第177話 オシャレ戦争・その11
ヒーホーぬいもの専門店は首都グレイフナーの八番街に居を構えている。
名前のまぬけさからは想像できない、大きな敷地を所有しており、身長ほどの高さがある石垣が道の奥まで続いていた。工房は相当広いようだ。
俺、アリアナ、クラリス、エイミー、完全武装のアメリアは、開けっ放しになっている門をくぐり、敷地内へと足を運ぶ。
工房の建物と石垣の間に伸びている樹木から、ヒーホー鳥が有閑を楽しむ声が響いていた。
整備された石畳を歩き、受付はこちらです、という看板の文字に従い建物内に入ると、エプロン姿のきゃわいい姉ちゃんがテーブルの前に座り、何やら忙しそうに書類とにらめっこしていた。
「お仕事中ごめんなさい。こちらを」
持っていた割符を渡すと姉ちゃんが驚いた顔になり、しげしげと俺達を見つめ、エイミーを見て「雑誌のモデルさん?!」と小声でつぶやき、次に完全武装している母アメリアを見てすぐに営業スマイルに変わった。
「ミラーズの総合デザイナー様とそのお連れの方ですね」
「ええ。案内してもらえるかしら」
「……あなた様が、ミラーズ総合デザイナーのエリィ・ゴールデン様でございますか?」
「そうよ」
仮面をつけるアメリアがデザイナーだと勘違いしたのか、姉ちゃんが目を見開いた。まあ、普通はこんなに若くて可愛い女の子が総合デザイナーだって思わないよな。
「失礼をいたしました。こちらで大旦那様がお待ちです」
姉ちゃんは営業スマイルを崩さず、礼儀正しく一礼し、踵を返した。
俺達は彼女のあとへついていく。
途中、工房の中が見えた。
体育館ほどある広さの室内で、数百人が布を各テーブルで縫っている。その奥では、大きな布を天井から吊るして、魔法で裁断していた。
どうやら“ウインドカッター”で断裁し、“ウインド”で所定の位置へ布を移動させ、さらにそれを必要なサイズにカットしているようだ。あっちこっちから大きな声が上がっていて活気がある。ひと目見て、いい会社だと思わせた。
そんな工房を横目に通り過ぎ、大きな扉を姉ちゃんが開けた。
「ミラーズ総合デザイナー、エリィ・ゴールデン様がお見えです」
室内は大きなソファが四つとテーブルの置かれた簡素な作りだった。
ソファに、豚の耳と鼻をつけた大柄な男が座っており、俺達が入ってくると笑みとも無表情ともとれない表情を作った。
アリアナのように人間の身体に耳と尻尾が生えているのが獣人、鼻や身体の一部が獣化している場合は半獣人と呼ぶらしい。若干の差別的な意味を含むので、部族名で差すことが礼儀だ。
彼の場合は“豚人族”と呼ぶのが妥当だろう。
クラリスの情報通り、豚人の店主は一重まぶたでパッと見は凡人に見えるが、実際よく観察すると抜け目がなさそうな顔つきをしている。年齢は四十代後半、といったところだ。
彼は、俺が室内の奥まで入る姿を見ると、失礼のないようのっそりと立ち上がって紳士の礼を取った。
「お初にお目にかかります。私がヒーホーぬいもの専門店の店主、ジョッパー・ブタペコンドです。まさかミラーズの総合デザイナーがあなたのような見目麗しいお嬢様だとは……!!?」
見た目に似合わず丁寧な物腰のジョッパー・ブタペコンドはエリィの美しさに目を見張り、そして最後に入ってきたエリィマザーを見て完全に動きを止めた。
右手を胸に当て、エリィマザーを凝視し、石像のように固まるジョッパー・ブタペコンド。
彼は一気に顔色を悪くさせ、鼻の穴を大きく三回、開いて閉じた。それから右手を胸元から離すと、自分の動揺をかき消すためか、ブヒンブヒンと咳払いをした。
「……まさかとは思いますが」
「そのまさかよ。ジョッパー」
仮面ごしの、くぐもった母アメリアの声が室内に響く。
ジョッパー・ブタペコンドはびくりと身体を震わせた。
「爆炎のアメリア様、誠にお久しぶりでございます。……今日は……どのようなご用件で?」
「そちらのお嬢様の護衛よ」
「あなた様ほどのお方が護衛ですと?」
