忘れる! 食べる! で、寝る!」だとか個々の恋愛観を述べていた。ただ、あまり真剣に答えている様には思えず、笑って言っているように思う。それに対して、凛は真剣に答えているようだった。


「ううん、違うよ。自分の気持ちに嘘吐いて忘れようとするから、心が悲鳴上げちゃうんだよ」


 凛が周囲の意見に反論して、続けた。


「世界にたった一人しか居ないその人を本当に好きになったんなら、他の人で代用なんて出来ないんだし……それを無理矢理忘れちゃうのは、その人を好きだった自分を否定しちゃう事にならない?」


 そこで「あ……」と口々に勝手な事を言っていた女子達も、黙り込んだ。


「だったら……そのままでいいと思う。今は辛いかも知れないけど、多分無理に忘れようとする方が、実は辛いんじゃないかな?」

「そうかも……」

「だからって、ずーっと思い詰めちゃうのもダメだけどね。この際、自分に『私は彼が好きだった!』って堂々と言ってやればいいじゃん。そうすればさ、いつかたどり着くべき場所にその気持ちはたどり着くと思うよ」


 ──だから、自分の気持ちに正直になってあげて。

 凛はそう最後に付け足した。


「う、うん……ぐすっぐすっ……うぇぇん」


 なんと、どういうわけか坂之上は泣き出してしまった。


「もう〜、泣かない泣かない」


 がたっと椅子から立ち上がる音が聞こえた。多分凛が立ち上がって坂之上美奈に何かしてやってるのだろう。


「だって、だって……好きだったんだもん……」

「うんうん……そうだね。美奈は正直になれたんだから、きっともう大丈夫だよ」


 小さな子供をあやす様に、凛が優しく語りかける。

 あくまでも音声だけだが、なんだか……俺が知ってる凛じゃない気がした。

 凛のカウンセラーっぷりに単純に驚いた。明朗快活な解答、ってところか。何かをやれと言うわけでもない。我慢しろと言うわけでもない。ただ、純粋に自分の正直な気持ちを受け入れろ、と言う。

 果たして俺ならばあんな解答を用意できるかと問われれば、まず出来ない。俺はそこまで大人じゃない。純哉が『凛は大人っぽい』と言った理由がわかった気がした。俺といる時の凛とは、全く違う。

 なんなんだろうな。どうして凛はこうも、俺とそれ以外の誰かとでは態度が違うのかな。少なくとも俺はこんなにあっけらかんとした凛も、頼もしい凛も見た事が無かった。

 そして……凛が坂之上美奈にアドバイスした事は、単純に俺にも当てはまっていた。

 まだ玲華を引きずっているわけではない。ただ、雨の日になると思い出したり、『レイカ』という名詞を聞いたりすると反応してしまった時に、俺は毎回果てしない自己嫌悪に陥る。

 自分が原因で別れて、彼女を重荷に感じて心のどこかで別れを望んでいて。それで酷く彼女を傷つけていたのに、未練たらしく思い出して彼女の事を考えてしまう自分が情けなくてかっこわるくて仕方なかった。

