第254話 グレイフナーに舞い降りし女神⑬



 俺、アリアナ、エイミーは脳天をハンマーで打たれたような衝撃と畏怖を受け、何も言えず、ただただポカじいの瞳を見つめ返した。


 ゴールデン家の中庭には“ライト”の光が静かに落ちている。


 …………ちょっと……ええっ?!


 複合魔法をアリアナとエイミーに授けるって言った?

 “月読み”の条件を満たしたってどういうことか説明プリーズ!


「えっと、ポカじい。それって冗談じゃないわよね?」


 どうにも冗談めかして言いたい気分だったので半分茶化して言うと、エリィが真剣な心持ちで俺と同時に口を開いたらしく、前半はおどけた口調で、後半はやけにシリアスな声色になってしまった。


 ポカじいは俺達の言葉を聞いて何を思ったのか、申し訳なさそうに眉をハの字にして口を開いた。


「冗談ではないぞい」


 ポカじいのはっきりした断定口調に、アリアナとエイミーが驚いて見つめ合った。


「ポカじい、条件を満たしたって…?」


 どういうことなの、とアリアナが狐耳をぴくぴくさせながら尋ねた。

 エイミーも混乱からかいつもより大きなアクションで首を振っている。


「そうじゃのう。まずは“月読み”の予知から話そうかのう」


 ポカじいは両手を腰の後ろに回して空を見上げた。

 首都グレイフナーの夜空は明るく、満天の星空とは言いがたかったが、それでも日本に比べればはるかに美しい輝きで満ちていた。


「最後の“月読み”はわしが入手した複合魔法を、誰に、いつ、どこで、どのように伝授するかを予知したものじゃ」


 そういえばそうだった。

 落雷魔法を授けられたエリィにも明確な予知があったな。


「エリィの場合はこうじゃ——」


 ポカじいがこちらの気持ちを汲んでくれたのか、朗々と予知を読み上げた。


「雷を操りし者の守護者、魔闘会が終わる次の週、雷雲の日に、グレイフナー一番街へ現れる。年頃は十三歳。プラチナブロンドに、純朴な碧眼。類を見ないほどの巨体で、身長は百六十センチ。予知者はこの者を見つけ、落雷魔法と魔法陣を授けるべし」


 かなり正確な予知だと思うが、“月読み”が示唆してきた、類を見ないほどの巨体、ってひどくない? 

 あのときのエリィは110キロあったからなしょうがないといえばそれまでなんだけど、もうちょっと、こう、オブラートになぁ……あ、エリィがめっちゃ落ち込んでる。


 アリアナが察してくれたのか、背中を撫でてくれた。

 ありがとう。アリアナはホント空気の読める素敵な女子だ。


 エイミーは「うーん、それってエリィかなぁ?」とだいぶ的外れなことを呟いていた。


 我が麗しのお姉様はエリィのことをずっと可愛いと思っているのか、類を見ないほどの巨体、という部分に引っかかっているらしい。うーんとかふーんとか言いながら何度も首をひねっている。


 相変わらずちょっと考え方がズレてるよな……。ま、そこがエイミーのいいところだが。


「して、おぬしら二人にも該当する予知が出ておる。正直なところ、わしも初めは半信半疑じゃったんじゃがな、時が経つにつれてこの予知がアリアナとエイミーに向けられたものだと確信できるようになったわい」

「ポカじい、それってどういうこと?」

「わしの頭の中には予知がずっとあったのじゃ。誰が適合者なのか探すのも楽しみであったんじゃよ」


 ……ああ、そういうことか。

 ポカじいは最初から正解の書かれた答案用紙を持っていたわけで、最後の“月読み”を行使してから、それに見合う人物を探していたってことだ。

 誰が複合魔法を使うのか探すのは骨でもあったが、楽しくもあったのだろう。


「まずはアリアナの予知から話そう」

「ん…」


 腹をくくったのか、アリアナが背筋と尻尾をピンと伸ばした。


 ポカじいの宣言に、急に鼓動が速くなるのを感じた。

 俺一人しかいなかった複合魔法の使い手が、今は分かっているだけでエリィを含めて三人いて、さらにこれから二人も増えようとしている。この世界の真理に近づいている気がして、自然と無言になってしまう。


 アリアナとエイミーも同じなのか、身を固くして興味津々といった様子でポカじいを見つめた。


 軽く咳払いをして空気を締めると、ポカじいがゆっくりと開いた。


「無を召喚せし者、雷を操りし者の傍らにおり、共に歩み、希望を胸に宿し、どんな困難にも立ち向かう。年頃は十五歳。狐人族。大きな瞳と愛らしい姿で人々を魅了す。予知者が第六の複合魔法使いと出逢った後、無喚魔法を授けるべし」


 沈黙がゴールデン家の中庭に落ちた。


 アリアナだ。この予知は明らかにアリアナのことを言っている。

 運命や宿命など、そういった類の得も知れぬ巨大な力を感じ取ったのか、アリアナがぶるりと身を震わせた。


「エリィがアリアナとともにわしの家へ着たときは驚いたぞい。予知の条件を半分満たしていたからのう。修業するにつれてアリアナが成長し、砂漠を出る頃には、この予知は間違いなくアリアナのことじゃろうと確信した」

