第85話 イケメン、ジャンジャン、商店街七日間戦争⑫


 揺らさないよう慎重に運ばれてきたのは、赤い鎧に赤いマント、赤い髪を後ろで束ねた美丈夫で、美しいであろう顔には脂汗が大量に浮かび、だらりとした右腕は根本から切断されている。担架には大量の血が付着して、生きているのが不思議だった。それでも精神力が相当強いのか、意識をギリギリのところで保っている。


「まだ魔力が………あるかい……治療士のお嬢ちゃん……」

「しゃべってはダメですアグナス様!」


 ルイボンがすかさずアグナスに駆け寄った。


「アグナス様はキングスコーピオン、クイーンスコーピオンを倒す事と引き換えに右腕をやられ……それでも半数の敵を屠り、討伐を成功へ導いたのです…。アグナス様こそ真の勇士、冒険者の中の冒険者です…」


 付き人なのか仲間なのかわからないが、連れ添っていた神官風の男が涙を流しながら言った。


「我々が不甲斐ないばかりに……くそっ!!」

「旦那!」

「アニキっ!」

「もう……いい」

「アグナス様ッ!」

「ルイスも……ありがとう……」


 竜炎のアグナスは周囲のメンバー、神官風の男とルイボンへ笑顔を贈ろうとし、激痛に耐えられずしかめ面のまま口角を上げた。


「最期に……“癒発光キュアライト”でいい……唱えて……くれないか……。ぼくは……治療魔法の光が………大好き………なんだ」


 治療院の中央に下ろされた竜炎のアグナスの頭のそばへ、俺は跪いた。


「わかったわ」


 決然とした意志でうなずく。


「ルイボン、魔力ポーション持ってない」

「……あるわ」


 彼女から最高級品らしき魔力ポーションを受け取り、飲み干した。味はメロンソーダと酷似していて、疲弊しきった体に染み渡るように広がっていく。


 治療院はお通夜のように静まりかえっていた。共にスコーピオンを討伐したであろう冒険者風の男たち、オアシス・ジェラの兵士たちからはすすり泣きが聞こえてくる。みな、分かっていた。この傷を治すには白魔法・中級以上の魔法が必要だ。使用できる治療士はこのジェラの町には一人もいない。


 ポカじいが言っていた。致命傷の場合、適切なレベルの魔法を使用しない限り助からないと。今の竜炎のアグナスに“再生の光”を唱えても傷は塞がるが、塞がっただけで助かりはしない。失った血液や生命力は戻らず、ほんの少し延命するだけだ。


 これがもし右腕を切断され傷を負った直後だったのなら“再生の光”で回復できただろう。負傷直後は命に別状はなかったはずなので、腕はくっつかないにしろ命は助かったはずだ。しかし、こうなってしまっては遅い。時間が経ちすぎている。“再生の光”では助けられない。


 白魔法・中級“加護の光”の詠唱は『親愛なる貴方へ贈る、愛を宿して導く一筋の光を、我は永遠に探していた』だ。


 普通だったら絶対に人前で言いたくないセリフだな。


 もう一度、竜炎のアグナスを見つめた。

 通った鼻筋と赤い髪が特徴的だ。鍛え抜かれた右腕は無残にも分離しており、痛々しく包帯で血止めがされ、患部はむき出しになっている。



 ここでやらなきゃ男じゃねえ。



 やる。俺は白魔法・中級“加護の光”を唱えてやる。



 両膝をつき、両手を組み、リラックスして深呼吸をする。



 アグナスの体が健康体になるイメージを何度も何度も繰り返す。



 数々の商談をまとめ、プレゼンを成功させ、危険な人脈の橋渡しをしてきたじゃねえか。こんなもん余裕だ。

 修行中にチャレンジして何度も失敗しているが、そんなことは関係ねえ。

できるできる、俺ならできる。



 俺、天才、イエーイ。俺なら絶対できる。



 深呼吸を十回ほどして両手を広げ、循環させた魔力を一気に放出した。



「親愛なる…………貴方へ………」



 強烈な呪文の波が内側から押し寄せる。

 凡人では越えられない壁があると言われる上位・中級魔法。

半端じゃない圧力が体中でせめぎ合う。


 やべえ! まじでやべえこれ!

 こんなん絶対疲れてるときに試しちゃいけねえヤツじゃねーか!


「エリィ…?」

 アリアナが何かに気づいたのか不思議そうな声を出す。


「エリィちゃん?」

 次にジャンジャンが歩み寄る。


「あれ? エリィちゃん?」

 コゼットがドクロのかぶり物を揺らして首をかしげる。


「まさかエリィしゃん…」

「うそだろ」

「やる気?」


 クチビール、お調子者マツボックリペアが魔力切れ寸前のへたりこんだ姿勢で呟く。


「おいおい…まじかよお嬢ちゃん…」

 護衛隊長のバニーちゃんが信じられないと言った表情で見つめる。


「エリィ…………お願いッッ!!!!!!!!」

 そしてルイボンが悲痛な叫びを上げてすがるように祈る。



「愛を、宿し、て………………導く一筋……………………の光……………………を」



 へそから湧き上がる魔力が入り乱れ、魔力循環がめちゃくちゃにされそうになる。竜巻を飲み込んだみたいに全身に食い込んでくる魔力の奔流に、負けそうで負けない寸でのところで踏みとどまる。歯を食いしばり、目をきつく閉じ、次に続く詠唱を何とか紡ごうとする。


