間話 イカの冒険・後半
夜になった。
芝生と森の境界線まで下がり、火を炊いて野営の準備を始める。
背後には破壊不可、通行不可の六重構造結界と森が続いていた。
「饅頭一号、焚き木が足りん。風魔法で取ってこい」
イカレリウスは頭に葉を一枚つけている森精霊を便宜上『饅頭一号』と呼び、葉が増えるごとに饅頭二号、三号、四号と名付けた。何の情緒も思い入れもない呼び方であった。
「わかりました、イカさん」
「略すな。イカレリウス様と呼べ」
「舌を噛みそうです、イカさん」
饅頭一号はふよふよと飛んで結界の向こう側へと飛んでいった。
どうやら、森精霊はあの結界を素通りできるようだ。
中身が無事だったバックパックから燻製にした魔獣の肉を取り出し、土魔法で即席の土鍋を作って火にかける。水魔法で湯をつくり、森で採取した植物を適当に入れて肉と一緒に煮込んだ。
饅頭精霊が持ってきた焚き木をくべて火力を調整し、スープを完成させた。
空を見上げれば星が燦然と輝いている。
イカレリウスは娘とこうやって食事をしたい、と思った。あのおてんば娘はキャンプや冒険が好きだった。ゼノ・セラーが現れるまでは元気で幸せそうな娘だった。
(ソフィア……俺の……俺たちの娘…………)
青いロングヘアーに丸みを帯びた瞳。
目を閉じれば亡き妻に似た愛娘の顔が浮かんでくる。
あの子は、新しいもの好きで好奇心旺盛などこにでもいるような普通の女の子だった。
カッコいいからと沿海州で流行ったドレッドヘアを父親のイカレリウスに勧め、「お父さん、いつもより怖くなった」と一人でコロコロと笑った。
家の庭で育てていたブルーコスモスが枯れて、一晩中べそをかいていた。
初めて魔法を覚えたときは飛び跳ねて喜んでいた。
妻が病気で死んだ日は二人で抱き合って泣いた。
表情が変わりやすい裏表のない性格で、よく周囲からは、娘さんはイカレリウスさんに似ていないですね、と冗談を言われたものだ。無愛想なイカレリウスに代わって、来客の対応をしてくれたことは数え切れないほどだった。
(…………ソフィア)
イカレリウスは小さな村で氷魔法の研究をしながら魔導具を販売していた。妻がいなくて寂しくなることもあったが、そこには娘の成長を見守る幸せな時間が流れていた。娘と二人、穏やかな時の流れに身を任せた。
娘が十七歳のときであった。
ゼノ・セラーが現れ、イカレリウスの氷魔法の腕を買ってセラー神国への士官を勧めてきた。当然、断った。
そこから、歯車が狂い始めた。
ゼノ・セラーの勧誘が激しくなり、あの男は強硬手段に打って出る。
古ぼけたアーティファクトでソフィアをクリスタル化させ、さらにクリスタルでその回りを固めるという、非人道的な方法をためらいもなく実行した。
「素晴らしい調度品になりましたね。娘さんの可愛らしい顔が永久に保存されるのですから、あなたは世界一幸せな父親ですよ」
ゼノ・セラーが言った。
イカレリウスは何も感じていないゼノ・セラーのガラス玉のような瞳が、脳裏に焼き付いて今でも忘れることができない。
何度も戦いを挑んだが、負けた。あの男は強かった。
そのうちゼノ・セラーが、「砂漠の賢者を殺してきてください。複合魔法の呪文を奪ってくれば娘を元の姿に戻してあげます」と提案してきた。
百回殺しても殺し足りない憎い相手であったが、クリスタル化した娘を救うには恭順するより他なかった。
その後、何度か砂漠の賢者ポカホンタスに戦いを挑んだ。ポカホンタスの強さを見込んで、殺すのではなく弟子入りして強さを磨こうともしたが、相手にされなかった。
ソフィアがクリスタル化してから数十年が経っている。
生きているのか死んでいるのかわからないが、あきらめるつもりはない。
ゼノ・セラーが隙を見せるまでは従順な犬のふりをしてやる。そう自分に言い聞かせている。
(アーティファクトを奪ってクリスタル化を解く方法を探る。そして、ゼノ・セラーを殺す。それまでは死ねん。一秒でも早くセラー神国に戻らねば)
イカレリウスは感傷を振り切り、椀に入ったスープを無造作に口へ運ぶ。
野生的な味だ。塩分を含有したどんぐりを入れているのでそこまでひどくない。
