第151話 間話・パンタ国にて


 パンタ国。


 バスケット山脈を挟んでグレイフナー王国の西南に位置している、国民の半分が獣人という特徴を持った国だ。


 国柄は質実剛健腕力主義。力あるものを認める風習があり、挨拶がてらの腕相撲が時間を問わず行われている。胸の高さまである切り株が至る所に放置してあるのは、いつでも腕相撲ができるようにという昔からの習わしで、他国の者が見ると、なぜ中途半端な高さの切り株がそこら中にあるのか理解できず奇っ怪な風景に映る。


 「文化の違いで驚く」という意味合いのことわざである「パンタ国の切り株」という言葉は、ある程度教育を受けた人間であれば、誰もが知っている言い回しだ。


 国の特性上、人族至上主義のセラー神国とは犬猿の仲であり、奴隷や人質問題で過去に何度か小競り合いが起こった。しかし、パンタ国とグレイフナー王国とは同盟関係にあり、パンタ国、グレイフナー王国、セラー神国、と並んでいるため、地理的な問題からも、両国が事を構えるには至っていない。


 膨大な戦力を有するグレイフナー王国とパンタ国を相手取り、セラー神国もさすがに喧嘩をふっかける気にはなれないようだ。また、グレイフナー王国は元来からすべてにおいて中立の立場を取っており、情熱と戦力は主に魔獣の討伐に注がれているため、積極的に他国と争うような真似はしない。よって、両国でいざこざがあった場合、グレイフナー王国が仲裁に入る事例が多い。


 そんな、質実剛健腕力主義を象徴するパンタ国の王宮。

 どっしりとした石造りの外壁に囲まれ、宮殿は無骨で実用的な造りになっており、有事の際には三ヶ月籠城できる準備がある。


「ぬおおおおおっ」

「ぐおおおおおっ」


 王宮の最深部、王の間。

 特注の切り株で作られた腕相撲台で、二人の男が雌雄を争っていた。


 樹齢千年の金木犀で作られた頑丈な台座が、ミシミシと不吉な音を立てているが、決着はつきそうもない。


 兵士風の男と、王冠をかぶった大熊猫族の男は、額に玉の汗を光らせ、奥歯を砕けんばかりにして歯を食いしばり右腕に力を込める。


 兵士風の男は身長が百七十センチ中盤。

 土埃で汚れたレザーアーマーを着ており、どこかの傭兵、もしくは警備兵の風体だ。

 その精悍な顔つきから、人の上に立つ人物であろうと推察できた。


 対する国王らしき大熊猫の男は、二メートルを余裕で超え、ざっと目算で二百五十センチはある。腕は黒と白の斑点になった毛がびっしりと生え、成人女性の腰回りほどの太さがあり、顔は人間と変わらないが、両目は獣特有のギラついたものであった。大熊猫族だけあり、目のまわりにはパンダと同じような黒いあざが楕円形に広がっている。


 パッと見て、兵士風の男に勝ち目はなさそうだった。


 王の間に集まっていたパンタ国の主要人物達は、両者の戦いに固唾を飲んでいた。

 うさぎの耳を持った兎人の男、豚の鼻から熱い鼻息を落とす豚人の麗人、すらりとした猫族でも特有の魔力を有している白猫族の女は頬を染めており、唯一の人族の男も真っ赤になるぐらい両拳を握りしめる。


 腕相撲をする二人の熱気が、王の間の高い天井へと上っていく。

 兵士風の男は不敵に笑って、大熊猫の男を見ると、爆発的に魔力を練り上げた。

 観客は勝敗が決すると本能で察し、首を突き出して顔を赤くする。


「ぬ、お、お、お、おっ!」

「っ―――!」


 兵士風の男が身体強化を一段階上げた。


 ほんの数秒間、身体強化“上の上”が発動する。

 アグナスやエリィの母アメリアですら使用ができない身体強化“上の上”。人智を超えた身体強化が施され、兵士風の男の右腕が一回り肥大する。


 大熊猫の男は対応できず、己の負けを悟って息が止まった。

 瞬間移動かと見紛う速度で、拮抗して垂直に立っていた右腕が眼前から消え、手の甲が切り株に叩きつけられた。



―――バギャアッ!!!



