間話 イカの冒険・前半
グレイフナー王国の遥か北方に広がる熱帯雨林。
エリィ達が合宿を行ったヤランガ大草原を越え、帰らずの沼地を北へ進むと、ようやくその姿が見えてくる。
熱帯雨林は未調査の秘境という位置づけになっており、踏破した者は砂漠の賢者ポカホンタス、ユキムラ・セキノパーティーのみであった。もっともその事実を知る者もいないため、グレイフナー王国では冒険者が到達した最深部である熱帯雨林の手前、“帰らずの沼地”を死の大地、禁忌の地などと大仰な別称で呼称していた。
――――ズドォン……!
名前も付けられていない秘境、名無しの熱帯雨林に、何かが流星のごとく降ってきた。
木々が倒れ、日光浴を楽しんでいた鳥たちが突然の闖入者に驚いてギャアギャアと飛び去っていく。
地面には人型にくり抜かれた穴がぽっかりと空いていた。
しばらくすると、穴のふちに手がかけられた。
這い出てきた男は身長二メートル。
頬がこけて目だけがらんらんと獲物を狙う猛禽類のごとく見開かれ、髪は真っ青で腰まで伸びており、髭までもが青い。
「………森か」
苦々しく言葉を放った彼は南の魔導士と呼ばれる男、イカレリウスであった。
彼は子細に自分の身体を点検して、舌打ちした。
手には禍々しい金の杖。
他の装備品はない。
ズボンもマントもシャツも、吹き飛んでしまったのか何も身につけていなかった。
イカレリウスは堂々と金の杖を大地につき、恥ずかしがる様子もなく仁王立ちして周囲を見回した。
(見たことのない森……湿った空気に異様にカラフルな鳥。セラー神国の禁書文献で読んだ秘境の様相と酷似している。まさかとは思うが……帰らずの沼地のさらに北に存在しているという熱帯雨林か……?)
イカレリウスは砂漠の国サンディで憎きポカホンタスと一騎打ちをし、惜敗して空魔法超級“
飄々としたカンフーじじいの顔を思い出し、イカレリウスは盛大に舌打ちをしてどうにか気持ちを落ち着かせた。
(ここが帰らずの沼地の北に位置していると仮定すると、帰還は一筋縄ではいかん。まずは食料。次に装備品。そのあとに細々した道具が必須……あのじじい、余計なことを……)
またしてもポカホンタスの笑う顔を思い出し、イカレリウスは金の杖を地面に叩きつけた。
様子を見ていたらしい黄色い猿が、木の上からヒャアと声を上げた。
人ではない猿にもバカにされた気分になり、またも腸が煮えくり返るも、イカレリウスは愛する娘の姿を思い出してどうにか心を鎮める。
娘。そう、娘だ。
苛立っていた気持ちは娘を思い出すことによって複雑なものへ変化して、暗鬱とした気分へと変質した。
(憤怒したところで何も起こらん)
理性的な考えとは別に彼の思考は飛んでいき、ポカホンタスの顔は消え、諸悪の根源であるセラー教枢機卿、ゼノ・セラーの無機質な瞳が思い浮かんだ。次に、物言わぬ美術品になってしまった愛娘の姿が鮮烈に脳裏をよぎる。ゼノ・セラーが薄気味悪い笑みを浮かべながら、素晴らしい調度品になりましたね、と娘をアンティークのごとく見上げた記憶が、先ほど起きた出来事のように思えた。
(あの男……必ず殺す……)
イカレリウスは脳内でゼノ・セラーの尻に氷魔法中級“
(まずは食料……いや、魔力の回復か)
イカレリウスは眉間に皺を寄せていつもの不敵な表情を作った。
やることが決まれば行動も早い。
ポカホンタスとの戦いで使い果たした魔力を回復するべく、比較的安全そうな場所を見つけて腰を下ろした。
☆
名無しの熱帯雨林に墜落してから一週間が過ぎた。
イカレリウスは布地に近い葉を組み合わせて腰ミノを作成し、鞄代わりになることで有名な食虫魔物を乾燥させて即席のバックパックを作った。バックパックには調達した色とりどりの果実と、火魔法で燻製にした魔物の肉が詰まっている。
(“
どこぞの現地人のような格好をしたイカレリウスがひとりごちて南へと首を向けると、奇っ怪な音とともに、何かの囁きが聞こえた。
「はだかのおとこが行くよ」
「くすくす……ダメなのにね。南には行けないのにね」
「ぶらぶらしている棒を葉っぱでかくしているね」
「アハハ、変なかみがただね」
子どものような耳障りな声だ。
イカレリウスは魔力を急速に循環させ、腰を落とし、警戒レベルを最大に上げた。
(ちっ、またこの声か。どこにいる?)
