第167話 閑話エリザベス・恋の愛し方について



 ゴールデン家次女、エリザベス・ゴールデンは、朝の日課である魔力循環を終えて湯浴みをし、メイド達に手伝ってもらいながら豊かな金髪を乾かしていた。彼女の着ているゆったりとしたバスローブは豊満な胸に押し上げられ、大きい曲線を描いている。その艶めかしい姿を見たら、血気盛んな若者は鼻息を荒くするだろう。

 彼女はそんな簡単な事実に気付くことなく、鏡を見て軽いため息をついた。


 鏡の向こうには、母親ゆずりの吊り目にまっすぐに伸びた眉毛、全体的に勝ち気に見える女が立っていた。


「エリザベスお嬢様、何かお悩みですか?」


 クラリスの娘でメイド長のハイジが、ため息を聞き逃さず訪ねてくる。質問しながらも手際のいい彼女の手は止まらず、タオルでエリザベスの黄金の髪をぱたぱたと拭いている。その後ろでは、別のメイド二人が“ウインド”を唱えて髪に風を送っていた。


「いいえ。何でもないわ」


 人に頼るのが苦手なエリザベスは、ハイジの問いに、微笑で答える。


「それならばいいのですが、あまりため息はつかないほうがよろしいかと」

「そうね」

「はい。不安があればなんなりと仰ってください」

「ありがとうハイジ」


 気が利くメイドの優しさで少し気持ちが軽くなったものの、鏡に映る自分を見てすぐに気分が沈む。


 エリザベスは、末っ子のエリィが驚くほど美しくなっている現実にいいようのない不安を覚えていた。理由は、自分だけが三人と違うからだ。

 長女のエドウィーナ、三女エイミー、四女エリィ、全員がゴールデン家の特徴である垂れ目だった。エリィが痩せたことでその特徴がよりはっきりとし、自分だけが吊り目で、何となく疎外感のようなものを感じてしまう。もちろん長女のエドウィーナはちょっとばかり変わり者ではあるがいい姉だし、妹二人は目にいれても痛くないほどに可愛い。特にエリィはいつも自分に気を使ってアドバイスをくれ、はっきりと物を言ってくれるので、以前とは別種の心の繋がりを感じていた。


 でも、自分だけが吊り目だ。それがどうしても嫌だった。

 そう感じてしまう自分の性格にもちょっと辟易していたし、尊敬する母にも申し訳無さを覚えてしまう。ああ私ってどうして、とまたため息をつきたくなって、寸でのところで何とか堪えた。


 つまるところ、エリザベスはゴールデン家四姉妹の中で、一番女の子らしい心の持ち主だった。好きな洋服も以前はふりふりのフリルがついた可愛らしいものだったし、姉妹の誰かが自分に内緒でどこかに出かけるとひどく寂しい気持ちになる。帰ってきたエリィが自分にあまり構ってくれないので、ちょっと拗ねてもいた。もちろん、そんな顔は絶対表に出さないが。


 エリザベスの悩みはまだある。

 日常生活で男性に強くあたってしまう癖が未だに直っていないことだ。エリィに指摘されてから多少マシにはなったものの、男性に頼み事をする際、未だに恥ずかしさが消えなかった。そういった行動が彼女自身の性格なので、仕方がないといえば仕方がないのだが、そこまで理解してくれる男は今のところ現れていない。


 日常的に行われるエリザベスの照れ隠しは、目を見張るほどの美しさと、パッと見でキツイ性格に思われてしまう顔の造形のせいで、男性陣には効果てきめんだった。


 誰からも口説かれない。

 デートのお誘いもない。

 おっかなびっくり話しかけてくる。


 舞踏会でいい雰囲気になったイケメンのハミルは、最初のデートでやたらとボディタッチが多かったので、もう会っていない。あとで女友達の情報網から仕入れたところ、彼は相当な遊び人だという話だった。あのときは格好良かったんだけどな、と思い出してがっかりし、同時にビンタしてやりたい気分になる。


