第162話 視察するエリィ①
到着したミラーズには客の列ができていた。
ざっと数えて五十人ほどだろうか。若い女性が多く並んでいて、雑誌『Eimy』を片手にお互いの服装を見せ合ったり意見を交換したり、おしゃべりに興じている。その他には、洋服通っぽいご婦人や、流行に敏い若い男性、中には上京してすぐの田舎娘っぽい子もいて、所在なさ気にきょろきょろと首を動かしていた。
馬車がミラーズの前で停まり、窓ガラスから顔を離した。クラリスが素早くドアを開けてくれる。
「混んでる…」
「素晴らしいわ! 儲かってるわね!」
アリアナが楽しげにミラーズを見た。俺が勢いよく返事をすると、にこりと笑って顔を上げる。
「エリィは儲け話が好きだね…」
「そうね。世の中儲けてなんぼよ」
「ふふっ、そうかもね…」
馬車から下りつつ、そんな会話をする。
アリアナはずいぶんと笑うようになった。出会ったときはほんと暗かったもんな。
「お足元にお気をつけください」
「ありがとうクラリス」
「ん…」
俺とアリアナは馬車から下りて道路を渡り、店の前で立ち止まった。
懐かしい店構えが目に飛び込んでくる。
控えめな字体で刻印された『Mirrors』の看板。白亜の木製ドアに大きな鉄製ドアノブ。店の壁にかけられたイチオシの新作。その周りをふよふよと光が浮かんでいる。
「懐かしいわ」
「うん…」
舞い戻ったミラーズの前で、試作品の服を着て立っていることが何だか感慨深い。
俺が薄ピンクのツイードワンピース。アリアナは白の割合が八割の白黒タータンチェック柄のツイードワンピースを着ている。形がノースリーブで、インナーが黒のシースルーシャツだ。胸元にはシルク生地のボウタイ付き。この状態で“
俺達が店を眺めていると、列に並んでいた客が一斉にこちらを見た。
全員ぽかんと口を開け、動きが停止する。
一人で列に並んでいた青年が飲もうとしていた水筒を取り落としてころころと転がし、田舎娘っぽい少女は分厚いスカートを握りしめて顔が赤くなり、きゃぴきゃぴとはしゃいでいた女子グループが手に持っていた雑誌を地面へ落とした。
十秒ほど店の前が静かになった。
アリアナが、なんで静かになってるんだろう、と首をかしげる。
そして今度は全員が正気に戻ったかと思うと、ざわざわと騒ぎはじめた。
青年は恥ずかしげに地面と俺達を交互に見て頬を上気させ、田舎娘少女は自分の服と俺達の服を観察して愕然とし、女子グループは落とした雑誌をものすごい勢いで拾って、どのページにある商品なのか声高に喋り出した。他の客も俺とアリアナを見て、「あの服が欲しいよぉ」とか「綺麗すぎる」とか「狐の子がパネェですわ」など口々につぶやいている。
青年が落とした水筒が足下に転がってきた。
お淑やかに拾い、彼に近づいた。
列に近づいていくと、喧騒が収束し、全員の視線がこちらに向く。アリアナが横に並び、クラリスがメイドらしく一歩下がって後に続く。
水筒を差し出すと、青年は顔面を硬直させた。限界まで両目をかっ広げて、エリィの顔を食い入るように見つめてくる。
「落としましたわ」
美しく、優しげなエリィの声がミラーズの店前で響いた。
自分でしゃべったにも関わらず、話し方の優雅さと、声に込められた優しさに、心が満たされる感覚が胸に広がっていく。
「あ、ああああ、ああ、ああの、ありありありありがとうございますです!」
青年が尋常でないどもり方をしつつ礼を言って水筒を受け取る。右手が震え、彼は水筒をまた取り落とした。いや、エリィが美人で可愛いのは分かってるけど、そんなに緊張しないでもいいと思うんだが。
また水筒を拾い、ちょっとした茶目っ気で、「もう、ダメじゃないの」と笑いながら青年を叱った。
「ひゃっ……」
彼は赤い絵の具をぶちまけたみたいに顔を真っ赤にし、ロボットのようなカクカクした手つきで水筒を受け取った。アリアナが、弟と妹に向けるような優しげな眼差しで、くすくすと楽しげに笑う。きゃわいい。
周囲からため息とも深呼吸とも取れない、何ともいえない吐息が漏れる。話しかけたい気持ちもあるが、近寄りがたい、ってところだろうな。まあ確かに今の格好はよそ行きの服装だから、一般人っぽさはあまりない。
ちょうど後ろにいた田舎っぽい娘に目を向けると、彼女は何がショックだったのか、初恋の相手が別の女とキスしている現場を目撃したような顔で呆然としていた。
ああ。たぶん都会に出てきて、未知の服装や女性に衝撃を受けているんだろう。都会への憧れもあるかもしれない。
いち早く気づいたアリアナが、ちらりと視線をこちらに送ってきた。相変わらず睫毛が長い。
田舎っぽい娘の彼女にはミラーズに来たことをいい思い出にしてもらいたい。フォローしておくか。