 樹齢千年の台座が、轟音を立てて真っ二つに割れた。

 王の間に敷き詰められた絨毯に、ズシンズシン、と二つに分かれた切り株が倒れた。


 兵士風の男、王冠をかぶった大熊猫の男、観客である四名は、しばらく無言で割れた切り株を見ていた。腕相撲台を破壊しての勝利は、パンタ国では最も栄誉ある勝ち方であった。しかも頑丈な樹齢千年の金木犀の切り株だ。割った本人も驚きで声が出ないらしい。


 やがて、大熊猫の男が、大声を立てて笑い出した。

 弾けるようにして観客四人も手を叩いて、この大一番に大きな拍手を送る。

 白猫人の女が杖を取り出し、王冠をかぶった大熊猫の男に白魔法下級“再生の光”を唱え、おかしな方向に曲がった手首を治癒した。


「いやぁ、台座にもガタがきていたんでしょう」


 兵士風の男が右手をぷらぷらさせながら、おどけた調子で言った。


「腕はなまってないようだな」

「デンデン様はだいぶなまったようですね。国王の仕事も大事ですが、運動もせねば長生きはできませんよ」

「がっははは。チェリオン、貴様も言うようになったな」


 治療が終わった右手を一瞥もせず、パンタ国王デンデンが兵士風の男の手を握った。

 国王の右手からは信頼と再会の興奮が感じ取れ、兵士風の男、チェリオンもそれに応えるよう手を強く握り返す。両者とも、二十年ぶりの再会に胸が踊り、気分が高揚していた。


 男たちは何を言うわけでもなく、握手したままお互いの目を見つめる。

 互いの思いを伝えるにはそれで十分であり、余計な言葉は無粋であると二人とも感じたようだ。


 現在、デンデンは四十一歳。チェリオンは三十六歳。二人が別れた時の年齢は、二十一歳と十六歳だ。

 若かりし頃からライバル関係にあった二人は、大熊猫族と猿族という種族柄、身体強化が得意であり、その中でも飛び抜けて優秀であった。何度も腕相撲で戦い、この勝負で長きにわたる戦いに決着がついた、といっていいだろう。

 デンデンの身体強化は最高出力で“上の中”、チェリオンは一瞬といえども“上の上”を行使できる。互いに離れた場所で研鑽を積み、二十年の歳月を経て、両者には隔絶した差が広がっていた。