信じられない、と店主は豚鼻を鳴らした。
どうやら爆炎のアメリア、という名前は有名らしいが、ゴールデン家に嫁入りしたことはあまり知られていないらしい。もし知っていたら、店主はエリィ・ゴールデンの名前でアメリアが来ると予想したはずだ。
「ええ。ちなみにその子、わたくしの大事な娘ですからね。手を出したらタダじゃおかないわよ」
仮面ごしにも関わらず、威圧感のある声色で母が言う。
ジョッパー・ブタペコンドは紳士の礼で曲げていた腰をようやく戻し、視線を俺とアメリアの間で何度も往復させた。
「手を出すなんて滅相もない」
「どの口が言うのかしら」
「さすがに取引先の方にそのような……」
「あなたが女好きなのは知っております」
「ブゴッ」
アメリアにぴしゃりと否定され、店主は悲痛げに豚鼻を鳴らした。
「今日はただの護衛です。余計なことは言わないから安心してちょうだい」
アメリアがそう言ったものの、ジョッパーは大きな身体を内側へ折り曲げ、所在なさげにソファへ腰を下ろした。思い当たる節があるのか、お茶を入れてテーブルに置いた受付の姉ちゃんが、何か言いたげに店主を一瞥する。
「エリィ、大事な商談なのでしょう? お話をはじめなさい」
「分かりましたわ」
相手が萎縮したナイスタイミングだったので、受付の姉ちゃんが勧める通りにソファへ腰を掛けた。
俺の左にエイミー、右にアリアナが座る。
背後にはクラリスとエリィマザーだ。
「ジョッパー・ブタペコンド様、ごきげんよう。わたくし、ゴールデン家四女、コバシガワ商会会長、ミラーズ総合デザイナーのエリィ・ゴールデンと申します。本日は貴重なお時間をいただき誠にありがとうございます」
そう言ってエリィスマイルを店主に向け、立ち上がってレディの礼をし、すぐに席に座った。
ジョッパーは俺の顔を驚いたように見つめ「こちらこそ貴重なお時間を」と言いながら挨拶を返す。エリィマザーの出現で混乱しているのか、あまり焦点が合っておらず口が半開きだ。
「ジョッパー様、まずはこちらを御覧ください」
相手に構えを取らせず、早速話をし始める。
クラリスが背後から出した資料をテーブルへ広げた。
「こちらがミラーズの売上げグラフになっております」
グラフを差すと、エリィの美しい指先に誘われるように店主が資料へ目を落とした。
「去年の四月から今現在の売上げを月ごとに表記いたしました。この並んでいる縦棒が売上げの推移で、下の数字が売上げ高ですわ」
「おお」
「見て分かる通り、六月から急激に売上げが伸びております。ご存知とは思いますが、六月に『Eimy』が初めて発売されました。そこからミラーズの新デザインは爆発的なヒットをしましたわ」
四月の売上げが、90万ロン。
五月の売上げが、86万ロン。
六月の売上げが、1103万ロン。
売上げ12倍。見ると笑みがこぼれる成長率だ。
「新デザインのおかげで、ミラーズはわずか一ヶ月というスパンで12倍の売上げを叩き出しました。雑誌が発売されてからミラーズには連日長蛇の列ができ、途切れることはございませんでしたわ。縫製技師が足りず、在庫切れで少くない売り逃しも発生したほどです」
「12倍……」
「翌月の七月が3500万ロン。八月は二号店をオープンさせたので、売上げが伸び、さらに十月は『Eimy〜秋の増刊号〜』でチェック柄を戦術的視点から展開しました。その結果、チェック柄がグレイフナーでは類を見ない流行を生み、売上げ高は十月が1億2300万ロン、十一月が2億5000万ロンです」
チェック柄と雑誌第二弾は爆発的な人気になった。
十一月に三号店をオープンさせ、さらなる火付けになっている。
「御社……ヒーホーぬいもの専門店様で縫製いただいた服も、街中でかなり見かけることができますわ」
そこまで言うと、アリアナが無言で立ち上がり、ジョッパー・ブタペコンドから全身が見えるようにテーブルから少し離れた場所へ移動し、薄手のローブを脱いだ。
「ん…」