「何の呪文を唱えようとしてるんだ…?」

「女神……まさか中級を?」

「白魔法の…中級ッ?!」

「魔力枯渇寸前で…無茶だ…」


 院内が色めきだつ。

 無理だ、無茶だ、白魔法の中級は他より難しい、など様々な声が上がる。

それでも最後の希望に賭けたいのか、次第に声は多分に願望を含んだ叫びに変わり、俺を囲むようにして全員が集まってきた。



「いけ……いけーーーーーっ!」

「いけーーー! 成功してくれ!」

「お願いだぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

「アグナスの旦那を助けてくれ!」

「やれーーやってくれぇぇぇえええ!」

「うおおおおおおおおーーーーー!」



 院内にいる人達の絶叫が聞こえる。



「我は………………永………………遠に……………」



 さらに魔力の奔流が強くなる。初めて白魔法の中級を成功させるには、明確な意志と確固たる決意、清い心、人を救わんとする熱い思いが必要で、心に不純物が入っていると魔法は失敗して霧散する。


 ポカじいの魔法授業が頭をよぎる。


 俺はやるんだ。絶対助けるんだ。


 この目の前の人を。


 この人のために。ルイボンのために。

 

 町を救ってくれたから。



 だから俺が助けるッ!!



「いけエリィ…!!」

「成功してーーー!」

「がんばるニャ~!」

「ボス……ッ!!」

「エリィちゃんやれーっ!!!」

「がんばれエリィちゃあああん!!!」

「やるでしゅエリィしゃん!!!」

「いっけー!!!」

「ゴーゴー!!」



 仲間が何度も叫び、院内の全員が声を張り上げる。


 霧散しそうになる魔力をかき集め、張り詰めて途切れそうになる緊張の糸をギリギリのところで保ち、鉛のように重くなった唇を必死に動かして、一文字、一文字、ひねり出すみたいに声に出していく。



「………探……し………………て………」



「うおおおおおおおおおおおおおおっ」

「うわああああああああああああああ」

「いっけえええええええええええええ」

「女神いいいいいいいいいいいいいい」

「たのむううううううううううううう」

「あと二文字ぃぃぃっぃぃいいいい!」

「エリィちゃああああああああああん」

「エリィ……………!!!!!!!!」



 最後の二文字がまるで唇を接着剤で固定されたみたいに出てこない。刻一刻と魔力が消費されて循環が途切れそうになる。崖っぷちで踏みとどまるように広げた両手に渾身の力を込め、唇を噛みしめて両目をきつく閉じる。


 ここでやらなきゃ、男じゃねえええええええ!

 うおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!

 最後の二文字を、細い隙間へ強引に物を突っ込むみたいにひねり出してねじ込んだ。



「……………………いた」



 いったああああああ!!

 最後まで詠唱したぜええええええ!!!

 うおおおおおおおおおッ!

 治れこんちくしょーーー!!!!



「“加護の光”!!!!!!!!!!!!!!!」



 しん、と静寂に包まれる治療院。

 身を乗り出し生唾を飲み込む周囲の人々。


 しばらくして俺の体から眼がくらむほどのまばゆい光が立ちのぼり、束になって天井へと突き上がった。魔力の圧でまとめていた髪がほどけて、髪の毛も光と一緒にぶわっと逆立つ。


 アグナスの全身からも同様の光の柱が上がり、彼が魔物から受けた傷が塞がって、切断された右腕がアメーバのようにくっつき血の通った元の腕へと再生した。流れ出た血ですら再生したのか、死ぬ寸前だった土気色の顔にはほんのりと赤みがさし、アグナスは数十秒にして健康体に戻った。


 “加護の光”が収束し、消えた。


 力が入らなくなり両手を地面につく。

 ちくしょー、魔力切れ寸前だ。

 でもやった。やってやったぜ。


「アグナス様ッッ!!」

「旦那ッ!!」

「アニキィ!!」

「うわああああああっ!!」


 ルイボンとアグナスの仲間たちが一斉に駆け寄った。


 竜炎のアグナスは鼻筋の通った顔をほころばせ、心配かけてごめんな、と皆に声を掛ける。

 そして寝たままの体勢で、ゆっくりと俺を見つめた。


「ありがとう……こんなに美しい“癒発光キュアライト”は初めてだったよ…」


 アグナスがにっこりと笑った。

 俺も顔を上げて微笑み返す。


「エリィ特製の……“癒発光キュアライト”よ」



 俺はパチッとウインクを決めた。



 あ…やばっ……。


 格好つけた途端、猛烈な酩酊感が押し寄せてくる。

 地面についていた手の力が抜け、床に突っ伏した。


 ぐわんぐわんする視界の端で、アリアナとジャンジャンとコゼットが心配そうな顔で駆け寄ってくる姿を一瞬だけ捉えたが、それ以上は意識を保っていられず、魔力切れで目の前が真っ暗になった。

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