 国王のデンデンは満足したのか手を離すと、部屋の奥にある王座の手前まで戻り、王座に座らず段差に腰を下ろした。


「国王様」


 豚鼻をした豚人が、国王デンデンの常識はずれな振る舞いを咎める。

 しかし彼は意に介したふうもなく、首を左右に振って骨を鳴らし、先ほど白魔法で治療された右手に目を落とした。


「久々に負けた。敗北は腸が煮えくり返るはずだがな、あれだけ気持ちよく負けると逆に清々しい気分になる」

「ご所望とあらばいつでも清涼感をお届けしますよ」


 チェリオンが、笑顔で腕相撲の素振りを国王へ向ける。

 さすがの国王も先ほどの負けを思い出したのか、さも可笑しげに苦笑いをこぼした。


「へらず口も相変わらずか」

「いえ、だいぶ忘れてしまいましたよ。なにせ向こうの生活が長かったですから」

「おう、そうだったな。おまえは隊長様だものなぁ」

「茶化さないで下さい。そのように取り計らったのは他でもないデンデン様じゃあないですか」

「すまんすまん。おまえにしか出来ん仕事だからな」

「それにしたって長期すぎますよ」

「それだけ信用しているってことだ」

「まあ、そうですが……」


 デンデンは何かを思いついたのか、大口を開けて笑顔を作った。

 大熊猫人が笑うと、獰猛な目つきが途端に愛らしいものになる。このギャップにやられる女も少なくない。


「どうだ。国に帰ってこないか?」

「この耳と尻尾じゃ、嫁も貰えませんよ」


 チェリオンは、自嘲気味に首を横に振り、自身の髪の毛をかき分けて国王デンデンへ見せる。

 四センチほどの傷が左右にふたつ見えた。


 チェリオンの家は優秀な魔法使いを代々排出してきたが、二十年前に謎の奇病が流行り、一族のほとんどが死んでしまった。この病気は一度かかると高熱が続き、身体の先端から四肢が腐る、むごたらしい病気だ。

 猿人にのみ感染する病原菌だったようで、他の種族は被害を受けておらず、この奇病が拡大することはなかった。それだけは不幸中の幸いだった。


 デンデンは、親友であり良きライバルであったチェリオンのために、禁忌の森へ軍隊を率いて入り、すべての万病に効くといわれる賢者の葉を求めた。被害を出しつつも、賢者の葉を見つけ出したデンデンはすぐに街へ戻り、瀕死の状態であったチェリオンと母親に処置を施した。


 チェリオンと母親はデンデンのおかげで助かった。もともと数の少なかった猿人は、奇病のせいでパンタ国から消滅してしまい、残されたのはチェリオンとその母のみだ。


 さらに残念なことは続く。

 チェリオンは奇病のせいで耳と尻尾が欠損してしまった。

 聴力は人族とほぼ同じになってしまい、顔の横には、進化の過程でただの飾りになった耳が張り付いているだけだ。白魔法上級で生やすこともできるが、莫大な金がかかる。何より、デンデンが死ぬ覚悟で治療してくれた証をなくすことなど、チェリオンにはできなかった。


 その後、耳と尻尾をなくしたチェリオンは、あからさまではなかったものの、獣人達から蔑みの言葉を物陰から囁かれた。獣人にとって耳と尻尾は種族の象徴でありプライドであった。そのため、欠損した者は憐憫と嘲笑の的になってしまう。

 猿人で、腕っ節も強く、出生も悪くないチェリオンは、王宮で経験を積み、デンデンの補佐をするはずであったが、その話も奇病事件のあとでうやむやにされてしまった。


 何とかチェリオンの立場を復活させようとしていたデンデンだったが、その頃の王政は獣人が八割ほどを占めており、どうにも時勢が悪かった。


 数カ月間紆余曲折した結果、チェリオンの申し出もあり、ちょうど重要視されていた砂漠の国サンディへスパイとして彼を送り込む手はずになった。チェリオンはこの国にいても、デンデンに仕えることはできない。