「“
上位氷魔法中級、“
黄色の猿が逃げ惑うだけで、手応えはない。
「はだかのおとこが何かしたよ」
「くすくす……おもしろいね」
「杖をふったとき棒がぶらぶらしたね」
「アハハ、変な顔をしているよ、ホラ、見てみなよ」
子どもの声は消えるどころか大きくなって聞こえてきた。
(こいつら、何が目的だ? 精神的に弱ったところを魅了魔法で絡め取るつもりか?)
周囲を見回しても魔力のゆらぎはない。
イカレリウスは苦い顔を作り、手製のバックパックから果実をつかんで仇敵へ一太刀浴びせるようにして噛み付いた。
じゅぶりと果実が割れて甘い汁がしたたった。
種も残さずにきれいに果実を食べきると、焦燥感はいくぶん和らいだ。
☆
さらに三日が経過した。
イカレリウスは南へと進む。
のどが渇けば水を魔法で出し、食べられそうな木の実や果実はバックパックへ放り込む。日が沈む前には魔法陣を描いて即席の結界を張り、外敵に備える。
進む方向は “
やがて、熱帯雨林の森が開けてきた。
密度の高い森にはところどころ夕日が差し込み、木々の感覚も広くなってくる。それに合わせて太い蔦ばかりであった植物の様相も変わり始めていた。
(十時間は経ったか……。森の雰囲気が変化してきた。前方にある大岩が野営場所としてよさようだ)
木々の合間から見える薄茶色の大岩を見て決めた。
数分走り、岩が迫る。
イカレリウスはその数十メートル手前で立ち止まり、検分するように見上げた。
(なんだこれは?)
四階建ての建物ほどの高さで横幅はそこまでない。
問題は、大岩に遠慮するかのように木々が生えておらず、大岩を中心にしてコンパスで引いたかのごとく芝生の大地が半径五十メートルほど広がっていることだった。
生命力の高い樹木が開けた大地に根を張っていないことに強烈な違和感を覚えた。妙に整然とした木々の生え方も不気味だ。
(妙な空気を感じる。ヨンガチン渓谷の最下層あった光血甲虫の池のような、胸くその悪くなるこの感じ……。岩を中心とした天然の魔法陣? 魔力の反応はないが念のため――)
イカレリウスは右足に力を込めて飛び退いた。
――ガガッ!
間一髪。先ほどまで自分が立っていた場所に茶色の物体が突き刺さった。
反射的にイカレリウスは杖を振り上げた。
「“
槍の形状をした物体に氷の弾丸が突き刺さり、ドパァ、と弾ける音とともに破裂した。芝生にびちゃりと体液じみたものが広がった。
(生物だと?)
突如として大岩が胎動を始めた。
四階建ての建物ほどの大きさの物体がうごめく姿はなかなかに薄気味が悪く、イカレリウスは顔をしかめる。
「あああっ! 捕われてしまったよ!」
「なんてことだ!」
「ぶらぶらがぶちぶちされちゃう!」
「困ったね。かわいそうだね」
四つの声が突如として聞こえてきてイカレリウスは顔を左へ向けた。
気づけば光球が四つ浮かんでおり、頭上をせわしなく飛んでいる。
この光球が、例の声の正体らしい。
イカレリウスは身体強化を最大までかけ、素早く右腕を振り抜いた。
(これは……なんだ?)