 舞踏会から一年が経ったなぁ、とエリザベスは再度ため息をつきたくなった。


「乾きました、お嬢様」

「ありがとう」


 ハイジがそう告げると、別のメイド二人が“ウインド”の詠唱を止め、杖をポケットにしまった。

 バスローブを脱ぎ、下着を付け、外出用の服を着る。最近ではミラーズの新しい流行の服ばかりを着ている。オシャレの楽しさが最近になってやっと分かってきたエリザベスは、素直にエリィはすごいと感心していた。


 今日はブルーのシンプルなワンピースに白いカーディガン。明らかに防御力は最低ランクだが、エリザベスとメイド達は気にした様子はない。防御力ゼロの服は首都グレイフナーで確実に認知され、じわじわと浸透していた。


「ねえハイジ」

「なんでございましょう」

「エリィは……また私を誘ってくれるかしらね」

「雑誌の撮影、でございますか?」


 持ち前の洞察力で、ハイジは主語のないエリザベスの言葉を補う。


「ええ。あれは、恥ずかしかったけど……楽しかったわ」

「後ほどエリィお嬢様にお聞きしましょうか?」

「いいのよ。あの子も忙しいでしょう」

「さようでございますか」


 ハイジはエリザベスの様子から、これは後で聞く必要があるな、と察する。


 エリザベスはまたモデルをやりたいけど、自分で聞くのは恥ずかしいし、ハイジに聞いてもらうのも、なんだか催促しているみたいでイヤだな、と考えて発言していた。


 ハイジはそこまで気づき、可愛らしい性格をした美しいお嬢様に微笑みを送る。あとで丸ごとエリィに伝えれば、うまくエリザベスを誘導してくれるだろうと考え、あのお方は頼りになる、と勝手に心の中で独りごちた。


「さあ、行きましょう」


 エリザベスは気持ちを仕事モードに切り替え、メイド達に宣言した。


 その声を受けたハイジは静かにドアを開け、歩き出したエリザベスのあとに続いた。



    ◯



 魔導研究所がエリザベスの職場だ。

 研究所は最先端の魔道具開発、オリジナル魔法開発、魔法陣の解明と魔法付与が主な役割だった。一流の魔法使いしか就職できず、非戦闘職を目指す魔法使いにとって憧れの職場でもある。長女のエドウィーナもこの研究所の職員であった。


「ごきげんよう。今日もいい天気ですわね」


 エリザベスは研究所内でも配属最難関と言われている『魔法陣解析』の部署の扉を開け、同僚や先輩に挨拶をしていく。

 室内は広い。魔法を唱える際に発現する魔法陣を解析するため、必然的に面積が必要になる。かなりの面積を有する冒険者協会兼魔導研究所の最上階である七階を丸ごとワンフロア使用しており、壁を取り払ってぶち抜いてあるため、部屋の奥が肉眼だと見えない。端から最奥を視認するためには、木魔法中級“鷹の眼ホークアイ”を使うか、身体強化で視力を強化するしかない。


 エリザベスはミラーズから取り寄せたおニューのパンプスを軽やかに鳴らしつつ、奥へと進んでいく。彼女が通ったあとには、ほんのりと香る花の匂いが残る。


「おはようエリザベス」

「ごきげんようですわエリザベス嬢」

「おお、ゴールデン様。ご機嫌麗しゅう」

「エリザベスちゃんおっはー」

「お、お、おお、おはようでございますエリザベス嬢っ!」


 以前は真面目な顔で「ごきげんよう」しか言わなかったので、他の職員はエリザベスを取っつきにくいお嬢様、と思っていた。最近は練習の効果か、多少なりとも態度が柔らかくなっており、挨拶された職員らはにんまりと笑って挨拶を返してくる。

 そんな周囲の変化に、残念ながらエリザベスは気付いていない。


 自分のデスクに着くと、早速やりかけの解析を開始する。

 就職して四月で二年目になる彼女は、比較的難易度の低い土魔法に関する魔法陣解析の班に配属されており、“地面探索アースソナー”を利用した別の魔法陣開発までを目的にしていた。


