グレイフナーに舞い降りし女神
第152話 帰ってきたエリィ①
門兵の指示に従って入場手続きをし、西門をくぐった。
あらかじめエリィマザーに貰っていた入場証明書のおかげで、手続きはすぐに済んだ。
一度防壁内に入り、十五メートルほど進むと首都グレイフナーに入れる。中は日の光を浴びないからか、少し湿った匂いがした。防壁内にはたいまつが焚かれ、石畳の道は馬車が三台すれ違っても余裕があるほど大きい。さすが大国の首都。規模が違う。
防壁の外からも見えていた、見慣れたシルエットが大きくなってきて、勝手に笑みがこぼれてしまう。
「……ぅだばぁ。……ぅだばぁ」
というより、バリーのむせび泣く声が防壁内におもいっきり反響してんだよね。
てかさ、出口付近の道端のど真ん中で正座するのまじでやめて。馬車に乗った商人っぽいひと達、すげー不審者を見る目になってるから。
「……ぅだばぁ。……ぅだばぁ」
もはやホラーだよ。
早歩きをしていた足に力を入れて、走りだす。隣にいたアリアナもついてきてくれる。エイミー含め、他のメンバーはまだ入場手続き中だ。
俺たちはもどかしくなり、視線を合わせると、一気に身体強化で出口までダッシュした。
出口を守る警備兵のところで足を止めて挨拶をし、外へと飛び出した。
太陽の光が目に飛び込んできて騒々しい町並みが一気に現れると、周囲の喧騒が耳に入ってくる。商売根性が据わっている街の人々が出口付近の人が溜まりそうな場所に屋台を出し、その横をひっきりなしに馬車や人が通り過ぎていくかと思うと、でかい犬に首輪をつけたご婦人が優雅に歩いて行く。
雑然としながらもどこか余裕があり、ユーモアを感じる人々と街並みがずっと先まで続いていた。
これぞグレイフナー。好き勝手やっているくせに妙な団結力で結束し、不思議な熱気がある。王国の統治がうまくいっているのだろう。やはり俺は、この雰囲気が最高に好きだ。
通りのど真ん中に正座しているバリー。その後ろにクラリスがいる。
少し離れたところに、ジョーとミサがそわそわしながら出口を伺っていた。
いかん。久々すぎてちょっと泣きそう。
バリーはコック帽を握りしめ、両膝に両手を置いて、顔中を涙でぐしゃぐしゃにしていた。頬の傷は嗚咽で歪み、ヒゲにまで涙が滴っている。ボスのお嬢様を討ち入りで死なせてしまった、どこぞのマフィアにしか見えない。
「こらバリー。道路に座っていたら他の人の邪魔になるでしょ?」
通りのど真ん中で正座をしているバリーに優しく声をかけた。
「おどうだ………ばっ?」
急に声をかけられ、口を大きく開けるバリー。
驚いたのか肩をすくめ、ぴたりと動きが止まる。
そして俺の姿を上から下まで、じっくりと眺めて真っ赤になった両目をしばたいた。
バリーに微笑むと、次にクラリスへと視線を移した。
「クラリス……ごめんなさい。遅くなったわ」
あまりに懐かしくてこぼれそうになる涙を堪える。
バリーの斜め後ろに立っている優しげなオバハンメイドを見つめ、彼女の両手を手にとった。長年のメイド生活でクラリスの手はごつごつとしていたが、それが何だか懐かしく、力を込めれば温かさを感じた。
「ただいま」
「……?」
クラリスはハンカチで目元を何度も拭ったのか、目の周りが赤くなっていた。
彼女は俺を見ると、はらりとハンカチを落とした。
「お……お……」
深く刻まれた苦労皺が小刻み震え、まるで生まれてこの方はじめて見る生物でも見るかのように、両目を広げた。
続けて両手を組み、自分の胸に押し付けて、ああ、という声にならない声を上げ、クラリスはぼろぼろと涙をこぼした。
「おじょうざばぁっ!」
クラリスは正座しているバリーを押しのけて、抱きついてきた。
俺もしっかりと抱き返す。