 ただ、凛の見解で言うと、それは間違いで……無理して忘れようとしているから、そうした自己嫌悪に陥るのだ、という。その見解が正しいと思った。


「凛って凄いよね」


 坂之上美奈ではない誰かが言った。


「え、なんで?」

「そんなにちゃんとしたアドバイスができるって事は、自分の中に確信したものがあるって事じゃない? それって凄いと思う」

「うんうん! あんなに人気あったのに、いきなりモデルも辞めちゃうし。そういう決断力とか、本当にうち等と同い年なのかなって思っちゃう」

「……そんなこと、ないよ」


 少しだけ、凛の言葉が詰まっていたような気がした。


「ううん、当事者じゃないあたしだって聞いてて感動した!」


 俺も感動しました。しかも納得させられました。


「あはは、大袈裟だってば」


 どこか凛の笑いは乾いていて、褒められているのに嬉しそうではなかった。


「……私だって、結構色々あるよ。一人で決断出来なくてくよくよ悩んだりもするし、誰かに頼りたくもなるし……皆と一緒。何も変わらないから。全然、凄くなんかないよ」


 どこかアンニュイな態度で彼女は静かに答えた。それは、あの八月最後の日の事を指しているのだろうか。


「えー!? うっそだぁ。だって凛ならさ、絶対美奈みたいな経験ないでしょ?」

「え? どうして?」

「だって、凛って超モテるじゃん? 男を他の誰かに取られるなんて無いっしょ」

「そんなことないよ」

「凛、その謙遜はあたし等にとって嫌味になるよ?」


 そうだぞ、凛。こんなど田舎の女子に謙遜してもそれは上から目線の嫌味にしかならんぞ。と、心の中で同意する。


「ほんとだってば。だって私、今まで付き合った事ないもん」


 有名モデル、まさかの爆弾発言。


「「えぇぇぇぇえ!? 嘘ぉぉぉお!?」」


 そこにいた女子全員が大声を上げた。俺も声をあげそうになった。


「マジマジ♪」


 それに対して、明るく答える凛。


「私ってこんなだから軽いイメージあるかもしれないけど、実はとっても純粋無垢で清らかな女の子なのさ♪」


 なんだか、今の台詞を言った凛の顔は簡単に想像出来た。多分、すごいどや顔な感じだと思う。


「なのに、昔からなーんでか恋の相談ばかりされるのよね。だから、なんていうか……何となく雰囲気でわかっちゃう。どういう気持ちで相談しにきてるのか」


 要するに相談され過ぎて、統計で類型別にアドバイス出来るって事か。それ、本当に心理カウンセラーとやってる事が同じじゃないか。

 あと、俺も今一つアドバイスを受けたい事があって……いつまで寝たフリしてればいいのかな。いい加減逃げ出したいのだけど。

 そんな事を考えていると、幸か不幸か、ポケットの中のスマホがふるえた。

 身体がびくっと震える。しかもバイブが二回で終わらない。って事は着信だ。このまま寝たフリを続けるのは難しい。

 女子達の会話も止まって、視線をめちゃくちゃ感じる。

 俺は背中に嫌な汗をかきながらも、出来るだけ眠そうかつ怠そうな顔と動作を作って、大きなあくびをしてからスマホを取り出す。発信者は純哉だ。バカ野郎。タイミング悪すぎだ。そう悪態をつきながら、電話に出る。


『おー、出たか。今どこ』

「……あ? まだ教室。寝てた」


 後半嘘です。


『え、あれ本気寝だったのかよ』

「煩いな。そうだよ。で、なに」

『いや、帰り一緒に飯食って帰らね? 天津屋、今日全品大盛り無料だぜ』


 天津屋とは商店街にある中華料理屋で、月に一度だけ全品大盛り無料デーがある。学生には大助かりなサービスだ。


「ああ……わかった。愛梨は?」

『一緒』

「了解。席確保して待ってろ」

『はいよ』


 そうして電話を切った。

 腹は減ってないのだが、今はここから逃げ出したくてたまらない。俺は何食わぬ顔で、鞄を取って立ち上がった。


「ねえ、相沢君」

「……なに?」


 ギクリとして、一瞬反応が遅れる。

 凛を囲んでいた女子の一人・クラス委員の川原悦子がこちらに話しかけてきたのでそちらを向くと、坂之上以外の全員がこちらを見ていた。坂之上は椅子に座ったまま、凛の腰に抱きついて泣きじゃくっていた。凛は坂之上の頭を撫でている状況だ。

 その凛はと言うと、苦笑いというか、バツの悪そうな笑みを浮かべていた。


「さっきの話、聞いてた?」

「いや……全く」


 嘘です。が、今は本当の事を言わない方が絶対に良いと全俺が訴えかけている。


「ほんとに?」

「マジ。つか、行っていい? 待ち合わせしてるからさ」


 逃げたい逃げたい逃げたい。 俺の心はその言葉で埋め尽くされていた。


「ああ、うん……ごめんね呼び止めて」


 川原は疑いの目を変えなかったが、解放してくれた。

 そのまま帰ろうとすると、


「あ、翔くん!」


 今度は凛に呼び止められる。いちいち心臓に悪い。


「ん?」

「またねっ」


 そして、笑顔で手を振ってくれた。

 また明日、という意味だろうか。

 嘘を吐いてしまったことに少し罪悪感を感じながら、「おう」と一言だけ言って学校を後にした。

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