「エリザベスちゃん、ソナーお願い」

「はいですわ」


 軽い口調で頼んできたのは班長の三十五歳独身女性、ラブ・エヴァンスだ。彼女は名門貴族の出であったが、運悪く婚約破棄や婚約者の殉職で婚期を逃している。ボリュームのある薄紫色の髪と上品なかぎ鼻が特徴的な女性だった。


 実はこの“地面探索アースソナー”解析班、独身男性の希望が殺到し、所長が苦肉の策で班員を全員女性にするという処置を取らざるを得なかった。どれもこれもエリザベス効果であったが、この被害を一番被ったのは、班長のラブ・エヴァンスだった。彼女はこの悲劇に、男いねー、うちの班男いねー、といつも酒場で管を巻いている。


 そんな事情は露知らず、エリザベスは杖を取り出し、無詠唱で軽やかに土魔法上級“地面探索アースソナー”を唱える。床に手をついて魔法陣がしっかり浮かび上がるよう意識して魔法を使用すると、黄色の魔法陣がくっきりと床に現れた。


「エリザベスちゃんがいてくれて助かるわぁ。いい“読み手”ってなかなかいないのよね」


 ラブ・エヴァンスがエリザベスを褒めながら、精緻な魔法陣をスケッチブックほどある大きなノートへ、かなりの勢いで書き込んでいく。

 魔法陣解析は、魔法を使用して魔法陣を出す“読み手”と、書き写す“書き手”に別れており、“読み手”の詠唱が上手いと“書き手”が楽をできる。


「やっぱり3版に違いが出るわね。次は広範囲索敵のイメージでやってちょうだい」

「分かりましたわ」


 エリザベスは疲れた様子もなく、カーディガンから金細工のバレッタを出して頭の後ろで留め、杖を握り直した。


「いきますわ」

「いいわよ」


 再度、エリザベスは“地面探索アースソナー”を詠唱する。

 今度は先ほどより半径一メートルほど大きな魔法陣が出現した。魔法の効果で床に添えられた右手から、数百メートルの広範囲に渡って人の歩く気配がエリザベスの意識下へ送られてくる。


「3版と……外円にも多少の違いね」


 ラブ・エヴァンスがつぶやきながら、さらさらと手際よくノートへ図形を模写していく。

 魔法陣の厄介なところは、魔力の出力や個人のイメージで図形が変わることにある。ここに法則性を見出し、別媒体へ転写可能な魔法陣の図形を割り出す作業が魔法陣解析の主な役割だ。図形の法則を解明できれば、他の魔法と共有し、独自の魔法陣を作り上げるオリジナル魔法の開発にも一役買うことができる。グレイフナー王国でいうところの『オリジナル魔法陣』だ。


 オリジナル魔法がネーミングと感覚で作ったものとすると、オリジナル魔法陣を生み出すには図形のパターンで編み出される理知的な作業が必要だった。小橋川が作った落雷魔法のオリジナル魔法は、完全にネーミングと魔法センスに依る。一方でオリジナル魔法陣は、データを集約させてパーツを組み合わせるパズルのようなものだ。


 エリザベスは“地面探索アースソナー”を使いながら、近くにエリィかエイミーがいないか感覚で探っていく。何も考えずにこの魔法を使うと、半径百メートルの範囲で地面の上を歩く物体の情報が彼女の頭に入ってくるため、雑音がひどい。他のことを考えて気を紛らわすのが一番よかった。姉のエドウィーナを入れていないのは、彼女が地下二階の実験室にいると分かっているからだ。


 当然、足音の感覚のみで姉妹を判別できるわけはなかった。ましてやこの時間にあの二人が、冒険者協会兼魔導研究所の近くを通るとは思えない。見つかるわけないよね、とエリザベスは考えて、何となく寂しい気持ちになった。