これを食べたソフィアが「あまり美味しくないけど美味しいね」と星を見上げながら笑顔で言う姿を想像し、イカレリウスは頭を何度か振った。
(くそっ……)
イカレリウスはスープを飲み干し、どうにか思考を
(コアは三つではない。先ほど攻撃したら、やけに地面付近を触手でかばっていた。十中八九、四つ目のコアが地中に埋まっていると考えていいだろう。くそったれの小汚い岩だ)
破壊したはずのコアはすでに復活している。饅頭精霊の言うとおり、同時に破壊しなければあの大岩は死なない。
(色々と試してみる必要がありそうだ)
イカレリウスは土鍋にお椀をつっこんで、二杯目のスープを木のスプーンでかき込む。
「イカさん、四つ目のコアが地面に埋まっているのは間違いなさそうですね」
「地中からママの気配がします」
「ぶらぶら、腰ミノ作ったよ。あげる」
「アハハ、同時に四発攻撃は無理な気がする」
饅頭一号から四号が好き勝手に言う。
話によればあの
さらに
「饅頭一号。おまえらは森で人間を見つけたら二次被害をふせぐために透明化して南へ行かないように囁いているんだな」
「そうです」
「俺に幻惑魔法は効かん。なぜずっとついてきた」
「イカさんが一直線に
「ということはアレか。俺が捕えられたのは」
「単なる偶然です。はい」
「……ちっ」
イカレリウスは運のない自分自身に悪態をついた。
少しでも進路がずれていればあの大岩にかち合うことはなかったはずだ。運命を司る契りの神ディアゴイスがここにいるなら、振りかぶった拳を顔面に叩きつけてやりたかった。
☆
六重構造の結界に捕えられてから一週間が経過した。
魔力が回復次第、すぐに攻撃をしているが決定打には至っていない。
氷魔法上級でコアを三つ同時に破壊し、すぐさま地中のコアを破壊しても大岩は死なない。一つコアが生きていればすぐさま他のコアを修復され、無限ループになる。上級魔法を行使後、波状攻撃をしかければ防御が手薄な大岩のコアを同時破壊できるかもしれなかったが、さすがに氷魔法上級“
時間を消費したおかげで、とある結論にも至っていた。
それは『魔法二発を同時行使する』というものだ。
本体であるイカレリウスが魔法を同時に二発撃つことができれば、“
(曲芸じみたことをこんな場所で練習しろというのか)
魔法同時行使は、魔法と身体強化を同時に使うより遥かに難易度が高い。魔力の塊を身体の中で二つ作らなければならず、例えるならバク転をしながらもう一回バク転をしろと言われているようなものだ。
「……」
イカレリウスはくつくつと肩を揺らして笑い始めた。
端から見れば腰ミノ一丁の現地人が杖を持って不気味な笑い声を上げているように見える。
「イカさん、笑い茸でも食べたんです?」
「くすくす……イカが笑っているよ」
「ぶらぶらはご機嫌だね」
「アハハ」
精霊らがふよふよと飛んでイカレリウスに近寄ってくる。
「饅頭一号、二号、三号、四号。食料を見つけてこい。長期戦になりそうだ」
イカレリウスに言われた饅頭精霊たちは嬉しそうに結界の外へと飛んでいった。彼らもイカレリウスの勝利にわずかながら期待をしていた。かれこれ百年ちかく捕縛されている森精霊の母の解放と、熱帯雨林にかけられた幻惑魔法の消滅は、彼らにとっての悲願であった。
☆
魔法同時行使の訓練を始めてから、かれこれ二ヶ月の時が過ぎた。
イカレリウスは木魔法で作製した頑丈な小屋から出て、空を見上げる。見事な晴天だ。
両手を広げて、何度か握ってみる。体調も問題ない。
家の脇へ移動すると、すっかり食事の作り方を覚えた饅頭精霊たちが朝の日課として魔獣の肉を焼き、森野菜のスープを作っていた。芝生のど真ん中に屹立している
「すまんな」
イカレリウスは座りなれた木魔法の椅子に腰をおろした。
スープの芳しい香りが鼻孔をくすぐる。
「イカさん。おはようございます」
「くすくす……寝癖がついているよ」
「ぶらぶらおはよう」
「アハハ、おはよう」
饅頭のような身体についたくりくりした瞳を向け、精霊が口々に挨拶をしてくる。これも見慣れた風景となっていた。初めは全く興味がなかったが、娘が喜びそうな風体をしていると思いついてから饅頭精霊に最低限気を使うようにしている。