長い睫毛を伏せつつローブを脱ぐアリアナがちょっとエロい……じゃなくって、彼女にはこの説明のために、チェック柄のコクーンスカートを着てもらっている。ローブを着ていたのは相手に服装を見せないためだ。
ちなみにコクーンスカートってのは、腰のあたりに折り目を入れ、膨らみをもたせ、ウエストラインを綺麗に見せてくれる女性らしい服だ。タイトなので戦闘には不向きだな。
トップスは灰色のセーター。インナーに白ブラウス。頭には最近、アリアナが気に入っている獣人用の穴が開いたベレー帽。靴はくるぶし上まである編み込みの黒ブーツ。
はっきり言おう。
ゲロ可愛い。
アリアナは上着をクラリスに渡して、片手を腰に当て、ジョッパー・ブタペコンドを穴が開くほど見つめた。
「今までの常識をくつがえすデザインになっております。どうです? 防御力あるなしより、女性の魅力が引き立つと思いませんか?」
店主はポーズを取るアリアナに見つめられて頬を赤くし、思わず目を逸らした。しかし、引力に引かれるようにアリアナへと視線を戻した。
受付の姉ちゃんも目を輝かせてアリアナの服を見ている。
「おお……これはまた何というか……可愛らしいお嬢さんに見える。できあがったときはこんなタイトなスカートでは動きづらいとばかり思っていたが……」
「新しいデザインは人々を魅了しております」
「それには同意しよう。うちの若い連中もね、いつも楽しそうに服を作っている」
「いいことですわ」
「ミラーズから依頼がきたときは半信半疑だった。おかしな生地、変わった縫製、完成品は防御力がゼロ。従業員達も疑問に思ったのか、これで大丈夫なのかと何度も私に確認をしにきたぞ」
「人間は未知の物に興味を示します。誰しもが見たことのない物、行ったことのない場所へと思いを馳せるものです。たまたま見つけた未知なる物が間違いなく本物で、宣伝もしっかり打ち出しており、いい商材であれば、売れるのは当たり前だと思いますわ」
「……なるほどな。君が総合デザイナーというのはどうやら本当らしい」
「あら、疑っていたのかしら」
「これでも大店を預かる身だ。簡単に人を信用したりはしない」
そう言いつつ、ジョッパー・ブタペコンドはアリアナの服装を見つめ、彼女の可愛い顔へと視線が吸い寄せられる。
「改めて思うが、服とはすごいものだ。目が離せない」
「女好きの方には特にそうでしょう」
「フゴッ! エリィ嬢、あなたまで手厳しいことを」
「うふふ、まあいいではありませんか。彼女の服はいかがです? 可愛くて心臓が止まりそうではございません?」
「ああ、まったくその通りだ」
熱に浮かされたように店主はアリアナを見つめる。
見られているアリアナは何を思ったのか、ゆっくりと両手を顎の下に持ってくると、小さい手で拳を作り、ぷくっと頬を膨らませた。
「“
――――なっ!!!!??
「う゛っ!」「う゛っ!」「う゛っ!」「う゛っ!」「う゛っ!」「う゛っ!」
ぎゃああああああっ!
心臓痛ああああいっ!
打ち合わせにない不意打ちオリジナル魔法“
可愛らしいポーズに、卑怯な上目遣い。ベレー帽から出ている狐耳が昆虫を誘う食虫花のようにぴくぴくと動いて見る者を釘付けにする。
瞬間最大トキメキ風速四億三千万トキメートル(社外秘)を記録っ。
瞬間的な恋に落ちた心は心臓の鼓動を止めた。
アリアナの周囲に、小さなピンク色のハートがふよふよと浮かんでいる錯覚が眼前でチラつく。
俺とエイミーはテーブルに手をついて心臓をもう片方の手で押さえ、クラリスは片膝をつき、母アメリアは両手で胸を押さえてのけぞり、受付の姉ちゃんは「ひぅ!」と両目と口を広げ、一番近くにいたジョッパー・ブタペコンドは「ぶびぃ」と情けない声を上げてソファから転げ落ちた。
アリアナさん急にトキメいちゃうのやめてくれます?!
「んん…」
しまった、みたいな顔をして無表情に戻るアリアナが可愛い。
後で少しばかり怒ろうかと思ったが……お咎めナッシング!
