第118話 日本にて・その2
「なんかさぁ、日課になっちまったよ」
小橋川の親友で同僚の田中は、人気のない病室でコートを脱ぎながら、ひんやりとした丸椅子に腰を下ろした。一週間ぶりに見る親友の顔はいつもと変わらず穏やかであったが、事故から半年近く経過した今でも意識を取り戻す様子はない。
会社のプレゼンメンバーは事故から一ヶ月ほど暇を見つけて見舞いに来ていた。しかし、時が移るにつれて仕事やプライベートに追われ、いつしか病室に来る回数は減っていった。
そんな中、田中だけは週一回、足繁くこの病院に通い続けている。
田中にとって、小橋川が意識不明で動けない、という事実がどうしても受け入れ難く、仕事中に気になってしまい、営業を抜けて度々この病院に来ていた。
「もういい加減、目を覚ましたらどうなんだよ。俺が営業部のエースになっちまうぞ」
そう嘯いてみても、白い顔をした小橋川はうんともすんとも言わない。点滴の管が痛々しく右腕に刺さり、呼吸器と心電図が一定のリズムを刻んでいるだけだ。かつては誰しもがイケメンと言った自慢の顔は、肉が落ちて幾分ほっそり見え、男らしさが薄れている。だがそれでもイケメンと言わざるを得ない風貌に、田中は少々の憎たらしさと、親友の不敵さを感じ、顔から自然と薄い笑みがこぼれた。
「プレゼンメンバーの佐々木ちゃんってさ、実はお前のこと本気で狙ってたらしいぞ。でもほら、女って適齢期があるだろ? 取引先のボンボン息子と今度結婚するってよ。佐々木ちゃんに言われたんだ、小橋川さんによろしく伝えてくれって。彼女、お前が事故に遭ったときショックで三キロ痩せたらしいぜ」
茶化すように田中は小橋川へ言葉を投げる。
一方的なキャッチボールには、この半年で慣れてしまった。特に気にした様子もなく、田中はポケットの中からスマホを取り出して、写真アプリを開くと、目をつぶる小橋川の前へつき出した。
「見てみろ、こいつが佐々木ちゃんの結婚相手」
田中はにやりと笑った。
スマホの画面には冴えない優男と、満面の笑みをしたキレイ系の佐々木が写っている。
「不釣り合いだろ。うけるよなー」
やべ、これは完全に金目当てだ、と不謹慎な返答をするであろう親友は、目を閉じたまま言葉を発しない。田中は、言われたであろうブラックジョークを想像して満足し、スマホをポケットへしまう。
最近起きたトピックスを話す。意識がないので、聞こえてはいないだろう。だがひょっとしたら、こいつなら夢の中で学習していてすぐに前線へ復帰する、なんてこともやりかねない、と田中は勝手に人類を超越するぶっとんだ過大評価を親友にしていた。それほどに小橋川の営業成績、周囲からの評価が高く、同等レベルの人間が現れないことが田中の小橋川像を大きくする要因になっている。
しかし助かる確率は0.001パーセント。意識が戻るはずもなく、睡眠学習などしているはずもない。
本社が六本木に移動する、行きつけの食堂で裏メニューを見つけた、右手を何度も振ってどけどけ言うむかつく人事のおっさん、通称「しゃぶしゃぶ」がキャバクラの巨乳ちゃんにハマりすぎて預託金に手を出した、など、世間話からニュースまでしゃべり、時間が結構経っていることに気づいた。
