第115話 イケメン砂漠の誘拐調査団・出発①


 明晰夢というものは夢の中で思いのままに行動できる、って話をうんちく博士の田中から聞いたような気がする。だがこの場合は少し違うみたいだ。


 俺の身体は映画で見た霊体のように透明になってその辺を浮いていて、煙のようにゆらゆら浮遊しながら、エリィと孤児院の子ども達を見ていた。声を出しても誰にも届かないし、動こうとしても自由に移動できない。透けた腕が振り回されるだけだ。


 夢のせいなのか、男の体になっている。

 この感覚、まじで忘れかけてた……。


 透けているとしても、動かないとしても、やっぱ自分の体が一番いい。筋肉質な腕、バランスのいい足、男らしい手。こっちの世界に来る直前の自分の体と一緒だ。夢から覚めたらまたエリィの体に戻るんだろうけど、今はこの感覚が懐かしい……。


「今日はこのご本を読みましょうね」


 しゃべった!

 エリィがしゃべった!


 いつもの自分の声だから、なんかすげえ不思議な感覚になる。

 っておい。自分じゃないのにエリィを見て自分って……完全にエリィと同化してきてる気がするぞ。


 優しげな声でエリィが本の表紙をみんなに見えるように胸の前へ掲げる。太い腕、座っているのも辛そうなほどに盛り上がった太ももの脂肪、顔は贅肉で今の倍ぐらいの大きさだ。それでも健気に子ども達へ笑いかけ、優しげな瞳を全員に向けている。


 太っていた頃のエリィの姿も懐かしいな。

 やっぱり改めて見るとすげえ太い。この姿を見て、今のエリィと同一人物って、誰も思わないだろ。いやまじで街頭アンケートしたら、百人中百人がびっくり仰天して、レポーターに「嘘ですよね」と聞くだろうな。


 それにしても子どもはかわいいな。

 みんないい返事をして、エリィの周りに集合している。


 あ、ひょっとして…これってエリィの記憶じゃねえか?

 孤児院で朗読の手伝いをしていたときの実体験で、身体が同化した俺がエリィの記憶を覗いている。なんか妙にリアルで鮮明だから、そう考えると得心がいくな。


 頑張って子どもを座らせているエリィを見ていると、胸の奥から感情が込み上げてくる。

 この頃のエリィは昼休みにクリフと会うことだけを楽しみにし、あとの時間はリッキー家のボブとスカーレット達にこっぴどいイジメを受けていたはずだ。それを考えると……あれ、おかしいな……鼻の奥がツンとして目から熱い何かが……。

 いや、俺は泣いてないよ。こんなことで、この天才イケメン営業が泣くわけないだろ。


「大冒険者ユキムラ・セキノのお話です」

「そんな本なんて読んでも聞かねえよ~デ~~ブ」

「でぶエリィはでーぶでーぶ」


 見るからにやんちゃで、ウマラクダのようにすきっ歯な男の子と、これまた言うことを聞かなそうな黒髪でそばかす顔の男の子が、ゲラゲラと笑いながら音をまき散らして部屋を走り出した。見た目からして八歳から十歳、といったところか。


「やめなよライール」

「ヨシマサ、また院長に怒られるよ」

「エリィお姉ちゃんにデブって言っちゃいけないって院長が言ってたよ」

「女の子にデブっていうのはひどいんだよ」


 円を描くようにエリィの前に集まっていた子ども達から批難の声が上がる。ざっと数えて十五人いるな。皆、質素な上下を着ており、半分が人族、半分が獣人、男女比もちょうど半分といった案配で、年齢は五歳から十歳ぐらいだ。


 場所は談話室のような場所だろうか。レンガ作りの暖炉があり、ところどころ破れいる古ぼけた大きな絨毯が敷かれ、汚さないように入り口で靴を脱ぐ決まりになっているらしい。部屋は学校の教室、半分ほどの広さで、入り口から左手の壁際には手作りの本棚があり、寄進されたであろう子ども向けから学術書まで、何の脈絡もない種類の本がぎっしり詰め込まれている。