 デンデンは王国での獣人と人族の垣根をなくすと彼に誓い、親友を送り出した。


 長期的な諜報活動のため、おいそれとパンタ国へ帰ってくるわけにもいかず、今の今まで二人が再会することはなかった。


 やりとりは密書のみ。私的な内容は一切ない。

 それでも、デンデンとチェリオンは手紙が手元に届くたび、互いの確かな信頼と友情を感じることができた。


 そんな過去を吹き飛ばすように、デンデンは二メートル五十センチある巨体でのっそりと立ち上がり、犬歯をむき出しにして笑顔になる。


「俺に任せろ。耳と尻尾ごときでびゃあびゃあ言わんイイ女をお前にくれてやる」


 言ったあと、自分の提案が心底面白く思えたのか、大声で笑い始める。

 が、チェリオンは嬉しさと困惑をないまぜにして、眉毛の両端を下へ落とした。


「いえ、まだ調べるべきことがあります。その甘い誘惑はすべてが終わってから、ということでよろしいですか?」

「真面目だなぁおまえは。まあ前からそうだったか」

「ご存知の通りですよ」

「仕方ない」


 不服そうに息を吐き、国王は王座の前の段差へ腰を下ろす。

 また豚鼻の豚人がお小言を呟こうとしたが、それよりも早く、国王が口を開いた。


「で、おまえが急に帰国したのにはわけがあるんだろう? しかも人払いまでして」


 弛緩していた空気が一気に張り詰め、兎人の男、豚人の男、白猫人の女、人族の男、の四人が真剣な表情を作る。

 デンデンがぎろりとチェリオンを睨んだ。

 怒っているのではなく、国王が人の話を聞くときの癖らしかった。チェリオンも、気にした様子はない。


「はい。書面で報告するには些か事が重大です。話したい内容は二つございます」


 チェリオンは、国王と四人の要人達を見回した。


「まず、サンディが我が国に戦争を仕掛けてきた理由についてですが……どうやら奴らの狙いは『魔窟』にあったようです」


 ぴくり、と国王デンデンのパンダの耳が動いた。が、言葉は発しない。

 チェリオンはさらに続ける。


「不自然な時期の開戦、不自然な位置の封鎖線、まるでやる気のない野戦。電撃的な宣戦布告した割に、一向にパンタ国へ攻めてくる様子もない。これらすべての理由は、封鎖線の南にあった『魔窟』を攻略し、魔力結晶を集めるためです」

「ふん。こちらと大して戦っていない癖に負傷兵がちらほら見えたのはそのせいか」

「ええ、その通りです。我がパンタ国との戦争は『魔窟』攻略を悟られない為のフェイクでしょう」

「タイフォンのお人好しは、魔力結晶を集めて娘に贈るつもりなのか?」


 国王デンデンは呆れ顔で彼に尋ねた。


 砂漠の国サンディ国王・タイフォンは、お人好しで親バカ。野心を持って行動する人間ではない。どちらかといえば保守的なタイプであり、宣戦布告も何かの冗談だと思い、デンデンは小一時間ほど部下の報告を信じなかった。


 そんなお人好しが魔力結晶を集めてどうしようというのか。

 しかも『魔窟』もぐりを軍隊規模でするほどの量が必要だったらしい。

 皆目検討がつかない。売れば金にはなるが、サンディが金欠で困窮している噂もなく、むしろ、香辛料、ウマラクダ、砂漠鉱物の輸出で金庫は潤っているはずだ。


「さすがのタイフォン王も、麗しの姫君のベッドを魔力結晶で埋めるつもりはないと思いますよ。残念なことに大量の魔力結晶の用途はまだ分かっておりません。ですが、この件にセラー神国が一枚噛んでいるようです」

「セラァ?」


 途端、デンデンの眉間に皺が寄る。不愉快そうに唇を舐め、分厚い膝を自分の手で握りしめた。


「王都サンディに潜ませていた部下から、セラー神国の大司教を見かけたとの報告がございました。教会に出入りしていたようでしたが、その後、砂王宮へ入っていったとのこと。それが、戦争の始まる二ヶ月前です」

「あのバカ共はまた何かやろうとしているのか」

「目的は分かりません。しかし、タイフォン王はセラー神国と何かしらの取引をしたのでしょう。そうでなければ、あの王が挙兵するとは思えません」

「……わかった」


 デンデンは厳しく顔を引き締め、やにわに立ち上がり、王座へと腰を下ろした。


「こちらからセラー神国へ大量の間者を送り込む。グレイフナーにも情報共有のため飛脚を送れ」

「はっ!」

「御意に!」

「“大図書館”と共同で大量の魔力結晶を使った過去の事例を調べ上げろ。サンディとセラー神国に輸出する魔力結晶の値段を釣り上げておけ、反応を見る」

「かしこまりました」

「仰せの通りに」

 

 デンデンの指示に、人族の男、兎人が威勢よく答え、白猫人の女と、豚人の男が優雅に一礼する。

 早速、四人が退出しようとするが、チェリオンが仕草でそれを押しとどめる。


「もう一つ、重大な事がございます。むしろこちらの方が本題です」

「おお、そうだったな。言ってみろ」


 デンデンが獰猛に笑って顎をしゃくる。

 チェリオンは聞き間違えがないよう、ゆっくりと一言一句しっかり発音して言葉を発した。


「落雷魔法の使用者を発見しました」



 ――――!!?