両腕に抱いたクラリスは思いのほか細く、懐かしい温かさと、ほのかに土の匂いがした。今まで庭の掃除をしていたのかもしれない。そう考えると、彼女がいつもと変わらずゴールデン家を守ってくれていたんだと思え、涙腺からじわじわ涙が込み上げてくる。
「あ゛あ゛っ! なんとお美しくなられて! このクラリス、お嬢様とお会いしたくて毎晩涙が流れるのを耐えておりました! おじょうざば! 会いとうございましたおじょうざばぁっ!!」
「ごめんなさい……ごめんなさい!」
我慢できず、大泣きしてクラリスの肩に顔をこすりつけた。
完全にいまの想いがエリィとシンクロしている気がし、感情が爆発する。クラリスはこっちの世界に来て初めて会い、優しくしてくれた女性だ。いつもエリィのことを見てくれていた。俺にとってはこっちの世界の母親みたいなもんだ。
「お姿を見てまさかと思い、お声を聞いてお嬢様だと確信致しました……」
俺の肩にそっと手を当て、ゆっくりと離れてじっと見つめてくる。
涙で濡れたクラリスの顔は、子どもをあやすような母親の表情になり、甘く優しい笑顔を作った。
「なんとお美しい……」
「ダイエット、頑張ったの」
「こんなに変わってしまっては、気づくのはエイミーお嬢様とわたくしぐらいでしょうね」
「ふふ、そうね」
「ああっ……お若い頃の奥様にそっくりでございます。すっきりと伸びたお鼻が大変似ていてお綺麗ですこと……。目は旦那様に似たのでしょうね。以前から美しかったですが、これ以上美しくなられては、悪い虫を追い払う準備をいよいよしないといけませんね。お屋敷に帰ってから対策を考えないとなりません」
「まあクラリスったら怖い顔になってるわよ」
彼女の心配性に思わず吹き出してしまい、上品に口元を右手で隠した。
クラリスはそんな俺を見て、ポケットから新しいハンカチを取り出して涙を優しく拭いてくれる。それを丁寧にたたんでポケットへしまうと、背筋をしゃんと伸ばして両手をお腹に当て、一流のメイドらしく優雅に一礼した。柔らかくもどこか力強い、敬意と敬愛が感じられる完璧なお辞儀だった。
「ご無事で何よりでした。おかえりなさいませ、エリィお嬢様」
彼女の一礼に対し、こちらもスカートの裾を持ち上げ、流麗な所作でレディの礼を取る。
「ただいま帰ったわ」
「ああ……お嬢様……エリィお嬢様……」
「お、お、お、お、おどうだば?!」
クラリスがまた泣き出すと同時に、正気に戻ったらしいバリーが正座のまま身体を反転させて近づき、俺を見上げてきた。
「おどうだばぁっ?!」
「バリー、心配かけてごめんなさい」
中腰になってバリーの顔を覗き込む。ツインテールが当たらないよう、両手で押さえた。
バリーは今しがた記憶が全部抜け落ちました、といわんばかりの魂の抜けた呆け顔になり、何度も瞬きをする。涙でぐちょぐちょになった顔をごしごしと白いコック服で拭い、意識を俺の顔へと集中させた。しばらく食い入るように見つめると、ようやく何かに気づいたのか、ハッとした表情になって、両まぶたと鼻の穴と口を大きく広げた。
「お、お、おどうだばぁ!!!!!!」
急発進する戦車みたいにバリーがこちらににじり寄り、顔を近づけてくる。
相変わらず顔が近い。こええよ。
「バリー近いわ。あとスカートの中に顔が入りそうだわ」
「おどうだば! ばだじがびゃんとじでばいばっばりにげずだびょうびょぶびざばばべでしばいぼうぼのバビィびびでびべばぜぶぅ! ぼのぼうびびゃっばのばずべてぼのバビィのべいでぼざいばずのべばだぐじはごのばでべきびんぼぼびばいぼぼぼびばず!」
何言ってるか全然わからん。
「おどうだば! おどうだばあぁぁぁぁぁぁっ!」
バリーは興奮して顔を赤くし、懐から包丁を取り出して思い切り振りかぶった。
「バリーーッ?!」
「おどうだばばいべんぼうじばけござびばぜぶぅぅぅっ!」
どうやら自分の腹を掻っ捌くつもりらしい!
あかぁぁぁぁん!