「エリィお姉ちゃん。院長呼んでこようか?」


 利発そうな目をした犬獣人の女の子が怒った顔で立ち上がった。

 あどけない顔には小ぶりな鼻と大きな口がついていて、柔らかそうな茶色の耳が頬のあたりまで垂れており、優しげな印象を与える。是非とも耳を持ち上げて上下に揺らしてもふもふしたい。


「ううん、呼んでこなくていいわ。ありがとうマギー」

「せっかくエリィお姉ちゃんが来てくれたのに、デブだなんてひどいよ…」

「いいのよ………こら二人とも! 静かにしなさいっ」

「やーだーよ~」

「でーぶの言うことはきーかーなーいー」


 エリィに叱られてドタバタに拍車がかかる悪ガキの二人。

 手に持った棒きれでチャンバラを始め、朗読会を妨害するためなのか、わざと奇声を上げている。


 よし、今すぐクソガキの頭をぶん殴ろう。

 エリィにデブデブ言いすぎだ。


 それに引き替え、利発そうなマギーっていう犬獣人の女の子はええ子や。お兄さんが欲しい物をなんでも買ってやろう。うんうん。


「ライールとヨシマサは大冒険者のお話が好きでしょう?」

「好きだけど嫌い~」

「俺も~」


 エリィの優しい問いかけに、悪ガキ二人はあえてつっけんどんな答え方をし、否定的な声を上げる。


「聞かなくてもいいから静かにしていてちょうだいね。みんな朗読が聞こえなくなっちゃうのよ」

「やーだよーん」

「やだやだー」


 そう言って悪ガキ二人はまたぎゃーぎゃー騒ぎ出し、ドタバタと部屋を走り回ってチャンバラで斬り合い「うおー」とか「ぎゃああああ」と悲鳴を上げてふざけ合う。しまいにはエリィの前にできている輪の中に入って腰をくねくねさせる意味不明な踊りをはじめた。


 見るに見かねた犬獣人の女の子マギーが、立ち上がって「もう! いい加減にしてよ!」と一喝したが、悪ガキに効いた様子はなく、さらに棒きれを振り回した。


「シールド騎士団の魔法を受けてみよ!」

「われは大冒険者ユキムラ・セキノ!」

「とりゃあ!」

「おりゃあああ!」


 魔法もヘチマもなく、ただ棒きれをぶん回しているだけなんだけどな、そんなに振り回したら絶対に――


 バチン

 ベチン


 あ……。ほらいわんこっちゃない。


「う……うわああああああああん!」

「い………いだあああい!」


 年少の男の子と女の子の頭に棒きれが見事クリーンヒットして、耳を塞ぎたくなるような大声で泣き出した。すると静かにしていた子ども達もさすがに怒ったのか、すきっ歯のライールとそばかすのヨシマサの悪ガキ二人に苦情、というか、体当たりをして、取っ組み合いの喧嘩になった。