 彼の発言により、王の間は真空状態になったかのように空気の流れが止まり、国王を含めた五人は息を吸うのも忘れ、しばし呆然とした。そんなバカな、という思いと、ようやくか、という相反する思考が全員の脳内に吹き荒れる。


 その空気を破るかのごとく、チェリオンは話を続けた。


「グレイフナー王国、グレイフナー魔法学校に通うエリィ・ゴールデンという少女です。年齢は四月で十五歳。学年も四月で四年生。ユキムラ・セキノと同じ光魔法適正で、白魔法中級まで使用でき、高難易度の浄化魔法まで行使可能です。また、超大型のゲドスライムを一撃で屠る威力の落雷魔法を操り、魔力量も普通の魔法使いの二十倍から三十倍はあるかと予想されます。しかも、彼女に魔法を教えているのは、伝説の魔法使い、砂漠の賢者ポカホンタスです」

「待て待て待て! それをすべて信じろと?」

「デンデン様、私を信用されていないのですか?」


 ニヤリと笑ってチェリオンが王を見つめる。

 デンデンは珍しく言葉を言い淀むと、観念したとばかりに両手を上げた。


「わかっている。わかっている……が、なんだそれは? 落雷魔法に砂漠の賢者だと? 一体何が起きている?」

「わかりません。単なる偶然だと思うのですが……」

「で、そのエリィ・ゴールデンという少女はどんな女なんだ」

「何か陰謀を企むような人物ではありません。むしろ、他者を思いやる慈悲を持った素晴らしい女性です」

「ん? おまえがそこまで言うのか」

「はい。正直に言って、惚れました。とてつもない美人です。彼女の清廉潔白な振るまいと、女性らしからぬ大胆さ、時折見せる慈母のような眼差し……。オアシス・ジェラでは白の女神と呼ばれ、皆から愛されておりました」

「さすがは落雷魔法適正者、というわけか」

「どうなんでしょうか。ユキムラ・セキノはかなり破天荒な人物だった、と言われておりますよ?」

「だが求心力があった。そこは一致している」

「そうですね……誰かが彼女を担ぎ上げれば一大勢力になるかもしれません。彼女は嫌がると思いますが」

「古代六芒星魔法の一翼が現れたのだ、他の使用者も出てきたのでは?」

「今のところ確認できておりません。我々パンタ国に伝わる『無』魔法の使用者も現れておりませんね」


 一同は思案顔になり、各々考え込んだ。


 パンタ国にはユキムラ・セキノのパーティーメンバー『アン・グッドマン』が残した手記が、国宝として保管されている。王族と王が許した者しか読むことのできない過去の文献だ。

 その手記にはこう記されている。


『私と同じ古代六芒星魔法“無喚魔法”を使える者が現れたら、手紙を渡して欲しい。手紙は、このメモと一緒にあった筒に入っており、“無喚魔法”で取り出せる仕組みになっている。また、その者が現れた際、私がユキムラ様に優しくしてもらったよう、皆で優しくしてやってほしい。願わくば獣人達に安寧と繁栄を。アン・グッドマン』


 手記はたったこれだけだ。


 筒と記述されている物体は、長さ三十センチの何の変哲もない、蓋がついた入れ物だ。

 四百年前からその秘密を解明しようと様々な学者があれこれ試したが、筒の中には何も入っておらず、手紙は見当たらない。やはり『無』魔法でしか取り出せないようだ。


 筒の解明には至っていないものの、この短い手記により、パンタ国は、複合魔法が『古代六芒星魔法』と呼ばれ、雷魔法の他に無魔法の存在を知った。


 この重要な情報は、同盟国のグレイフナー王国にのみに話し、他国には一切公開していない。セラー神国などもっての他だ。


 獣人は千年前から、セラー教や人族からの迫害を受けており、ユキムラ・セキノとアン・グッドマンの助けにより、その地位を確立させた。その副産物として生まれた国がパンタ国だ。二人がどのように活躍したのか、という昔話は口伝によって領民に根付き、伝記も作られている。