「今日は何を買いにきたのかしら?」
話しかけられると思っていなかった田舎娘は、弾かれたように顔を上げた。
「い、あ、あ、あ、あの……あ、あ、あの……」
「うん?」
田舎娘のテンパリ方がやばい。防御力のみに重点を置いた、春先なのに分厚いスカートを握りしめ、うつむいてしまう。
だがそれもつかの間。エリィの優しげでほんわかした空気に馴染んできたのか、田舎娘が照れた顔で何度もおさげを直しながらこちらを上目遣いで見てくる。この辺はさすがエリィと言わざるをえない。
「ワ、ワンピースでしゅ……」
「まあ。ひょっとしてストライプの?」
「そ、そうです。前に見た大通りのポスターが忘れられなくて……」
あの『Eimy特別創刊号』の巨大ポスターのワンピースか。あれは強烈だよな。エイミー可愛いし。少なくない国民があのポスターに影響を受けた、とクラリスからは聞いている。
「うーん。でもあなた、あのストライプワンピースより似合う服があると思うけど?」
素朴な雰囲気の彼女に、あの都会テイストのワンピースは似合わない。もう少し大人になってから買うべきだ。それよりも、今の自分の魅力を最大限に活かしてほしい。
「ちょっと背伸びしました、っていうギリギリのラインを攻めてほしいわね。身長も私ぐらいあるし、動きやすくてあなたの魅力が存分に出る、キルトスカートなんていいと思うわ。こうやって布をスカートに巻いて、腰の横でベルトとかピンで止めるはき方ね」
話しているうちにだんだんと熱くなってきてしまう。
田舎っぽい娘は何がなんだか分からない、と顔中にはてなマークを浮かべた。
「牧歌的な雰囲気を出しつつ、大人の魅力を匂わせるパターンね。民族衣装みたいにならないようトップスが重要だわ。スカートを短めにすれば夏前まではいけそうね。やっぱり上は、紺色のセーターか……いや、白い薄手のセーターがいいわね。形は丸襟とVネック、どっちでもいいか。髪の色が茶色で短めだから、服に乗せるって演出はできないし、トップスは無地じゃないほうが面白いかしらね……」
となると装飾品は細いネックレスだな。そんでもってVネックセータなら、襟元に紺と赤のラインを入れたい。学生っぽい雰囲気はこの子に似合うし、チェック柄のキルトスカートとのセットなら完全にハマるだろう。
と考えると、靴はくるぶしまであるブーツで、ニット帽があると尚良しだな。そうするとちょっと子どもっぽくなるから、髪型を変えてもらうか。
あ、それならネックレスはなしにして、ピアスをしてもらって大人力アップを狙うって手もある。背伸びしてる感じが出ていいだろう。よく見ればけっこう胸もあるし、ちょっとぐらいサービスで胸元が大きめに開いたVネックでもいいよな。いやぁ、それはあまりにもあざとい……だが男ってもんは単純だからな。問題はこの子の周りが何て言うかだ。まあ、俺がそこまで考える必要はないとは思う――
「あ……あのぅ……」
田舎娘から恥じらいの声が上がった。
気づいたら、彼女をじろじろと眺めながら考えごとをしてしまっていた。
「あら、ごめんなさい。私ってどうも考えだすと止まらないの」
「あ、あの! いま言っていたキルトスカートという服は売っていますか?!」
「どうかしら? ジョーが作っていればあるけど……たぶんないと思うわね」
「そうですか……」
彼女は残念そうに顔を伏せた。
「それならお店にお願いして作っておくわ。次、お店に来たときにあなたにプレゼントするわね。じろじろ見てしまったお詫びよ」
「えぇっ! そ、そんな恐れ多い……」
「いいのよ。女の子は可愛くなくっちゃね」
女はいくつになっても可愛くあれ。by小橋川。
「あ、あなたはいったい……」
田舎娘が、俺が誰なのか聞こうとしたところで、店の入口から悲鳴のような叫び声が響いた。驚いてそちらを見る。
「あああああっ! 来た! 本当に来た! マグリットちゃんたいへんですぅ!」
ミラーズの店員らしき活発そうな女の子が入り口から外へ飛び出し、俺を見て店内に向かって大声を上げた。なんだなんだと列の客がざわめきだす。いつもいるドアマンの男が、警戒して背負っている剣に右手を添えた。
その声を聞いて、店中からキュロットスカートをはいた落ち着いた雰囲気の女の子が出てきた。胸まで伸びたライトグリーンの髪がきれいに内側へウェーブしている。
彼女は先頭で入店を待っていた客に「申し訳ございません」と謝罪しつつ、活発な女の子の首根っこをつかんだ。
「ポピーちゃんうるさいんですのよ! お客様がいるから静かにしなさいとミサさんから散々言われているでしょう?!」