「私が…複合魔法を…?」


 さすがのアリアナも怯んでいるのか一歩後ずさりをした。


「エリィ、予知って絶対にアリアナちゃんのことだね。二人は仲良しでいつも一緒にいたもんね〜」


 垂れ目をくしゃりとつぶし、ほっこりした笑顔でエイミーが言ってくる。


 そう面と向かって言われるとなんだか急激に恥ずかしくなってしまい、俺とアリアナは互いを見ながら顔を赤くした。

 くぅー、乙女の動きになってるぞ、俺。

 あ、動きはいつも乙女か。


「第六の複合魔法使い、というのがゼノ・セラーなのは疑いようもないことじゃ。奴を追っている際に予知のことを思い出して、そうか、ついにきたか、と思ったわい」

「無喚魔法って、さっきパンタ国の王様が…?」


 アリアナが気を取り直して俺に聞いてきた。


「そうね。ユキムラ・セキノのパーティーにいた無喚魔法使い、アン・グッドマンの書簡を持っているって言っていたわね」

「ん…」

「無喚魔法を習得したら報告すべきでしょうね」

「そうだね」


 俺とアリアナは見つめ合い、こくりとうなずき合った。


「時間が惜しい。エイミーの予知を伝えるぞい」


 ポカじいが言ったので、俺達は前へ向き直った。

 今度はエイミーが身を固くして緊張した顔になったので、俺とアリアナで彼女の手を握ってやる。

 エイミーは大丈夫、と言いながらしっかり手を握り返してきた。


「生を樹に与える者、雷を操りし者の姉妹にして、莫大な魔力量の持ち主なり。グレイフナー王国で誰しもが知る存在でありながらも、表裏のない性格から、絶大な人気を誇る。予知者はこの者が臀部を顔へ押し付けてきた後、生樹魔法を授けるべし」


 いやいや、いやいやいや、臀部ってフレーズで全部台無しだよ!?

 尻が複合魔法を授けるトリガーになってるとか?!

 “月読み”先生、ちょいちょいふざけてません!?


「でんぶ……? あ、私さっきポカじいの顔をお尻で踏んづけちゃった」


 エイミー、本当にじじいが喜ぶことしちゃったのかよ。


「うむ! ちょうどエイミーの尻付近に脱出してのう! こう、ぎゅもっと押しつぶされたわい!」

「あああ、あの、ごめんなさい気づかずに座っちゃって!」

「ほっほっほ、気にするでないっ! わしはこの予知のために生きてきたと言っても過言ではない!」

「変なところで胸を張らないでちょうだい!」


 ポカじいが顔をキラキラさせてエイミーの尻を見て、うむ、と大きくうなずいた。我が一生に悔いなしとか叫びそうな清々しい顔だ。


「予知も捨てたもんじゃないのう! まったく生樹魔法の使い手がエイミーでよかったと何度心の中で叫んだかわからん! あの感触を味わいながら窒息死できたらどれほどに極楽っピヤァッ!」


 アリアナが鞭で思い切りポカじいの頬を引っぱたいた。


 ほら、言わんこっちゃない……。


「スケベ、めっ…。真面目に話をするっ…!」


 綺麗な残心を取るアリアナを尻目に、ポカじいが地面にバウンドしつつ錐揉みしながら中庭の植え込みに突き刺さり、「……ふぁい」と力なく返事をした。




       ◯




 とりあえず一気にギャグ路線へと変わってしまった空気をもとに戻すべく、植え込みからポカじいを引っ張り出し、軽く“治癒ヒール”してあげて仕切り直しとした。


「うむ、それでは複合魔法を授けよう。アリアナ、前へ来るのじゃ」

「はい…」


 神妙な面持ちでアリアナが一歩前へ出て、ポカじいの正面に立った。

 ポカじいがローブからメモとペンを取り出してさらさらと文字を書くと、アリアナに手渡す。

 彼女はじいっとそのメモを見つめたまま、瞬きもせずに何かを考えた。


「アリアナよ、宙に向かって魔法を唱えてみい。何かあればわしが止めてやる。気兼ねなく行使するがよい」


 澄んだ瞳でポカじいの指差す宙を見つめ、アリアナは首を縦に振った。


「エリィ、エイミー、ちゃんと見ててね…」

「……ええ、分かったわ」

「見てるよ、大丈夫」


 宙を見据えているアリアナに向かって俺とエイミーが返事をした。


 彼女は小さな口を開き、狐耳と尻尾をピンと伸ばして、大きく息を吸い込んだ。



「在るべくして在る物は……

 時の風化に惑わされず……」



 ぶわっとアリアナの周囲に魔力があふれ、足元が蜃気楼のように歪み始めた。

 ラップ現象のような不気味な音が中庭に響いて、空間から黒い滲んだシミが流れ出てくる。


 俺、エイミー、ポカじいは怪奇現象じみた無喚魔法の効果にたじろぎ、息を飲んだ。

 アリアナは集中しているのか、すでに暗記したらしいメモを握ったまま目を閉じている。魔力制御が難しいのか眉間に皺が寄っていた。



「次元の彼方は此岸の彼岸を行来し……

 誰も存在を知る者はおらず……」



 ガラスが割れるような破壊音が無作為にいくつも鳴り始めた。

 蜃気楼に似た足元の歪みは上へ上へと移動してアリアナを取り囲み、呪文が詠唱されるごとに空間が直線的に割れてビキビキと音を立てながら段階的にずれ、割れた部分からこの世のものとは思えない空気を内包した黒い空間が現れた。