 このパンタ国では、ユキムラ・セキノとアン・グッドマンの二人が非常に有名で、人気が高く、誰しもがその名前を知っていた。その辺りの事情は、グレイフナー王国と大きく違う所だ。


「まあいい。もし仮に他の使用者が出てきたとしても、我々パンタ国は、アン様の願いを聞き届けるまでだ」


 デンデン国王は思考を中断し、熱狂的な眼差しで宙を眺め、兵士風の男を見やる。


 手紙を渡す。

 優しくする。


 この二つの願いを、パンタ国の王家は何よりも重んじており、デンデンは自分の代で役割を果たせることに狂喜した。落雷魔法使用者が出現したということは、無喚魔法使用者もいずれ現れるだろう。


「それで、おまえが惚れたエリィ・ゴールデンとやらは、まだサンディにいるのか?」

「私が長期休暇を領主様に頂いたときにはまだおりました。ですが、準備でき次第出立すると言っていたので、今頃、旧街道付近を移動中でしょう」

「となると、グレイフナーに戻るのか」

「まだ学生ですからね」

「ふむ。グレイフナー魔法学校にこちらの手の者はいるか?」

「ジェベルムーサの次男坊が留学中だったかと。ちょうど四年生だったと記憶しております」


 優雅な動きの豚人が、素早く答える。


「概要は伝えず、エリィ・ゴールデンの動向を注意するよう言い含めておけ」

「仰せのままに」


 豚人が一礼し、国王デンデンは兵士風の男へ視線を移動させる。


「魔闘会には出場するのか?」

「エリィちゃ――エリィ・ゴールデンが、ですか?」


 あやうくエリィちゃんと言いそうになり、男は寸でのところで言葉を飲み込んだ。

 しかし、全員に伝わってしまい、軽い笑いが起きる。男は恥ずかしさから顔を赤くし、すべてはエリィの可愛さが悪い、と勝手に結論づけて真顔に戻る。

 国王デンデンは笑いながら、うなずいた。


「その、エリィちゃんがだ」

「どうでしょうか。十五歳なので出場資格はありますが、落雷魔法の使用は周囲に公言していないようです」

「出場すると仮定し、トーナメントをグレイフナー側でいじるよう言っておくか」

「そんなことできるんですか? あの国王は不正をひどく嫌うと評判ですが」

「あいつは俺に借りがある。それを返してもらうだけだ」

「さすがはデンデン様」

「エリィちゃんとやらの実力を見るにはちょうどいい。砂漠の賢者の弟子なんだろう? 是非とも出場してほしいものだな」

「私としては複雑な心境です」

「惚れた者の弱みだな」

「そういじめないで下さい。勝手な恋慕ですよ」

「他国出場枠には腕利きの拳闘士を送り込むぞ。決めた。俺も観に行く。グレイフナー国王に言っておいてくれ」

「またそんな簡単に……」


 仲裁役の豚人がぶつくさと愚痴をこぼしつつ、懐から紙を取り出して何やら魔法で記入していく。

 他のメンバーも言葉を交わして、予定を確認し合う。


「砂漠の賢者ポカホンタスは出ないのか?」

「出ませんよ。出たら優勝です」

「おう! そんなに強いのか?!」


 デンデンが興奮して王座から身を乗り出した。


「身体強化しながら魔法を唱えるんですよ? 人間業とは思えません」


 男の言葉に全員が息を飲む。

 あまりの驚きで豚人は杖を取り落とし、フゴッ、と思わず鼻を鳴らしてしまった。


「まさか……おまえの愛しのエリィちゃんもできる、など言わんだろうな」

「さすがにそれはありません」

「安心したぞ」


 身体強化しながら魔法が使えれば、戦術は大きく広がる。

 簡単にいえば防御しながら攻撃ができるわけだ。対する相手はどちらか一方しか使用できない。しかもウエポンの攻撃と魔法の合わせ技などを開発したら、強力な攻撃になることは想像に難しくない。