「マグリットちゃん! ミサさんが言っていた、金髪で、垂れ目で、ツインテールで、物凄くスタイルがよくて、足が長くて、顔が小さくて、優雅で可憐でお淑やかなのにどことなく行動力がありそうな、女神みたいな女の子が本当に来ましたぁぁっ!」
「そんな神話に出てくるクノーレリルみたいな人いるわけないでしょう!」
「いるんですぅ! そこに! ミサさんはやっぱり嘘ついてなかった!」
「ポピーちゃん……あなたそんなことだから低俗な詐欺師に騙されるんですのよ。ミサさんも冗談きついですわ。現実にいもしない私より年下の女の子がミラーズの総合デザイナーだなん……てっ?」
マグリットと呼ばれたキュロットスカートの女の子は、俺と目が合って次に言おうとしていた言葉を飲み込み、ポピーという子の襟首を力なく離した。
よく分からんが、とりあえず笑顔で会釈をしておく。向こうも、顔を引き攣らせたまま会釈を返す。
「う、うそ……」
「ね! ね! だから言ったでしょう?!」
「ほ、ほ、ほ、ほんとに来たぁーーーーーっ!!!」
マグリットの姿からは想像できないような絶叫が、ミラーズとその路地に反響する。列に並んでいる客達から、好奇心があふれ出て目が輝きだした。通行人も足を止めて店を眺めている。
「だから言ったじゃないですかぁ、ミサさんが嘘つくわけないって」
「ポピーちゃん、私のほっぺたをつねってちょうだい」
「ええーなんでです?」
「あの子が消えていなくなってしまうような気がするのよ」
「精霊とか幽霊じゃないですよ〜」
「いいから早くっ!」
「もう、しょうがないですね」
ポピーはマグリットの白い頬を思い切りつねろうと手を伸ばす。二つの指がほっぺたをつまもうとした瞬間、ごつんごつん、と豪快なげんこつが二人の女子を襲った。
「はぁぅ!」
「ったぁい!」
「店の入口で何をはしゃいでいるの! 早くレジに戻りなさい! 申し訳ございませんお客様、いま順番が来ましたので、わたくしがご案内させていただきます」
店内から出てきたミサが般若のように怒り、そして最前列の客に謝罪する。客である若い女子二人は、怒るより、むしろ楽しんでいた。好奇心をむき出しにして、「あちらのお嬢様は誰なんですか?」とミサに尋ねた。
その言葉を受け、ミサは俺を見ると、ぱぁっと笑顔になってボブカットを揺らしながらこちらに駆け寄ってきた。
「エリィお嬢様! お待ちしておりました! きっと本日視察に来るだろうと思い待機していたのですが、新人がとんだ粗相をいたしまして……」
「いいのよミサ。それより元気な子達ね」
「ええそうなんです。ああ見えて選ぶ服が昔の感覚にとらわれておらず、お客様へのアドバイスも的確ですわ」
「ジョーはいるの?」
「ええ、工房で指示出しをしております」
「いい服ね。これはすでに販売されているモデルかしら」
「試作品ですわ」
ミサは紺色チェックのアンブレラスカート、白シャツ、灰色のジャケットを、袖を通さず羽織っている。
「エリィお嬢様もアリアナお嬢様も、ツイードワンピースがお似合いですわ。洋服も喜んでいるように見えます」
「まあ、ありがとう」
「ん…」
「ミサ、お願いがあるんだけどいいかしら」
「はい、なんなりと」
「こちらの子に、キルトスカートの新作ができたら無料で進呈してちょうだい」
急に俺とミサに目を向けられ、田舎っ娘は顔を真っ赤にした。
「キルトスカート?」
「あとで説明するわ。それではお買い物を楽しんでね。ごきげんよう」
「あ、あの……!」
意を決したのか、田舎っ娘が大声で尋ねてくる。
「ありがとうございます!」
「気にしないで。それから、ごめんなさい。洋服は好きなものを買ってこそよね。厚かましいアドバイスをしてしまったわ」
「い、い、いえ! しょんなことは!」
「それならよかったわ」
ミサに促され、店内へと足を向ける。
いやーこういうのやってみたかったんだよな。デザイナーが普通の女の子にアドバイスして、新作を無料であげちゃう的なね。そして女の子はこの日からデザインに目覚めて人生が変わった……とかすごい映画っぽいじゃん。
ミサは最前列にいる女子二人の前まで来ると立ち止まり、丁寧にお辞儀をした。
「先ほど、こちらのお嬢様がどなたか、というご質問にお答えいたします。こちらのお方は、代々美男美女を輩出しているゴールデン家の四女、エリィ・ゴールデン嬢でございます。そしてこのお方こそが、ミラーズの総合デザイナーであり、エリィモデルの創案者でもあります」
誇らしげな表情でミサは俺を持ち上げまくった。
「この女の子が……」
「すごい……」
最前列の女子二人は呆けた顔でこちらを見てくる。憧れと驚きの感情が、女の子達から発せられていた。
◯
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