そろそろ帰るか、と田中が丸椅子から腰を浮かしかけた時だった
無遠慮な足音が廊下に響き、この病室の前で止まる。
「失礼します」
野太い威勢のいい声が響き、病室のスライドドアが音を立てて開いた。
入ってきたのは五十代前半と思われる、角刈りで太い眉毛をした男だった。髪には白髪がまじり、工場の作業着であろう茶色の上下を身につけ、胸にはペンが乱雑に三本ささっている。眼光は鋭く職人気質なものを思わせるが、田中を見つけると口元が柔和にほころんだ。
「どうも株式会社トウワイの五反田と申します。東京ナナヒシ営業一課小橋川さんの病室はここですかね?」
「ええ。そうですが…」
田中はライバル会社の人間が来たのかと思い咄嗟に警戒するが、わざわざ病院に来て何をするのだとすぐ臨戦態勢を解き、立ちあがって営業スマイルを半分ほど顔に貼り付けた。
その表情を受けた五反田は、ほうっと一息ついた。
「ひょっとして、同じ営業一課の方ですかね?」
「そうです」
「まさか、田中さん?」
「ええ、そうです…」
「おお!」
五反田と名乗る男は嬉しそうに距離を詰め、持っていた見舞いの品とは別の手で田中の手を握った。
知らない中年のおっさんに急に握手をされて、田中はとまどった。
「あの、失礼ですが、どなた様でしょうか?」
「ああ、これは申し訳ありません。私は小橋川さんに助けられた、しがない工場の社長です」
「助けられた?」
「そうです」
「それはいつ?」
「一年半前ですかね。たまたま飲み屋で知り合った兄ちゃんが、実は超大手のやり手営業マンだった、ってことです」
「……すみません。もう少し詳しくお願いします」
「失敬失敬。中身を飛ばしちまうのが悪い癖なんですよ」
堅苦しい言葉が辛かったのか、五反田の口調が段々と雑になってくる。
彼は手に持っていた見舞いのフルーツを枕元のテーブルに置いた。
「簡単に言うと、仕事を斡旋してくれたんです。会社がポシャりそうで首くくろうか本気で思い始めたとき、兄ちゃんが知り合いを紹介してやるっていうんでね、半信半疑で指定された待ち合わせ場所に行きましたわ」
「こいつが橋渡しを?」
「どえらい大物を連れてきたんでチビりそうになりましたわ。がははははっ」
五反田は古今無双の豪傑のように豪快に笑った。思い出すだけで可笑しくなるらしい。
田中はうろんげな目で五反田を見つめ、寝たきり意識不明のくせに不敵な雰囲気を醸し出す親友に目を落とす。
「こいつは誰を紹介したんでしょうか?」
「アレですよ、アレ。有名な韓国の某メーカー」
「あ、ひょっとして…」
田中は咄嗟にテレビやケータイなどを手掛ける超大手メーカーを記憶から引っ張り出した。会社のパーティーにお偉いさんが来ていたというところまで思い出し、小橋川が何らかの方法でコネクションを手に入れている事実に戦慄した。しかも斡旋までするという離れ技まで行っている。
こいつ…バカと天才は紙一重だとよく言う理由がいまはっきりとわかった気がする。
何かしらの手を使ってパーティー会場にいるお偉いさんへ近づき、話を盛り上げ、意気投合し、連絡先を交換。そのあと、他社への紹介まで行ったのだ。一回会うだけでは信用は得られないだろう。何度か会ったり連絡を取り合って関係値を深めたはず。
一体どんな手管を使ったんだ?