「もういいわよ」

「はいですわ」


 エリザベスは杖に込める魔力を切った。さすがに使用時間が長かったため、軽く息が乱れる。当然、二人の気配を見つけることはできなかった。


「3版がミソね……」


 ラブ・エヴァンスが自分の頬にペンをぴたぴたと当てながら思案顔でノートを睨む。


 魔法陣は便宜上、八つに分けられて解析される。六芒星の頂点を『1版』と呼び、時計回りに、『2版』『3版』と続き、中心部が『心臓版』、魔法陣を覆う円が『外円』と呼称される。

 土魔法上級“地面探索アースソナー”は三番目の区分に顕著な変化が現れるようだ。


「班長、どうでしょうか」


 エリザベスが深く息を吸いながらラブ・エヴァンスのノートを覗き込んだ。


「風魔法の数倍複雑ね。ここだけでも第二菱型陣形の上に古代文字が刻まれているわ」

「木魔法に多く見られる形ですわね」

「ええそうよ。全員集まったら古代文字を抜き出して、翻訳するところからはじめましょう」


 エリザベスはラブ・エヴァンスの言葉を聞いて優雅にうなずき、デスクから古代文字の辞典を取り出した。彼女の眉は引き締まり、完全にデキる系女子のオーラが全開になっている。


 ラブ・エヴァンスは、これでもうちょっと可愛げがあればモテるのにね、と心の中で思いつつも、そんな不器用なところがこの子のいいところよねぇ、と考えなおし、いつも変わらぬ真面目さで仕事に打ち込むエリザベスを微笑ましく見守った。

 そして最後に、うちの班男いねー、男成分が足りねー、と胸中で拳を振り上げて大海原に絶叫するがごとく嘆くのだった。



     ◯



 仕事を終え、家族で夕食を囲み、エリザベスは自室でのんびりしていた。最近の趣味は雑誌を読むことだ。とはいっても『Eimy』は全部で三冊しか刊行されておらず、すぐに見終わってしまう。

 すべてを読み返すと、自分がモデルをやっているページを何気なく眺めることが日課になっていた。


 風呂あがりでベッドに寝転がり、バスタオルで頭を巻いている姿は、何とも美しく可愛らしい。うつ伏せに寝転がると張りのあるヒップがパジャマからぽよんと突き出される。スケベじじいが見たら「たまらんっ」と叫ぶことだろう。


 エリザベスが写っているのは『Eimy〜秋の増刊号〜』の5ページと7,8ページ。特に気に入っているのは、7,8ページのチェックシャツの着回し特集だ。『私はチェックに恋シテル』のキャッチコピーが右上にあり、五つの着回しをしている自分が様々なポーズを取っている。


 エリザベスは写真撮影の場で、あまり緊張しなかった。写真家のテンメイがやけに褒めてくれるので気分が良かったし、出来上がった雑誌に写っていた自分の姿は嫌いではなかった。それに、妙な高揚感もあった。

 写真で撮られ、その姿を他人に見られるにも関わらず、どうして自分が興奮しているのかエリザベスには分からなかった。目立つのはそんなに好きじゃなかったんだけどな、と思いつつも、楽しかった撮影会の時間が胸に焼き付いて頭から離れない。


 エリザベスは足をぱたぱたと動かしながら雑誌に再度目を落とす。


 挑むような目線をこっちに投げ、流行りのチェック柄を着ている自分は、強くて何でも一人で解決できそうな、自分自身の理想の姿に見えた。


 実際は違うんだけどね、と心の中で呟いてページをひとつ前に戻す。


 雑誌がぱらりとめくられると、ノックの音がした。


「エリザベス姉様、いる?」

「いるわよ」

「ちょっといいかな?」

「お入りなさい」


 身を起こしてベッドに腰をかけると同時に扉が開いて、可愛い妹のエイミーが顔を出した。


 エイミーは輝く金髪を揺らして部屋に入ってくると、エリザベスが手に持っていた雑誌を見て目を輝かせ、次に開かれているページが自分とエリザベスがコラボして写っているところだと知り、笑顔になった。