「やめなさいっ」
クラリスがすかさずバリーの右手へ手刀を落とした。
包丁が手から離れ、カラン、とレンガ造りの地面へ落ちる。
「ばなぜぇぇ! ぼのバビィ、おどうだばびびんべぼばびぶぶぅ!」
落ちた包丁に手を伸ばすバリーをクラリスが羽交い締めにした。じたばたと暴れてバリーは何とか拘束から抜け出そうとする。
あまりに突然の流れでビビった。
「あなたはさっきから何度そうすれば気が済むの! お嬢様、大変申し訳ございません。うちの旦那は今朝から、腹を掻っ捌いて死んでお詫びするとわめいておりまして。誘拐はすべて自分の責任だと言ってきかないのです……」
「おどうだばぁ!」
半狂乱で泣き叫ぶバリーがだんだんと可哀そうに思えてきて、改めて誘拐などされない、と胸に誓う。こうして見ると、エリィがどれだけクラリスとバリーに愛されているのかが分かった。
「おだまりっ!」
バリーに切腹されたらたまらない。
思い切って一喝した。
優しいエリィが急に怒鳴ったので、バリーとクラリスは動きを止めてこちらを見つめる。クラリスは羽交い締めにしていた両手を離した。
一瞬、行き交っていた人々が、何事かと動きを止めてこちらを見てくる。
それには構わず、エリィの美しいブルーの瞳でバリーを睨んだ。
バリーは普段なら絶対にされないであろうエリィの言動に身をすくめ、背筋をぶるりと震わせた。
「あなたはゴールデン家の使用人なのだから、切腹の決定権は持っていないわよ。どうしても切腹したいなら、私と、お姉様、お父様、お母様、みんなにお伺いを立てなさい。いいと言われるまで、包丁を自分に向けることは禁止するわ。いいわね」
「お、おどうだば……」
「聞こえなかったの?」
「じがじ……」
バリーは垂れた鼻水をずびずば啜りながら、不服そうな顔を向けてくる。
釘を刺す意味を込めて、思い切り魔力を循環させ、再度バリーを見つめた。
「聞こえなかったの?」
どうやらエリィも相当に怒っているらしく、パチパチと電流が目の前を流れ、静電気でツインテールがゆらゆらと持ち上がっていく。
「エリィが怒った…」
静かに事の成り行きを見ていたアリアナが、ぼそっと呟いた。
さすがのバリーもぎょっとした顔になり、後ずさりして上下に首を動かした。
「か、か、かじごまりまじたっ……!」
「申し訳ございません! 申し訳ございません!」
バリーが正座に戻り、クラリスが何度も頭を下げる。
それを見て、魔力を弱めた。ふっ、と電流が収まり、エリィの金髪ツインテールが元の位置に戻る。
「よろしい」
人差し指でバリーを指さし、ウインクを送っておいた。
「おどうだば! 胸がギュンギュンしますですおどうだばぁ!」
「わかったらもう立ち上がってちょうだい」
「がじごまりまじだぁ!」
機敏な動きで立ち上がり、バリーは乱れたコック服をさっと直した。やっと泣き止み、改めてこちらを見て、瞠目して感慨深げに背筋を伸ばす。
「クノーレリルと見紛う美しさでございます。バミアン家は責任を持って、末代までお嬢様の美しさと優しさを語り継ぎます」
「いつも大げさねぇ」
「何をおっしゃいます! 当たり前のことでございます!」
「ダメだと言ってもするんでしょうからこれ以上は何も言わないわ」
「ありがたき幸せ!」
「ええ。では改めて言わせてもらうわね。バリー、ただいま。お留守番、お疲れ様ね」
「お、お、お……」
笑顔を向けると、またしても感極まったのかバリーは喉を鳴らして顔をくしゃりと歪めた。
「おどうだば!」
「おじょうざばぁ!」
バリーが俺に飛びつき、いつの間にか泣いているクラリスも抱きついてくる。二人はこれでもかと、ぐいぐい上着を引っ張ってきた。
これはあれだ。シャツが破かれるパターンに違いない。ジョーにもらったカーキのお洒落上着の命が危ない。
すぐさま身体強化“下の下”をかけ、バリーとクラリスを強引にひっぺがした。
あまりの怪力に二人は驚いて泣き止んだ。
「おどうだば……まさか、し、し、身体強化まで!?」
「お嬢様?!」
「頑張って訓練したのよ」
「おどうだばぁ!」
「おじょうざばぁ!」
またしても飛びつこうとしてくるので身体強化を一段階上げ、バリーの右肩とクラリスの左肩をつかんで、こっちに抱きつけないように押し留めた。これは無限ループの予感。
「う、う、動きばぜんおどうだば!」
「こ、こ、これが身体強化なのですねお嬢様ぁ!」
そう言いながらじたばたともがき、「くっ!」とか「ふん!」と叫んで意地でも飛びつこうとする二人。
沈静化するまでこの状態でいようと思い、両手を伸ばしっぱなしにする。
「二人とも変わってないね…」
「そうね」
アリアナがくすりと笑い、軽いため息まじりに言葉を返す。
そうこうしていると、後ろから声を掛けられた。
「ひょっとして……エリィなのか?」
バリーとクラリスをつかんだまま首だけを後ろへ向けると、ハンチング帽にくるくる天然パーマのジョーが、呆然とした顔をして突っ立っていた。どうやら一連のやりとりを見て、ようやく俺がエリィだと思ったらしい。
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