朝食を終えると、イカレリウスは饅頭精霊らを見回した。
いつもであれば訓練に没頭するはずだが、様子の違うイカレリウスを見て精霊たちは顔を見合わせた。
「今日、あいつを殺る」
この言葉に精霊たちは身体をぷるぷると震わせた。期待と恐怖が入り混じっているらしい。
イカレリウスは椅子から立ち上がり、小屋に戻ってバックパックの中身を点検する。
熱帯雨林を越えるとその先には延々と沼地が続いている。それを考慮して食料はできる限り入れた。沼を徘徊しているサハギンを避けるための匂い袋――クチナシの花に似た香りのする花びらを火魔法で燃やして乾かし、袋に詰めてある。その他必需品を準備済みだ。
確認を終え、腰ミノを脱いで水魔法で身を清める。
十分に乾かした後、杖を持って腰ミノを付けずに芝生地帯を前進した。腰ミノをつけていると氷魔法で粉々になるからだ。
「イカさん、頑張ってください!」
「がんばって!」
「ぶらぶら!」
「やっちゃえ!」
饅頭たちの声援を背中で聞きつつイカレリウスは進む。
魔法の当てやすい場所まで辿り着くと、朗々と魔法を詠唱し始めた。
イカレリウスは体術でかわしながら、超級魔法“
間髪入れずに『魔法二発を同時行使』すべく、氷魔法上級の詠唱に入る。
イカレリウスは触手を避けながら、己の身体に渦巻く上位上級魔法二発分の魔力を制御し、少しずつ練り上げていく。
一発目は左手から、二発目は右手から放出するように、左半身と右半身で自分の身体を分けてその中で魔力循環をさせて徐々に内包する魔力を大きくし、氷魔法に変換する。さらには背中の双腕にも魔力を送り込んでいく。針の穴に糸を通すような精密な魔力循環に口からうめき声が漏れた。乱れれば魔力が霧散して相当量の魔力が無駄になってしまう。失敗は許されない。
饅頭たちが風魔法で援護射撃をし、触手を少しでもイカレリウスから逸らそうとする。
触手が暴れまわり、芝生の大地にはめくれ上がった土の跡が幾重にも重なる。
頬をかすめる触手に一瞬ひやりとしたが、イカレリウスは魔力循環を乱さず、魔力の充填と詠唱を完成させた。
イカレリウスは鋭い視線で
「“
『魔法二発を同時行使』が――成功
イカレリウス本体から二発、双腕から二発、高密度の氷塊が合計四つ出現。
ヒュウと高速回転をし始め、回転数が上がって女の悲鳴のような音を立てた。
「死ね」
イカレリウスは杖を振り下ろした。
訓練によってさらなる高みへと昇華された氷魔法が砲弾のごとく発射され、通過した場所にバキバキと氷塊を作りながら
頭、中心部、下腹部、地中の四ヶ所を違わず穿ち、コアが破壊される。
しんと周囲が静まりかえる。
イカレリウスと饅頭たちは何も言わずにじっと
すると、周囲に展開されていた六重構造の結界がガラスの割れるような音とともに消えた。
「やった……です?」
「やった……」
「ぶらぶら……」
「ア……アハハ」
饅頭精霊がイカレリウスに近づいていき、それに気づいたのか、イカレリウスがにやりと笑った。
「ぶち殺したぞ」
その言葉に饅頭たちは歓声を上げた。イカレリウスの頭上をくるくると回りながら喜びの声を上げて笑い合う。
イカレリウスは呼吸を整えてから、ゆっくりと
あれだけ手こずった相手も死んでしまえばあっけないものだった。岩と体液の残骸を調べると、大きな魔石が落ちていたので風魔法で引き寄せていただいておく。売り払えば結構な金額になるであろう。帰還の際の旅費代わりだ。
「小汚い魔石だ」
色がくすんでいるのがイカレリウスにはお気に召さないらしい。水魔法で適当に洗って風魔法で小屋へ放り込んでおく。
その作業が終わると、
「ママだ!」
「ママ!」
「お母ちゃん!」
「マンマーーーッ」
饅頭一号から四号たちが一斉に飛んでいき、大きな光球にぴとりとくっついた。
なるほど、あれが森精霊らしい。大きな光球に饅頭が四匹くっついて饅頭屋のディスプレイみたいになったな、とイカレリウスは冷静に観察する。
森精霊は光球から、本来の姿であるらしい饅頭のような身体を現した。
(デカい饅頭の頭上にふさふさの葉。やはり、饅頭にしか見えん)