 瞬く間に談話室は本を読むどころの騒ぎじゃなくなり、年少組は喧嘩のせいで大泣きが連鎖し、男の子達はすったもんだの乱闘を始める。


「やめて! もうみんなやめてよぉ! エリィお姉ちゃんが来てくれたのにぃ!」


 年齢が他の子どもより上であろうマギーが大声で止めに入ろうとした。


「そんなデブの話なんて誰が聞くか!」

「そうだそうだ!」


 元凶である悪ガキ二人は取っ組み合いをしながら、大声で反発する。

 エリィはちょっと傷ついた顔をしたが、すぐに気を取り直して気丈な声を上げた。


「二人とも静かに! おやめなさい!」

「うるせえデーブデーブ」

「でぶエリィ!」

「ひどいよ……女の子にデブって言っちゃ………ひっく……いけないんだよぉ…」


 ついにはマギーが犬耳をしおれさせ、悔し泣きを始めた。

 もはや収拾が不可能になりつつあった。知恵の回る子どもが、院長を呼んでくる、といって部屋から駆け出していく。


 何を思ったのか、エリィがゆっくりと立ち上がった。

 小さな子どもからすれば、百キロ超えの大人が立ち上がることは巨大戦艦が迫り来るみたいなもんだろう。


「みんな、ふたりを押さえてちょうだい」

「わかった!」


 多勢に無勢であったライールとヨシマサはすぐに捕まって、浮沈艦のようにのっそりとやってくるエリィの腕につかまれた。


「な、なにすんだよ!」

「離せ! はーなーせー!」

「離さないわ。みんながお話を聞きたいのにどうしてこんなことするの?」

「別に……聞きたくないんだもん」

「おれもだ!」

「正直に言いなさい」

「うるせえデブ!」

「デブエリィ!」

「もうやめてよ!」


 マギーが今にも噛みつく勢いで二人に詰め寄り、怒りの目を向ける。この子はエリィが罵倒されることを本気で怒っているみたいだ。


「マギー、いいのよ本当のことだから。それより二人とも、こっちに来なさい」

「引っ張るなよ!」

「院長先生に言うぞ!」


 エリィが二人を抱えるようにして引きずり、定位置に座ると、ライールとヨシマサの二人を自分の脇へと座らせる。二人は暴れているが、エリィに腰をしっかりとつかまれているので逃げられない。


「ここにいらっしゃいね」


 そう言ってエリィはぽんぽんと膝の上を叩く。

 悪ガキは恥ずかしいのか、焦ってわぁわぁ喚きながら、なんとか脱出を試みようとするものの、網にかかった魚のようにエリィの膝の上へと引っ張られた。


「罰として二人は私の膝の上ね」

「えーーーっ」

「やだ」

「ダメよ。あなた達はお兄さんなんだから小さい子を守らないと。それを棒で叩いて泣かすなんて、男として、騎士として恥ずべき行為よ」

「………」

「………」

「お返事は?」

「………ったよ」

「………よ」

「聞こえないわよ」

「…わかったよ!」

「…今日だけだからな!」

「よろしい」


 そう言ってエリィはにっこりと笑った。

 その笑顔は天使のように純粋で優しげで、見ている者を魅了し、心を温かくさせる。


 そうか…。エリィが白の女神って呼ばれる理由が何となくわかったような気がする。こんな顔で微笑まれたら、怒っていたこととか、不安なこととか、全部どうでもよくなるな。デブのままのエリィでも十分に可愛いと思うぞ。


 エイミーやクラリスは、エリィが学校でいじめられていることを知り、彼女のこういった可愛らしい笑顔が見られなくなって、さぞ心配したことだろう。俺がエリィに乗りうつって元気になったときは、歓喜したくなるほど嬉しかったはずだ。

 中身が入れ替わっていることは、落雷魔法のせいで性格が明るくなって頭の回転が速くなった、と言い訳して気づかれなかった。たぶん、嬉しさのあまり正常な判断ができなかったことと、仕草が完全にエリィと同じだった、あとは落雷魔法が異世界では神格化されるレベルですげえもんだと認識されていたおかげでバレなかったんだろう。