 エリザベスの隣に座ると、雑誌に顔を寄せた。


「私このページすごく好きなの! よく撮れてるよね。さすがテンメイ君」

「私も好きなのよ、このページ」


 エイミーになら自分の気持ちを正直に伝えることができた。この子は本当に裏表がなく、誰にでもいい意味であけすけだ、とエリザベスは思う。


「エリザベス姉様って素敵よね。私、足太く見えちゃう」

「何言ってるのよ、そんなに変わらないでしょう」

「そんなことないよ〜」

「私よりエドウィーナ姉様よ。姉様がいたら絶対に負けるわ」

「たしかに。エドウィーナ姉様のスタイルの良さは反則! あっ。そういえば、エリィがいずれエドウィーナ姉様もモデルに誘うって言ってたよ」

「それは……うまくいくかしらね?」

「どうかな? 全員でできたら嬉しいけど、エドウィーナ姉様は研究で忙しいでしょう。姉様なにか聞いてないの?」

「部署が違うからね」

「お家じゃあまりお仕事の話、してくれないもんね」

「配属部署があそこじゃ仕方ないことよ。……それにしても、そんなに変わらないと思うんだけど?」

「だからそんなことないって〜。エリザベス姉様の足、綺麗すぎだよ」


 エリザベスは雑誌を注視した。

 5ページのキャッチコピーは『これがグレイフナーで流行するチェック柄! オシャレ力が上位超級!』となっており、白黒のギンガムチェックシャツの上からセーターを着たエイミーと、紺と緑のタータンチェックスカート姿のエリザベスが背中合わせてカメラに視線を送っている。


 どれだけ見ても、足の太さはほとんど変わりない。強いていうならば、エイミーの太ももの肉付きがエリザベスに比べて若干いいかも、と見える程度だ。だが本人に取ってはわりと重大なことらしい。これを他のグレイフナー国民の女子に言ったら、ただの自慢にしかならないだろう。


「また一緒に撮影するの楽しみだね!」


 エイミーが急に満面の笑みで言ってくるので、エリザベスはドキッとして思わず雑誌を落としそうになった。そして冷静を装い、目をすがめつつエイミーを見る。


「また私もモデルになるのかしら?」

「ええ! スケジュールはクラリスとハイジで調整してくれるよ。姉様さえよければ、どうかな? エリィがこの雑誌を見てすごく喜んでいたんだよ。特にこの二人のページ!」

「まあ」


 誘拐事件から戻ってきて美しくなり、一皮剥けたエリィにそう言われると、やけに嬉しく感じる。エリザベスは表情を隠しきれずに微笑んだ。


「私の垂れ目と、エリザベス姉様の吊り目って、なんだか相性ぴったりだと思わない? 本当は私、姉様みたいな吊り目がよかったんだけど、こうやって一緒に写っているのを見るとやっぱりこの目でよかったかもって思うんだよね」

「あら、それは……どうして?」


 エリザベスはまさか妹がそんなことを考えているとは夢にも思わず、つい真顔で聞き返してしまう。


「だって私が吊り目だなんて似合わないよ〜」


 あっけらかんとして顔の前で右手をちょいちょいと振るエイミーは、相変わらず邪気がなくて、見る者の毒気を抜いた。エリザベスはエイミーのそんな所作を見て、自分が悩んでいたことがバカバカしく思えてきて可笑しくなってしまい、クスクスとお上品に笑いはじめた。

 段々と笑いが込み上げてきて、エリザベスは右手で口を隠し、左手でお腹を押さえて上半身を前に倒した。声を上げて笑わないよう堪えているので、苦しいらしい。頭にかぶったバスタオルがズレるのも構わず、エリザベスはクツクツと笑い続ける。