早く先へと進みたいイカレリウスにとってどうでもいい存在なので、コレと言った感想はない。
彼は踵を返し、バックパックを取りに小屋へ戻ろうとした。
「イカさん。お待ちください」
デカ饅頭から声がかかったので、イカレリウスは振り返った。
「助けていただき、誠にありがとうございました。あなたの様子は地中からずっと見ておりました。あなたは素晴らしい魔法使いです。何かあれば、私がいつでもあなたのお力になります故、どうかそのことを忘れないでください。私は森精霊ドライアド。この森を守る精霊です」
「別におまえを助けたわけではない。俺は先に進みたかっただけだ」
「ええ、存じております。それでもお礼せずにはいられないのです。私は
森精霊ドライアドが瞬きをするとイカレリウスの身体が光に包まれ、深緑のローブが装着された。
裸一貫の男にローブのみ。
罰ゲームとも言えなくはないが、何もないよりはだいぶマシなので、イカレリウスは「すまんな」と言って受け取っておくことにした。腰ミノ一丁で沼地を抜けて人里に降りるのは正直言ってイチモツ――もとい、一抹の不安があった。
「何かお聞きしたいことがあればおっしゃってください。私に答えられることでしたら何でもお話しいたします」
イカレリウスは逡巡し、口を開いた。
「……そうか。ならば聞きたい。アーティファクトによる“
「“
饅頭一号から四号をくっつけたドライアドが、首をひねるみたいに饅頭らしき身体を傾けた。
「かつてそういったアーティファクトがあると聞き及んだことがあります。同じアーティファクトで解除するか、あるいは複合魔法なら解除できるかもしれません」
「複合……魔法だと?」
「ええ、そうです。ユキムラ・セキノさんやアン・グッドマンさんはもうこの世にはいらっしゃいませんけれど……」
「おまえ、あのユキムラ・セキノにあったことがあるのか?」
イカレリウスはドライアドの話しぶりを見てすぐに質問した。
「ありますよ。いつも仲間を笑わそうとしている不思議な方でした。私は“おまんじゅう子”と呼ばれてからかわれていたんですよ」
そう言って静かに笑うドライアド。
イカレリウスは過去の偉人であるユキムラ・セキノがそんな人物だと知り、困惑する。
「あの方は世界の果てを目指して旅をしておりました。この森もあの方にとっては通過点に過ぎません。イカさん。あなたにとってもです」
「世界の果てか」
イカレリウスは奈落と呼ばれる大きな溝の向こう、さらに奥に存在している世界の果てを思い浮かべる。しかし、あまり考えている暇もないことに気づき、ドライアドへと視線を戻した。
「複合魔法なら“
「いえいえ、お役に立てず申し訳ございません」
「そんなことはない。では、俺は行く」
イカレリウスはそれだけ言って踵を返し、小屋へと戻って腰ミノを装着し、魔石をバックへ入れ、手作りバックパックをローブの上から背負った。
小屋を出ると、饅頭一号から四号と、森精霊ドライアドが待っていた。
「イカさん、ありがとう!」
「くすくす……またね!」
「ぶらぶらが隠せるね!」
「アハハ、ありがとう!」
イカレリウスは饅頭たちの言葉にうなずいて、口を開いた。
「世話になった。達者でな」
「イカさん。またこの森に来ることがあれば、どうか私の名前を呼んでください。森にいればどこでも声が聞こえますから」
「……わかった」
もう来ることはない。
そう言おうとして、人生というものは何が起きるかわからないと思い直し、肯定しておくことにした。この場に来たことも、今思えば運命じみたものを感じる。
イカレリウスはもう一度だけ饅頭たちとドライアドへ視線を送ると、身体強化を全身にかけて芝生の上を疾走した。
彼らの声が聞こえるが、イカレリウスは振り返らない。
目的ははっきりしている。
「セラー神国に戻る」
イカレリウスは愛する娘の笑顔を思い出しながら己に言い聞かせるようにしてつぶやき、南へと進んだ。
エリィ・ゴールデンと悪戯な転換〜ブスでデブでもイケメンエリート〜 四葉夕卜 @yutoyotsuba
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