 エイミーに落雷魔法の説明をしたとき、大丈夫大丈夫、私はわかっちゃってますよ、と、したり顔で何度もうなずいていたしな。


「マギー、手が離せないわ。本のページをめくってちょうだい」

「うんっ!」


 エリィの膝の上に乗せられ挙動不審な悪ガキを見て、犬獣人のマギーは女の子らしい含み笑いをし、エリィの横に回って、見えるように本を広げた。

 するとドアががらりと開いて、初老の女性が入ってくる。栗毛色のウエーブした髪は後ろで束ねられ、ところどころ白髪がまじっており、顔には柔和な笑みが浮かんでいた。


「ホラ見て院長先生! ってあれ?」


 知恵の回りそうな細身の男の子が、静かになった部屋の様子を見て首をかしげた。

 隣にいた院長が、笑いながらおもむろに口を開く。


「おやおや随分といい席に座っているのね。ライール、ヨシマサ」

「ち、ちげえよ」

「これは…」

「私もエリィちゃんの朗読を聞かせてもらうわね」

「はい、院長先生」


 いい返事をして、エリィは朗読を開始しようとし、ふと気づいたように悪ガキ二人に声をかけた。


「苦しくないかしら?」

「……なんかあったかい」

「柔らかい……落ち着く」

「まあ……そう。それはよかったわ」

「あのなエリィ……お姉ちゃん」

「なぁに?」


 そう言って、すきっ歯のライールは恥ずかしげにうつむくと、見下ろしているエリィのやさしげな表情を見て、決心したように顔を上げた。


「あのな」

「ええ、何かしら」

「あの……」

「うん」

「……ごめんな、デブって言って…」


 その言葉を聞いたエリィはハッとした表情をし、自嘲気味に笑って首を振った。


「………いいのよ」

「ごめんな…」

「ううん…」


 続いてそばかす顔のヨシマサも、エリィの腕をつかんだ。


「ごめん……なさい」

「いいのよ二人とも……全然そんなこと………気にしてない……んだから…」


 そう言ったエリィは、我慢しようと思ったが上手くいかなかったらしく、ぽろぽろと涙をこぼした。


「いいのよ二人とも…いつも元気でいてくれて……ありがとう……」


 泣きながらエリィは二人を抱きしめた。


「あ~っ! 二人がエリィちゃん泣かしたぁ!」

「ごめんエリィ姉ちゃん!」

「泣くなよ! なんで泣くんだよ!」

「ごめんなさい………なんでだろう……涙が……止まらないわ……」

「よしよし。エリィお姉ちゃん」


 お姉さんらしいマギーが手に持っていた本を絨毯に置いて、エリィの頭を撫でる。

 すると、子ども達が全員エリィの周りに集まってきて、エリィに向かってよしよしと頭を撫でようとする。頭を撫でられない子は腕や膝にくっつき、五才ぐらいの女の子三人は出遅れて場所がなかったらしく、背中を一生懸命に撫でた。


「ご……ごめんなさい………私…………みんな……ありがとう……」

「エリィお姉ちゃん………泣かないで……」

「私は…………みんなに……助けてもらって…………みんながいなかったら……私…」


 そう言って、エリィは震えた声で言葉を紡ごうとする。しかし言葉はそれ以上出てこず、右手で口を押さえて嗚咽を堪えることに必死になった。


「う………ううっ………」


 彼女のふっくらした頬に、止めどなく涙がこぼれ落ちる。

 院長先生も子ども達とエリィの様子を見て、涙をハンカチで拭っている。



 ぐうっ………。

 くそ………涙が……止まらねえ……。



 日記にあった内容と同じだ。

 エリィが悪ガキ二人を膝の上に乗せるのは、凄く勇気のいることだっただろう。これまで彼女は誰にも認められず、自分に自信がなく、しかもイジメを受けていて精神的に相当な傷を負っていたはずだ。


 それでも子どもとの距離を縮めようと、一歩踏み出して、二人を膝の上へと抱き寄せた。上手いやり方じゃないが、エリィの気持ちは確かに伝わったように思えた。

 他の子ども達にこんなにも心配されて、ようやく自分の居場所がある、ってことを確認できたんだ。

 日記には、私はデブでもいいんだ、って書いてあったもんなぁ…。


 ちくしょう……。

 俺は泣いてないっ。泣いてないぞ!

 断じて泣いてないからな!


 これはただ目に巨大なゴミが入ったからだ。

 さっき前方からゴミがぶわーって飛んできて、ちょうど目の中に入りやがったんだ。透明だけど。体は透明だけどっ。大事なことだから二回言ったぞ。こんな夢の中だって目にゴミは入るんだよ。この天才エリートが、こんなみっともなく声を出して泣くなんて、そーんなことあるわけねえだろ!?


 てかね、エリィの場所をぶち壊した奴ら、まじで許さねえ。

 孤児院の子どもの顔はしっかりと覚えたから、全員救出してやる。覚悟してろよ、盗賊団。全員、首洗ってまってやがれ。

あと、魔改造施設はぶっ壊すからそこんとこよろしく。


 どうせどっかのお偉いさんに渡したら、やれ利権がどうだ、薬の効果がどうだ、我が軍にも採用しましょう、とか、碌でもないことに使うに決まってる。

 証拠品を押収して、二度と魔改造ができないようにぶっ壊すぜ。

 これ、決定事項ね。まじで。



 にしても……涙が止まらねえええっ!

 ちくしょう!

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