「あ〜、ちょっと姉様、笑わないでちょうだいよっ!」


 エイミーが少女の頃のように、遠慮なくエリザベスの肩を揺する。まさか彼女も自分の発言で、普段笑わない姉がここまで笑うと思わなかった。


「ご、ごめんなさい……どうしても我慢できなくって……」

「もうひどい! ぷんぷん丸!」


 エイミーは旅の途中でエリィに教えてもらった『ぷんぷん丸』という、怒ったときに使う効果音を実践した。単に小橋川が言っているエイミーを見たかっただけのネタだ。エイミーは『えいえいおー!』に続き、このフレーズが結構気に入っている。


 しばらくしてようやく笑いが収まったエリザベスはエイミーに謝り、雑誌のモデルを快く引き受けた。


「私が垂れ目でも変よね」


 そうつぶやきながら、エリザベスは雑誌に写る自分と妹を見比べる。

 エイミーの言う通り、吊り目の自分と垂れ目のエイミーが背中合わせに写っている写真には何ともいえない一体感があり、二人の顔のパーツが似ていることで姉妹だと見る者に思わせるも、相反する瞳の違いが二人の個性を強烈に際立たせていた。 

 似ているけど全然似ていない、そんな言い回しがまかり通るのがこのページだ。事実、この二人のページは女性のあいだで非常に人気があった。


「まずは自分を好きにならないとね」


 エイミーが彼女らしからぬことを言う。


「エリィが前に言ってたの。自分を認められないなら、まだ他人を愛する資格がないのよ、って」

「あの子そんなこと……」


 エリザベスはその言葉に、張り手を食らったような大きな衝撃を受けた。

 自分は父のようないい男と結婚したい、恋したい、とずっと思っていた。それは他人から与えられるものだと信じて疑わなかった。見た目だってそれなりにいいし、家柄も悪くない。いずれ運命が自分にいい人を連れて来てくれるだろうと、楽観視していた。そのくせ、姉妹でひとりだけ吊り目だということをずっと気にしていた。


「砂漠の国でジャンさんとコゼットさんの話を聞いたときに、そういう話題になったんだよね。エリィは色々考えてるなぁって感心しちゃった。私も、もっと自分のことを好きになろうって思ったんだ。だから姉様、雑誌のモデルを一緒にやってくれてすごく心強いよ。ありがとう」

「私こそ……あなた達が妹でよかったわ」


 エリザベスの嘘偽りのない言葉だった。

 こんなにも前向きで眩しい妹がいてくれてよかったと心から思う。


「雑誌の撮影、頑張ろうね!」

「そうね」

「んふふ〜」


 猫のように笑って肩をすぼめるエイミーは可愛らしかった。彼女は小さい頃から自分に構ってくれたエリザベスにいつも甘えている。エイミーは、姉妹全員が好きで好きでしょうがなかった。


 エリザベスはエイミーの姿を見て微笑み、恋の前にまずは自分を好きになることからはじめよう、と決意したのだった。



 エリザベスはこの日から、日に日に美しくなっていく。



 彼女特有の刺々しさがなくなれば、デキる系女子でありつつ、包容力があるモデルとして爆発的な人気が出ることは容易に想像できた。



 そのあと吊り目と垂れ目の姉妹は、ジャンとコゼット、二人の砂漠での恋愛譚で盛り上がった。エイミーはエリィに聞いただけであったが、コゼットの家で一泊しており、仲睦まじい二人を自分の目で見ていたため話に熱が入る。エイミーの熱弁のおかげか、エリザベスの脳裏にも愛し合う二人の姿が広がった。


 エリザベスは、いずれ自分もジャンとコゼットのような甘く熱い恋がしたいと思う。


 それがいつになるかは誰にも分からない。

 グレイフナーでは婉美の神クノーレリルが微笑み、恋慕の神ベビールビルが手に持った真紅の鐘を気まぐれに鳴らすとき、男女の奇跡が起こると言われている。この二神が本当に存在するのであれば、前向きに努力する娘に力を貸したいと思うことだろう。


 この日、ゴールデン家の屋敷からは、夜更けまで美しい姉妹の話し声と笑い声が消えることはなかった。


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