「そこの製品開発部門の部長さんを紹介されてまして、そんとき必死にうちの製品をアピールしましたわ。それで首の皮がつながった、というわけですな」
「そういう経緯があったんですね…。今日は小橋川の見舞いですか?」
「そうそう! いやー生きててよかったわ」
たまに来る知人、友人とは違った、やけに明るい反応をする五反田に、田中は目を白黒させる。通常であれば、沈痛な面持ちになり、小橋川に関する昔話を始めるところだ。
「死んじまったら人間なにもかもパーです、パー。どっこい兄ちゃんは生きている。この兄ちゃんなら奇跡を起こすような気がするんですわ」
「たしかに」
田中は深い肯定を示すために大きくうなずいて腕を組んだ。
こいつがこんなところで終わるタマじゃないってことは誰もが思っていることだ。
「いやぁ風の噂で昨日、兄ちゃんが事故で意識不明って聞いたときは軽いパニックになりましたがね、こんな形でも生きててくれてよかった。奇跡を起こすにも生きてないといかん。こちとら一度死を覚悟しましたからね、それが真理、真実というもんです。生きてりゃどうにかなるんですよ」
「十万人に一人、助かる事があるそうです」
「十万分の一か。結構な博打ですわな」
「起きると思いますか…?」
「この兄ちゃんなら起きるよりもとんでもないことをしでかしそうだけどなぁ」
「はははっ、そうですね」
「ひょっとしたら今寝ている間もどっかで頑張ってる、とか」
「ああ、それは同僚とも話していましたよ。ただでは転ばない、寝ている間も無駄にしない、そういう抜け目のない奴なんで」
「おおー田中さんらも中々のストーリーテーラーですな。兄ちゃんの空想世界を書いて小説化できるんじゃないですか?」
「いやいや、僕にはそういう才能はないですよ」
「あ、そうだ」
五反田は何か思い出したのか、右手で左手をぽんと叩き、小橋川の寝顔を見てから田中に目線を直した。
「兄ちゃんから田中さんの話しを色々聞いてるんですよ」
「え? 僕の話ですか?」
「もし会う機会があったら五反田さんからも言ってやってくださいよ、と飲み屋で言われまして」
「それで僕の名前がわかったんですね」
「ええ。聞いていた通りだったんで」
「どう聞いていたんです?」
「歴史好き、料理好き、アニメ好き。そこそこいい男で、そこそこモテて、そこそこ仕事ができる奴、と」
「こいつ……」
ぷっ、と小橋川が笑ったような気がして田中はベッドを睨みつける。
不貞不貞しく寝ている顔が今にも目を開け、まあなんでもそこそこがいいよ田中君、と言いながら起き上がり、慰めるように肩を叩いてきそうだった。
「そこそこの田中、略して“そこタナー”と呼んでやってくださいと言われましたな」
「そんな安っぽいカクテルみたいなあだ名は勘弁してください」
「まあまあ、いいじゃないの。ところで田中さん。いや、そこタナーさん」
「言い直さないでくださいよ!」
「がっははははは! まあまあまあ、どうです、これからコレでも」
豪快に笑い飛ばして、おちょこで酒を飲む仕草をする五反田。
それを見て田中は、何となく小橋川がこの男に肩入れした気持ちがわかったような気がした。どうにも憎めない人というのはどこへ行っても得をするよな、と少し羨ましい気持ちになって、快く頷いている自分に「仕事中だろ」とツッコミを入れる。
「仕事なんて一日ぐらいうっちゃっても平気ですよ」
「エスパーですかあなたは」
「そこそこ真面目な田中さんは分かりやすい」
「もうそれやめてくださいよ」
「がはははははっ。兄ちゃんに頼まれたんでね、言われたことを話したいんですわ。それにどんな経緯でこの兄ちゃんと仲良くなったかも話したいですしね」
「あ、それは僕も聞きたいです」
「それじゃ行きましょ。タクシーでちょいちょいと行ったところにいいおでんを出す店があるんですわ」
「ひょっとして、そこでこいつと?」
そうです、とうなずいて、五反田は小橋川に「また来ますわ」と軽く声をかけた。
その言葉に促されるように、田中はコートに袖を通して親友を一瞥し、恨みがましく「おぼえておけよ」と捨て台詞を残して、ビジネスバッグを手に取る。
田中の捨て台詞を聞いて五反田が豪快に笑い、たまたま近くにいた看護士に静かにして下さいと怒られ、こりゃ失礼しました、すんませんすんません、と手刀を切りながら病室を出て行く。
田中も看護士に頭を下げながら、五反田と小橋川の行ったおでん屋がどんな店か想像し、なぜ俺に教えてくれなかったんだとやっかみを言いたい気分を胸の奥にしまい込んで、五反田の背中を追った。「冬の病室は暖房が効きすぎですね」と五反田に言うと、彼は「地球温暖化ですわ、温暖化」と振り返って豪快に笑い、また看護士に怒らた。
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