 身体強化と魔法の同時使用など、パンタ国に伝わるアーティファクトを使ったとしても無理な芸当だ。


「この場で根掘り葉掘り聞きたいところだが、あいにく予定が押している。あとで俺の部屋に来い。それまではゆっくり身体を休めてくれ」

「では、お言葉に甘えさせて頂きます」


 チェリオンは、強行軍で来たため疲れていたが、それを微塵も見せずに朗らかに一礼した。他の四人も彼にねぎらいの言葉を掛け、彼よりも先に王の間から慌ただしく退出する。デンデンからの指示をすぐ実行するためだ。こういったフットワークの軽さは、パンタ国ならではだった。


 ひとまず、伝えるべき内容を無事国王に話すことができ、チェリオンは肩の荷が降りて小さな息を漏らした。成り行きで二人きりになったデンデンと顔を見合わし、大きくうなずいたあと、チェリオンは一礼して踵を返した。


 大きな扉に手を掛けたところで、国王デンデンが口を開いた。


「チェンバニー」


 若かりし頃の愛称で呼ばれたチェリオンは己の青春時代を思い出し、笑顔で振り返った。

 歩を戻してデンデンに近づき、ゆっくりと口を開く。


 チェリオンのフルネームは、チェリオン・バーニーズ。デンデンが名付けた愛称は、全部をくっつけて略した『チェンバニー』であった。獣人の間で略した呼び方は、まま見られる。


「なんだ、デンデン」


 敬語などや気負いをなくした、かつての友人として、親しみを込めてチェリオンは国王を呼んだ。こんなところを誰かに見られたら、間違いなく決闘腕相撲裁判を受けられずに不敬罪で即刻有罪だ。


「しばらくこっちにいるんだろう?」

「休暇が終わるまでは」

「そうか」


 満足そうにデンデンがうなずいた様子を見て、チェリオンことチェンバニーは二十年間オアシス・ジェラで過ごした時間が無駄ではないと感じた。


 母国にこのままいてもいいが、待っている部下たちがおり、セラー神国の真意を探らなければならない。

 やはり向こうに帰らないとな、と考えたところで、オアシス・ジェラが自分にとって第二の故郷になっているんだと実感する。自然と、向こうに帰る、という単語が頭に浮かんだのなら、そういうことなのだろう。


 そして、身元がバレないよう、どんなに強くなろうとも使用する身体強化を“上の下”までと制約して向こうで活動していたため、何人かの部下を死なせた過去を思い出し、罪悪感を覚えた。スパイをすると決めた日から、己の感情は二の次と決めているものの、やはり歯がゆい気持ちと後悔は消えない。

 自分は親友であり敬愛するデンデンに会えて喜び、部下たちは魔獣や凶悪犯にやられて死んだ。自分だけがいい思いをしていいのだろうか。身体強化を発揮すれば助けられたであろう部下たちの顔がチラつき、死に際に名前を呼ぶ声が脳裏に響く。


 あくまでも自分はパンタ国の間者だ。

 そう言い聞かせるように、チェンバニーはデンデンに深々と一礼した。


 国王デンデンと目を合わせ、どちらからともなく真っ二つに割れた腕相撲台を見て笑い合い、彼は軽く敬礼した。


 踵を返し、出口まで向かう。

 使い古したブーツの靴底に、高価な絨毯の感触が伝わってくる。


 ふと、白の女神と呼ばれた少女の笑顔が頭に浮かんだ。


 彼女ならすべての事情を知ったうえで、許してくれそうな気がした。

 うっとりする優しい笑顔で、頑張ったのね、と抱きしめてくれるだろう。あの子はそういう女の子だ。どんなに屈強で、年が離れていようと、男は女にやすらぎを求めるのかもしれない。そこまで考えると、心の中がほんのりと温かくなった。


 切断された頭部の耳の切れ目を右手で軽く撫で、チェンバニーは今度こそ王の間から退出した。




――――――――――――――


次回から第4章です!


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