つかんだ光球はクッションのような弾力があった。
よく見ると饅頭のような形をしており、頭から葉が一枚飛び出している。くりくりした黒目と小さな口がびっくりしたように開けられていた。
「離して! 離して!」
「ああ、なんてことするんだ!」
「アハハ、離してくれないかな」
つかまれていない光球が饅頭に葉をつけた本当の姿をあらわして、イカレリウスの右手に体当たりをしてくる。
饅頭がぶつかる柔らかい感触しかないが、イカレリウスは身体強化を解かず、岩から離れるようにしてさらに飛び退いた。
ある程度距離が離れると大岩の胎動が収まり、周囲は静かになった。
「で、おまえらはなんだ?」
イカレリウスは右手に持った饅頭を見下ろして詰問した。
葉っぱ饅頭の生物は手の中でぷるぷると震えながら、黒目を何度が閉じる。
大した魔力は内包していないので、イカレリウスは逃げられてもまた捕まえればいいかと考え、葉っぱ饅頭を解放した。
「びっくりした〜」
饅頭が仲間のもとへ合流すると、イカレリウスに向き直った。
「ぼくらが何か、だよね?」
「くすくす……知らないんだね? ぼくらは森精霊の子どもだよ」
浮いている饅頭の一つがイカレリウスの目線まで浮かんできて言った。葉っぱが二枚頭上についている。他の饅頭は三枚、四枚と個体の差別化は葉の枚数でできそうだった。
「森精霊の子ども?」
イカレリウスが眉をひそめた。
「くすくす、そんなことも知らないんだね」
「そんなことよりもほら、また人間が捕われてしまったよ。ぶらぶら、君はなんでぼくらの忠告をきかなかったのさ?」
葉が三枚ある饅頭がくるくると回りながら聞いてきた。
鬱陶しいのでイカレリウスは容赦なく捕まえて動きを止め、口を開いた。
「帰らねばならん。この道が早い。それだけだ」
「それにしたって普通ならぼくらの声に恐怖して迂回するはずだよ」
葉っぱ三枚の饅頭が身体をきりたんぽのごとく細くしてイカレリウスの指から脱出した。
「ぼくらはね、君のためを思って忠告していたんだよ?」
「俺のため? それに先ほど、捕らわれたと言っていたな。どういうことだ?」
「
それを聞いて、イカレリウスは芝生の真ん中に屹立している大岩を見やった。
「あの岩のことか?」
「そうだよ。ぶらぶらが犠牲になる前になんとか遠くへ行ってもらおうと思っていたのに」
「犠牲? この俺が?」
「ぼくらのママも捕われているんだ。ただの人間じゃ逃げられないよ。後ろを見てごらんよ」
その言葉にしたがって振り返ると、分厚い魔法障壁が展開されており、複雑な魔法陣が渦を巻いていた。
(大仕掛けの巨大結界――六重構造になっている。氷魔法、炎魔法、木魔法、光魔法、黒魔法、空魔法の順に障壁が球状に展開。破壊されれば即座に修復され、それぞれが超級に匹敵する防御の役割を果たしている……か。破壊して脱出するのはいささか厳しいか)
「獲物が入ると発動する仕組みなんだ。ぶらぶらはもうここから抜け出せない。あの岩に取り込まれて死ぬしかないんだ」
饅頭のような気の抜ける風体をしているくせに、やけに辛辣な言葉を投げてくる。
イカレリウスはその言葉を聞いて、特段なにかを感じたわけでもなく、にやりと笑った。
「抜け出せないならぶち壊せばいい。あの薄汚い岩が発生源だろう」
「そんなの無理だよ。あの岩は強いんだ」
森精霊の子どもである饅頭が言い終わるか終わらないかで、イカレリウスは魔法の詠唱を始めた。
十数秒後に魔法が完成し、一気に魔力を解き放った。
「“
バキバキと不穏な音を立てながら、鋼鉄の処女と呼ばれる拷問器具アイアンメイデンを模した高難易度、戦術級の氷魔法が出現した。
分厚い本を開いたような形をした氷の拷問具は、無数のトゲを有した扉をゆっくりと閉じて、大岩を丸呑みにした。
けたたましい破壊音が響き、周囲に冷気のもやがかかった。
もやが晴れると、傷を負った大岩が姿を現した。
(氷魔法上級の攻撃を耐えるだと?)