お兄さんすぐ許しちゃうぜよ。
「あ……あらあら、皆さんそんなにチェック柄が素敵でしたか?」
どうにか復活して、余裕ぶった言葉を吐いておく。
こうしたアクシデントもプレゼンの醍醐味だ。
エイミーが「びっくりしたぁ」と小声で言い、クラリス、アメリアも何とか気をつけの姿勢に戻り、受付の姉ちゃんがおっかなびっくり心臓から手を離して安堵のため息をついた。
店主のジョッパー・ブタペコンドは心臓の痛みが引いたのか、顔をがばと上げて回りを見回すと、自分だけがソファから落ちたのが恥ずかしいのか、いそいそと立ち上がってソファに戻った。
アリアナがちょこんとスカートの裾をつまんでお辞儀をし、何食わぬ顔をしてソファへ座る。
こちらも平静を装い、お淑やかに両手をテーブルへついた。
「このように、新しいデザインは女性の可能性を広げてくれますわ」
どのようにだよ、と心の中でツッコミを入れつつ話す。
大事なのはそれっぽく言うこと。堂々と腹から声を出して話すことだ。
「ミラーズの売上げが爆発的に伸びたのも、こうした画期的で可愛らしデザインがひと目を引いたからです。また、グレイフナー国民が柄物にまだ免疫がない、慣れていない、という理由から、手始めにこのチェック柄を流行らせようと試みております」
「それで、『Eimy〜秋の増刊号〜』はチェック柄が多かったのか」
正気になった店主が、丸い顎をさする。
「そうです。先ほどお伝えした、戦術的視点から、チェック柄を意図的にピックアップしました。柄の入った商品を流行らせれば、他の柄への抵抗感がなくなります。我々は服を売る他に、グレイフナー国民の洋服に対する知識教育をしているのです」
「そんな意味があったとはな……」
「新しい服。新しい生地。新しいデザイン。ミラーズの成長は止まりません。この新しい波は、グレイフナーにとどまらず、他国にも受け入れられるでしょう。これは世界規模のビジネスなのですよ?」
「ずいぶんと話が大きくなる」
「考えてみてください。ミラーズが更なる成長を遂げた場合、ヒーホーぬいもの専門店様では捌ききれない量の洋服が注文されます。当然、我々は別の店へと発注します。それをヒーホーぬいもの専門店様が事業拡大して引き受けてくだされば、両社ともさらなる躍進が可能ですわ。今までにない手法の縫製技術の開発や、新しい素材への挑戦など、夢は広がりますわよ」
店主へ事業拡大のチャンスをほのめかす。
ジョッパー・ブタペコンドは周囲の従業員に、もっと店をでかくしたいな、と言って回っていると情報が入っている。野心家なのだろう。
「ほう……」
案の定、話に乗ってきた。
今までは母アメリアの威光でビビっていたので話がスムーズだったが、ここからは違う。彼の顔つきが先ほどと違い、真剣味を帯びていた。
おそらく彼の脳内では、猛烈な金勘定と、ミラーズの先見性と成長率、それに伴って起こる自社拡大の予想図が計算されているはずだ。
ここから、さらなるデータを出して話を展開していく。
短期的戦略から、中期、長期的未来展望を話し、最終的にミラーズがどうなるかの絵図を彼の前で広げる。今回のプレゼンは結末を先行させる直球な言い方よりも、ストーリー仕立ての構成で話を展開した。結末が最後にくるパターンだ。
場の空気で流れを変えれる柔軟性が、俺の持ち味だ。
やべ、超楽しい。日本を思い出すこれーっ。
言葉に熱がこもり、エリィの美しい声が部屋を侵食して焼けるような熱気を帯びる。洋服による未来のパノラマが描かれ、花火のように消えてはまた現れる。
プレゼンの途中で現れた『ゴールデン鉱石』と『ゴールディッシュ・ヘア』には、部屋にいた全員が息を飲んだ。アリアナとエイミー、クラリスは聞き慣れているはずなのに、話の展開があまりに面白いものだったのか、演技なしの感嘆を上げる。
エイミーは打ち合わせをすっかり忘れて俺の話に聞き入っていた。
「エリィはすごいね!」
「姉様、出番出番」
「あ、そうだった〜。では、失礼しますね」
エイミーがソファから立ち上がり、全身を隠していたローブを脱いだ。
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