「扉は箱庭への入口にして出口なり……」



 アリアナは無喚魔法の呪文を最後まで詠唱すると、歯を食いしばって魔法を制御し、最後に魔法名を小さく叫んだ。


 俺、エイミー、ポカじいは咄嗟に身体強化をかけて防御の態勢を取る。

 あまりにバカげた魔力の波動を前にして、本能的にガードをかけてしまった。



「…“無喚ディメンション”!」



 重力魔法とはまた別種の重低音を響かせ、黒い空間がアリアナの見ている場所に集合して半径五十センチの穴を生成した。


 見ているだけで吸い込まれそうになる不可思議な空間は、渦を巻いて秒単位で形を変容させている。


「ア、アリアナ! その魔法は!?」


 俺の問いかけも聞こえなかったのか、アリアナは黒い空間をじっと見つめ、おもむろに穴へと右手を突っ込んだ。


「ちょっと?!」

「アリアナちゃん!?」

「効果が分からん! はよう手を抜くんじゃ!」


 俺、エイミー、ポカじいが飛びかかるようにしてアリアナの右手をつかむ。

 そして引っ張ると、何の抵抗もなくするりと彼女の細い腕がこちらの空間に戻ってきた。


 三人で安堵のため息をついて手を放すと、アリアナが何度かまばたきをして、また穴に右手を差し入れた。


「ああっ!」

「また?!」

「やめんか!?」


 また俺達はアリアナの腕をつかもうと慌てるも、アリアナは首を横に振った。


「大丈夫、問題ない…」


 その言葉に俺達はぴたりと動きを止めた。


「中を覗いてみて」


 アリアナがこっちの空間に残っている左手で指を差すので、俺達三人は恐る恐る無喚魔法の生成した穴をのぞき込んだ。


「まあ……」


 その中は宇宙空間と酷似していた。

 黒と紫に彩られた空間がずっと奥まで続いており、惑星のようなものが星のごとく煌めいている。時折、呼吸をするみたいに空間が歪んで黒い裂け目ができたかと思うと、ブラックホールじみた物体が生成されて渦を巻いた。


「アリアナ、この魔法って何なの?」

「うん…、たぶん、別次元への入口を作ってるんだと思う…」

「分かるの?」

「感覚的に、私と魔法が見えない何かで繋がってる…」

「ああ……だから魔法名が“無喚ディメンション”なのね……」

「うん」


 アリアナが魔力を遮断すると、“無喚ディメンション”があっさりと消失し、何事もなかったかのように、静かなゴールデン家の中庭に風景に戻った。


「ふむ。これは色々と研究の必要な魔法のようじゃのう」


 ポカじいが興味深げに“無喚ディメンション”のあった空間を見つめて髭を手で梳いている。


「すごいね! あ、ひょっとして何か物を入れられるんじゃない?」


 エイミーがぶっとんだ発言をしてアリアナに抱きつき、もっふもっふと狐耳を撫でた。


 するとアリアナが何か思いついたのかハッとした表情になり、もう一度魔法を唱えるから下がってくれと俺達に頼むと、再度詠唱をスタートした。


 二回目ということもあるのか、先ほどの不気味な演出はなく、わりとあっさり“無喚ディメンション”による別次元への空間が出現した。


 アリアナはひどく真剣な表情で腰につけているポーチの蓋をゆっくりと開けた。


 なん……だと……。

 そのポーチ……入っているのは………!

 まさかアリアナ……



「おにぎりを入れようというの?!」



 俺の驚きの声に、小さな顎を引き締めてこくりとうなずき、アリアナは三角形のおにぎりをそおっと、壊れ物を扱うみたいに“無喚ディメンション”の中へ入れた。


 そして魔法を解除。


 別次元に消えたおにぎり。


 再度、“無喚ディメンション”を唱えて別次元への穴を生成する。


 アリアナは見守っている俺、エイミー、ポカじいへと視線を送り、おもむろにうなずくと、慎重な手付きで空間へと右手を差し込み、ごそごそと動かしてゆっくりと引き戻した。


 その手には、今朝俺が愛情を込めて握ったシャケおにぎりが握られていた……!


 アリアナはおにぎりをじっと見つめ、パクリとかじった。

 もりもりと咀嚼して飲み込むと、彼女は一言こう言った。



「問題ない…」



 なにが?!

 なにが問題ないの?!


 彼女が何を考えているかは不明だが、アリアナがやりきった、という表情をしていたのでツッコミを入れる気も起きず、よかったねと言って狐耳をもふもふしておいた。


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