「すごい魔法だけど意味がないよ」
「くすくす……弱点を三ヶ所同時に攻撃しなきゃ」
「いっせーのせでやるんだよ」
「アハハ、無駄だね」
いちいち腹の立つ言いっぷりに、イカレリウスは一枚葉の饅頭へ杖を叩きつけた。
「ひぎゃあ」
ボールみたいに饅頭がすっ飛んでいき、「あああああ」と叫びながら樹木にバウンドして戻ってきたので、イカレリウスはそのままキャッチした。
「殴るなんてひどいじゃないか!」
「無理だの無駄だのと貴様らがうるさいからだ。無理かどうかは俺が決める。饅頭どもは黙っていろ」
「“
氷魔法中級の防御魔法で咄嗟にガードするも、あっさりと防壁を砕かれて氷粒が舞う。
手に持っていた饅頭精霊を生け贄としてぶん投げ、イカレリウスは後退する。
饅頭が悲鳴を上げ、仲間の三匹があわてて回収した。
(弱点とはコアのことだろう。頭、中心部、下腹部にそれらしきものがあった)
イカレリウスは芝生の大地を警戒しながら進んで
狙うは中心部のコア。
巨大な円錐状の氷が高速回転し、発射された。
――ガギャッ
触手に阻まれて表皮の岩を破壊するだけにとどまる。火力不足だ。
(中級魔法では貫通できんか。表皮の修復をしている間は反撃しないらしいな)
「き、き、君はひどい人だね!」
饅頭のクレームをイカレリウスは完全に無視。
どうにかあの大岩を破壊してこの先に進まなければならない。先へ進む。目的は明確だ。
手作りのバックパックを遠くに放り、杖を構えて魔力を最大限まで高め、三分の詠唱を行って魔法を行使した。
氷魔法超級“
己の背に二本の腕を出現させ、腕一本ごとに魔法を一発行使させる究極の分身魔法だ。しかも魔力が尽きるまでオートガードが可能という反則じみた性能を有している。
とてつもない魔力の波動が放たれ、イカレリウスの背中に氷の双腕が出現した。
さすがに
速度は遅い。
イカレリウスは身体強化でなんなく回避しつつ、さらなる詠唱を開始する。
(饅頭の言っていた同時に攻撃というのは、コア破壊のタイミングがズレるとコアが修復され復活してしまうからだろう。あの手の魔物にありそうなことだ。しかし……あんな物騒な生物は見たことがない。つくづく俺は運がないらしいな)
そう考えつつも狙いをつけて杖を振りかざし、魔力を爆発的に放出した。
「“
中級“
背中の双腕にも魔力を送り込む。
たちまち“
氷魔法上級が三発同時出現。周囲の気温が一気に低下し、芝生が凍てついて青白く変化した。
「穿て」
“
「ぴゃああっ」「寒いよぉ!」「はわわわ」「アハハ、アハハ」
魔法の余波で饅頭精霊吹き飛ばされ、イカレリウスの腰ミノが凍って粉々に砕け散る。
イカレリウスは膝をつき、呼吸を整えてその光景を観察する。
(くそったれの小汚い岩め、そろそろ死んで動きを止めるはずだ。とんだ時間を食われた……もう百回ぶち殺したいところだ)
そう思っていると、
これにはさすがのイカレリウスも絶句した。
(死んでいないだと……?)
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